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2005年8月中旬
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●8月11日(木) 妙なところに乱歩の名前が出てきました。
この記事によれば、容疑者は「中学生のころ、女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵に興奮した」と供述。小説の作者は江戸川乱歩だったと言い、「乱歩の作品を色々と読み、人を苦しめながら殺す内容のストーリーに興味を持った」と話した、とのことです。 同じく読売新聞オフィシャルサイトには、きのうの午後にこんな記事も。
この記事によれば、容疑者は中学生のころ、子供や女性の口が押さえられている挿絵などを見るたびに、性的興奮を覚えたという、とのことです。で、この挿絵というのが乱歩作品に添えられたものであったと。 三十六歳の容疑者が中学生のころといえば、ちょうど二十年ほど前のこと。当時の中学生が読むことのできた挿絵入りの乱歩作品となると、リライトものも含めたポプラ社の少年探偵江戸川乱歩全集全四十六巻がそれだと考えて、まず間違いはないでしょう。たぶん小学校や中学校の図書館あたりにも、普通に並んでいたものと思われます。 そこで私は昨日夕刻、名張市立図書館の蔵書を調べてみました。ポプラ社版少年探偵江戸川乱歩全集には「子供や女性の口が押さえられている挿絵」がどれくらい収録されているのか。答え、三点。第十三巻「サーカスの怪人」では子供が、第十六巻「魔人ゴング」では女性が、第三十一巻「赤い妖虫」ではまた子供が、背後から賊に取り押さえられ口を押さえられているシーンを描いたイラストが、一ページまたは見開き二ページで作中に配されていました。 しかし、いまさら指摘する必要もないことでしょうが、これらは殺害シーンではありません。賊は麻酔薬を染みこませた布を手に、子供や女性を眠らせて誘拐しようとしているだけの話なのであって、賊の狙いは窒息死ではありません。乱歩の少年ものは殺人を描かないのが基本とされていますから(リライトものはさすがに事情が違うのですが)、わが愛すべき怪人19面相ではなかった怪人二十面相も、血を見るのが大嫌いな盗賊として設定されているわけです。 ここで私の推測を記しておきましょう。この連続殺人事件の容疑者とされている人物は、中学生時代にポプラ社版の乱歩全集を読んだ。作中の少年が遭遇する恐怖を自身のものとして体験し、忘れがたい印象を覚えた。その後、乱歩作品のストーリーやディテールは徐々に忘却していったが、印象そのものは色濃く残りつづけ、乱歩とは無縁な小説などからもたらされた恐怖の感情も乱歩の名に結びついて記憶されるに至った。 とはいえ、いささかの引っかかりもやはり覚えます。とくに引っかかるのが窒息死。乱歩作品には窒息死の恐怖もまた描かれていて、私がもっとも生々しくそれを感じたのは「孤島の鬼」の終盤、諸戸と蓑浦が入った洞窟にひたひたと潮が満ちてくるシーンでした。しかしながら、挿絵の有無は別にしても、読売新聞の記事に記された「女性を窒息させる場面」が実際に乱歩作品に出てくるのかどうか、私にはどうしても思い出せません。いくらでもありそうな気はするのですが、では何という作品のどんなシーンなのかとなると雲をつかむような印象になってしまいます。お心当たりがおありの方はお知らせいただければ幸甚です。 それともうひとつ、今回の事件と乱歩作品との関連性がこうしてメディアで喧伝された結果、殺人を誘発するような乱歩の作品は図書館から一掃してしまいましょう、みたいな莫迦なことをいいだす連中が出てくるのではないかとご心配の乱歩ファンもいらっしゃるかもしれません。たしかに出てくるかもしれません。莫迦なんてどこにでもごろごろしております。ただまあ私といたしましては、僭越ながらそうした莫迦との戦いの先頭に立ちたいとは念じておりますので、そんな動きがあるようでしたらぜひご一報いただきますようお願いしておきます。 以上、インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件と乱歩作品の関連性について、現時点における私見を述べてみました。じつは昨日、読売新聞社会部の記者の方から名張市立図書館に電話で問い合わせがありましたので、上に記したようなことを調べたりお話ししたりしたのですが、これは乱歩ファンのみなさんにもお知らせしておくべきことであろうと判断して、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の話題を中断してお送りした次第です。 記者の方と電話でやりとりしているあいだ、ひとつ面白いことがありました。ポプラ社版の乱歩全集なら名張市立図書館に全巻揃っておりますが、とお伝えしたところ、先方がふと思いついたように、 「でも、名張の図書館ってどうしてこんなに乱歩に力を入れているんですか」 「いや。ははは。名張は乱歩の生誕地なんです」 「え。そうなんですか」 つまりこの日本社会には、乱歩のことは名張市立図書館に訊け、という認識と、名張は乱歩の生誕地である、という認識とがあって、後者より前者のほうがより深く広く日本人のあいだに浸透しているといったことのようです。うーん。二十面相に扮して大阪まで出向いていただいた名張市議会議員の先生方のご尽力にもかかわらず、名張が乱歩の生誕地であることのPR、遺憾ながらいまだしの観が否めぬようです。 |
●8月12日(金) とんだ話題で中断してしまいましたが、本題に戻ることにいたします。8月8日に名張市役所二階の市議会特別委員会室で開催された「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の話題です。 じつはこの講座の終了後、ご聴講くださったある先生とまさに今回の事件、インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件と乱歩作品の関連性について立ち話を交わす機会があり、それはむろんマスメディアの一部で「乱歩の影響」が喧伝される以前のことだったのですが、これはやはり少なからぬ人間になんとなく乱歩作品を連想させる事件であるということなのかもしれません。講座で私は、名張市行政は乱歩作品におけるエログロ表現や残虐シーンに対してどんなスタンスを取るべきか、みたいなこともお話しし、ご参加の先生方にも乱歩がどういう作家であるかということはよく弁えておいてくださいとお願いしておいたのですが、そのあたりについてはまたのちほどあらためて触れましょう。 いずれにせよ、今回の事件に関する私の見解はきのうの伝言に記したとおりなのですが、これはもしかしたらいい機会なのかもしれません。乱歩生誕地である名張市のみなさんにも、わけても乱歩を自己宣伝の素材とし、そのくせ何かというと「ははははははは、明智君」と口走るしか能のないみなさんにも、連続殺人事件に影響を与えたかもしれないとされる作家を名張市の自己宣伝の具とするのがいったいどういうことなのか、一度よく考えてみてくれたまえと申しあげておきたいと思います。 さて本題のつづきですが、その前にお知らせをひとつ。8月6日付の伝言で予告しました先生方のご出欠一覧、うっかり忘れておりましたのでここに掲載いたします。予告では出欠を○か×で記載すると申しあげましたが、×はさすがに失礼だと遅ればせながら気がつきましたので、ご参加いただいた先生の出欠欄に○を附すだけにとどめることといたします。
こういう表を掲載したからといって、何も他意や悪意を感じ取っていただく必要はありません。これは単なる記録です。「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の冒頭、ある先生から私の「裏」についてお尋ねをいただいたことはおととい記したとおりなのですが、私には裏はありません。といったところであすにつづく。 |
●8月13日(土) まず訃報を一件。
日刊各紙のオフィシャルサイトでいっせいに報じられておりましたが、乱歩原作「恐怖奇形人間」のタイトルがあげられていたのは朝日の記事だけのようでしたので、英断に敬意を表して朝日の訃報から引用いたしました。代表作に「盲獣 vs 一寸法師」をあげた新聞は、たぶん皆無だったことでしょう。乱歩生誕地の名張市で「恐怖奇形人間」と「盲獣 vs 一寸法師」の追悼上映会をやろうかという企画は、たぶんどこからも出ていないと思われます。ともあれ合掌。 乱歩原作映画といえば、私はきのう井上梅次監督作品「死の十字路」のビデオを見ました。かなり以前、どこかのテレビ局のなんとか映画劇場みたいな枠で放送されたのを録画しておいたものですが、一度も再生しないままどこかに紛れ込んでしまい、それが部屋をぼちぼち整理しているあいだにひょっこり出てきましたので、ウイスキー飲みながら鑑賞に及んだという次第です。 何の因果か手違いか、犯人と刑事が対決する終幕で録画が突然終わっておりましたので、なんとも中途半端な思いを味わう結果とはなったのですが、乱歩の「十字路」を原作とし、渡辺剣次が脚本を担当、三国連太郎と新珠三千代が主演した昭和31年製作のこの日活作品は、もとより傑作名作と呼ぶことには無理がありましょうが、まあまあよくまとまったB級サスペンス映画であると見受けられました。 ただし、大坂志郎がどうもいけません。この俳優はたとえば石井輝男監督の「新・網走番外地」で演じたような、ストリッパーの尻に敷かれるトランペット吹きの夫といった小心翼々たる人物に扮すればそれなりの味を出すのですけれど、「死の十字路」では刑事崩れの探偵で、頭も切れるがゆすりも平気なちょいとした色悪、みたいな役でしたから相当興醒めな気分を味わいました。だいたいこの探偵、ちょっと煙草を喫いすぎでしたし。 それでは本題。8月8日午前10時10分、名張市役所市議会特別委員会室。「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の講師を務めていた私は、ご出席のある先生からこの講座にはどんな裏があるのかと質問されてしまいました。 むろん裏なんてありません。私に裏などあるものか。もしも裏なんてものがあったとしたら、私はもう少し立身出世というやつをしているのではあるまいか。裏と表を巧みにつかいわけられるような人間であったなら、私はいまごろ名張市議会議員くらいにはなっていたことであろう。どこを探しても俺に裏なんてまったくないはずなのだが、と考えをめぐらせた私は、ああ、強いていえばこれが裏かな、とあることに思い当たりました。 なんか毎日ぶつ切りで申し訳ないのですが、つづきはまたあしたということにいたします。さらに申し訳ないことには、あすの伝言はプライベートな理由によってお休みとなるかもしれません。あしからずご了承ください。 |
●8月15日(月) 私にはどんな裏があるのか。 もちろん私には私なりの計算というか企みというか戦略というか、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」開催によってどんな影響あるいは効果が期待されるかといった点に関する読みはありました。しかし、それを「裏」という言葉で表現するのはいかがなものか。敢えて漢字一字で表すならば「先」ではないでしょうか。将棋で先を読むという場合の、あの「先」です。囲碁でいえば布石でしょう。 これは要するに、以前にも記しましたとおり「お役所の封建遺制的前例墨守体質と乱歩講座との関連」の問題にほかなりません。怪人19面相とかいう莫迦が湧いてきたせいで中断していたこの話題をつづけますと、名張市議会に私の申し出を受け容れていただいたということは、名張市役所の各部局は私の要請を断れなくなったということだと私は認識しております。 名張市役所には乱歩にちなんだ事業に税金をつかっている部署というのが現実に存在しており、しかもろくに乱歩作品を読んだこともない職員がそうした事業に携わってきたのが実状です。むろん乱歩関連事業に投じられる税金の額などじつに微々たるものなのですが、これは金額の問題ではなく、職務に対する誠実さの問題であるとお考えください。私はつねづね、名張市が乱歩という作家を自己宣伝の素材にするのは全然OKなのではあるが、それならそれで乱歩のことを少しは知ってもらいたいものだと公言しておりました。 手がけるのが官であれ民であれ、乱歩のことがわからなければ自己宣伝の素材にどう活用するべきか見当もつかぬというのが正直なところであるに相違なく、目一杯やったところがせいぜいこんな程度のことでしかないでしょう。 ですから、かりに私が名張市役所の乱歩関連事業担当セクションに対して、私が乱歩のことを教えてさしあげますからみなさんちょっとお集まりくださいな、と申し出るとした場合、名張市議会議員の先生方が私の申し出を容れて2005年8月8日に乱歩講座を開催してくださったという事実は文字どおりエジプト名物ピラミッド、すなわち金字塔のごとき前例であり布石であるということになりましょう。つまり平たく申しあげれば、市議会の先生方にご快諾いただいたのと同様のわが要請を、市職員のみなさんがやわかお断りになるという法はございますまい。 しかも、ことは庁舎内部にはとどまりません。私が名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトに対し、僭越ながら乱歩と名張の関係について最低限の知識をお教えする機会を設けていただきたいと依頼したところ、 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」 との意向が7月29日の会合でまとまったらしいことは先日もお知らせしたとおりなのですが、8月2日に委員会事務局からの電話でその旨を知らされたとき、私は事務局に、自分は歴史拠点整備プロジェクトのチーフに対してもう一度同じ要請をすることになると思うが、と伝えておきました。 すなわち近い将来、ということは「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」が終わってからということなのですが、歴史拠点整備プロジェクトのチーフの方に対して「名張まちなか再生のための乱歩講座」の開催を要請することになるであろう、ということです。なにしろ私の乱歩講座は市議会の先生方にその妥当性をお認めいただき、そのうえご出席の先生方からはじつに有益な講座であったというお墨付きまでいただいているわけです。したがいまして私としては、乱歩関連資料をどう扱うかといったことを審議検討しなければならない、そのくせ乱歩のことをほとんどご存じないであろう歴史拠点整備プロジェクトに対して、果たしてみなさんには私の申し出を断ることができるのかな、みたいな迫り方をしてみようという寸法です。 もっとも、名張まちなか再生委員会は計画決定に至るプロセスを公開しながら審議検討を進めるとのことで、それはまことに結構なことだ、それをやらなかったら伊賀の蔵びらき事件の二の舞だからな、と私は思っているわけですが、具体的にどのような公開手段を採用するのかは今月中旬に話し合われるとも聞き及んでおりますので、私の「名張まちなか再生のための乱歩講座」開催要請もそのあたりの様子を見極めてからのことになる見込みです。 それでまあ結局のところ、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」に裏と呼ぶべきものがあるのかどうかを考えた場合、強いていえば上記のような計算というか企みというか戦略というか、こういったあたりが裏なのかもしれないなとは思われましたものの、これはやはりあくまでも同一平面上における「先」の問題と見るべきであり、私には「裏」と呼べるものは何もないのだという結論に達した次第です。 |
●8月16日(火) しかし実際には、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」が従来のお役所の論理とお役人の体質に照らせば法外に異例で横紙破りなものであることは論を俟たず、その意味では明らかに常軌を逸したことなのですから、そこに何らかの「裏」を読み取ろうとする人が出てくるのはあるいは当然のことなのかもしれません。 それがわかっているからこそ、私は講座の冒頭にまず、これまでの経験に基づいてこれがいかに画期的な講座であるかをある種の感動とともに述べ、10日付伝言にも記しましたとおり「行政機構の末端に位置している人間の言を容れて本日の講座を開いていただけたのはまことにありがたいことである」と申しあげた次第なのであって、しかしそもそも裏などどこにもないのですから、どんな裏があるのかと尋ねられても答えられよう道理がありません。 ですから私は、この講座はひたすらピュアな心根に基づいたものであり、たとえば名張市議会議員がよその土地に行って乱歩と名張の関係について尋ねられ、返答に窮してしまうようなことがあった場合、それが望ましい事態ではないことはいうまでもないが、もしかしたらそれは回り回って、名張市でただひとり乱歩に関して市民からお手当てをいただいている私自身の責任であるということになるのかもしれず、だからこそ私はこうした講座の開催をお願いしたのである、と述べて先に進みました。 それに第一、かりに名張市議会議員の先生方が自主的に乱歩と名張のことを勉強しようとお考えになったとした場合、日本全国津々浦々、どこをどう探したって最良の講師は結局この私であるということになるわけなんですから、手間が省けてよござんしたね、みたいなことも申しあげておこうかと考えぬでもなかったのですが、それではさすがに大人げないような気もしましたので差し控えました。 みたいなことをたらたら書いてると、なかなか前に進みません。スピードアップを図りましょう。 講座は、A4用紙二枚にプリントした「江戸川乱歩・名張市関連年譜」に基づいて進めました。明治27年の乱歩生誕から平成17年の乱歩蔵びらきの会結成までを記載した年表です。年表には補足資料として、スキャン画像のプリントを四枚附しました。キャプションを列記しておきましょう。 ▼乱歩が『貼雑年譜』に記録した生家の間取り図(一枚) ▼川崎秀二が乱歩全集月報に発表した「茶目っ気もあった乱歩氏」(二枚) ▼1997年1月11日付中日新聞伊賀版(一枚) 年表は乱歩生誕のことから始めたのですが、この日の講座では特別出血お中元大サービス、わざわざお集まりいただいた先生方のため江戸時代にまで遡ってお話をいたしました。つまり、伊豆伊東の郷士だった乱歩の祖先がなぜ伊勢に来たのか、そのあたりことから話を始めました。 すなわち、津藤堂藩の藩祖であった藤堂高虎と、その養子にして名張藤堂藩の藩主となった高吉、高虎の実子で津藤堂藩を継いだ高次らの人間模様を概観したあと、その高次が熱海温泉に湯治に赴いたおりのこと、つれづれなるままに付近を散策するうち川で洗濯する娘の臀部にふと目を惹かれ、ついむらむらと来てふらふら戯れかかったあげく余はこんなのがタイプじゃと側室にしてしまったその女というのが何と乱歩の祖先なのであった、みたいなことを縷々喋っておりましたところ、いくら時間があっても足りないような状態とはなってしまいました。 |
●8月17日(水) 「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」では、時間の制約がありましたので乱歩作品そのものの解説は最低限にとどめました。唯一紹介したのが「盲獣」です。先日も記しましたとおり、乱歩作品のエログロ表現や残虐シーンに名張市行政はどのようなスタンスを取ればいいのか、それを考えるうえでの具体例として、「盲獣」における死骸風呂だの芋虫ゴロゴロだの鎌倉ハム大安売りだのの名シーンを簡単にお伝えした次第です。 もしもそこらのPTAのおばさんが、と私は申しあげました。この「盲獣」を読んでどうして名張市はこんな小説を書く作家のためにわれわれの税金をつかうのですか、と行政当局に詰め寄るなんてことが起きないとも限りません。そうした場合、このおばさんの言はけっして頭から否定されるべきではありません。乱歩作品の一面の真実を指摘しているからです。しかし、それが一面的な見解にとどまっているのもたしかなことであって、行政当局はトータルな乱歩像というものを提示してそのおばさんを説得すればいいだけの話です。ただし、いまの名張市にそんな芸当のできる職員がいるかどうかということになると、さあいったいどうなんでしょう。
これが「盲獣」における死骸風呂ならびに芋虫ゴロゴロのワンシーンです。「乱歩文献打明け話」の第一回「セクハラ始末」から孫引きしました。それにしても、名張市議会議員の先生方に「盲獣」をご紹介申しあげたその翌々日、今度は読売新聞社会部記者の方に同じく「盲獣」の説明をすることになろうとは、私は夢にも思っておりませんでした。例の自殺サイト殺人事件に関する取材を受け、いわゆる快楽殺人が描かれた乱歩作品にはどういうものがあるのかと質問されて、私の頭に真っ先に浮かんだのが「盲獣」だったという寸法です。 そういえばこの事件、現時点における最新ニュースはこんな具合になっているようです。
この事件を扱った個人サイトやブログをざっと閲覧してみましたところ、一部メディアで報じられた「乱歩の影響」を無批判に鵜呑みにしている向きが少なからずあるようです。ここはひとことあってしかるべきかとも思われますので、話題が錯綜してじつに困ったことではあるのですが、そのあたりに関してはまたあらためて記すことにして、とにかく「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の話をつづけます。 乱歩作品におけるエログロ表現の問題に触れたあと、戦中戦後の乱歩の動向を簡単に行きつ戻りつし、いよいよ講座の眼目ともいうべき昭和27年のふるさと発見、同30年の生誕地碑除幕と話は快調に進みました。そして乱歩の死去、名張市における乱歩記念館建設の動き、その頓挫と名張市立図書館の開館、といったところで時計の針はちょうど午前11時30分。 講座の時間は正午までいただいていたのですが、私は最初からあまり長々しいのもあれだから一時間半で切りあげようと決めておりましたので、途中ではございますがこれにて閉講、ということにいたしました。 |
●8月18日(木) ではここで、三十六歳の男性がいわゆる自殺サイトを利用して三人の男女を殺害したとされる事件、世にいう自殺サイト連続殺人事件についてあらためて述べたいと思います。むろん、容疑者と目される人物が「乱歩の影響」を受けていたのかどうか、その点が主眼です。 事件と乱歩作品の関係がメディアで初めて取り沙汰されたのは、たぶん8月11日のことでした。読売新聞はこのように報道しました。
ほぼ二日遅れで、毎日新聞は13日にこんな具合に報じました。
およそ十五時間遅れで、朝日新聞はやはり乱歩の名を明らかにしてこう伝えました。
ほぼ同時刻、産経新聞はこんな記事を発表しましたが、これは共同通信の配信で、周到にもと申しますか賢明にもと申しますか、乱歩の名前は出てきません。
さて当方の見解はと申しますと、結論に至る検証のプロセスは8月11日付伝言に記しましたからここでは省きますけれど、容疑者と目されている人物が「乱歩の影響」を自供したとしても、それは記憶の錯誤ないしは歪曲作用、平たく申せば思い込みとか勘違いとかに基づくものではないかと愚考いたします。 そもそも、影響関係なるものを明確に実証するのは至難の業であるにちがいありません。早い話が読者諸兄姉もそれぞれ何かしら外部からの影響や感化を受け、それらが渾然一体となったひとつの個性として現在ただいまを生きていらっしゃるわけでしょうが、影響というものはむしろ無意識の領域にこそ深く浸透するもののはずですから、それを具体的に人名まであげて意識化し跡づけるのは、読者諸兄姉ご自身にもおそらく不可能なことなのではないでしょうか。 しかもこの事件、一連の報道を総合して判断するかぎりでは、生得の不幸な性癖が本人にも抑えがたく行為化されてしまった結果だと見るべきであって、そこに他者からの明白な影響を窺うことはきわめて難しかろうと判断されます。思春期にたまたま遭遇した乱歩作品が不幸な性癖の掛け金を外すきっかけになった可能性も皆無ではありませんが、たとえ乱歩作品に接触する機会がただの一度もなかったとしても、容疑者の心はいずれ決壊せずにはいないダムのようなものでありつづけたと推測され、不幸な性癖は圧倒的な水圧を抱え込んだ水のようにいつか激しい勢いで溢れ出さずにはいなかったのではないか。 以上二重の意味によって、すなわち、だいたいが影響関係なんて軽々に断ずることができるものではない、しかも容疑者の見たという「人が口を押さえられ苦しむ小説の挿絵」が乱歩作品に添えられたものであったかどうかは相当に疑わしい、以上ふたつの理由によって、少なくとも現時点ではこの事件に「乱歩の影響」を見ることはできない。私の見解はそういったところです。 しかしながら、きのうも記したことですが、この事件を話柄とした個人サイトやブログを一瞥してみた範囲では、容疑者が乱歩の影響を受けたという報道には充分懐疑的または否定的であっても、容疑者が中学生当時に乱歩作品の挿絵を見たという情報をそのまま受け容れている向きがほとんどを占めているようです。実証主義の見地から申しますと、あるいはメディアリテラシーの観点から申しましても、これはいささか困ったことではあるわけですが、まあいいか。こんな情報は大海の一粟、すぐに流され忘れられてしまうものでしかないでしょうから、私としてはとりあえず、みずからの検証の結果とそこから導かれた結論とをこうして発表しておけばいいだけの話なのかもしれません。 いやいやそんなことよりも、メディアにこうした情報が流れたのを得がたい奇貨として、これを名張市の公益のために活用することを考えたほうがよくはないのか。となると「写したくなる町名張をつくる会」とやらの出番でしょう。エジプトの絵なんかさっさと取っ払ってしまい、「人が口を押さえられ苦しむ小説の挿絵」をでかでかと掲げて、 ──明智君、ここがどこだかわかるかな? 自殺サイト連続殺人事件に影響を与えたとされる江戸川乱歩の生誕地だよ。 というキャプションとともに全国発信してみてはいかがなものか。「写したくなる町名張をつくる会」のみなさんにとっては、視点を外在化させるというのが実際どういうことなのか、身をもって知るまたとない機会になると思われるのですが。 |
個人サイトやブログは措くとしても、2ちゃんねるはどうなっておるのか。もちろん自殺サイト連続殺人事件の話題なのですが、事件と乱歩作品の関係が取り沙汰され始めた当時、私は抜かりなく2ちゃんねるを閲覧してみました。 まずニュース系のスレッドを眺めてみたところ、たしかに事件と乱歩作品の関係性を扱ったものもありましたが、さっき確認してみたところもはやどこにも見つかりません。ではミステリー系のスレッドはと申しますと、「【わが夢と真実】 江戸川乱歩 第七夜」というのがあるにはあるのですが、いくらアクセスしても「もうずっと人大杉」という告知ページが出てくるばかり。2ちゃんねる初心者の私はなすすべを知らず諦めておりました。 しかし、かくてはならじとついさっき、「もうずっと人大杉」に記された告知に従って「2ちゃんねる専用ブラウザ」なるものをダウンロードしてみましたところ、「【わが夢と真実】 江戸川乱歩 第七夜」をすんなり閲覧することができました。 で、注目されたのがこの投稿です。8月8日という早い時期のものであることにもご注意ください。
実証主義的見地から申しますといかにもいただけない情報で、「事件の報道」のソースが明示されていませんからどうしようもないのですが、「乱歩の自分の首を絞めて快感を得る話」が引用されていたというのは本当なのでしょうか。小説であれエッセイであれ、乱歩にそんなシーンを描いた作品があるという記憶は私にはまったくなく、またかりにあったとしても、他人ではなく自分の首を絞めるというのでは今回の事件と結びつきにくいのではないでしょうか。 これ以降もさすがに乱歩系スレッド、乱歩ファンによる事件関連の投稿が結構延々とつづいているわけですが、なんとこの書き込みのすぐあと、すなわち51番のレスでは名張市の誇る怪人19面相が話題にされているではありませんか。 そういった次第ですので、勝手ながら本日の伝言はこれにてお開き。押っ取り刀で掲示板「人外境だより」に馳せ参じたいと思います。 |
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