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2005年8月下旬
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●8月21日(日) 元の話題に戻りたいと思います。8月8日月曜日午前11時30分、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」をぴったり一時間半で終えましたところ、ご出席の先生方からいくつかご質問をいただきした。 たとえば、「芋虫」のエログロ表現に関する質問がありました。自分は昨年開かれた「乱歩が生きた時代展」を訪れ、『貼雑年譜』のパネルで「悪夢」という作品が当局から全篇削除を命じられたことを知った。自分はその「悪夢」、のちに「芋虫」と改題された作品を読んでみたのだが、きょうの講座で説明された乱歩のエログロ表現は、「芋虫」のそれとは微妙に異なっているという印象を受けた。そのあたりはどうよ、というのが質問の大意で、それはいかにもそのとおり、この先生は見るべきところを見ていらっしゃると、僭越ながらも私は感服いたしました。 私がこの日、乱歩のエログロ表現として簡単に説いたのは、乱歩がいわゆる通俗長篇で駆使した手法のことでした。すなわち、フロイディズムを拠りどころとして読者の意識下の官能ないしは「残虐への郷愁」を呼び醒ましてゆく手法についてでした。乱歩はそれを読者数の多い講談社の雑誌という舞台に立つにあたって戦略的に自家薬籠中のものにしたのですが、通俗長篇に至る過渡期に執筆された「芋虫」にはそうした外向性は見受けられません。「芋虫」におけるエログロ表現は、むしろ剥き出しにされた作家的本質とでも呼ぶべきものでしょう。 みたいなことを短時間で説明するのはとても無理でしたので、なんとか適当に辻褄を合わせて説明を並べた次第だったのですが、ちゃんと乱歩作品を読んだうえでこの日の講座に臨んでくださった先生があったことに私は一驚を禁じ得ず、またそれはじつにありがたいことであると感じ入りもしたことをここに告白しておきたいと思います。 そのほか、乱歩の資料に関する質問もありました。これもまたごく短い時間ではあったのですが、豊島区が旧乱歩邸を資料館として整備公開することを計画したものの財政難で果たせず、それを受ける形で立教大学が旧乱歩邸の土地家屋蔵書のたぐいを譲渡されて、つまりは乱歩の資料が収まるべきところに収まるまでの経緯をごくかいつまんでお伝えしたあと、 「名張市はもう乱歩から手を引くべきであると思います」 といつもながらの、しかしこの場に関していえば説明不足のせいでやや飛躍した印象を与えたであろうわが年来の見解を先生方にお聞きいただいて、それで質問コーナーもおしまい。「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」はここにめでたくお開きとなりました。 |
●8月22日(月) そんなこんなで時間切れとなりましたため、8月8日開催の「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」は名張市立図書館の開館あたりまでを述べたところで終了したわけですが、しかしまあ、これはこれで、乱歩講座の基礎篇としてはちょうどいい区切りになったように思われます。 以前にもお知らせしましたスキャン画像をプリントした講座用資料で申しますと、 ▼乱歩が『貼雑年譜』に記録した生家の間取り図(一枚) ▼川崎秀二が乱歩全集月報に発表した「茶目っ気もあった乱歩氏」(二枚) ここまでは説明することができたのですが、最後の一枚、 ▼1997年1月11日付中日新聞伊賀版(一枚) この新聞記事に関してはほとんど何も述べることができませんでした。これは1997年といいますから平成9年、当時の名張市長が年頭の記者会見で「乱歩記念館」(仮称)の建設について語ったところを報じた記事で、「乱歩記念館建設へ/今年から取り組み」といった見出しが躍っております。
この会見では「今後、具体的なコンセプトや年次計画作成などを検討していく。日本推理作家協会や記念館建設に関心のある諸団体と連携をとって進めていきたい」との市の方針が説明されたらしいのですが、名張市が「乱歩記念館」に言及したのは結局これが最後となりました。なーにやってんだか。 ただし、こうした話題は基礎篇ではなく応用篇に属しているものと判断されますので、当方の今後の予定といたしましては、名張市内で現在ただいま何かしら乱歩関連の活動にご尽力いただいている人たち、たとえば名張まちなか再生委員会のみなさんですとか、あるいは写したくなる町名張をつくる会のみなさんですとか、もちろん名張市職員のみなさんですとか、そういった方々を対象にした乱歩講座におきましては、基礎篇ではなく応用篇にむしろ注力し、生誕地碑建立以来五十年のあいだに名張市が乱歩に関して何をしてきたのか、あるいは何をしてこなかったのか、そのあたりのことを縷々説明させていただこうかなと考えております。 |
●8月23日(火) 本日ははっきりいって掲示板「人外境だより」に時間を取られてしまいました。伝言はとくにありません。ではまたあした。 |
●8月24日(水) 現代は本質的に喜劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を喜劇的なものとして受け入れたがらないのである。大災害はすでに襲来した。われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな棲息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。未来に向かって進むなだらかな道は一つもない。しかしわれわれは、遠まわりをしたり、障害物を越えて這いあがったりする。いかなる災害がふりかかろうともわれわれは生きなければならないのだ。 これがだいたいにおいて怪人19面相の境遇であった。名張人外境掲示板乱入事件は、彼の頭上にあった屋根を崩壊させてしまったのだ。その結果として彼は、人間には生きて識らなければならぬものがあることを悟ったのである。 以上、ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」(伊藤整訳)を素材に久方ぶりの19面相ネタと洒落込んでみました。洒落込んでから気がついたのですが、この作品を下敷きとして怪人19面相を洒落のめすためにはかなりの文章量が必要です。 作品冒頭でチャタレイ夫人の境涯を概観したロレンスの顰みに倣えば、三重県が天下に誇った官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が地域社会にどういう悪影響を及ぼしたのか、あるいは名張市の職員や市民はあの事業の失敗から何を学んだのかといったことを概説し、怪人19面相が誕生するに至った土壌や背景を説明することから始めなければなりません。軽い気持ちで洒落込んではみたものの、そこまでやるのはなんか面倒だなと思われてきましたので、冒頭二段落の擬きだけでお茶を濁した次第です。 ところでもしかしたら読者諸兄姉は、どうしてここでロレンスなのだろうと不審にお思いかもしれません。しかし実際には、深い意味などどこにもありません。何をパクろうかと考えながら文庫本の書棚を見回したとき、たまたま新潮文庫の『チャタレイ夫人の恋人』が目にとまったというだけの話です。そしてそれ以上に目にとまったのが、ああ、書棚のお片づけが全然進んでいないではないかという冷徹な事実であり、じつは私にはそちらのほうがよほど重大で、いつまでも莫迦相手に遊んでばかりもいられないな、8月もそろそろおしまいだし、という気がしきりにしているところです。 |
●8月25日(木) いかんいかん、こんなことではほんとにいかんぞ、とは思いつつ、きょうもまた掲示板「人外境だより」に時間を取られてしまいました。まあ一応、最後通牒ということにはしてきたのですが。 しかしいかんいかん。こんなことではほんとにいかん。 |
●8月26日(金) われらが怪人19面相君からは何の音沙汰もないようですから、本日は怪人二十面相の話題をば。 「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」のきっかけになったのは、申すまでもなく道頓堀集団二十面相事件であったわけなのですが、名張市観光協会によるこの渾身のPR活動はいったいどれくらいの効果を発揮したのか。ネット上でどれほど話題にされたのかということに限定して、ちょっと検索してみました。 初心者ゆえに理解の届かぬところもあるのですが、2ちゃんねるには関連スレッドがふたつほどあったようです。まず、「げんきっこどうぶつニュース+@2ch掲示板」にあったスレッドから、最終のレスを引用。
つづいて、「痛いニュース+@2ch掲示板」に立てられたスレッドから、同じく最終のレスを。
ブログではこんな具合。
もうひとつありました。
そんなこんなの次第でして、とくに何がどうだということもないように思います。 ちなみに名張市のオフィシャルサイトには、「怪人二十面相、大阪ミナミに挑戦状!」というページが掲載されておりました。なかなか楽しそうです。 といったあたりを締めとして、「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の話題を終わります。 |
●8月27日(土) またしても2ちゃんねるの話題で恐縮なのですが、「ニュース速報+@2ch掲示板」に「【政治】佐藤ゆかりのナゾ探る…母は探偵、本業の方は評判悪く…」というスレッドがありました。スレが立ったのは(などという言葉をわりと平気で使用できる人間になってしまいました)8月26日午後5時24分44秒。ソースとなった「ZAKZAK」の記事から引用してみましょう。
スレタイにある(などという表現を恥ずかしげもなく使用できるようになったわけですほんとにまあ)「探偵」という言葉に不意の胸騒ぎを覚え、たーっと流し読みしてまいりましたところ、果たして案の定こんなレス(レスだな、スレじゃなくてレスだな、ここはレスでいいんだな、と確認している2ちゃんねる初心者)が見出されました。
で、掲げられたリンク先に飛んでみますとそこはどうやら「未読王購書日記」の過去ログのページらしく、未読王さんはたしかにこんなふうに記していらっしゃいます。
あーりゃりゃッ。 といったところで、本日はわりと朝っぱらから出かけなければならない用事がありますため、勝手ながらつづきはまたあしたということにいたします。 |
●8月28日(日) 30日公示、9月11日に投開票が行われる衆議院議員選挙では岐阜一区が注目選挙区のひとつとなっており、きのうの現地はこんな塩梅だったようです。
さて、いわゆる刺客候補でいらっしゃる佐藤ゆかりさん。この方の母親の佐藤みどりさんはかつて名を知られた探偵で、未読王さんによれば昭和30年に鱒書房から『情事の部屋』という著書を出版、しかもそこには乱歩と高太郎の両巨頭が跋を寄せているというではありませんか。あーりゃりゃッ。 といったあたりまで調べを進めた私は、そうか、この佐藤みどりはあの佐藤みどりか、とある事実に思い当たり、「佐藤ゆかりのナゾ探る…母は探偵」といったフレーズになぜ胸騒ぎを覚えたのかを了解しました。 名張市立図書館の『江戸川乱歩執筆年譜』をつくっていたときのことです。調査編纂の基本資料として私は乱歩が遺した手書き目録のコピーを座右に置いていたのですが、そこにはこんな記載がありました。「江戸川乱歩随筆評論の本にならないもの発表順目録」と題されたパートの、昭和31年の項です。
つまり乱歩は、昭和31年の何月かに刊行された佐藤みどりのタイトル不明の著書の帯に原稿用紙一枚程度の推薦文を寄せたということらしいのですが、データとしてはあまりにも曖昧、それに自慢ではありませんが「佐藤みどり」という乱歩の手跡を判読するのさえおぼつかないような状態でしたから、この「帯の言葉」はどうにも調査のしようがなく、結局『江戸川乱歩執筆年譜』に記載することを得ませんでした。 以来、佐藤みどりという名前は私の心の片隅に初恋の思い出のように淡々しくたゆたいつづけ、それでもいつか忘却の淵に静かに静かに沈みかけていたところ、その素性があろうことか衆議院議員選挙の話題で明らかになったという寸法です。しかも乱歩が目録に録してあったのは帯の推薦文であったのに対し、未読王さんご指摘の『情事の部屋』には跋が収録されているそうですから、刊行年次に一年のずれがあることから考えても、この二著は同一ではないと判断するべきでしょう。 いやー、まいった。『江戸川乱歩執筆年譜』からは「帯の言葉」のみならず『情事の部屋』の跋も洩れていることが判明し、ということは『江戸川乱歩著書目録』も『情事の部屋』を洩らしているということではありませんか。テレビニュース見てゆかりんがどうのこうのと囀ってる場合ではないようです。 |
●8月29日(月) そんなこんなで佐藤みどりの『情事の部屋』、ネット上を検索してみましたところ某ミステリ専門古書店(と敢えて名を秘す必要もないか。ジグソーハウスというお店です。どうぞご贔屓に)のサイトに「初版・カバー痛み」というのが見つかりましたので、きのうさっそく申し込みました。きょう発送していただけるそうです。届いたらさっそく当サイト「江戸川乱歩著書目録」を増補しなければなりません。 いや、増補というか何というか、このところの私はこの伝言板に日々うわごとを書き綴るのみ、ほかのページにはまったく手をつけない状態がつづいているのですが、その主たる原因は書棚の整理整頓が進んでいないことであるとお思いください。当サイトに記載するべきものも含めてそこらの本や雑誌をとりあえず適当に並べ立て、そのあと書棚全体をきちんと体系化してからサイトの更新にかかりたいものだ、だから書棚が片づかなければ話が始まらないのだ、そうだそうだ、絶対そうだと誰にともなく言い訳しながら更新をさぼっていたような次第です。 では、書棚がどれほど片づいていないのか、現場写真で実際にご確認いただきましょう。 実際にご確認いただきましょう、などといいながら比較的片づいているように見えるパートの写真を撮ってしまうのは、凡俗ゆえの浅はかな見栄のしからしむるところなのでしょうか。ははは。なんか莫迦みたい。しかしまあ、とにかく片づいてないわけだこれが。 などと開き直っていても致し方ありませんので、本日は久方ぶりに「RAMPO Up-To-Date」あたりに手をつけてみたのですが、ネット上を徘徊して、あちゃー、ミルコ選手判定負け、あちゃー、週刊ポストに大友愛ちゃんのスキャンダル、みたいな雑念に邪魔されながらのことですからなかなか捗らないのが実状です。 |
●8月30日(火) いよいよ第四十四回衆議院議員選挙が公示されるという日の朝も前日にひきつづいて「RAMPO Up-To-Date」をしんねり更新していた私が来たわけですが、世はなべてこともなし。怪人19面相君に約束したとおりきのうの朝、名張市生活環境部宛に送信したメールの返信もまだ届いてはおりませんし。まあ時節柄、なのかどうかはよくわかりませんが、どちらさまも何かとお忙しいみたいです。結構結構。かく申す私めも、きょうはそろそろこのへんで。 |
8月もきょうでおしまいです。 朝早く起きてラジオ体操にも行かずに宿題を片づけてる小学生のような気分で「RAMPO Up-To-Date」を更新しておりましたところ、「大阪人」の9月号が見当たらないことに気づきました。この雑誌には芦辺拓さんのたいへんに元手のかかったエッセイ「都市伝説江戸川乱歩」が連載されており、連載が始まった7月号から欠かさずご恵投をたまわっているのですが、9月号がなぜかどこかへ行ってしまっております。10月号はきのう届けていただきましたので、本日のところはとりあえず9月号以外の三号分のデータを「RAMPO Up-To-Date」に記載した次第なのですが、いやはやなんとも。 いやはやなんともといえば、おまえが伝言板で勝敗をばらすからきのうテレビで放映されたミルコ・ヒョードル戦の興趣がおおきに殺がれてしまったではないか、というお叱りのメールを頂戴いたしました。どうも相済みません。いやはやなんとも。 テレビといえば、拙宅のテレビは名古屋エリアの放送を受信しておりますので、地元とあって公示以前から衆院選岐阜一区のニュースはいろいろに見聞きしていたのですが、いまやとても他人とは思えない佐藤ゆかり候補自民新の母親である佐藤みどりの著書『情事の部屋』がついに、いや別についにというほどのことでもないのですが、ジグソーハウスからきのう到着いたしました。 鱒書房が出していたグリーン新書の一冊で、カバーの袖に乱歩の推薦文「女探偵のスリルにみちた体験」が掲載されております。つまり跋文ではなかったわけで、こうなるとこれは乱歩が遺した手書き目録の昭和31年の項に記されていたこの一冊──
この本こそが『情事の部屋』なのではないか、実際は昭和30年に出た本だけどそのあたりは乱歩の勘違いということで、という結論に至った次第です。したがいまして、帯だのカバーだの月報だのは対象としていない「江戸川乱歩著書目録」には変更がなく、「江戸川乱歩執筆年譜」にこの一冊を増補してとりあえず落着ということにいたしました。「昭和30年●1955」の10月をどうぞ。 佐藤みどりといえば、彼女の探偵事務所は渋谷駅南口近くのビルにあった。彼女は一時菊池寛の秘書を務めており、『人間・菊池寛 その女秘書が綴る実録小説』という著書もある。以上二件をメールでお知らせいただいたことも附記しておきましょう。 『情事の部屋』奥付の「著者略歴」を引いておきます。
ここまで来ると、いっそ日本でただひとりの佐藤みどり研究家になってやろうかと思わないでもありません。 |
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