2005年10月下旬

●10月21日(金)

 ──あまりバカバカいわないでください。名張まちなか再生委員会の人たちをいじめないでください。あの人たちだって一生懸命やっているんだと思います。あの人たちのことを頭から否定しないでください。バカバカいうなバカ。

 などといった擁護メールなんか一通も届いてはおりませんものの、写したくなる町名張をつくる会による名張エジプト化事件をおちゃらかしたときの経験から勘案いたしますに、そろそろ名張まちなか再生委員会の関係者から掲示板「人外境だより」に訳のわからん自己擁護投稿があるころかなと楽しみにしていたのですが、この期待はどうやら裏切られてしまうようです。破邪顕正の掲示板「人外境だより」に投稿するのは身のためにならぬと、莫迦のご一統もつくづく思い知ってくれたらしいと見えます。

 しかしたまには目先を変えて、莫迦莫迦いわれてもうんともすんとも答えられず、わんわん鳴けば犬も同然(すまんな犬の諸君)の不憫な人たちにエールを送るべく、ひとつ名張まちなか再生委員会の擁護を試みてみましょうか。連中にも情状酌量の余地はある。彼らは自分たちの手に負えない任務を押しつけられたのである。その意味ではむしろ犠牲者なのである。まあそういった論旨になります。あるいは、非は名張地区既成市街地再生計画策定委員会にこそある、と。

 経緯を確認しておきます。名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張まちなか再生プランをまとめたのは今年1月のことでした。ところがそこには、昨年11月に名張市が寄贈を受けた桝田医院第二病棟のことがいっさい触れられていなかった。これは不可解な事態です。乱歩の生家跡が市のものになったのであれば、その活用は名張まちなか再生プランにいわゆる目玉として盛り込まれるべきものであろうと私には思われます。ところが名張地区既成市街地再生計画策定委員会は、無能力だったのか時間的余裕がなかったのか行政サイドが寄贈に関する情報を委員会サイドに提示しなかったのか、とにかく桝田医院第二病棟に関してはまったく協議することなくプランをまとめました。

 そして6月、名張まちなか再生委員会が発足しました。私は名張市役所の委員会事務局を訪れ、委員会の設立総会で配付された資料を入手しました。その事業計画のページには、「桝田医院別館第2病棟跡地を活用するにあたっての基本計画を作成する」ことを骨子とする「桝田医院別館第2病棟跡地活用事業」が6月から10月までの期間で進められると記されていました。

 ──そんなあほな。

 名張まちなか再生委員会は、名張まちなか再生プランを実施に移すための組織です。いわゆる実働部隊です。実働部隊に一から作戦を立てろというのはおかしな話です。おかしなという以上に無理な話です。結果としていかなる事態が招来されたか。桝田医院第二病棟の活用法は、名張まちなか再生委員会のうちの歴史拠点整備プロジェクトというチームに委ねられることになりました。ちなみに指摘しておけば、名張まちなか再生プランそのものは名張市議会の承認を得ていますから、歴史拠点整備プロジェクトが桝田医院第二病棟の活用法をどのように決定しようとも、それがまた遡って市議会に諮られることはないはずで、つまり彼らの決定はノーチェックでそのまま実施に移されることになります。彼らは全権を手にしているわけです。そして、と申しますか、しかし、と申しますか、肝腎の彼らの顔ぶれと来た日には……。

 ──いくらなんでもこりゃまずかろう。

 私はそう考えました。つづきは7月6日付伝言の「アンパーソンの掟」から引用いたしましょう。

 俺が当面相手にするべきなのは、歴史資料館構想を担当する歴史拠点整備プロジェクトの連中だ。メンバーは十一人。それぞれの名前の備考欄には、彼らが帰属する組織の名称が列記されている。

 名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、そして名張市都市計画室。

 俺は委員名簿から目をあげ、テーブルを隔てて坐っている担当職員二人に向き直った。メンバー表を交換した時点で勝ちを確信した監督のように、俺は意気揚々としていた。名簿に並んだ十一人の名前を指さしながら、俺はいった。

 「このあまり出来のよろしくないみなさんに一本釘を刺しておきたい。そういう場を設けてもらいたいのだが」

 「釘を刺すとはどういうことですか」

 担当職員がさすがに気色ばむ。俺は畳みかける。

 「知識の注入。ここに並んでいるのは歴史資料のれの字も知らないような連中ばかりだ。名張のまちの歴史にしろ乱歩のことにしろ、プロジェクトを推進するためには最低限必要な知識というものがある」

 十一人のメンバーを見たかぎり、そんな知識を持ち合わせた人間は見当たらない。しかし担当職員は反論した。俺の前に設立総会事項書の三ページが開かれ、職員はそこにプリントされた再生整備プロジェクト会則の第五条を示した。

 「チーフは、必要があるときは、構成員以外の者の出席を求めて意見を聴くことができる」

 専門的な知識が必要な場合は、それに応じて専門家に教えを乞えばいいというわけだ。しかし残念ながら、俺が指摘しているのは基本的な知識の必要性だ。あるいはまっとうな見識の必要性だ。むろん知識や見識が不足していようとも、人の助言や提案に耳を傾けることのできる人間なら問題はない。若い連中の語彙に準じていうならば、全然大丈夫ですというやつだ。

 だが、伊賀の蔵びらき事件の経験は、他者から寄せられた正当な批判を頑なに拒みつづける人間が少なくないことを俺に教えた。そして歴史拠点整備プロジェクトメンバーは、十一人のうち三人までが伊賀の蔵びらき事件の関係者で占められている。帰趨はすでに明白だというべきだろう。

 俺は、歴史拠点整備プロジェクトのチーフがその第五条に則り、俺という構成員以外の者の出席を求めて意見を聴いてくれることを要望しておいた。それから、市立図書館嘱託の責務として、乱歩関連資料に関する見解をふたつ伝えた。資料をこれから収集するのはかなりの難事である。市立図書館乱歩コーナーにある乱歩の遺品は、遺族の承諾を得て歴史資料館で展示することが可能であろう。以上のふたつだ。

 名張まちなか再生委員会には、たしかに情状酌量の余地があります。彼らは紛れもなく不幸な人たちです。彼らの第一の不幸は、桝田医院第二病棟の活用策を考えるなどという、とても自分たちの手には負えない任務を押しつけられてしまったことです。ですから彼らには、私のアイディアをパクってお茶を濁すしか手がないわけです。

 第二の不幸は、私の申し出を断ったことから始まりました。私は名張まちなか再生委員会に対して、彼らの会則第五条に則り、ちょっと話をさせてくれと要請しました。すなわち名張市立図書館乱歩資料担当嘱託として協力を申し出ました。私は私の頭のなかにある乱歩という作家のこと、作品のこと、乱歩に関する資料のこと、さらには全国にいらっしゃる乱歩リスペクトな人たちとのネットワークのことまで、必要と思われるものをすべて名張まちなか再生委員会に伝えるつもりであった。だから俺の、俺の、俺の話を聞け! とクレージーケンバンドばりに申し出た次第ではあったのですが、歴史拠点整備プロジェクトのみなさんはこのようにお答えになりました。

 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」

 この回答によって、名張まちなか再生委員会は私の協力をいっさい受けられないようになりました。名張市立図書館が協力するのかどうか、それは私にはわかりませんが、私が協力しないということは市立図書館が協力しないということとほぼ同義であるとお考えいただいたほうがいいかもしれません。それから全国にいらっしゃる乱歩リスペクトな人たちも、おそらく協力なんかしてくださらないのではないでしょうか。名張市には「そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん」なんてことほざく莫迦もいますから、もしかしたらもう乱歩のご遺族のお力添えも望めないのではないか。

 不幸な人というのはどこまでも不幸なものです。さらに第三の不幸が訪れました。それは、名張まちなか再生プランに盛り込まれていた細川邸歴史資料館化構想が単なるリフォーム詐欺に過ぎないという事実が明らかになったことです。その結果、彼らは桝田医院第二病棟のみならず細川邸の活用法まで考えなければならなくなりました。しかし現実には、からくりがどうの初瀬街道がこうのと愚にもつかぬ議論を重ねるだけでいっぱいいっぱいのようです。ちなみに名張市内には、たとえば地元の高校で長く歴史の教鞭を執られ、そのかたわら三重県教育委員会が実施した初瀬街道の調査事業に携わられた方もいらっしゃるのですから、会則第五条に則ってそういった方々のアドバイスを頂戴すればいいのではないかと私などは考えるわけですが。

 名張まちなか再生委員会。それは見る者が思わず面伏せてしまうほどに不幸な人たちです。名張地区既成市街地再生計画策定委員会によるいい加減なプランの犠牲者です。読者諸兄姉もよろしかったらエールをお送りください。彼らはきっと大喜びし、尻尾を嬉しげに振ることでしょう。尻尾を振れば犬も同然。いやほんとにすまんな、犬の諸君よ。


●10月22日(土)

 さあ大変です。名張市がえらいことです。八万五千市民のまったく与り知らないところで、細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画がこっそりとまとめられ、誰のチェックも受けずに実施に移されようとしています。その全権は名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの手中にあり。さあえらいことだ。

 などと大騒ぎしているだけでは能がありませんので、私は畏れ多くも名張まちなか再生委員会の委員長に見解をお訊きしてみることにしました。ほんとは歴史拠点整備プロジェクトにもう一度だけチャンスをさしあげ、私の話に耳を傾ける気があるのかどうかを再度尋ねてみようかなとも考えたのですが、けっ、あんなのいつまでも相手にしてられるか、まーたこそこそ逃げ回られたら腹が立つだけだし、と思い直して委員会事務局にメールを送信し、委員長宛の文書を添付ファイルといたしました次第。

 先日はありがとうございました。わざわざご在庁の時間までお知らせいただき、恐縮しております。

 名張まちなか再生プランの件、先日も申しましたとおり、やはり不審を拭いきれませんので、貴委員会委員長のご見解を伺いたいと考え、添付ファイルに委員長宛の文書をまとめました。

 お忙しいところ恐れ入りますが、この文書を委員長にお読みいただいたうえで、書面による回答をお寄せいただくよう、ご手配をお願い申しあげます。

 それとも、次回の役員会にお邪魔して、委員長から口頭によるお答えを頂戴したほうがよろしいでしょうか。いずれにせよ、委員長としての見解をお聞かせいただきたいことに変わりはありません。

 よろしくお願いいたします。

2005/10/22

 といった具合にメールで事務局にお願いして、そこに添えました委員長宛文書は次のとおり。

 前文略させていただきます。名張まちなか再生委員会でのご尽力に対し、名張市民のひとりとして敬意と謝意を表する次第です。

 さっそくですが、貴委員会の審議に関していささかの不審を覚えますので、ご多用中まことに恐縮ではありますが、貴職のご見解をお聞かせいただきたく、委員会事務局を通じてこの書面をお目にかけることにいたしました。

 過日、事務局で承ったところによれば、名張まちなか再生プランに盛り込まれているさまざまな構想のうち、細川邸を歴史資料館として整備する構想が白紙に戻され、細川邸の活用策はあらためて検討されているとのことです。

 また、同プランに記されていなかった桝田医院別館第二病棟跡地の活用も、貴委員会による検討の対象とされております。10月20日付中日新聞には、跡地には乱歩が生まれた長屋を復元するという方向で検討が進められ、年度内にその基本方針がまとめられる見込みだと報じられていました。

 これらの検討内容に関しては、名張市から市民に対して、現時点ではどのような情報も開示されておりません。このまま推移すれば、市民のまったく与り知らないところで、名張まちなか再生プランの実質的な核となるはずの細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画がまとめられ、そのまま実施に移されてしまうことになります。

 換言すれば、ふたつの施設に関する整備計画の決定から実施に至るプロセスには、市民の声も届かなければ、目も届かない。そういった驚くべき状況がげんに存在していると判断せざるを得ません。整備計画のすべてはわずか十人ほどの貴委員会歴史拠点整備プロジェクトの恣意に委ねられ、市民の関与とは無縁な密室のなかで不公正な検討が進められていると申しあげるしかありません。

 もしも細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画が、市議会の承認を得るでもなければ、市民に公表してパブリックコメントを募るでもなく、ただ歴史拠点整備プロジェクトの恣意のままに決定されてしまうのであれば、そこには紛れもない手続き上の不備が存在することになります。それは看過しがたい不備です。市民不在の決定であると申しあげざるを得ません。かかる密室性はもとより望ましいものではなく、かかる不公正もまたあってはならないものでしょう。

 そもそも名張まちなか再生委員会は、計画策定のための機関ではありません。名張地区既成市街地再生計画策定委員会によってまとめられたプランを実施するための組織に過ぎません。そうした役割しか有していない委員会が、細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画を一から決定しようとすることには、明らかに無理があり、矛盾があります。市民は貴委員会に、そこまでの権限を認めているわけではないと思います。

 端的に申しあげてしまえば、歴史拠点整備プロジェクトによる細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画の策定は、何ら有効なものではありません。明白に無効であると断言いたします。少なくとも私にはそのように判断される次第ですし、多くの市民の見るところも同様ではないかと推測するものでもあります。

 つきましては、私がいま指摘した点に関して、貴職はどのようなご見解をお持ちでしょうか。貴委員会に、細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備計画を策定する権限があるのかないのか。すなわち、ふたつの施設に関する貴委員会の決定は有効なのか、それとも無効なのか。ぜひともお考えをお聞かせいただきたく、勝手ながらお願いを申しあげる次第です。

 なお、この文書の内容は当方のホームページで公開いたします。ご回答も同様に公開させていただきたく、あらかじめご了解をお願いする次第ですが、もしも公開に差し支えがある場合は、その旨お知らせいただければ非公開といたします。

 勝手なお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願い申しあげます。

2005/10/22

 全権は彼らの手中にあるとしても、理は明らかにわが掌中にあります。彼らの非道がまかり通るのか、まったき理がそれを阻むのか。とりあえずは委員長のお答え待ちといったところです。さーあどうする、名張まちなか再生委員会。

 お話はころっと変わりまして、きのう名張市役所で記者発表がありましたので、そのお知らせをば。

生誕地碑建立50周年記念 11月5日、6日に推理劇公演 名張市
 江戸川乱歩の生誕地碑が名張市本町に建立されてから今年で50年を迎えるのを記念する推理劇「真理試験―江戸川乱歩に捧げる」の公演が11月5日(土)、6日(日)の両日、同市丸之内の市総合福祉センターふれあいで行われることになり、乱歩111回目の誕生日の10月21日、記者発表が名張市役所4階会議室で行われました。

 今年5月に発足した乱歩蔵びらきの会に丸投げした企画なのですが、無事に本番を迎えられることになりました。まずは重畳。辻真先さんによる書き下ろしのお芝居を、ミステリ専門劇団フーダニットが乱歩の生まれ故郷で初演してくれます。アクロバティックな展開を存分にお楽しみください。

 あ。名張市役所といえば、今週も生活環境部にお邪魔することを得ませんでした。そういえば生活環境部には、このお芝居に合わせて辻真先さんの講演会をやれと伝えておいたのだが、名張エジプト化事件のことにせよ講演会のことにせよ、まーったく恃み甲斐のない連中だ。来週こそは叱り飛ばしてやらねばならんな、と念じている次第です。


●10月23日(日)

 さてこちらニューヨーク、でなければエジプト、いやもしかしたらからくりのまちなのかもしれませんが、きのうの日本シリーズ第一戦、千葉マリンスタジアムに音もなく立ち籠め、見る見るうちにすべてを覆い尽くしてしまった濃霧のようなものが、ここ名張のまちにも深く厚く垂れ籠めているようです。えーいッ。こんなもの真空切りで吹っ飛ばしてやるッ。僕は赤銅鈴之介だッ。あッ。おまえは竜巻雷之進ッ。

 あら、きょうも莫迦なのね、と読者諸兄姉の憫笑に支えられて本日もまいりたいと思いますが、名張まちなか再生委員会の委員長に昨日お送りしたあの文書に対して、委員長から必ずやお答えを頂戴できるものと確信はしているのですけれど、しかしながらここはもうワンプッシュ。たとえばあのおつむの弱い怪人19面相君にもよくわかってもらえるように、くどいようなれど問題を整理しておくことにいたします。なにしろ怪人19面相の正体は名張まちなか再生委員会のメンバーかもしれないねなどと、名張のまちには根も葉もない噂がエチゼンクラゲのごとくふわふわ漂っていないでもなく、こうなったらどこに紛れ込んだどんな莫迦にも問題点をしっかり理解してもらわなければなりますまいから、歯には歯を、念には念を入れておきたいと思います。

 いいですか19面相君。名張まちなか再生委員会は名張まちなか再生プランを具体化するための組織です。具体化というのは、文章と画像で表現されたプランを実際に形にしてみせることです。ところがこのプランには、細川邸をどうするとも桝田医院第二病棟をこうするとも、そんなことはいっさい書かれてありません。いや、細川邸をどうするかということは書かれていたのですが、詐欺同然の構想だったので委員会自身が白紙に戻してしまったそうです。いやいや、委員会はあくまでもプランを具体化するための組織なんですから、プランに盛られた構想を白紙に戻すなんてことはじつはできません。それでも無理やりそういうことにしてしまったというのですから、なんかもう無茶苦茶な話だ。こんな無茶苦茶な委員会なればこそ、その内部には君みたいな無茶苦茶なことをいうメンバーがいないはずがないと考えるべきなのかしら。うーむ。19面相君、噂は結構真実なのかな。

 要するに名張まちなか再生委員会は、細川邸のことも桝田医院第二病棟のことも自分たちが一から考えますといってるわけです。なんともおこがましい話じゃないか。越権行為もはなはだしい。何を思いあがっておるのか。もしもプランを考え直すというのであれば、それは名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会がやるべき仕事です。この委員会にはそれだけの責任がある。ろくな歴史資料もないのに細川邸を歴史資料館にするなどと詐欺まがいのことを決めた責任。所有者が乱歩のためにつかってくださいと寄付してくれた桝田医院第二病棟のことをプランにまったく盛り込まなかった責任。この責任は重大です。なぜかというと、このふたつの施設整備こそが名張まちなか再生プランの目玉だからである。そのふたつがふたつとも、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の議論とはまったく無関係に、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトに所属する十人ほどの人間、それも歴史のれの字もご存じないような人間が専門家の意見を求めることもなしに検討を進めているというのだから世も末だ。そんな話がどこにある。理も立たなければ筋も通らぬ。19面相君、君にもこれくらいの理屈はわかるだろう。

 だったらどうすればいいのか。とりあえず名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集するしかないでしょう。彼らの遂げるべき任務をきちんと遂げていただく。まずはそれが望まれるはずです。わかるね19面相君。少なくとも君の出番ではない。名張まちなか再生委員会の出番でもない。しかし、と君は思うかもしれない。その名張地区既成市街地再生計画策定委員会というのは細川邸に関してリフォーム詐欺みたいな整備計画しか考えられなかったのではないか、と。よく気がついたね。そのとおりだ。そのとおりではあるのだが、だからといってルールや手続きを無視していいということにはならない。あの委員会に問題があるのなら、それを是正してやればいいだけの話だ。それがまっとうな市民の選ぶべき道だ。もっとも、ルールや手続きを無視するのは伊賀の蔵びらき事件でごく普通に行われていたことだから、芭蕉さんの子供たちにこんなことを説いても馬の耳に念仏なのかな。

 伊賀の蔵びらきといえば、きのうの伊和新聞にえらいことが載っていました。10月22日発行の同紙第三千四百四十三号、二面の下のほうに10月15、16両日開催の「からくりのまち名張秋事業」でご活躍いただいた方のインタビュー記事が掲載されていて、この方は名張市ではなくて伊賀市にお住まいなんですが、記事のなかでおっしゃいますには、

 「実は“からくり”をテーマにまちづくりを進めていくのは私の発案なんです」

 がくっ。ずるっ。どたっ。思わずずっこけてしまったけれど、それにしても驚きましたね19面相君。からくりのまち名張の驚くべき真実、いや、驚くべきからくりというべきか、とにかくそれがここに図らずも露顕しているというわけさ。これがいつのことかというと、要するに三重県が三億円をばらまくから名張市としてもそこからできるだけ分捕らなければならない、しかしその口実が見つからない、ああどうしよう、くっそー、なんにも思いつかねーや、と芭蕉さんの子供たち名張市隊が輾転反側苦悩煩悶の日々を送っていたころのことでしょう。えー、からくりのまちなんざいかがざんしょ、結構おつりきざんすかも、と親切に入れ知恵してくださったのがこの方だという寸法で、芭蕉さんの子供たち名張市隊は一も二もなくそれに飛びついた。おかげで伊賀の蔵びらき事件において名張はからくりのまちであるという与太が飛ばされ、今年になってもまだ名張はからくりのまちだという大嘘がまかり通っている。しかし実際には、「からくりのまち名張秋事業」はからくりというコンセプトにはきれいさっぱり無縁なのでありましたとさ。がくっ。ずるっ。どたっ。

 ずっこけるのも無理はないだろう。からくりのまちという与太大嘘は、名張市民の発案ですらなかったのである。別に私は偏狭な地域ナショナリズムに基づいて発言しているわけではなく、どこの誰であれ他者から寄せられる教示や批判には素直に耳を傾けるつもりではいるのですけれど、こういった場合、地域社会にまったく関わりのないでたらめを吹き込んでくださる方だの、それを無批判にありがたがっていんちきをかましてくださる方だのには、

 ──名張のまちはてめーらのおもちゃかこら。それも身銭を切るならまだしも、税金つかって名張のまちをおもちゃにしてんじゃねーぞこら。てめーらなんざ名張のまちの模型つくって、そこで箱庭あそびでもしてろばーか。僕は赤銅鈴之介だッ。

 などと申しあげるつもりはさらさらないのですけれど、それにしても19面相君、これではまったくなんだかなあ。はっきりぶっちゃけ歯に衣着せずに指摘してしまえば、この名張まちなか再生事件においてはあの伊賀の蔵びらき事件と同じことがくり返されているわけだ。松尾芭蕉をダシにしたあの官民合同事業の本質はいったい何であったのかというと、要するに官の責任回避と民の私利私欲とが持ち寄られ、地域住民の声も届かなければ目も届かない場所で税金の使途がこっそり決められてしまったということなの。で、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトにおいてもおそらく、それと同様のことが進められているのではないかと私は思うぞ。だってあのプロジェクトには、芭蕉さんの子供たち名張市隊からくり班のメンバーがちゃっかり紛れ込んでいるのだもの。いやまいったな実際。かかる事態を君はどう思うかね19面相君。あ。君はもしかしたら、僕は赤銅鈴之介だが、

 ──おまえは芭蕉さんの子供たち名張市隊からくり班ッ。

 といったところで、辻真先さんの書き下ろし作品を劇団フーダニットが初演する「真理試験 江戸川乱歩に捧げる」の話題、昨日付毎日新聞伊賀版でもご紹介いただきました。熊谷豪記者の記事から引用いたします。

演劇:生誕地碑建立50年記念、乱歩に捧げる推理劇−−名張で来月5、6日 /三重
 脚本は「迷犬ルパン」シリーズで知られる辻さんが今回のために書き下ろした。主人公の若い女性裁判官・蕗谷真理(ふきやまり)が名張市の景勝・赤目四十八滝で起きた殺人事件の解決を目指すというストーリーで、舞台は時空を超え、展開は大どんでん返しの連続。乱歩作品「心理試験」「人間椅子」のトリックが盛り込まれているという。

 フーダニットは99年設立。日本で唯一のミステリー専門劇団という。名張での上演は初めてで、代表の松坂さんは「乱歩は本格的なミステリーを日本に根付かせた。功績を生誕地で再確認したい」と意義を語る。市民劇団「おきつも名張劇場」(中子統雄代表)も共演する。

 からくりのまち名張らしからぬ、といっては語弊がありましょうけれど、ばったもんやいんちき、与太や大嘘に基づいたでたらめばかりがまかり通っている昨今の名張市で、乱歩にちなんだ本格的なミステリ劇が上演されるわけです。これは紛れもない本物ですから、君もぜひ見にいらっしゃい怪人19面相君。


●10月24日(月)

 こんな本が出ていたとは知らなんだ。きのう本屋さんで見つけて喜んで買い込んできました。早川書房の創立六十周年記念出版だという異色作家短篇集の新装版。いや、新装版というか改装版というか、あるいは再刊というか復刊というか、とにかく装いも新たにお目見えしたわけです。初回配本はロアルド・ダール『キス・キス』とフレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』の二巻。それさえもが懐かしさとともに胸に迫ってくる訳者名を添えるならば、前者は開高健で後者は星新一。初刊は前者1960年12月、後者1962年10月。伝説の名シリーズの復活をことほぎたいと思います。

 書棚を点検してみなければ正確なところはわかりませんが、私とて函入りの瀟洒な装幀も印象的だったこのシリーズ、のちに出た改装版も含めてまったく所有していないわけではなく、それでもスタンリイ・エリンの『特別料理』はたしか眉村卓さんのご蔵書を借覧したのであったか、ともあれ太っ腹に次回配本以降全巻を予約してきました。私は早川書房の本をどうにも好きになれず、それはもちろん本の内容に関わりのある話ではなくて、この出版社は一重カギをはじめとした括弧に関する組版ルールがややぞんざいだから気に喰わないという病的な理由に基づく嗜好なのですが、今回ばかりはそんなこともいってられません。

 さっそく『キス・キス』冒頭の短篇「女主人」を読んでみたところ、いささか驚かされてしまいました。むろん私ほどの読み手になれば、えへん、読み進むうち先の展開やオチといったものがたなごころを指すがごとくに見えてくるわけで(そうした読みがはずれることは日常茶飯に経験しますが)、この作品もふむふむこうなるのであろうかなと思ったとおりにストーリーがくりひろげられはしたのですが、なんといわゆる乱歩リスペクトなアイディアに基づく作品だったので驚いたわけです。ダールが乱歩を読んでいたはずはないですから、ただの偶然といってしまえばそれまでなのですが、この「女主人」、原題は「The Landlady」で、いやランドレディというよりはむしろミストレス、まさしく乱歩作品中もっともよく知られたミストレスを連想させる一篇なのであると、訳のわからないことを錯乱気味にお伝えしておく次第です。

 ではおしまいに、演劇「真理試験──江戸川乱歩に捧げる」と講演会「有栖川有栖のミステリー散歩」の話題を「番犬情報」に掲載したことをお知らせいたしまして、本日はあっさりとおいとまいたします。


●10月25日(火)

 本日もあっさりと、当たり障りのない話題でまいりましょうか。破邪顕正のまったき理も、あまりに矢継ぎ早では先方を収拾のつかない状態に陥らせてしまうかもしれません。先方ではそれでなくても収拾不能な議論が重ねられているみたいなんですから、生温かく見守ってさしあげることにいたしましょう。

 それで本日は、光文社文庫版江戸川乱歩全集の話題。先日第二十四巻の『悪人志願』が刊行され、全三十巻の堂々たる陣容も残りはわずかに三巻。次回配本は『陰獣』だそうです。ちなみに「陰獣」には異稿のあることが知られていて、乱歩は桃源社版全集の「あとがき」にこう記しています。

この作は賑やかな批評を受けたが、それらの批評の多くは、結末に疑いを残したことを非難していたので、その後の版で、私自身、疑いの部分を削ってしまったことがある。しかし、やはり原形の方がよいと考えるので、この本では、最初発表したときの姿に戻しておいた。

 リドルストーリーめいた結末が非難されたから、それを書き改めたというわけです。リドルストーリーといえば思い出されるのが五味康祐の「柳生連也斎」ですが、剣豪の対決でクライマックスを迎える筋立ては勝者さだかならずという結末への誘惑を含んででもいるものか、新潮文庫に入った荒山徹さんの『十兵衛両断』に収録された表題作もまた、作品終幕の決闘にどちらの剣士が勝利したのか、この作だけでは判然としない結構になっております。収録五作の最終篇、「剣法正宗溯源」を読めば判然とするわけですが。

 ところでこの『十兵衛両断』に収められた「陰陽師・坂崎出羽守」は、風太郎忍法帖ばりの朝鮮妖術を素材として、乱歩ファンなら「猟奇の果」を思い出さずにはいないであろう奇想を描いた一篇でした。妖術の必需品たる巨大な芋虫、なんてのも登場してきますし。とはいえ作者には乱歩リスペクトみたいな意志はなく、作者なりの夜の夢を紡いだ結果がこのアイディアだったということでしょう。結構結構。決闘の描写におけるスケールの大きさも好ましく(それはほとんど車田正美さんのボクシング漫画「リングにかけろ」を髣髴とさせるほどです)、気宇壮大で驚きに充ちた時代小説をお探しの方にお薦めしておく次第です。

 いやいや、そんなことはどうだっていいのですが、とにかく乱歩ともあろう人がですね、「陰獣」の結末が曖昧だと批判されたくらいでおたおたすることはないんです。乱歩におけるそうしたいわば不確定性は、たとえば単に作品の筋立てによって要請された結果などではまるでなく、敢えていえば作家的本質そのものにほかなりません。だいたいがデビュー作の「二銭銅貨」にしたところで、この世に確実なものなど何ひとつないのだよ、という宣言とともに探偵小説ファンの前に姿を現したアンチ探偵小説だと見ることも可能でしょう。不確定性の人である乱歩には「陰獣」を改稿する必要なんてまったくなかったのですが、律儀にそれをやってしまったところがまたいかにも乱歩らしいと見るべきなのかもしれません。

 いやいや、そんなこともまたどうだってかまいません。きょうはどうも話が横道にそれがちで、これはもしかしたら本当は当たり障りが大好きなのに無理やり当たり障りのない話題を書き進めていることがもたらすストレスのなせるところなのでしょうか。ともあれ、桃源社版全集の「あとがき」で乱歩が「その後の版」と呼んでいたのは昭和10年に柳香書院から出た『石榴』収録の「陰獣」のことで、乱歩によっていったんは書き改められ、のちに見捨てられてしまったこのテキストも、綿密な本文校訂にすでに定評のある光文社文庫版乱歩全集のことですから、次回配本の第三巻『陰獣』では何らかの形で日の目を見ることになるのではないかと期待されます。

 本文校訂のほかにもうひとつ、光文社文庫版乱歩全集で特筆されるべきなのは詳細な註釈が添えられていることでしょう。といったあたりでようやく目論んでいた本題に入ってきたわけなのですが、時間がなくなりましたのであすにつづくといたします。


●10月27日(木)

 光文社文庫版江戸川乱歩全集の話題ですが、この全集に詳細な註釈が添えられていることは、乱歩ファンなら先刻ご承知のところでしょう。註釈は著名なシャーロッキアンでもいらっしゃる平山雄一さんのご担当ですが、名張市に関係するものなどご当地ネタに関しては、たまに平山さんからご指名をいただいて私が調査のお手伝いをしております。ま、伊賀の忍びって役どころですか。第二十四巻の『悪人志願』では、昭和11年から12年にかけて発表された「彼」に関して、忍びにこんな密命がくだりました。

 ──「一身田騒動」について調べよ。

 「彼」から引用いたしましょう。

 年代がはっきりしないけれど、祖母が嫁入ったのは文久の末か、元治頃であったから、それより後の出来事らしく思われるのだが、藤堂の城下町津の近在一身田に在る真宗高田派の本山専修寺に、「一身田騒動」といって当時世間を騒がした相続争い(?)の毒殺事件があって、祖父はその事件後のお目附役として藤堂家から専修寺に派遣され、祖父自身も危く毒殺されかかったような出来事があった。そのお家騒動の一条が江戸で芝居に仕組まれ、祖父に当る人物も登場するというので、祖母はその芝居見物を勧められたけれど、見物に行けば役者が寄席へ挨拶に来たりしてはれがましいということを聞かされ、恥かしがって遂に見物しなかったということである。

 彼はその芝居が何という外題であったか、何年に何座で演じられたのか、俳優は誰であったか、歌舞伎年代記をくって見ようと思いながら、ついまだ果さないでいる。

 幕末の伊勢の国で、事件は起こりました。一身田は現在では津市の一部ですが、当時は一身田村。その村にある真宗高田派本山の専修寺で住持の跡目をめぐる相続争いが発生し、ついには毒殺事件に発展。津藩士であった乱歩の祖父、平井杢右衛門陳就は藩の命を帯びて陰謀渦巻く専修寺に乗り込み、自身もまた毒殺されそうになる危難に見舞われながら、首尾よく使命を果たしたといいます。さすが乱歩のおじいさん、殿様から探偵役を仰せつかっていたわけです。

 この一身田騒動について調査せよ、との密命を受けた私は、さっそく名張市立図書館の郷土資料室で文献に当たってみたのですが、それらしいものにはぶつかりません。明治45年に出た『専修寺史要』もひっくり返してみたのですが、これは専修寺のオフィシャルな寺伝ですから、毒殺事件などという芳しからざる記録はネグレクトされているようです。平成3年に『高田本山の法義と歴史』というやはりオフィシャルな書物が出版されていることもわかったのですが、名張市立図書館は架蔵しておりません。むろんこの本に毒殺事件のことが記されている可能性は相当低いと見当はついたのですが、可能性がゼロでないのなら資料をひとつひとつ潰してゆくのがこうした場合の常道です。

 私は津市にある三重県立図書館に足を運び、『高田本山の法義と歴史』をはじめとして関連がありそうな本を片っ端から潰していったのですが、一身田騒動なんてどこにも書かれてはいませんでした。地域資料の担当職員に質問してみても、

 「一身田騒動なんて、聞いたこともありません」

 との答えが返ってくるばかり。地域資料の専門家が知らないというのですから、もしかしたらガセネタかな、と私の心に疑いが生じました。乱歩の祖母が事実を大幅に脚色あるいは歪曲でなければ捏造して乱歩に話した可能性だってないではありません。だいたい年寄りの昔語りなんて頭から信用できるものではとてもないのだし。不意の徒労感を覚えながらも、私はふと思いついてその職員に専修寺の場所を尋ねてみました。自動車なら十分で行けますよ、と答えた彼は、ごそごそと地図帳を引っ張り出して丁寧に説明してくれます。

 私は自動車に戻り、まっすぐ専修寺を目指しました。もちろん、こりゃちょっとまずいかな、とは考えました。私はなにしろとても格式の高いお寺を訪問し、

 「えー、こちらのお寺で毒殺事件があったんでしょうか」

 と尋ねようとしているわけです。下手すりゃ叱り飛ばされるかな。いやいや、叱り飛ばされるだけならいいけれど、用件を伝えたとたんに弁慶みたいな僧兵姿の荒法師にずらりと取り囲まれ、薙刀で突っつかれるみたいにして本堂の裏手の暗がりに連れ込まれたあげく、いきなり裸にされて四つん這いにさせられたりなんかしたらどうしよう。などと妄想で破裂しそうになった頭をもてあましているうちに、高田本山専修寺の高い堂宇が見えてきました。私はお寺の駐車場に車を停めました。

 一身田は、三重県内唯一の寺内町として知られています。寺内町というのは、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した町のことで、外敵の攻撃に備えて土居や環濠をめぐらせているのが特徴。専修寺を中心とした寺内町も周囲を濠で囲まれ、三か所に渡された橋によって外部と結ばれています。その橋のひとつを渡り、大きな山門を潜って、私は境内に足を踏み入れました。広い庭には、不思議なことに人の気配がありません。9月に入ったばかりで、そろそろ午後5時になろうかというころでしたが、いまだ陽は高く、

 ──庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

 まさにそんな感じの光景が広がっていました。


●10月28日(金)

 三重県津市一身田町、真宗高田派本山専修寺。境内の俯瞰写真はオフィシャルサイトのこのページでご覧いただくことにして、とにかく立派なお寺でした。乱歩のおじいさんは毒殺事件の収拾を図るべくこのお寺に送り込まれたのか。乱歩のおかあさんが娘時代、行儀見習いでお勤めしたのもこのお寺だったはずだ。私はそんな感慨にふけりながら無人の境内を歩き、やがて宗務院という建物にたどりつきました。一階に事務室らしい部屋が見えます。靴を脱いでその広い部屋に入ると、事務職員とおぼしい男性がわずかにふたり。私はようやく、専修寺境内で生身の人間に遭遇したことになります。

 若いほうの職員に挨拶すると、

 「あ、すいません。うちは午前九時から午後四時までなんで、もう当直の人間しか残ってないんですよ」

 一身田騒動について知りたいのだが、と水を向けると、

 「そういうことがわかる人間が帰ってしまいまして。私ではわかりかねますし」

 結局、あしたの午前10時にお電話いただければわかるようにしておきます、との約束を得ることができました。私は持参していた講談社文庫版乱歩全集の『鬼の言葉』を取り出し、必要なページをコピーしてもらってそれをことづけました。

 さて翌日の午前10時、電話を入れてみると、

 「H先生にお尋ねください。電話番号をお教えします」

 ははあ、H先生か、と私は思いました。H先生といえば親鸞研究の第一人者ではないか、くらいのことは門外漢の私でもよく知っておりましたし、そういえば前日に県立図書館で閲覧した『高田本山の法義と歴史』の編著者もH先生でした。私はやや緊張しながらダイヤルをプッシュしました。すぐに出てくださったH先生に事情をお話しし、お伺いを立ててみると、一身田騒動というのはたしかにあったと、こちらが拍子抜けするほど簡単に事実が判明しました。

 住持の跡目をめぐって実子と養子の対立が深まり、それぞれを擁する派閥のなかには毒をもって邪魔なライバルを弑逆しようとする動きまで出てきたが、毒殺はついに未遂に終わった。専修寺を揺るがしたこの未曾有のスキャンダルは、それゆえにこそ公の記録にいっさい残されることなく終わったが、噂は噂を呼んで熱病のように伝播し、一身田騒動として広く喧伝されるに至ったとのことなのですが、いまではほとんど忘れられているようです。

 乱歩の祖父が藩命によって専修寺に送り込まれたという点に関しては、

 「当時の制度上、そうしたことはあり得ない」

 というのがH先生のご所見でした。藤堂藩と専修寺はもとより関係が深く、とくに高次という津藤堂家二代目のお殿様は(ちなみに、乱歩の祖先に当たる於光という娘さんの洗濯姿についむらむらと来てしまい、たぶん於光さんの大きくて白いお尻にむしゃぶりつきでもしたのでしょうが、とうとう於光さんを側室にして平井家が伊豆伊東から伊勢の津へ移り住むきっかけをつくってくれたのがこのお殿様です。もしもこのお殿様がむらむらと来ていなければまず間違いなく乱歩はこの世に存在してはいなかったであろうと思われる、それくらいありがたいお殿様なわけです。仰げば尊し殿様の好色)大火で堂宇が全焼したおりに寺領を寄進するなど手厚い庇護を与えていたのですが、幕末になると専修寺はむしろ宮家とのつながりを強め、住持は有栖川家から迎え入れていました。一身田騒動前後の住持もその例に洩れません。

 有栖川宮といえば、日本推理作家協会賞評論その他の部門の選考でああもう駄目だな終わったなとおおきに相場を下げてしまった日本推理作家協会の協賛を得て名張市が毎年開催している「なぞがたりなばり」という講演会、本年は11月5日に有栖川有栖さんをお招きすることになっております。詳細はこのページでどうぞ。 同じく5日には劇団フーダニットの「真理試験──江戸川乱歩に捧げる」も上演されます。詳細はこのページでどうぞ。「番犬情報」をご覧いただいてもよろしいでしょう。

 当日は午後1時から有栖川さんの講演会、つづいて4時から劇団フーダニットの公演という日程でたっぷりお楽しみいただけると思います。近鉄大阪線名張駅では西口から出ていただくのが便利なのですが、東口に回って例のものをご覧いただくのも一興かもしれません。

 よろしくどうぞ。


●10月29日(土)

 そんなこんなで真宗高田派本山専修寺の一身田騒動、H先生から電話で概略をご教示いただいて一件落着。あとは平山雄一さんに調査結果をメールで報告すればいいだけということになったのですが、ちょっと待てよと私は思いました。

 ──専修寺の確認を得ておいたほうがいいかもしれない。

 いくら百四十年以上前のこととはいえ、毒殺未遂事件は専修寺にとって紛れもないスキャンダルにほかならず、他聞をはばかる話であることには変わりがありません。そのスキャンダルを「彼」の註釈でこれこれこういった具合に公にいたしますと、事前に念押ししておいたほうが後顧の憂いがないだろう。私はそのように考え、時間の空いた日を選んで。ふたたび専修寺に赴きました。手みやげに名張名物二銭銅貨煎餅を携えて。

 今度は午後4時前に着くことができました。正式には宗務室と呼ばれるらしい事務室に入り、自宅でプリントアウトしてきた註釈の草稿を開いて、目を通しておいていただきたいと依頼すると、

 「それはH先生にご覧いただかないと」

 「はあ。そしたらH先生にファクスで送っていただけますか」

 とにかくH先生に電話してみます、と男性職員が手配してくれて、H先生に電話が通じました。印刷屋さんから人が来ることになっていて、自宅から外に出られない。悪いがうちまで来てくれないか。H先生はそのようにおっしゃいました。お聞きしてみると、先生のお宅は専修寺のすぐ近く、一身田の寺内町にあるとのことです。それならこれからお邪魔しますとお伝えして、私は女性職員から教えてもらった道をたどりました。人気のない古い町並を歩くと、やがて目印として教えられた赤い郵便ポストが見えてきます。四角いポストではなく、二十面相が変装したこともある、あの街角で直立不動の姿勢をとりつづける兵士のような旧式のポストです。

 ──あんまりこと細かく書かないほうがいいのではないか。

 専門書が整然と並んだ書斎のなかで、私が持参した原稿をご覧になったH先生はそうおっしゃいました。私はその意味を斟酌しました。ひとつには専修寺側の意を体して、さらには一身田騒動を文献で確認することができないからという理由で、先生はこのようにおっしゃるのであろうと推測した私は、

 「資料で確認することはできませんからね」

 「そう。確認できないんだから」

 わかりました、と私は物わかりのいい生徒のように答え、ボールペンで草稿に削除の朱を入れてゆきました。当初の稿より記述は曖昧になりましたが、H先生からお聞きした話も口碑伝承の域を出るものではありませんから、記述の精確はもとより望むべくもないものです。一身田騒動そのものより、専修寺の歴史にもう少し筆を費やしたほうがいいかもしれない、などと考えながら私は作業を終え、あとはH先生と世間話をしながら、奥さんの出してくれた冷えたお茶をいただきました。地方自治体の文化事業の話から財政の話になって、

 「名張はやっぱりお金があるんでしょう」

 「いえいえ、名張にももうお金はないんです。市立病院つくって大学を誘致したらすっからかんになりました」

 「そうなの。僕はまたお金があるから合併しなかったのかと思った」

 「お金は全然ないんですけど、要するに名張は上野が嫌いなんです。ですから合併にはノーやったわけで、それはもうそれこそ藤堂家における実子と養子の対立がまず背景にありますし」

 「ははは。それはそんなこともあったけど」

 平山さんに調査結果をメールで報告した結果が、光文社文庫版乱歩全集第二十四巻『悪人志願』804ページの註釈です。簡単に事情を打ち明けておいたところ、平山さんのご厚意で、第二十四巻はH先生にお送りする分と合わせて二冊、版元からお送りいただくことになりました。H先生には自腹でお送りしないとな、と考えていた私が大喜びしたことは申すまでもありません。めでたしめでたし。

 いっぽう、全然めでたくないのが写したくなる町名張をつくる会です。私は昨日、鬼神の気合いでこの会についてのお話を伺うべく、名張市役所生活環境部を訪れたのですがあいにくと部長さんはご不在。また日延べということになってしまいました。全然めでたくありません。


●10月30日(日)

 さて、及ばずながら光文社文庫版江戸川乱歩全集の註釈のお手伝いなども進めながら(きのうの夜なんか某週刊誌の取材記者の方からお電話をいただいて、えへん、じつにてきぱきとお手伝いを務めた次第です)、名張市におけるなべての愚かしさ(のごく一部)を相手取った不毛の総力戦を継続しているわけなのですが、鬼神の気合いで名張市役所生活環境部を訪れても部長さんがご不在だったりして、思うようには捗りません。ここで整理しておきます。

 いちばんの問題はこれなわけです。

 左は今年7月、右は10月、写したくなる町名張をつくる会によって名張市内に掲げられたパネルです。ちなみにこのパネル掲示は名張市の市民公益活動実践事業として採択されており、要するに行政のバックアップを受けてるわけです。それにしても、いったいどうして名張がエジプトなのか。左のエジプトの絵に初めて接した私は見てはならないものを目にしてしまった人のように絶句し、混乱し、何がなんだかわからなくなり、これは要するに気違い沙汰と呼ぶしかない行為なのだと結論してこの伝言板に評言を述べました。

 この絵がもたらした衝撃は相当なものだったようで、よその土地に出かけて人に会うとまずこの絵が話題にされるということさえないではなく、そうした次第をまた嬉々としてこの伝言板に記しましたところ、この会のメンバーとおぼしい人間がお三方、得たりやおうと私のサイトの掲示板にいろいろと問題のある、てゆーか問題ありすぎ、みたいな発言を投稿してくださいました。ありゃりゃ、何なんでしょうかこの莫迦三人、と私は呆れ返り、この一連のとんでもない事態をあなたいったいどうお思い? と市民公益活動実践事業担当セクションである生活環境部の部長さんにメールでお尋ねしたのですが、あまりにも当事者意識皆無の回答が寄せられましたもので、こんなんじゃ答えにも何もなってないじゃない、と再度回答を要求いたしました次第。

 これまでの経緯は以上のようなことなのですが、部長さんの見解をお聞かせいただきたいなどと、いつまでも悠長なことはいってられません。私は名張市役所生活環境部を訪れ、鬼神の気合いで次のとおりお願いしようと考えております。

 お願いその一。まずは写したくなる町名張をつくる会に連絡して、ことの真偽を確認していただきましょうか。私の掲示板に莫迦丸出しな投稿をしてくださったお三方、うちお二方は女性でお一方は男性でいらっしゃるらしいのですが、それがあの会のメンバーなのかどうか、きりきり問い質していただきたいと思います。あのお三方の投稿が、私に対する名誉毀損は申すに及ばず、乱歩を侮辱して乱歩リスペクトな人たちを憤激させ、市民公益活動実践事業そのものを貶めて同事業関係者や一般市民を激怒させるものであったことは指摘するまでもありません。生活環境部長ともあろうお方がそれを見過ごしにしてどうするの、と私は思います。

 お願いその二。とはいえ、写したくなる町名張をつくる会に問い質してみたところで、へえ、たしかに手前どもがやりやした、下手人は手前どもでごぜえやす、というお答えは十中八九、いやもう100%の確率で頂戴できないであろうと推測されます。それはもうそうなるに決まってますって。あのお三方があの会のメンバーであるのかそうではないのか、どちらであってもそれを客観的に証拠立てることは不可能でしょうから、知らぬ存ぜぬとおっしゃるのであればこちらも素直に承りますけれど、そうなのであればその旨をはっきり文書で表明し、それを私のサイトで公開していただきたい。つまり写したくなる町名張をつくる会としても身の潔白を主張しておく必要があるだろう、てゆーかそれくらいしとけよおめーら、と愚考される次第ではあり、生活環境部長さんを通じてあの会にそれを要請したいと思っております。

 お願いその三。いい機会です。名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることが名張市の公益にどうつながるのか、写したくなる町名張をつくる会のお考えをお教え願いたいと思います。じつはこの点、私が見聞きしたかぎりでも、おおきに疑問を抱いていらっしゃる名張市民が少なからずいらっしゃるようです。私自身はこんなもの公益などには何の関わりもなく、むしろどーですか、名張市ってのは寸分の狂いもないほど莫迦ざんしょ、どーだまいったかと世間に公言するようなものであろうと判断しているわけなのですが、私などには思いも及ばぬ公益が存在しているのかもしれません。そのあたりをぜひお教えいただきたく、これまた生活環境部長さんを通じて写したくなる町名張をつくる会にお願いできればと思っております次第です。

 ま、とりあえずはこんなようなところでしょうか。名張市におけるなべての愚かしさ(のごく一部)を相手取った不毛の総力戦は写したくなる町名張をつくる会のみならず、名張まちなか再生委員会だのさらに遡って名張地区既成市街地再生計画策定委員会だのをも対象として継続しているわけなのですが、まあひとつひとつ順番にやっつけてゆくしかありません。ではまたあした。


●10月31日(月)

 きのう記し忘れたことを追記しておきましょう。写したくなる町名張をつくる会に関してなのですが、名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げるという意味不明な活動にどんな意義ないしは公益性が見出せるのか、私の要請に基づいて会のみなさんから懇切にご説明をいただいたとしても、もしかしたら私には理解不能なままかもしれません。たぶんそうだろうなと私は思う。その場合には、私はあの会に対して掲示パネル二点の撤去を要請することになるでしょう。撤去するかどうかの決定は会によってなされるわけですが、一市民として会への要請は申し伝えたい。だいたいがあんなパネル、まちの景観を損ねるだけではないかと私は思う。

 藪をつついて蛇を出すと申しますか、雉も鳴かずば打たれまいにと申しますか、写したくなる町名張をつくる会のみなさんもですね、他者から受けた批判が不当であると判断したのなら、その批判者に自分たちの考えや狙いをきっちり伝えて異議を申し立てればいいだけのことなのに、電子掲示板に匿名で莫迦丸出しな投稿をするなどという卑劣幼稚な真似をするから話がややこしくなるのじゃ。ばーか。私だって会の説明を求めたり場合によってはパネルの撤去を求めたり、ここまで苛烈なことをやる気はなかったのであるが、腹が立つからばんばんやってやろうという気になってるわけです。

 いやいや、掲示板「人外境だより」に例のご投稿をお寄せくださったのが写したくなる町名張をつくる会のみなさんなのかどうか、少なくとも文面から判断するかぎりではそうとしか考えられないのですが、実際のところはよくわかりません。それゆえに、きのうも記しましたとおり生活環境部の部長さんにそのあたりの確認作業をお願いするつもりでいるのですが、しかしよく考えてみますと、写したくなる町名張をつくる会なんてまだ可愛いもんです。からくりのまち名張実行委員会なんてのもまだましです。パネルなら撤去すればおしまいだし、コミュニティイベントならごく短い期間で終わってしまいます。からくりのまちというコンセプトに関していえば、そんなものさっさと放棄してしまえばそれでいい。

 しかし、名張まちなか再生委員会はそういうわけにはまいりません。名張のまちに形のあるものを新たに加えよう、つまりいったんできてしまえばもう取り返しのつかないものをつくろうというのですから、パネルやイベントと同日の談ではありません。しかも何をつくるかということがごくわずかな人間、そもそもそんな権限があるはずのない人間によって決定されようとしているわけです。いんちきの謗りは免れますまい。こりゃもう駄目かも、とさえ私は思い、先日委員会事務局にお邪魔したときにも、

 「こうなったらもうプラン全体を白紙に戻したほうがええのとちゃいますか」

 との助言をお伝えしてきた次第です。むろん私とてプランのすべてを否定しているわけではないけれど、ここまでのいんちきは見過ごしにできません。プラン全体の動きをいったんストップし、もっと市民の理解と信頼を得ることを考えなければならんだろうと私は思います。つまり名張まちなか再生プランそのものを再生してやる必要があるというわけです。