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2005年11月下旬
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●11月21日(月) 本日はあまり時間がありませんので、ごく短めにまいります。 名張市の住民投票条例制定にからんで、2ちゃんねるの「【地方自治】永住外国人を含む18歳以上に請求・投票権 三重・名張市が住民投票条例案 1月施行目指す」で本当に問題にされていたのは永住外国人に対する地方選挙権の付与なわけなのですが、いわゆる民団、在日本大韓民国民団のオフィシャルサイトに「永住外国人に対する住民投票権付与の現況」なるページがあり、それによりますと2005年2月末現在、住民投票における永住外国人の投票権を認めた自治体は百七十七あります。
ちなみに名張市は、上の表では「合併にともなう住民投票条例」に含まれているのですが(詳細は同サイトの「市町村合併にともなう永住外国人を含む住民投票条例制定自治体一覧」でどうぞ)、住民投票条例が制定されれば「常設型住民投票条例」にもカウントされることになります。 さらに、同じく民団オフィシャルサイトの「意見書採択 地方別統計」によれば、永住外国人への地方参政権付与を政府に求める意見書を採択した地方議会は、2004年4月13日現在で全国三千三百二自治体のうち千五百十九議会、採択率は46.00%にのぼるといいます。ちなみに同サイトには東京都議会が平成7年に提出した「定住外国人の地方参政権の確立に関する意見書」も掲載されております。 では本日はこのへんで。 |
●11月24日(木) 相変わらずまいっております。パソコンの不調、二夜連続の大宴会、いつまでもぐずつく風邪と突如襲い来たった腰痛。あいたたたッ。ひたぶるに情けない明け暮れなのですが、きのうは神戸まで足を伸ばし、横溝正史生誕地碑建立一周年記念事業にお邪魔してまいりました。 とはいえ実際のところは、事業のメインであった山前譲先生の講演会には間に合わず、そのあと催された東川崎町探索ウォークも途中で抜けて焼鳥屋でお酒を飲み、それからウォークを終えたみなさんの大宴会に合流。要するに名張から神戸までお酒を飲みに行っただけの話であったのですが、まことに愉快な酒席でした。 その大宴会、なぜか東映映画の話題でも盛りあがったのですが、正史ゆかりの岡山県は倉敷市で、乱歩原作の東映映画が上映されます。昭和31年に開業し、本年12月30日で閉館することになった倉敷東映が、掉尾を飾る特集として取りあげますのが深作欣二監督「黒蜥蜴」と石井輝男監督「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の二本。ほかにも「仁義なき戦い」「昭和残侠伝」「緋牡丹博徒」などドル箱シリーズが目白押し。さすがに昨夜の大宴会で話題になった小沢茂弘監督の「博徒七人」は上映されぬようですが、お近くの方はぜひどうぞ。詳細はこのページでご覧ください。 本日はこんなところで。あいたたたッ。 |
●11月26日(土) 鼻はぐずぐず、喉はがらがら、腰はあいたたたッ、の三重苦に七転八倒している三重県民ですが、まずはお知らせを一件。NHK教育テレビの「知るを楽しむ」という番組に12月、乱歩が登場いたします。テキストはひとあし早くきのう発売になりました。 風太郎ファンも見逃せません。くわしいことは「番犬情報」でご覧ください。 さて、2ちゃんねるの「【地方自治】永住外国人を含む18歳以上に請求・投票権 三重・名張市が住民投票条例案 1月施行目指す」の件ですが、投稿番号522番までをこのページで読むことが可能であると大熊宏俊さんからご教示いただきました。あらためて一読してみたのですが、やはりひどいものである。 ひどいといっては語弊があるか。ともあれこのスレッドでは、住民投票条例を制定したせいで名張市に永住外国人の転入が相次ぎ、名張市はいずれ在日韓国朝鮮人のサンクチュアリになってしまうのではないか、それが端緒となって日本という国家が乗っ取られてしまうのではないか、といったことをナショナリストのみなさんに種々ご心配いただいており、名張市民としてはまことに畏れ多くもありがたいことであると申しあげたいところなれど、莫迦がなーに押しつけがましいことほざいてやがるというのが正直なところです。
こんな発言は本物のナショナリストならとても口にはできぬことでしょう。正しいナショナリストであればせめて同志に呼びかけて、たとえば血盟団ばりの一人一殺主義で国家の自存を守り自衛を貫く行動に出てはいただけぬものかしら。いやいや、何も実際に人殺しをしてくれと申しあげているわけではありません。名張市に永住外国人が一人転居してくる、すかさずナショナリストも一人転居してくる。むこうが十人越してくる、こちらも十人越してくる。ほら百人、それ百人。すなわちマンツーマンで相手方の存在そのものを無効にしてしまう、それが一人一殺の論理というものであって、全国津々浦々のナショナリストのみなさんにこの論理を体現していただきさえすれば、名張市は安泰、日本も盤石、まことに重畳ではございませぬかといったことになるのではないかと思われるのですが、いったいどんなものかしら。 だいたいがだな、永住外国人が住民投票に参加することを「特定アジア人民に家族殺されて、家に火つけられて、一切合財無く」すことに短絡してしまう連中こそ、自国と自国民をともに貶める「自虐」の名にふさわしい日本人ではないか。自虐野郎ども、いつまでそんなことやってんだ。
例のスレッドにはこういった投稿もありましたから、ネットナショナリストのたわごとなどスルーの一手でもよかったのかもしれませんが、そうはまいらぬのが地元民。名張市の地元民が集う「○名張市について書き込んでみましょうPART5○」を見てみると、24日夜にこんな投稿がありました。
この投稿者、住民投票条例に反対する旨を記したメールを名張市の総合企画室だかどこだかに送信してくださったらしいのですが、ろくに事情も理解できておらんくせにどうしていたずらに付和雷同するのかこのおっちょこちょい、と私はいいたいぽ。 とはいえ、いくら付和雷同であれおっちょこちょいであれ、とにかく名張市民が市の将来を憂慮してメールを送ってくれたのですから、名張市としてもやわか黙殺して返事も出さないということはないはずなのですが、市役所担当職員におかれましてはその返信に11月16日以降の私の伝言へのリンクを設定しておいていただければ幸甚。ついでですから、たとえば手近なところで去年出た姜尚中さんの自伝『在日』あたりを読むようにと、このおっちょこちょいな付和雷同型市民に助言してやってもいいのではないか。 あー、ぐずぐず、がらがら、あいたたたッ。 |
●11月27日(日) 日本人の風上にも置けない幼稚で偏狭、惰弱で卑怯なネットナショナリストを相手にしていても致し方ありませんが、21日付伝言にも記しましたとおり、民団の発表によれば2004年4月13日現在、全国三千三百二自治体のうち千五百十九議会が永住外国人への地方参政権付与を政府に求める意見書を提出しているわけ。さらに2005年2月末現在、住民投票における永住外国人の投票権を認めた自治体は全国で百七十七。ネットナショナリストの言に倣えばこれらはすべて「売国自治体」ということになり、名張市もその例に漏れぬということになるのであろうが、そんな連中の言葉を真に受ける必要はないのだぞ名張市民。 名張市における住民投票条例の常設は、まずは先進的な試みであると称していいことでしょうし、投票の有資格者を十八歳以上として永住外国人まで含めたのも、いまや取り立てて珍しくも画期的でもないことですけれど、時代の趨勢に即応した決定であるといえるでしょう。永住外国人を含む外国人の問題は、申すまでもなく地方自治の現場にこそ存在しているわけですから、バーチャルな電脳空間における無責任で類型的で妄想に裏打ちされた言説をそのまま当て嵌めることにはそもそも無理があるはずで、そんなものにつきあっていちいち付和雷同してんじゃねーぞ名張市民。 それにしても、ネットナショナリストの描き出す在日韓国朝鮮人像がおよそリアリティを欠いているように見えるのは、私の想像力に問題があるせいなのかな。「○名張市について書き込んでみましょうPART5○」にも──
といった投稿があって、「げらぷー」はまあどうでもよろしく、「よく読んでないが」とみずからの思考停止を堂々と公言する態度には頭が下がりもいたしますが(よく読んだってわかんねーんじゃねーの、とこちらに思わせてしまうところが凄い)、面白いのは「名張に在日なんぞどれぐらいいんねん」というくだりです。たぶんこのげらぷー投稿者、名張市内で在日の姿を見かけたことがないのでしょう。 在日も二世や三世になると日本人とほとんど見分けがつかなくなりますから、見るからに日本人ではない外国人に比較して在日という言葉がリアリティを失いがちになるのも無理からぬ話かもしれません。私とて朝夕の散歩で出会う外国人はと申しますと、まず近所の工場で働いている中国人男性、それからどこで働いているのか知りませんけれどいずれお水系には相違ないフィリピン女性といったところで、散歩の途中であれジャスコ名張店三階婦人インナー売場であれ、在日であることを意識させる人間にはすれ違ったことがありません。ゆえに在日なるものは、声はすれども姿は見えず、みたいな曖昧な不安を呼び覚ましがちな存在になっており、それがインターネットにおける嫌韓の流れに拍車をかけているということなのかもしれません。 それにしてもこのげらぷー投稿者、名張市にもかつて在日韓国朝鮮人集落が存在していたことなど、ほぼ間違いなくまったくご存じないのであろうな。市内に複数存在していたのかどうか、それは私にはわかりませんが、私が生まれ育った豊後町という町にはたしかに存在しておりました。 なんか話が横道にそれつつあるなと自覚しつつ、本日はこのへんで。 |
●11月28日(月) おかげさまで体調はほぼ元に戻ったみたいです。名張市にかつて存在していた在日韓国朝鮮人集落について記そうかなとも思うのですが、話題のほうもそろそろ元に戻ったほうがいいのかもしれません。ともあれ、時間がありませんので本日はこのへんで。 |
昨年3月に刊行された姜尚中さんの自伝『在日』(講談社)から引きましょう。
姜さんより三年遅く、熊本ではなくて名張に生まれた私にとっても、在日韓国朝鮮人集落は身近なものでした。もっとも、姜さんは集落の内部に、私は外部にあって子供時代を過ごしたという決定的な違いはあるわけですが。 私が生まれたのは豊後町という町で、現在の地図でいえばジャスコ名張店から新町橋に抜ける道路の、元町と新町とに挟まれた区間が町のメインストリートでした。といってもごく狭い道です。通りを挟んで二階建ての木造住宅が軒を連ね、ところどころに駄菓子屋や乾物屋があるだけの、どちらかといえば殺風景な町でした。 むろん町家は通り沿いにだけ存在しているわけではなく、通りのそこここにある細い路地を入れば、通りに面していない家々が姿を現します。私の家の斜め向かいにあった路地を入った先が、在日韓国朝鮮人集落でした。 俯瞰図を描くような感じで思い出してみると、まず豊後町の通りが一本、まっすぐに伸びている。それに沿って日本人の住む家が数軒つづいている。その家々の裏にまた細い路地が通じていて、それを区切りとしてその向こうに在日の集落があった。といった具合に記しただけではなんともわかりづらいでしょうから、同時代の地図をご覧いただきましょう。 赤い色で示したエリアが、かつて名張市に存在し、私と同世代の子供たちもそこで生活していた在日韓国朝鮮人集落なのですが、こうした歴史的事実は現在の名張市民にはほとんど知られていないのではないか。 えー、地図の画像を準備するのにえらく時間がかかってしまいました。あすにつづきます。 |