2005年12月上旬

●12月1日(木)

 姜尚中さんが生まれ育った集落では、ゴーリキーの「どん底」のような光景が日常的にくりひろげられていたそうです。私が知っている名張市の在日韓国朝鮮人集落には、そうした印象はまったくありませんでした。それでもあのよく知られた劇中歌そのままに、昼でも夜でもとても暗い空間だったという記憶があります。

 建てられていた住居は、たぶん十軒もなかったでしょう。ですから正確にいえば独立した集落ではなく、町の一画に在日韓国朝鮮人の住まいが集まっていたというに過ぎないのですが、そこは何よりもその薄暗さによって周囲とは違う独特の相貌を際立たせていました。やはりひとつの集落と呼ぶにふさわしい場所だったという気がします。

 その暗さをどう表現すればいいのか。これは比喩でも誇張でもないのですが、粗末な住まいが肩を寄せ合うように建ち並び、軒を差し交わした家々のその上に大きな黒い天蓋が覆い被さっている、そんな感じの暗さが集落を支配していました。その路地に陽の光が射し込んでいるのを見たことは、ただの一度もなかったように思います。

 頻繁に立ち入ることこそありませんでしたが、その集落に足を踏み入れることはしばしばありました。しかし、どこにどんな家があったのか、路地がどのようにつづいていたのか、私にはまるで思い出すことができません。とにかくそこは薄暗い迷路のような場所で、いつもひっそりと静かなところだったと記憶しているのですが、実際にはそんなことはなかったのでしょう。日々の生活に伴う雑多な音が聞こえ、喜怒哀楽に彩られた人の声がさまざまに発せられていたはずです。

 その集落の家族は、みな日本名を名乗っていました。子供たちはいわゆる在日二世で、私と同じ名張小学校に通い、いうまでもなく町の子と同じ言葉で喋っていました。私と同じ学年にはT、ひとつ上にはKという、どちらも男の子がいました。私よりふたつ年下のNという男の子もいて、この子には兄があったのですが、やや年が離れていたせいでNの兄が私たちといっしょに遊ぶことはありませんでした。三年生か四年生のとき、ほかの土地からこの集落に転居してきた家族がありました。その家の男の子は私がいたクラスに編入されたのですが、金という民族名を名乗っていたその子は、じきにまたどこかへ転校していってしまいました。

 子供のあいだでは、国籍による別け隔てはとくにありませんでした。差別か、逆に友好につながるエピソードを思い出そうとしてみたのですが、いっしょに学校に行ったり近所の神社の境内で遊んだり、記憶にあるのはそんな変哲もないシーンばかりで、それは結局、在日の子であれ日本人の子であれ、同じ町に住む子供として当たり前のつきあいをしていたということにほかならないでしょう。ただし、薄暗い集落の路地を通ることはあっても、そこに建っていた家に入れてもらうことはありませんでしたから、集落の周囲には何かしら見えない境界、暗黙の区切りのようなものがあったのかもしれません。

 彼らの集落は、私の記憶に誤りがなければ「朝鮮長屋」と呼ばれていました。そして私は、「チョーセン」という言葉を口にするとき、何かしら禁忌めいたものに触れる感覚を覚えるのがつねでした。私は子供心に、曖昧で根拠もさだかならぬ差別意識を芽生えさせていたというわけでしょう。そしてそれは、むろん表立ったものではなかったでしょうけれど、大人の世界に確実に存在していた差別の感情が子供の意識に不可避的に影を落としていたということだったのだろうと、いまになって思い返される次第です。


●12月2日(金)

 その在日韓国朝鮮人集落がいつまで存在していたのか、私にはよくわかりません。そこに住んでいたTやKら同世代の子供たちと同じ中学校に通ったという記憶もまた、私には残されていないようです。中学校は小学校よりクラスが多く、学校で顔を合わせる機会が少なかったのはたしかですが、それでも、いくら思い出そうと努めてみても、中学校当時の記憶のなかに彼らの姿は見えてきません。

 私に思い出せたのは、たとえばKは雨の日にレインコートを着ていた、というようなとりとめのないことばかりです。じつは私もレインコートを買い与えられていたのですが、同級生にはレインコートを着て通学するような子供はいませんでしたから、いくら雨が激しくてもそれを着て登校するのは気恥ずかしいことでした。しかしKは、雨の日には必ず黄色いレインコートを一着に及び、意気揚々という感じで通学していましたから、雨の日の朝、路地から町の通りに飛び出てくる子供たちのなかにKのレインコート姿を見つけると、私は何がなし救われたような気分になったものでした。これはむろん、小学校時代の話です。

 同い年だったTとはある年、これもむろん小学校での話ですが、同じクラスになりました。新学年早々、クラス全員の名前と住所、保護者名なんかを書いたガリ版刷りの名簿を学校で渡され、家に帰って父に見せたときのことです。父はTの名前を読みあげて、

 「この子の親はなかなか学問がある」

 といいました。Tの名前は「千万人」といい、「ちまと」と読みます。Tの親に学問があるとどうしてわかるのか、私は父に質問したように記憶しています。父はおそらく、子供にも理解できるように、この子の名前が中国の古いことわざに由来しているからだ、といった程度の説明をしてくれたはずなのですが、それは私の記憶に深くとどまるものではありませんでした。

 話はいきなり、高校時代に飛んでしまいます。当時の高校には漢文という科目がありました。その授業中、Dという先生が、

 「自反而縮雖千万人吾往矣」

 と黒板に書いて、これを読める生徒はいるかと尋ねました。私はその漢文に「千万人」という文字を認め、それがTの名前の由来であることにすぐさま気がついて、Tのことを懐かしく思い出しました。何やら感慨めいたものが表情に出ていたのでしょう、教室内を見回していたD先生は私の顔に目を止め、私を指名してくれたのですが、残念ながら読みは下りませんでしたから、私には立ちあがって不得要領な返事をするしかありませんでした。


●12月5日(月)

 じつは私には、いまでもときどき、

 ──みずからかえりみてなおくんば、千万人といえどもわれゆかん。

 と孟子が書き残した孔子の言葉を口に出してみることがあって、つまり自身の愚直さを言い訳するような気分でぼんやりうそぶいてみるわけなのですが、そのときには必ず在日韓国朝鮮人集落に住んでいたTを思い出すことになります。

 「千万人」という名前にTの親がどんな意味を込めたのか、私には知るよしもありません。しかし在日韓国朝鮮人という境遇から逆算して、何かしら気概のようなものを託したのかと考えることは可能でしょう。少なくとも高校の漢文の授業で、D先生から「自反而縮雖千万人吾往矣」という言葉の説明を聞いたとき、当時の私にはその集落を思い出すことなど絶えてなくなっていたのですが、かつて同じ町内に住んでいた彼らの境涯が不意に生々しく迫ってきて、それはなまなかな気概では生きがたいものなのではないかと思い返されたものでした。

 私が高校生のころ、名張市は大阪のベッドタウンへの道を歩み始めていました。のちに桔梗が丘と呼ばれることになる広い丘陵が大手デベロッパーの手で造成され、その一郭に近鉄大阪線の桔梗が丘駅が開設されたのは、私が小学校六年生のときのことでした。翌年には桔梗が丘への入居が始まって、名張市の人口は徐々に増えてゆくことになります。桔梗が丘以外にも、市内の丘や山に黒い地肌を見せて宅地開発が進行し、そこにはどこまでも明るく、均質で画一的な街区が形成されてゆきました。いま振り返ると、名張市における在日集落の消滅と新興住宅地の登場は、軌を一にした現象であったように思われます。

 それにしても、彼らはどこへ行ってしまったのか。名張市にあった小さな集落で肩を寄せ合うようにして暮らしたあと、そこを離れた彼ら在日韓国朝鮮人の家族はどこに生活の場を求めたのか。郷里なき祖国である半島に帰ってしまった(行ってしまった、というべきか)のか。それとも、いまもこの国で暮らしているのか。だとすれば、帰化したのか在日のままなのか。私には何もわからず、ただ、Tをはじめとした私と同世代の彼らも、どこに住んでいようと私と同じように馬齢を重ねたことだけはたしかで、もしも日本に住みつづけているのであれば(あるいは、たとえ半島で住んでいるにせよ)、私には想像もできない種類の差別を経験し、辛酸を嘗めてきたのではないかと思ってみることしかできない。そして、記憶のなかの家郷の風景に薄暗くて秘密めいた在日韓国朝鮮人の集落が存在していることを、それ自体が何かしら貴重な体験であったように思い返してみることしかできない。

 したがって私にとっての在日韓国朝鮮人は、まず第一に家郷ないしは子供時代に対するセンチメントとともに存在しており、考えてみればそれもまた何の実体もない存在ではあるのですが、少なくともインターネット上に蔓延しているおよそリアリティを欠いた在日像よりは、はるかに人間としての血や肉を伴ったものであるはずです。

 かつて名張市内に彼らの集落があり、私と同世代の子供も含めた老若男女がそこで日々の暮らしを営んでいた。そして彼らの集落を含んだ名張のまちでは、むろん目配せめいた差別感情はつねに伏流し、両者のあいだにさまざまな権利の差は歴然とあったにせよ、在日韓国朝鮮人と日本人の双方を構成要素として地域社会が営まれていたという歴史的事実は、2ちゃんねるの無責任な放言に付和雷同して名張市の住民投票条例に反対している市民のためにも記しておくべきかと考え、雑用が立て込んでおとといきのうと二日もお休みしてしまったのですが、とにかく記憶にあるいささかをとりとめもなく書き綴ってみた次第です。


●12月6日(火)

 寒くなったな、と思っているうちに師走も6日。きのうの当地はずいぶん荒れ模様のお天気で、しかし考えてみれば今年一年はずっと荒れ模様だったなと思わず総括してしまいそうになりましたが、読者諸兄姉はどんな一年をお過ごしだったでしょう。

 名張市では先月30日に12月定例会が開会し、2ちゃんねるでもごくちょっとだけ話題になった常設型住民投票条例に関する議案「名張市住民投票条例の制定について」も上程されました。最終日の12月20日に採決される見通しになっております。ネットナショナリストに煽られて条例設置に反対していらっしゃる莫迦な市民のみなさんは、勇気を奮い起こして名張市役所二階の議場に足を運び、堂々の抗議行動をくりひろげられてはいかがなものか。

 みたいな話題はこれまでといたしますが、従前の話題に戻ってみますと、名張まちなか再生委員会はいったい何をしておるのか。何の音沙汰ももたらされぬではないか。もう解散してしまったのかな。それならそれでひとこと挨拶があってもよさそうなものであるが。うーん。また市役所の事務局を覗いてみるか。あ。エジプトだのニューヨークだのの件で生活環境部にも行かなければならんし。あ。それから教育委員会にも用事があったっけ。今月2日に訪ねる予定であったところ、定例会開会中だからと延期されたのであるが、いま名張市のオフィシャルサイトで議会日程を確認したところ、12月2日は休会となっておった。それなら延期の必要などなかったのではないかと思われるのであるが、どうなっておるのか。おっかしいなあ。

 さて、NHK教育テレビでは本日、例の「私のこだわり人物伝」がスタートいたします。乱歩ファンのみなさんはどうぞお見逃しなく。


●12月7日(水)

 それにしてもいろんなことがあります。

 拙宅の飼い犬の様子がここ数日微妙に変だったので、きのう大騒ぎして獣医さんに連れてゆきました。うちの犬は癌に罹患していますから、もしかしたらそれがいよいよ、と不安を覚えながら見立てを乞うたところ、癌はそれほど進行していない。

 だとすれば?

 ──加齢に伴う痴呆の症状が出ている可能性があります。年齢的にはもう、いつ症状が出ても不思議ではありません。

 とのことでした。そうか。うちの犬はぼけてきたのか。いやいや、可能性があるというだけの話で実際のところはよくわからないのですが、ぼけてもおかしくない年齢にはなっているということです。痴呆に効果があるというお薬を十日分もらって帰ってきたのですが、いやはや不憫な話である。

 そうかと思うとパソコン。これもやっぱり来ているみたいで、妙な動きをしばしば見せます。きのうなんかインストールしてあったソフトがひとつかき消えるという怪事件が発生し、いっそ新しいのを購入するかとも考えたのですが、いけませんいけません。私はなにしろ自己破産した身ですから手許に蓄えというものがなく、いくら切りつめてもパソコン代を捻出できるかどうか。パソコンどころか無事に年が越せるかどうか、それすら怪しいという事実に気がついてしまいました。

 そうかと思うと名張市。けさの朝日新聞社会面(大阪本社版)のコラム「青鉛筆」に、こんな記事が出ていたので私はすっかり驚いてしまいました。確信犯的に著作権を無視し、敢えて全文を転載いたしましょう。

 ▽推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた「ミステリー文庫」を設置する方針を明らかにした。

 ▽同市は、乱歩に関する街おこし事業が盛ん。08年までに完成させる予定で、市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付けるという。

 ▽「全国の推理小説ファンの集まる場に」と同市。しかし、具体的な運営方法や設置場所は未定だ。行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。

 これはいったい何なんでしょう。こんな発表がいつあったのか。5日は12月定例会の一般質問初日でしたから、名張市側の答弁に「ミステリー文庫」なるものへの言及があったのかもしれません。

 だとすれば?

 海のものとも山のものともつかぬ思いつきをろくな成算もなしに議会で公表するのはいかがなものか。いきなり「ミステリー文庫」などと騒ぎ立ててみても結局は墓穴を掘ることにしかならぬのではないか。実際、このところの乱歩に関する名張市の迷走ぶりには目も当てられぬものがありますから、こうなるとなんだか痴呆の出た犬を眺めているような気がしてこないでもありません。大丈夫か名張市。

 だとすれば?

 お薬お出ししてもらえば?

 いやはや人生には、そして世の中には、じつにいろいろなことがあるものです。


●12月8日(木)

 昨日付朝日新聞に掲載されたコラム「青鉛筆」の件ですが、愛知県にお住まいの方からは、名古屋本社版ではコラムではなく普通の記事として7日付社会面に掲載されていたとのお知らせをいただきました。内容にはやや差があって、

 ──行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。

 といったコラム的筆法はむろん抑えられており、「青鉛筆」よりやや詳しいことも記されているのですが、二日連続で確信犯的に著作権を無視してしまうのは気が引けますので、引用の範囲内で「青鉛筆」にはなかった情報を引いておきます。

世界の推理小説一堂に 乱歩生誕地にミステリー文庫
 ミステリー文庫は、名張市が「乱歩蔵びらきの会」などの協力を得て、本集めや運営方法を考える。

 場所は地元住民と相談して決める。蔵書の規模は集めてみないとわからないという。

 きのうも申しあげましたとおり、これはいまだ海のものとも山のものともつかぬ構想なんですから、何もわざわざ新聞に載せていただくほどのネタではないのですが、こうして記事になってしまうと名張市のミステリー文庫開設は既定の路線であるという印象がひろまってしまうかもしれません。

 しかし私の知見の範囲では、現段階においてはとても既定と呼べるような状況にはありません。この構想を担当しているのは名張まちなか再生委員会のはずなのですが、あんな委員会まだあるのかしら。私はあの委員会の委員長に対して、あんたらが何を決めたってそんなもん無効なんじゃねーの、との質問を提出しているのですけれど、待てど暮らせどお答えを頂戴するに至らず、ですから委員会はもう解散したのかなと案じてもいる次第なのですが、いったいどうなっておるのやら。

 ここで整理しておきましょう。このミステリー文庫構想、火種を提供したのはほかならぬこの私です。本年1月に名張まちなか再生プランの素案がまとまり、名張市はそれを公表して市民のパブリックコメントを募集しました。素案を読んで、わッ、ひどいプラン、と驚いた私は3月15日、名張市の建設部都市計画室を訪れてパブリックコメントを提出しました。その全文は当サイトの「僕のパブリックコメント」でお読みいただけます。

 このパブリックコメントのなかで名張市立図書館ミステリ分室として提案したのが、朝日新聞でとりあげられたミステリー文庫構想のそもそもの火種です。たぶんそのはずです。と申しますか、名張市の官民双方ぐるりとひとわたり見回しても、こんな優秀なプランを提示できるのは私くらいなものでしょう。ですから提案者の私としては、名張市がそうした路線を明確に打ち出してくれたことを喜ばしく思わねばならぬのかもしれないのですが、名張市における官民双方の程度の悪さを知悉している身としては、とても複雑な気分になってしまいます。

 いやー、まいったな。おりしもきょうは開戦記念日。名張まちなか再生委員会からの回答ももう充分にお待ちしたことですから、そろそろこっちから戦端を開いてやるかと思わないでもないのですが、ほんとにまあどうしようかな。いやー、まいった。


●12月9日(金)

 話はころっと変わるのですが、パソコンの不調のせいか常用しているブラウザの調子もよろしくなく、しばらくつかっていなかった別のブラウザを起動してみました。きのうのことです。いろいろといじっているうち、いわゆるお気に入りに入っていたこんなサイトにたまたまアクセスすることになったとお思いください。

 http://www.iga-gappei.jp/

 アドレスから容易に推測されるとおり、伊賀地区市町村合併協議会のオフィシャルサイトです。伊賀地域七市町村のうち名張市を除く六市町村が合併して伊賀市が誕生したのは昨年11月1日のことですから、合併協議会なんてとっくの昔に解散しています。オフィシャルサイトも閉鎖されているはずなのですが、なぜかいまだに開設されていて、とにかくアクセスしてみられよ。

 http://www.iga-gappei.jp/

 出会い系サイトになっております。察しますに、六市町村の合併を見事にまとめた協議会、今度はその手腕を生かして善男善女の仲をとりもとうとかかるサイトに模様替えしたのでもありましょうか。

 さるにても、ホテル直行便だの人妻性体験だの初めての浮気だの知人の奥さんだのセフレ即ハメ!だのというコンテンツをずらずら並べていったい何が嬉しいのか。奥様とセフレだのセフレコレクションだの不倫妻だのセフレ24時だのエッチな人妻だのとこれではまるで伊賀地区男女合体協議会ではないか。何が即ハメ奥さんか。何がホテル直行セフレ INN か。何がセフレ!セフレ!セフレ!か。面倒くさくなったのでコンテンツを列挙するのはここまでとしておきますが、上記の出会い系サイトにはアダルト的な内容が含まれますので、十八歳未満の方がアクセスすることはかたく禁じられているそうです。また、ワンクリック詐欺やフィッシング詐欺などの違法行為は行っていないそうですから、どうぞご安心くださいとのことです。それにしても即ハメ専科とはなあ。気は確かなのか伊賀地区市町村合併協議会。いやまあ、気が確かではないから合併の協議などということが可能であったのであろうが。

 いやいや、よそさまのことはさておいて、名張市のミステリー文庫の話題に戻りましょう。提案者としては黙って座視しているわけにもまいらず、といって何をすればいいのか、じつに悩ましい限りなのですが、とりあえず結論から申しあげますと、名張市立図書館ミステリ分室の開設は望ましいことであり画期的なことであり天国の乱歩にも喜んでもらえることでもあるとは判断される次第なのですが、名張市の官民双方のレベルを考えると実現はかなり難しいのではないか。

 きのうにつづいて整理してみましょう。名張まちなか再生プランには、新町にある細川邸という旧家を歴史資料館として整備するという案が盛り込まれていました。私の名張市立図書館ミステリ分室構想は、この案の代案として提出したものです。歴史資料館構想がいかに愚劣なものであるのかは、これまでにもさんざっぱら記してきましたから省略いたします。ひとことでいえば、おめーらリフォーム詐欺なんかやってんじゃねーぞばーか、ということです。

 わざわざ歴史資料館を整備する必要なんて全然ありません。そもそもそんな施設の必要性が市民から指摘されたことがあるのか。ないない。まったくない。そんなものは細川邸を活用すべしという前提に基づいて無理やり生み出された構想でしかありません。それにいたしましても、どうして名張まちなか再生プランにはそんな前提が存在しているのかな。私にはいまだにそれがわかりません。

 ともあれ、プランの眼目は細川邸の活用策であり、どうやら乱歩のことも利用したいらしいなと判断されましたので、歴史資料館構想の代案をちょこっと考えてみることにして、さまざまな状況を勘案すればほとんど自動的に結論は出てきます。名張市立図書館ミステリ分室という結論です。これですんなり話がまとまるではないか。これ以上の案があるというのならもってこい。ところが名張市は、私のプランを採用してはくれませなんだ。

 名張市のオフィシャルサイトの「パブリックコメント結果 名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン(案)」というページには、私が提出した「僕のパブリックコメント」をはじめとしたコメント七件の概要と市の見解が掲載され、いずれも「素案に盛り込めないが、今後の参考とするもの」として処理されております。つまり名張まちなか再生プランは、結局のところ何の修正も加えられないまま素案どおり決定したわけです。なんか最近こんなことばかりぼやいてる気もいたしますけど。

 それなのにどうしていまごろになって、明らかに私の構想を踏襲したミステリー文庫構想が出てくるのか。いやむろん、ミステリー文庫がどこにできるか、細川邸を活用することになるのかどうか、そのあたりはいっさい未定ではあるのですが、それにしたって私のミステリ分室構想の骨子がいまも生きているということに変わりはないでしょう。

 それならば、名張市役所におけるミステリー文庫の担当セクションは、どうして私を呼びつけて私の意見を聞こうとしないのかな。この構想は、そこらの市職員や市民の手に負えるものではとてもありません。にもかかわらずお呼びがまったくないものですから、黙って座視しているわけにもまいらず、といって何をすればいいのか、構想の提案者としてはじつに悩ましい限りです。


●12月10日(土)

 悩んでばかりもいられず、さりとて名張市役所ミステリー文庫担当セクションからもお呼びがかかりませんので、とりあえず「僕のパブリックコメント」に記した名張市立図書館ミステリ分室構想について補足しておきたいと思います。このパブリックコメントは採用されるに至らず、つまりは死んでしまった提案なのですから、いまさら説明を加えても死児のよわいを数えることにしかならないのですが、これがミステリー文庫構想の骨子であることには間違いがなく、したがってそれを補足しておけば関係各位に何らかの参考としていただけるのではないかと愚考する次第です。

 まず勘違いしないでいただきたいのは、私の構想はご大層なことなどまったく目論んでいないということです。市民生活に密着したささやかな施設を開設するだけの話です。大規模なものや立派なものをつくろうという話ではありません。新しいものをつくろうという話ですらない。細川邸という古い民家に、名張市立図書館の蔵書の一部を移動するというだけの話です。ただし、要は名張のまちを再生しようという話なのですから、それにふさわしい構想ではあるでしょう。それに名張まちなか再生プランは、なにしろ名張のまちなかがいまや瀕死の状態、それゆえできるかぎり早急な実施が望まれているはずですから、その点に照らしてもぴったりだと思われます。

 しかしだいたいにおいて、人はこのあたりで躓くもののようです。ご大層なことを考えてしまいがちです。身の丈をはるかに超えて見栄を張ってしまうもののようです。ですから、たとえば歴史のれの字も知らないような人間が歴史資料館をつくろうなどといいだしてみたり、乱歩にも文学にも無縁な人間が突如として乱歩文学館のことを口にしてみたり、なんとも愚かしい話ではないか。人間、身の程に応じたことを考えていればそれでいいのであって、それ以上のことを望むといずれ破綻するのは目に見えていると私は思います。

 で、名張市立図書館ミステリ分室は、名のとおりミステリ作品を専門に集めた図書館となるのですが、「僕のパブリックコメント」にも記しましたとおり、すでにある寄贈図書を集めてオープンすることになります。名張市立図書館には全国のミステリファンから寄贈された蔵書があって、現在ではそれが地下書庫に死蔵されている状態ですから、それらの書籍をミステリ分室で広く市民の閲覧に供し、そうすることによって全国のミステリファンの厚志に応えたい。それが構想の出発点です。むろんこの構想が天国の乱歩の意に沿うものであろうことは、いまさら指摘するまでもないでしょう。

 つまりミステリ分室と銘打ちはしても、開設の時点では蔵書の体系性などまるで存在しないものと思われます。ただミステリという限定があるだけで(いやいや、ミステリファンから頂戴した早川書房の世界SF全集ワンセットも並べますから、あるいはミステリという限定すら曖昧になってしまうのかな)、手許にあるだけのものをずらっと並べてみましたというスタートになります。したがいまして、先日の朝日新聞名古屋本社版の記事みたいに「世界の推理小説一堂に」と見出しで謳われてしまっては、ちょっと誤解が生じるかもしれません。世界の推理小説(といったって日本語で読めるものに限定されますけど)をあまねく取り揃えてオープンするというわけでは全然なく、むろんそうなる可能性はあるにせよ、それはぶっちゃけ全国のミステリファン次第。名張市立図書館ミステリ分室が取り扱うミステリの外延は全国のミステリファンによって決められる、と申しあげておきましょうか。

 しかし、そんなミステリ分室などというものをつくる必要があるのか、そんな施設を求める市民の声があったのか、とお思いの名張市民もいらっしゃるかもしれません。その点に関しましては、またあした綴ることにしたいと思います。