2006年8月下旬
29日 夏休みの報告です 乱歩の世界体感しよう
30日 年譜編纂者の気がかり 『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』=小谷野敦・著
31日 谷崎の仮面と乱歩の鉄仮面 ▼『伝記谷崎潤一郎』
 ■ 8月29日(火)
夏休みの報告です

 夏休みが予告よりも一日だけ長くなってしまいました。お元気でいらっしゃいましたか。休み明けにもかかわらず、あるいは休み明けであるがゆえに、ていうか休みなんか関係なしに本日も軽い二日酔いなのですが、さっそくまいりましょう。

 休み中のニュースをふり返ってみますと、ローカルなところでは8月27日に行われた名張市議会議員選挙が最大のものだったでしょうか。私にはまるで縁のない話題で、せいぜい従兄弟が落選した、近所の人が当選した、みたいなことしか記すことがないのですが、そういえば掲示板「人外境だより」で名張市民の方から、

 「二十面相をしていた人が選挙にでるそうですが、中さん関係あるのですか」

 とのお尋ねをいただきました新人候補、すなわち名張市民のひとりとしては拝見していて恥ずかしさをおぼえないでもないのですけれど各種催事で怪人二十面相に扮して活躍され、こたびの市議会議員選挙に堂々初出馬された市民の方はめでたく当選ということになりました。いまのところ天罰はくだっていないようです。名張市のためにご尽力いただくことを祈念しておきましょう。

 名張市のオフィシャルサイトから開票結果をどうぞ。

 それにしても、これはいったいどこの選挙か、という気はいたしました。名張市選挙管理委員会が発行した選挙公報、つまり候補者全員の経歴や公約を掲載した印刷物を眺めたときのことです。脳天気なお題目をあれこれ掲げていただくのは結構だけれども、名張市の財政事情に鑑みるならばそんなこといってられる場合かよ、と私は思わざるをえなかったのですが、いやまあこんなこと書いてたってしかたないか。

 昨年8月8日に名張市役所で開催していただいた「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の出欠表と照合してみましょう。この色にしたのは今回の選挙で引退または落選された方です。

名張市議会議員の先生方のための乱歩講座ご出欠一覧
  氏名 期数 会派 党派 出欠
議長 柳生大輔 4期 ききょう会 民主党
副議長 中川敬三 2期 清風クラブ 無所属  
  田合豪 1期 無所属 無所属
吉住美智子 1期 公明党 公明党  
石井政 1期 公明党 公明党
小田俊朗 1期 日本共産党 日本共産党
宮下健 1期 清風クラブ 無所属
永岡禎 2期 ききょう会 無所属
福田博行 2期 清風クラブ 無所属
上村博美 2期 ききょう会 無所属  
藤島幸子 2期 公明党 公明党
松崎勉 2期 ききょう会 無所属  
梶田淑子 2期 ききょう会 無所属  
田郷誠之助 2期 無所属 無所属
樫本勝久 3期 清風クラブ 無所属
橋本隆雄 3期 清風クラブ 無所属
橋本マサ子 4期 日本共産党 日本共産党
和田真由美 4期 日本共産党 日本共産党
山下松一 5期 清風クラブ 無所属
山村博亮 6期 ききょう会 無所属  
敬称は略させていただきましたッ。

 今回選ばれた先生のうち去年の講座で私の話に耳を傾けてくださった方はちょうど十人、定数二十の半分ということになりますから、単純に考えれば新しい市議会議員先生のうち半数が乱歩のことをよくご存じないのではないかと推測されます。うーむ。まーた何かあまりにもあまりなことがあったら議会事務局にお願いして乱歩講座を開いてもらうことにしようかなっと。

 中央に眼を転じましょう。8月22日に改正中心市街地活性化法が施行されたというのが個人的には結構大きなニュースでした。さーっと検索してひっかかってきた埼玉新聞オフィシャルサイトの共同通信配信記事をば。

高まる地方再生の期待 改正市街地活性化法が施行
 空洞化が進む地方都市中心部に共同住宅や商業施設を集める改正中心市街地活性化法が二十二日、施行された。「まちづくり三法」見直しの一環で、三十日には郊外への大型集客施設の出店を規制する改正都市計画法も施行。大規模小売店舗立地法の調整機能と合わせて、街の拡散を抑え、中心部に集約する市街地再生の新たな枠組みがスタートする。

 商店街振興に偏りがちだった改正前への反省から、病院など公共施設の中心部への移転費や共同住宅の建設費も補助するなど、市街地全体のにぎわい回復を狙う。

 改正中心市街地活性化法は、市町村が策定する活性化基本計画のうち、国が成果が見込めると認定したものに対し、重点的に支援をする仕組みが特徴。

埼玉新聞 WEB埼玉 2006/08/23

 「高まる地方再生の期待」ったってあなた、そんなのはいったいどこの地方の話やら。いまさらこんな方針を示されて手放しで喜んでいる地方なんてどこかにあるのか。日本政府とかいうところはころころころころと場当たり的に主張を変えてよくもここまで地方をこけにできたものだと私は思う。地方の反応はどうかというと、中日新聞に三重県津市のことが報じられていました。

【中勢】 活性化ビジョンこれから 津の中心市街地
 空洞化する地方都市の中心部に商業施設や共同住宅を集約し、再生を図ろうと改正された中心市街地活性化法。魅力ある市町村の活性化基本計画には国の支援が得られるが、津市の取り組みはこれから。起爆剤となる大規模な再開発の見込みもなく、さて、どう知恵を絞り出すか…。

 改正法では、国が市町村の活性化基本計画を審査し、意欲的で成果が見込める地域を認定して重点的に支援する仕組みとなった。国の「選択と集中」から切り捨てられないようにと、認定第1号を目指して準備を進める自治体も多い。

 津市は合併後のまちづくりの基本方針を定める総合計画の策定と歩調を合わせ、2007年度末ごろに活性化基本計画も策定したいという。

 市の動きが鈍いのは、活性化の核がないため。すでに01年に津駅前の再開発事業として複合施設のアスト津が完成。さらに津新町駅前のマンション建設に約8億円の補助金を投入し、ことし3月に完成した。市の担当者は「目玉となる事業がなく動きたくても動けない」。計画には具体性が求められ、明確なビジョンが描けないのが実情だ。

 「活性化ビジョン」なんてものがこの期におよんですらすらと出てくるわけがない。わが名張市だってご同様。ていうか、名張市における中心市街地活性化は残念なことにもう終わっておると私は思う。名張まちなか再生プランなどというインチキプランを策定した時点でほぼ終わってしまい、正規のルールにのっとってそのプランに修正を求めた市民の意見を黙殺した時点で決定的に終わってしまい、名張まちなか再生委員会などというインチキ委員会を組織した時点で致命的に終わってしまった。私にはもう何もいうことはない。

 そうかと思うと朝日新聞にはこんな図書館の話題が。

目指すは日本一の「雑誌図書館」 都立多摩図書館
 東京都教育委員会は24日、都立多摩図書館(立川市)の所蔵書籍を雑誌に特化させて「東京マガジンバンク(仮称)」として09年に衣替えする方針を決めた。学術系の専門誌や洋雑誌などを含めて約1万6000誌を集め、雑誌図書館として知られる「大宅壮一文庫」(世田谷区)の約1万誌を上回る所蔵を目指す。公立図書館で、雑誌に特化するのは全国で初めての試みという。

 都立中央図書館(港区)の雑誌を多摩に移し、買い増しも進めて刊行中の約6000誌と、すでに廃刊した約1万誌を集める。09年にはバックナンバーを含めて計124万5000冊をそろえる。

朝日新聞 asahi.com 2006/08/24/20:29

 この記事では雑誌に特化した公立図書館を設立する背景に「明確な特色を打ち出さなければ生き残れない」という東京都の判断も報じられているのですが、都会ではいまや公立図書館さえサバイバルなのか。なんともぎすぎすせちがらい世の中になったものだと思いますが、公立図書館のこうした試みはもっとどんどん進められてしかるべきでしょう。ひるがえって名張市においても、乱歩の生誕地が日本で初めてミステリに特化した図書館をつくるという素晴らしいプランが名張まちなか再生プランの修正案として提案されはしたのですが、名張市役所の人たちには図書館なんて無料貸本屋だという程度の認識しかないのかどうか、ともかくあっさり却下されてしまいました。

 しかし今回の改正中心市街地活性化法に照らしても名張のまちなかに図書館を設置するというのはむしろ望ましいことであり、しかもその図書館がインターネットを利用して全国にサービスを提供するというのですから独自性にもとづいて地域を再生するというプランの王道を行く構想でもあったのですが、いやいやそんなことはどうでもいいか。何いったってしかたないからもう何もいわないと決めたのではないか。名張まちなか再生委員会のご尽力に期待しましょう。期待なんかできんか。ははは。好きにやってろばーか。

  本日のアップデート

 ▼8月

 【伊勢・志摩】 乱歩の世界体感しよう 鳥羽みなとまち文学館に「幻影城」オープン 奥野賢二

 中日新聞オフィシャルサイトの8月22日付記事です。

【伊勢・志摩】 乱歩の世界体感しよう 鳥羽みなとまち文学館に「幻影城」オープン
 展示物の目玉は、本をかたどった幅1・35メートル、高さ1・5メートルの展示ケース。「屋根裏の散歩者」(1925年)「人でなしの恋」(26年)「虫」(29年)の3作品のワンシーンを小説の一部とフィギュアや和紙細工で視覚的に再現。「現実逃避の場として最適であるだけでなく、乱歩の世界を体感できるオブジェ」(岩田館長)に仕上がった。

 また、乱歩と親交が深かった準一さんの貴重な資料も紹介。準一さんあての乱歩の手紙や電報、乱歩関連のスクラップブックも公開されており、当時の乱歩の生活の一部を垣間見ることもできる。

 小説の閲覧コーナーでは約130冊の「乱歩本」を展示。中でもレトロ調のイラストが表紙となった初刊本が20冊もそろえてあり、年配の来館者が昔を懐かしむこともできる。

 「鳥羽みなとまち文学館」は、2002年8月にオープン。04年4月には、乱歩が撮影した映像や愛用品を展示した「乱歩館・鳥羽文学ギャラリー」も整備し、数多くの文学の舞台となった鳥羽の観光スポットとして定着してきた。

 名張まちなか再生委員会のみなさんはこんなことがしたいのかな。こんなふうにハコモノつくってりゃ機嫌がいいのかな。しかし実際のところ、私がこの夏休み期間中に聞き及んだところだけでも名張まちなか再生プランの評判はお世辞にもいいとはいえなかったぞ。細川邸だけにしゃかりきになってるのは愚の骨頂、いまさらハコモノつくってどうするの、プランにかんして何の話も伝えられてこないじゃん、あっかさよーあのよなもん、みたいな声が名張まちなかの住民ならびに商店主の方の口からぽんぽん飛び出してきました。なかにゃ名張市の市議会議員なんて二十人から十人に減らしてしまえばいいのだ、それでも何の支障もあるまいに、とおっしゃる住民の方もあり、お説まことにごもっともと答えるしかなかったのですが、これはまあ余談である。


 ■ 8月30日(水)
年譜編纂者の気がかり

 この夏休みのあいだに、以前からそこはかとなく予告しておりました天城一さんの『宿命は待つことができる』が出版されました。「天城一傑作集」の第三巻、編集は日下三蔵さん、版元は日本評論社。まだ書き下ろしの最新短篇という「失われた秘策」に眼を通しただけなのですが(これは天城さんらしい諧謔精神に充ちた太平洋戦争論と読める一作です)、とりいそぎお知らせしておきます。詳細は日本評論社オフィシャルサイトでどうぞ。

 といったあたりで夏休み中の話題はおしまいにして次に進みます。

  本日のアップデート

 ▼8月

 『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』=小谷野敦・著 張競

 夏休み前に話題にした小谷野敦さんの『谷崎潤一郎伝』の書評です。毎日新聞オフィシャルサイトに掲載されました。

今週の本棚:張競・評 『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』=小谷野敦・著
 江戸川乱歩との関係を明らかにしたのも大きな収穫だ。谷崎より八歳年下の乱歩は、谷崎の作品を愛読したが、大正期の谷崎作品のうち、まるで乱歩の下手な模倣のように見えるものがある。谷崎も推理小説を書こうとしたが、江戸川乱歩の小説を読んであきらめた。その結果、谷崎がかえってオリジナルな世界を確立することができた。乱歩があっての谷崎だ。乱歩という補助線がなければ、そのことが見えてこないであろう。

 ほかのところはよいけれど、このくだりには問題なしといたしません。いたしませんぞ私は。なんか水戸黄門みたいになってしまいましたけど、ここまで断定的な紹介はいかがなものかと私はいいたい。

 夏休み前に縷々述べましたそのとおり、小谷野さんの『谷崎潤一郎伝』に記されている乱歩との関係はあくまでも推測臆断の域を出るものではありません。ひとつの仮説にすぎません。これは谷崎が乱歩にかんしてあいつにゃ勝てんとわしゃ思うたなどと記した文章が発見されでもしないかぎり、永遠に証明不能な仮説でしょう。

 谷崎が乱歩の「日本の誇り得る探偵小説」を読んでいたらしいことは谷崎の随筆「春寒」から結論づけることができます。ただしそれ以外の乱歩作品を読んでいたことは確認できません。谷崎が『心理試験』を読んでいなかったとは考えにくいし、「春寒」に書きつけられた探偵小説論が「陰獣」批判であると読むことさえ不可能ではないのだけれど、それはどこまで行ったって仮説でしかないわけ。その仮説に立てば谷崎と乱歩との関係性がまったく新しくてしかも魅力的な相貌を帯びて立ち現れてくるのだとしても、仮説はどこまでも仮説なわけ。

 それをあなた、「江戸川乱歩との関係を明らかにした」なんて断定してしまってはいかんじゃろうがと私は思う。ましてや「谷崎も推理小説を書こうとしたが、江戸川乱歩の小説を読んであきらめた。その結果、谷崎がかえってオリジナルな世界を確立することができた。乱歩があっての谷崎だ」なんてことがはたして『谷崎潤一郎伝』に書かれてあったのかな。書かれてはおらなんだと私は思う。こうした飛躍短絡は慎むべきだと私は思う。思いますぞ私は。

 ついでですからもう少しつづけることにして、この張競さんの『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』評にはこんな一節もあります。

 伝記について、東洋と西洋では考え方がだいぶ違う。『史記』に見られるように、東洋では人物伝が歴史を叙述する権威的な様式であった。天文地理でさえその様式に則(のっと)って書かれていた。それに対し、西洋では発想がまったく違っていた。アーノルド・モミリアーノによると、ヘレニズム以来の伝統により西洋では伝記が歴史と区別されていた。十六世紀あたりから、伝記がようやく一種の歴史と見られるようになった。だが、十九世紀になると、この問題をめぐって再び紛糾した。近代日本では論争にならなかったが、伝記作家という言葉からもうかがえるように、伝記は無意識のうちに歴史的叙述と区別されている。

 伝記は様式として先天的に小説と親和性を持っている。生き生きとした人間像の描写に重点を置くのか、それとも事実の客観性のみを優先させるのか。それによって、構成も文体も違ってくる。

 本書は作家谷崎の一生の描出を目指しているが、そのわりには、細かいデータにこだわり過ぎた感がある。正確さを期するあまり、瑣末(さまつ)な叙述が多くなり、ところどころ年表のような文体になっている。伝記の楽しみは何といってもその物語性にある。著者の文章力ならば、本来もっと面白く書けたはずだ。読み物として期待しているだけに、やや物足りないような気がした。

 これは『江戸川乱歩年譜集成』においてもすこぶる悩ましい問題であって、小谷野敦さんの『谷崎潤一郎伝』を読みはじめるときもそれが私の気がかりでした。つまりこの本、ある方からメールでお教えいただいて本屋さんに取り寄せてもらったのですが、届いた本を前にして私はちょっとした危惧を抱いた。この谷崎伝から影響を受けて、上掲の引用に即していえば「事実の客観性のみを優先」をさせるべき『江戸川乱歩年譜集成』に「生き生きとした人間像の描写」や「物語性」、はたまた「読み物」としての「面白さ」なんてものを侵入させてしまう結果になったらどうしよう。端的にいうなら年譜が評伝になってしまったらどうしよう。私にはそれが気がかりでした。

 で、『谷崎潤一郎伝』を読んでみた結果はどうであったか。これが微妙。結論にはいまだ至っていないのですが、やはり評伝ふうの記述も入れなければならんのではないかと、これは小谷野さんの谷崎伝を読む前から感じていたことなのですが、その感をより強くしました。上掲の引用にある『谷崎潤一郎伝』批判、すなわち細かいデータにこだわり過ぎ、正確さを期するあまり瑣末な叙述が多く、ところどころ年表のような文体になっている、といったあたりは年譜と評伝とのあいだで記述がぶれていることを指摘するものでしょうが(『谷崎潤一郎伝』の記述についていえば、なんだか書き急いでいる感じがするなというのが私の印象でしたが)、これとはまったく逆にところどころあえて評伝のような文体を採用してゆかなければならんのではないか。『江戸川乱歩年譜集成』編纂者たる私はそのように考えるものです。現時点では。

 さるにても、張競さんの書評にも「どうやら艶聞(えんぶん)の精査が無用なものではなかったようだ」という一文がありましたけど、『谷崎潤一郎伝』を読み終えて私がまず思ったのは、いやー、おれは乱歩でよかった、という一事でした。そんなもういやだぞおれは、ひとりの作家の生涯をまとめるにあたって何年何月何日にこいつはどこの女とどこでまぐわいおったみたいなことを丹念に調べてゆくなんておれはとてもいやなのだが、その点おれは乱歩でよかった。ほんとによかった。つくづくよかった助かった。私は心底そのように思いました。乱歩の女性関係を穿鑿するなどという野暮な作業は必要ないのですから、これは神様に感謝を捧げなければならぬのかもしれません。


 ■ 8月31日(木)
谷崎の仮面と乱歩の鉄仮面

 本日は夏休みのあいだに届いた古書の話題で一席。

  本日のアップデート

 ▼5月

 『伝記谷崎潤一郎』 野村尚吾

 小谷野敦さんの『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』で紹介されていた評伝です。

 これは読んでおかなければならんなと思い、例によって古本検索サイト「日本の古本屋」で探してみましたところずらずら並んでおりましたので、適当に見つくろって一冊お買いあげ。気になるお値段は二千円ほどでした。

 乱歩が出てくるあたりを引きます。

 なお前に、潤一郎の大正七年の鵠沼在住期の所で、探偵小説ふうな犯罪ものが、数多く書かれるようになったのは注目すべきだと指摘したが、平野謙は『途上』について、次のように言っている。

 「江戸川乱歩が谷崎潤一郎から学んだのは、まず第一にその文体だろうと思う。ひとつの架空的世界を築きあげるその綿々たる文体を、まず学んだにちがいない。」といい、さらに、

 「しかし、推理小説的にいえば、大正八年十二月に書かれた『途上』のようなプロバビリティの犯罪を、江戸川乱歩なりによく消化して、秀作『赤い部屋』を書いたことのうちに、その端的な文学的影響をうかがうことができる。おそらく『赤い部屋』は『途上』ぬきには成立しなかったにちがいない。『途上』のような独創的なプロバビリティの犯罪小説は、世界推理小説史上でも谷崎をもって嚆矢とするらしい。」

 と、その独創性を高く評価している。ここで指示しているように、江戸川乱歩はまず潤一郎の文体を学んだのは事実であろうが、さらにもう一つ、犯罪をおこすにいたる「心情」なり、「心理」をかもしだす雰囲気を、推理小説の基盤に持ちこむようになったのも、『途上』の感化によるものだった。平野謙はそれを「プロバビリティの犯罪を」乱歩なりに消化したと言っているようである。

 余談になるが、のちに江戸川乱歩は、大きな影響をうけた谷崎潤一郎に面会をもとめたところ、当時すでに『盲目物語』や『蘆刈』や『春琴抄』を書いていた潤一郎は、過去の作品にふれる話をするのは嫌だからと、断わってしまったという。ひどい客ぎらいな性格にもよるが、一時期に書いた遺物の推理小説について後になって話すのが、あまり愉快でなかったからでもあるらしい。

 まあだいたいがこんなところでしょう。この本が出た1972年当時はもちろん、現在ただいまでさえ乱歩は谷崎の一部の作品の追随者であった、模倣者であったというのが一般的な認識ではないかと思われます(一般的な認識、ってのはまたずいぶんと曖昧な表現ですけど)。

 さらにつづけますと、ですからそれゆえに小谷野さんの谷崎伝における乱歩との関係性の指摘は異彩を放っており、それは昭和期のインテリならコペルニクス的転換と呼んだであろう認識の劇的な変化をもたらす仮説ではあるのですが、しかしやっぱり仮説にすぎない。その仮説をとりあげて、

 「江戸川乱歩との関係を明らかにした」

 だの、

 「谷崎も推理小説を書こうとしたが、江戸川乱歩の小説を読んであきらめた。その結果、谷崎がかえってオリジナルな世界を確立することができた。乱歩があっての谷崎だ」

 だのというところまで大風呂敷をひろげてはまずかろうと私はしつこく思いますし、だいたい谷崎が探偵小説を書こうとしたというのはほんとか。ほんとなのか。そんなことはなかろうと私は考える。『伝記谷崎潤一郎』の著者が「一時期に書いた遺物の推理小説」と書き、『谷崎潤一郎伝』の評者が「谷崎も推理小説を書こうとした」と記しているのは、私にはいささか不用意にすぎる指摘であると見えます。

 谷崎の「春寒」を一読するならば、それが本意であったかどうかは別にして、谷崎には探偵小説を書くつもりなんかなかったという表明を見ることができます。探偵小説的な結構は「仮面」なのであると、谷崎はそのように述べております。何かしら切実なテーマを表現するために谷崎が一時期頻繁に採用したのが探偵小説という形式であって、たとえば「途上」について谷崎は、

 ──「途上」はもちろん探偵小説臭くもあり、論理的遊戯分子もあるが、それはあの作品の仮面であつて、自分で自分の不仕合はせを知らずにゐる好人物の細君の運命──見てゐる者だけがハラハラするやうな、──それを夫と探偵の会話を通して間接に描き出すのが主眼であつた。

 と打ち明けております。もう少し踏みこんで考えるならば、谷崎は探偵小説という形式を利用して妻殺しというオブセッションを開放しようとしたのであろうと私には見えるのですがそんな仮説はともかくとして、谷崎がほんとに探偵小説を書こうとしたのかどうか、これは軽々に断ずることのできぬ問題であると私は思います。

 ひるがえって乱歩の場合はといいますと、乱歩には探偵小説という形式しかなかった。それしかなかった。その形式に拠らなければ小説なんて乱歩には一行も書けなかったのではないか。むろんそれも仮面であったといえばいえるのでしょうけど、だとしても乱歩にとって探偵小説は鉄仮面や肉付きの面のごとく生涯はずすことのできない仮面であったと見るべきでしょう。その形式に内容を与えるためのモチーフを模索するうちに、つまりは闇に蠢くってやつですか、人の心の底にうごめいている官能を探りあてることを小説作法とするにいたったのが乱歩という作家であったのではないか。

 谷崎がオブセッションから出発して探偵小説という形式を意図的に利用したのとは正反対に、乱歩は探偵小説という形式から出発して自身のオブセッションににじり寄っていったのではないかと私は考えているのですが、考えるったっていまこうして書きつづりながら考えただけのことなんですからなんだかなあ。