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2006年8月下旬
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夏休みが予告よりも一日だけ長くなってしまいました。お元気でいらっしゃいましたか。休み明けにもかかわらず、あるいは休み明けであるがゆえに、ていうか休みなんか関係なしに本日も軽い二日酔いなのですが、さっそくまいりましょう。 休み中のニュースをふり返ってみますと、ローカルなところでは8月27日に行われた名張市議会議員選挙が最大のものだったでしょうか。私にはまるで縁のない話題で、せいぜい従兄弟が落選した、近所の人が当選した、みたいなことしか記すことがないのですが、そういえば掲示板「人外境だより」で名張市民の方から、 「二十面相をしていた人が選挙にでるそうですが、中さん関係あるのですか」 とのお尋ねをいただきました新人候補、すなわち名張市民のひとりとしては拝見していて恥ずかしさをおぼえないでもないのですけれど各種催事で怪人二十面相に扮して活躍され、こたびの市議会議員選挙に堂々初出馬された市民の方はめでたく当選ということになりました。いまのところ天罰はくだっていないようです。名張市のためにご尽力いただくことを祈念しておきましょう。 名張市のオフィシャルサイトから開票結果をどうぞ。 それにしても、これはいったいどこの選挙か、という気はいたしました。名張市選挙管理委員会が発行した選挙公報、つまり候補者全員の経歴や公約を掲載した印刷物を眺めたときのことです。脳天気なお題目をあれこれ掲げていただくのは結構だけれども、名張市の財政事情に鑑みるならばそんなこといってられる場合かよ、と私は思わざるをえなかったのですが、いやまあこんなこと書いてたってしかたないか。 昨年8月8日に名張市役所で開催していただいた「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」の出欠表と照合してみましょう。この色にしたのは今回の選挙で引退または落選された方です。
今回選ばれた先生のうち去年の講座で私の話に耳を傾けてくださった方はちょうど十人、定数二十の半分ということになりますから、単純に考えれば新しい市議会議員先生のうち半数が乱歩のことをよくご存じないのではないかと推測されます。うーむ。まーた何かあまりにもあまりなことがあったら議会事務局にお願いして乱歩講座を開いてもらうことにしようかなっと。 中央に眼を転じましょう。8月22日に改正中心市街地活性化法が施行されたというのが個人的には結構大きなニュースでした。さーっと検索してひっかかってきた埼玉新聞オフィシャルサイトの共同通信配信記事をば。
「高まる地方再生の期待」ったってあなた、そんなのはいったいどこの地方の話やら。いまさらこんな方針を示されて手放しで喜んでいる地方なんてどこかにあるのか。日本政府とかいうところはころころころころと場当たり的に主張を変えてよくもここまで地方をこけにできたものだと私は思う。地方の反応はどうかというと、中日新聞に三重県津市のことが報じられていました。
「活性化ビジョン」なんてものがこの期におよんですらすらと出てくるわけがない。わが名張市だってご同様。ていうか、名張市における中心市街地活性化は残念なことにもう終わっておると私は思う。名張まちなか再生プランなどというインチキプランを策定した時点でほぼ終わってしまい、正規のルールにのっとってそのプランに修正を求めた市民の意見を黙殺した時点で決定的に終わってしまい、名張まちなか再生委員会などというインチキ委員会を組織した時点で致命的に終わってしまった。私にはもう何もいうことはない。 そうかと思うと朝日新聞にはこんな図書館の話題が。
この記事では雑誌に特化した公立図書館を設立する背景に「明確な特色を打ち出さなければ生き残れない」という東京都の判断も報じられているのですが、都会ではいまや公立図書館さえサバイバルなのか。なんともぎすぎすせちがらい世の中になったものだと思いますが、公立図書館のこうした試みはもっとどんどん進められてしかるべきでしょう。ひるがえって名張市においても、乱歩の生誕地が日本で初めてミステリに特化した図書館をつくるという素晴らしいプランが名張まちなか再生プランの修正案として提案されはしたのですが、名張市役所の人たちには図書館なんて無料貸本屋だという程度の認識しかないのかどうか、ともかくあっさり却下されてしまいました。 しかし今回の改正中心市街地活性化法に照らしても名張のまちなかに図書館を設置するというのはむしろ望ましいことであり、しかもその図書館がインターネットを利用して全国にサービスを提供するというのですから独自性にもとづいて地域を再生するというプランの王道を行く構想でもあったのですが、いやいやそんなことはどうでもいいか。何いったってしかたないからもう何もいわないと決めたのではないか。名張まちなか再生委員会のご尽力に期待しましょう。期待なんかできんか。ははは。好きにやってろばーか。
名張まちなか再生委員会のみなさんはこんなことがしたいのかな。こんなふうにハコモノつくってりゃ機嫌がいいのかな。しかし実際のところ、私がこの夏休み期間中に聞き及んだところだけでも名張まちなか再生プランの評判はお世辞にもいいとはいえなかったぞ。細川邸だけにしゃかりきになってるのは愚の骨頂、いまさらハコモノつくってどうするの、プランにかんして何の話も伝えられてこないじゃん、あっかさよーあのよなもん、みたいな声が名張まちなかの住民ならびに商店主の方の口からぽんぽん飛び出してきました。なかにゃ名張市の市議会議員なんて二十人から十人に減らしてしまえばいいのだ、それでも何の支障もあるまいに、とおっしゃる住民の方もあり、お説まことにごもっともと答えるしかなかったのですが、これはまあ余談である。 |
この夏休みのあいだに、以前からそこはかとなく予告しておりました天城一さんの『宿命は待つことができる』が出版されました。「天城一傑作集」の第三巻、編集は日下三蔵さん、版元は日本評論社。まだ書き下ろしの最新短篇という「失われた秘策」に眼を通しただけなのですが(これは天城さんらしい諧謔精神に充ちた太平洋戦争論と読める一作です)、とりいそぎお知らせしておきます。詳細は日本評論社オフィシャルサイトでどうぞ。 といったあたりで夏休み中の話題はおしまいにして次に進みます。
ついでですからもう少しつづけることにして、この張競さんの『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』評にはこんな一節もあります。
これは『江戸川乱歩年譜集成』においてもすこぶる悩ましい問題であって、小谷野敦さんの『谷崎潤一郎伝』を読みはじめるときもそれが私の気がかりでした。つまりこの本、ある方からメールでお教えいただいて本屋さんに取り寄せてもらったのですが、届いた本を前にして私はちょっとした危惧を抱いた。この谷崎伝から影響を受けて、上掲の引用に即していえば「事実の客観性のみを優先」をさせるべき『江戸川乱歩年譜集成』に「生き生きとした人間像の描写」や「物語性」、はたまた「読み物」としての「面白さ」なんてものを侵入させてしまう結果になったらどうしよう。端的にいうなら年譜が評伝になってしまったらどうしよう。私にはそれが気がかりでした。 で、『谷崎潤一郎伝』を読んでみた結果はどうであったか。これが微妙。結論にはいまだ至っていないのですが、やはり評伝ふうの記述も入れなければならんのではないかと、これは小谷野さんの谷崎伝を読む前から感じていたことなのですが、その感をより強くしました。上掲の引用にある『谷崎潤一郎伝』批判、すなわち細かいデータにこだわり過ぎ、正確さを期するあまり瑣末な叙述が多く、ところどころ年表のような文体になっている、といったあたりは年譜と評伝とのあいだで記述がぶれていることを指摘するものでしょうが(『谷崎潤一郎伝』の記述についていえば、なんだか書き急いでいる感じがするなというのが私の印象でしたが)、これとはまったく逆にところどころあえて評伝のような文体を採用してゆかなければならんのではないか。『江戸川乱歩年譜集成』編纂者たる私はそのように考えるものです。現時点では。 さるにても、張競さんの書評にも「どうやら艶聞(えんぶん)の精査が無用なものではなかったようだ」という一文がありましたけど、『谷崎潤一郎伝』を読み終えて私がまず思ったのは、いやー、おれは乱歩でよかった、という一事でした。そんなもういやだぞおれは、ひとりの作家の生涯をまとめるにあたって何年何月何日にこいつはどこの女とどこでまぐわいおったみたいなことを丹念に調べてゆくなんておれはとてもいやなのだが、その点おれは乱歩でよかった。ほんとによかった。つくづくよかった助かった。私は心底そのように思いました。乱歩の女性関係を穿鑿するなどという野暮な作業は必要ないのですから、これは神様に感謝を捧げなければならぬのかもしれません。 |
本日は夏休みのあいだに届いた古書の話題で一席。
さらにつづけますと、ですからそれゆえに小谷野さんの谷崎伝における乱歩との関係性の指摘は異彩を放っており、それは昭和期のインテリならコペルニクス的転換と呼んだであろう認識の劇的な変化をもたらす仮説ではあるのですが、しかしやっぱり仮説にすぎない。その仮説をとりあげて、 「江戸川乱歩との関係を明らかにした」 だの、 「谷崎も推理小説を書こうとしたが、江戸川乱歩の小説を読んであきらめた。その結果、谷崎がかえってオリジナルな世界を確立することができた。乱歩があっての谷崎だ」 だのというところまで大風呂敷をひろげてはまずかろうと私はしつこく思いますし、だいたい谷崎が探偵小説を書こうとしたというのはほんとか。ほんとなのか。そんなことはなかろうと私は考える。『伝記谷崎潤一郎』の著者が「一時期に書いた遺物の推理小説」と書き、『谷崎潤一郎伝』の評者が「谷崎も推理小説を書こうとした」と記しているのは、私にはいささか不用意にすぎる指摘であると見えます。 谷崎の「春寒」を一読するならば、それが本意であったかどうかは別にして、谷崎には探偵小説を書くつもりなんかなかったという表明を見ることができます。探偵小説的な結構は「仮面」なのであると、谷崎はそのように述べております。何かしら切実なテーマを表現するために谷崎が一時期頻繁に採用したのが探偵小説という形式であって、たとえば「途上」について谷崎は、 ──「途上」はもちろん探偵小説臭くもあり、論理的遊戯分子もあるが、それはあの作品の仮面であつて、自分で自分の不仕合はせを知らずにゐる好人物の細君の運命──見てゐる者だけがハラハラするやうな、──それを夫と探偵の会話を通して間接に描き出すのが主眼であつた。 と打ち明けております。もう少し踏みこんで考えるならば、谷崎は探偵小説という形式を利用して妻殺しというオブセッションを開放しようとしたのであろうと私には見えるのですがそんな仮説はともかくとして、谷崎がほんとに探偵小説を書こうとしたのかどうか、これは軽々に断ずることのできぬ問題であると私は思います。 ひるがえって乱歩の場合はといいますと、乱歩には探偵小説という形式しかなかった。それしかなかった。その形式に拠らなければ小説なんて乱歩には一行も書けなかったのではないか。むろんそれも仮面であったといえばいえるのでしょうけど、だとしても乱歩にとって探偵小説は鉄仮面や肉付きの面のごとく生涯はずすことのできない仮面であったと見るべきでしょう。その形式に内容を与えるためのモチーフを模索するうちに、つまりは闇に蠢くってやつですか、人の心の底にうごめいている官能を探りあてることを小説作法とするにいたったのが乱歩という作家であったのではないか。 谷崎がオブセッションから出発して探偵小説という形式を意図的に利用したのとは正反対に、乱歩は探偵小説という形式から出発して自身のオブセッションににじり寄っていったのではないかと私は考えているのですが、考えるったっていまこうして書きつづりながら考えただけのことなんですからなんだかなあ。 |