2007年3月中旬
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それでもってほんとに正史はどうしてこんなことを、という話題なのですが、「陰獣」の最初のタイトルであった「恐ろしき復讐」は正史も認めているように「詰まらない」「非常に平凡な」ものであって、にもかかわらず正史はこれをわざわざ「呪いの塔」に登場する人気探偵作家、大江黒潮の作品名として使用しています。大江黒潮がそんなベタなタイトルしか思いつけない作家であっていいのかどうか、読者の頭のなかで黒潮の才能に疑問符がついてしまうのではないか、という心配なんかしたのかしなかったのか、とにかく昭和7年の時点でなら乱歩もいまだ記憶していたであろう「陰獣」の原題を、正史は「呪いの塔」に象嵌していたわけです。 これはもう乱歩に対する厭がらせ以外のなにものでもないのではないか。厭がらせといえばそもそも作中に乱歩をモデルとした、あるいは「陰獣」の大江春泥を想起せしめる探偵作家を登場させたこと自体、乱歩にとっておそらくは不快なことであったのではないか。 このあたり、石上三登志さんの指摘を見ておきます。
乱歩は怒っただろうと私も思います。作品に塗り込められた自身への悪意を感じたのではないか。ただし正史の内面にあったのが単純に「乱歩憎悪」と呼ぶべきものであったかどうか。正史には乱歩に対する烈々たる敵愾心に火をつけることで創作意欲やモチベーションを維持しかきたてるようなところがあったと見受けられますから、憎悪というのとは少しちがって、そして厭がらせといってしまってはなんだか子供じみているというのであれば、「呪いの塔」という作品は横溝正史が作家専業となるにあたって乱歩につきつけた挑戦状のようなものなのではなかったか。たとえば大江黒潮が作中で殺害されてしまうといった過激であからさまな設定と筋立てによって、乱歩への複雑なアンビヴァレンツをあえて表明する。そのことで専業作家たらんとする自身を鼓舞する。正史にはそうした意図が、なかば無意識的なものとしてあったのではないかと考えられないでもありません。 |
いかんいかん。身辺があわただしくてサイトの更新が一日おきになってしまいました。 どんな話題をつづっていたのかというと、そうであった横溝正史であった。横溝正史は昭和7年、「呪いの塔」という長篇を書きおろしで発表したのですが、それを読んだ乱歩はきっと怒ったにちがいないと推測されるような内容で、どうしてまた正史はこんな小説を書いてしまったのか。編集者稼業から足を洗い、専業作家として立つにあたって、あえて乱歩に挑戦状を送りつける、みたいな不逞不遜な気構えを示したのではないか。そんなぐあいに想像してみたわけです私は。 ところで私は「呪いの塔」をまさに読み進めつつあったとき、2月10日付伝言に、 ──たぶん乱歩はこの作品に一度も言及していないはずで、 と記しましたが、これは誤り。読み終えてから調べてみたところ、『探偵小説四十年』で言及されていました。新潮社の新作探偵小説全集は結果としてたいした成果をあげることができなかった、と回想して──
言及しているといっても、全集のなかでは二番手ないしは三番手といった扱い、しかも「悪い出来ではなかった」という漠然とした評言しか記されていません。じつに素っ気ないものです。 私も素っ気なくてまたあした。
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本日はまずお知らせ。 池袋できのう14日、「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」がスタートしました。毎日新聞の記事をどうぞ。
旧乱歩邸も公開されます。詳細は立教大学オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。 ついでにお知らせしておきますと、池袋の新文芸坐では3月17日土曜日の夜、実相寺昭雄監督追悼オールナイトの第二夜「怪奇とエロスの世界」が催され、四作品が上映されます。乱歩原作の映画では「屋根裏の散歩者」と「D坂の殺人事件」が登場。詳細は新文芸坐オフィシャルサイトでどうぞ。ただしこのサイト、さっきからいくらアクセスしてもいっこうに反応がありません。ま、そのうちなんとかなるでしょう。 おまけでもうひとつ。4月12日発売の「ビッグコミックオリジナル」5月増刊号に伊藤潤二さんの「人間椅子」が掲載されます。詳細は同誌オフィシャルサイトのこのページ(JPG 画像)でどうぞ。この情報はついさっき、2ちゃんねるミステリー板の「【大暗室】 江戸川乱歩 第十夜」で教えられたものです。当該投稿者の方にお礼を申しあげつつ次の話題へ。 とまいりたいところなのですが、またあしたといたします。 とまいりたいところなのですが、諸般の事情によりあしたとあさっては更新をお休みして、18日の日曜日にまたお目にかかることにいたします。なんか寒い日がつづきますけど、みなさんどうぞお元気で。
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予定していたよりも長くずるずると更新をサボってしまいました。3月ももう20日。わが名張市では3月定例会がきょう最終日を迎えることになっており、そういえば、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件もそろそろ本気になって名張市教育委員会の出来のおよろしくない教育次長をなんとかしてさしあげねばならぬところなのですが、そのいっぽうで手許の資料整理が地獄の様相。途中で方針を変更したりしたから余計に手間取っている。それはそれとしてこのところ寒い日がつづき、私はなんだか風邪気味なのかもしれん。早く暖かくならんものか。 さてそれで私はどんな話題をつづっていたのか。乱歩と正史の関係についてであった。どうしてこんなことをつづっているのかというと、考察の結果を『江戸川乱歩年譜集成』に反映したいからである。乱歩との関係性に思いをいたすべき同時代の作家は宇野浩二とか谷崎潤一郎とかいろいろ存在するのだけれど、その筆頭にあげられるべきはやはり横溝正史であろう。両者のいわゆる交流を跡づけるなんてことではまったくなく、乱歩と正史との緊張関係は日本における探偵小説の成熟のプロセスに重なっていると見受けられる。 石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア』ではそのあたり、最終的には「正史の勝利」であったと説かれており、それはまあ探偵小説の成熟という点を問題にするならば正史の勝利ということになるのかもしれぬが、しかし本当の勝利者は誰であったのか。いやいや、私は勝ったの負けたのといった二項対立的な意味づけにさしたる興味はおぼえぬけれど、あえて勝ち負けにこだわるとするならば、乱歩は少なくとも負けてはおらなんだのではないか。 ここで石上さんの乱歩観を引いておくならば、これはもう昔から相当に辛辣なものであって、地獄の様相となっている資料整理の成果を少しだけ披露しておこう。1975年に出た石上さんの『男たちのための寓話』では、「名探偵たちの世界、又は論理的ヒーロー論」の章にこんなふうに記されている。
その悲劇的典型こそが、小栗虫太郎のあの華麗な世界であろう、と論述はつづけられる。そしてそういった犯罪世界の誘惑を断ち切って日本という国に「論理的謎解き物」を実現したのが横溝正史だったのであり、ゆえに正史は勝利したのである、と『名探偵たちのユートピア』は結論づけている。
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