2007年2月上旬
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いよいよ2月1日になりました。名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)が開かれる日です。それに間に合わせるべくさっきまでかかって「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」にいささかの増補を加えました。2006年6月の項目です。
ながながと引きましたが、ひとことでいってしまえば名張市はどうやらばかなのである。私は桝田医院第二病棟の整備構想が「議会のチェックを経ることもなければ市民に公表してパブリックコメントを募集することもなく、完全なノーチェックのままいつのまにか検討されていることがおかしい」と指摘し、その点をクリアする手段を検討するよう名張市に求めた。その回答がじつに意味不明で、あれこれ質してようやく判明したのが「委員会と市という当事者だけで好きなように更新ができる、ありていにいえば自由にプランを変更してしまえる」という内容であった。 こんなのもう相手にしてらんない、とか思った相手を私は本日不本意ながら相手にしなければならぬわけなのですが、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」をつくっていてひとつ気づいたことがある。上に引いた「名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について」というほとんど意味不明の回答が、昨年6月18日に開催された名張まちなか再生委員会の2006年度総会に提案され承認されていたということである。名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会」には議事の「その他」にこうある。
「協議結果」はこう。
「総会資料」として「名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について」(pdf)も掲載されている。 なんだか話が違いすぎてやしませんか。おれが出した宿題は「名張まちなか再生プランに名張市みずからが変更を加えるためのもっとも合理的な手法を考える」ということであった。あくまでも行政の主体性の問題として考えろということだ。そんなことも理解できんのか。理解できないままなあなあ体質まる出しの回答を思いつき、しかも去年の6月26日に名張市役所でおれにそれを示す以前、6月18日の名張まちなか再生委員会総会にその「名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について」をこそこそ提案して承認を得ていたというのか。 話にならんな実際。どいつもこいつも可哀想なほどのばかではないか。しかし可哀想だからとて容赦はしない。きょう開かれる第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)にうすらばかのみなさんがどんなおつもりで参加されるのかは知らねども、まさかこのおれが桝田医院第二病棟の活用にかんする助言やアドバイスを行うためにのこのこ足を運ぶとは思っておらぬであろうなこら。助言やアドバイスならこのふたつの参考資料に尽きておるからプリントアウトして持ってこい。 参考資料一点目、「僕のパブリックコメント」(pdf)。 参考資料二点目、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」。 結論ならばこれに尽きておる。 もっと大きな結論というならばこれである。 ──名張市は乱歩から手を引け。 さあ名張まちなか再生委員会のうすらばかのみなさんや、どうぞ覚悟してご出席ください。第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)は本日午前10時、名張市役所三階の三〇三会議室で開会です。
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さあかますぞ。本気になってぼこぼこにしてやるぞ。おれが本気になって怒ったら手がつけられんぞ。まあ覚悟しておきなさい。 さて昨日、名張市役所で第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会が開かれました。まず配付された「乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)名簿」を転載。
「鈴木啓司」とあるのは「鈴木啓史」の誤り。ご欠席の方はこの色で示しました。私の名前と役職が線で消されているのはむろん私がこんな委員会に加わっているわけではないからであって、開会前に配付資料に眼を通していたら名簿に自分の名前が記されているのを発見いたしましたので、 「なんでおれがオブザーバーやねん」 と異議を申し立てて名簿から私の名前を削除していただきました。 さて、まずかいつまんで要点のみを記しておきましょう。私が出席者のみなさんにお伝えしたのは、私にはあなた方を相手にするつもりはまっくない、ということでした。むろん協力する気もいっさいない。なぜなら名張まちなか再生プランがインチキだからである。私はインチキには荷担できない。それにいまやこのプランは異常事態と呼ぶべき段階に立ちいたっており、委員会ではなく行政の責任を追及すべき時期に来ている。端的にいえば市長の責任である。だから私はなんらかのかたちで市長にコンタクトし、名張まちなか再生プランの現状をどう認識しているのかをお訊きしたうえで、行政の主体的判断で事態を収拾するべきではないかと進言するつもりである。プランをいったん白紙に戻さなければ話は前に進まないであろうというのが私の見るところである。 まあだいたいそんなことを口角泡をとばしてぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ訴えてまいりました。それからこんなこともいったっけ。 みなさん乱歩生家の復元とかミステリー文庫とかいってるようだけど、そんなものはもとをただせばおれがパブリックコメントに書いたことである。それをいっさい採用しなかったくせにここへ来てミステリー文庫なんかつくったりされたらおれはアイデア盗用で名張市を訴えるかもしれない。そんなことにはならぬと思うが、そういうこともきっちり念頭においておけ。 裁判ということになるともうひとつ、江戸川乱歩リファレンスブック編纂の正当な対価を求めて私が名張市を訴える、という可能性もまったくないではないことをここに記しておきましょう。 ほんとにお役所のみなさんというのは裁判沙汰にしてすべてを、この「すべて」という言葉には人の誠実さなんかも含まれておるわけですが、とにかくすべてをお金の問題に換算してわからせてやらないとなにも理解できないらしいな、ということがきのうの会合でもあらためて実感された次第です。 くわしくはまたあした。
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きのうのつづきに入る前に別の話題。タイトルに興味をおぼえて本間義人さんの『地域再生の条件』を読みはじめました。岩波新書の1月の新刊。「はじめに」にいきなり「まちづくり交付金制度」のことが出てきました。名張まちなか再生プランはこの交付金をあてにして策定されたものです。 2005年に地域再生法が施行され、政府が地域再生プログラムを策定したことが紹介されたあと──
おそらく無理だといっていいでしょう、とはまた身も蓋もない指摘ですけど、この私だとてそう思う。政府のみならず地域再生の現場でも、旧態依然とした価値観や手法が幅を利かしておるからである。地域社会に知恵さえあれば、ピントがずれた政策を利用してなにかしら有効な手だてを講じることができるかもしれない。しかしそんなことは無理である。それを可能ならしめるためには「コンセプト」を見つけることが必要だとこの著者は主張していらっしゃるのだし、私がこれまで述べてきたところに即していうならば名張まちなかという地域のアイデンティティの拠りどころをどこに見いだせばいいのか、みたいなことをまず明確にしなければならない。しかし地域再生の現場において、あるいは名張まちなか再生プランにおいて、そんなことはいっさい無視されておるのである。 さらに引用。
興味を惹かれた方は本屋さんへどうぞ。気になるお値段は本体七百四十円。名張まちなか再生委員会のみなさんもお読みになられてはいかがかしら。 この「はじめに」には、 ──人々が豊かに生活できる場の実現こそが、「真の再生」なのです。 とも記されており、私が以前からいってるのも似たようなことなのであって、名張まちなかの再生というのであればそれはまずなにより生活の場としての再生でなければならないはずなのですが、名張まちなか再生プランにはそうした視点が完全に欠落している、こんなプランはまったくだめである、つまりは温かい血の通ったプランではないのである、みたいなことはおとといの第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会においてもはっきり指摘しておきました。 さてその委員会、午前の部は10時から正午まで、午後の部は1時から3時までの予定でしたが、午前の部は正午をまわって12時45分ごろまでつづきました。私は開会劈頭からなんかいやな雰囲気の集まりだなと思い、きのう記したようなことを述べて自分はあなた方にいっさい協力しないと明言するだけで帰ろうという気になっていたのですが、引き止められたりなんやかんやで午前の部はつきあい、午後の部は欠席いたしました。午前の部だけ出席したという方は少なからずいらっしゃったようで、名張まちなか再生委員会の委員長もご同様だったのですが、委員長は別れ際、市役所一階ロビーでこんなことをおっしゃいました。 ──市の職員にはおまえに対するアレルギーがあるようだ。おまえの名前を出すだけでみんな露骨に拒絶反応を示す。 おれは背中の青い魚か? とか思いながら市役所一階の受付の前を通りかかると、受付嬢のお姉さんが「あ。中さんあれなくなりました」と声をかけてくれました。このお姉さんにはアレルギー症状は見られなかったわけなのですが、「あれ」というのは「名張まちなかナビ」のこと。受付に五十部ばかり置いてもらってあったのがなくなったとのことで、「また持ってきます」と約束して外へ出た私は、三重大学で行われる「元気な三重を創る高校生フォーラム」を翌々日に控えて発表の練習に励んでいる女子生徒が待つ(べつに待ってもないのだろうが)名張高校に足を運び、名張市役所の受付用に「名張まちなかナビ」五十部を確保しました。 それで翌日、というのはきのう2日のことなれど、私は「名張まちなかナビ」五十部を市役所へ持っていったわけです。受付でリーフレットのたぐいを配布してもらうための窓口は四階にある管財室というセクションで、最初に置いてもらうときに話は通してありましたから二回目は受付にぽんと置いてくるだけでよかったのですが、いやまあ管財室まで行ってみるか、職員諸君がどんなアレルギー症状を呈するのか見てみたいし、とか考えて私は管財室まで行ってみました。 それでどんな反応が見られたのかといいますと、これがまあじつに微妙であった。明らかなアレルギーとはとてもいえないまでも、私が入ってゆくといあわせた職員のみなさんがいきなり浮き足立つような感じになったと見えなくもありませんでした。きゃはは、なーに意地の悪いことやってんだか、とか思って管財室をあとにした次第だったのですが、まあおれのことを好きなだけ煙たがったり毛嫌いしたりしてくれたまえ名張市職員のみなさんや。おれは名張市が明らかにおかしいことやってるからそれを指摘しているだけの話だ。やましいことなんてこれっぽっちもないのだぞ。おれの名前を聞くだけでアレルギーが出るというのであれば、それはそっちのやましさが原因なのではないのかな。いやいや、自分たちがやましいことをしているという自覚もないのかな。けっ。ま、どーでもいーやそんなことは。 名張まちなか再生委員会の委員長とは昼食をともにしてから別れたのですが、食事のおり委員長さんからはじめてプランについておはなしをうかがうことができました(以前にお会いした委員長は初代の方、現在は二代目の委員長です)。そのときの話と午前の部の集まりにおける委員ならびにオブザーバーの発言を総合して、私はひとつの結論にいたりました。結論というか午前の部でもこちらから指摘しておいたことなのですが、名張まちなか再生委員会が直面している最大の問題は名張まちなか再生プランに明記された「公設民営」という文言である、というのが私の結論。 プランから引きましょう。
最後にちょこっと、ついでに書いときますけどみたいな感じで記されている、 ──なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。 という文章、これがネックであり手枷足枷であり障害なのであって、この「公設民営」という限定のせいで委員会はにっちもさっちも動けない膠着状態、プランは完全に暗礁に乗りあげているというのが現状であると私は見ました。 あすにつづきます。
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行ってまいりました。きのう三重大学で開催された三重県教育委員会主催の「元気な三重を創る高校生フォーラム」。中日新聞オフィシャルサイトでこんなぐあいに報じられております。
午前中には野呂昭彦知事の講演などもあったのですが、そんなもの聴きたくもありませんから(ほんとは久しぶりでお目にかかりたいなとも思ったのですが)現場到着はお昼過ぎ。相可高校の生徒が午前5時からつくったというお弁当が六百五十円で販売されておりましたので、それをぱくついてから県内七高校の発表に接するべくホールに入りました。 高校ったって私どもの時代から考えますとおおきに様変わりをしておりまして、桑名では高校生が週に一度そこらの企業に出社して働いていたり(デュアルシステムとかいうそうですが)、それからどこだったかは忘れましたけど高校生が温泉饅頭の開発を手がけていたり、わが名張高校の「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」とは比べものにならないスケールでなんやかんややっておるのだということを知りました。とくに高校野球県大会でのみ名前を知っていた(どこにあるんだかいまでもよく知らないのですが)相可高校には「食」に特化したカリキュラムが存在し、高校生が地域の食材でつくった料理やスイーツ(甘いものというかお菓子のことをきょうびはスイーツと呼ぶそうな)を「まごの店」という名前の店舗で販売しているとのことだったのですが、名張のまちでもこういうことができんものか。 それで私の教え子も、中日の記事にあるとおり「名張高校は、町の魅力を紹介するため作成したタウン誌について説明した」、無事に発表を終えたのですが、去年の春には名張のまちのことなんかなーんにも知らなかった高校生が授業で名張のまちを歩きまわらされ、それなりに「町の魅力を紹介」したりフォーラムでの発表に臨んだりしたりしているというのにまあおまえらと来たらいったいどうよ、という話題に移行します。 名張まちなか再生プランにはこう書かれてあった。 ──なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。 プランの素案を読んだとき、私は眼を疑った。冗談かと思った。このプランをつくった連中は名張まちなかのことをなにひとつ知らないのではないかと思わざるをえなかった。 「公設民営」とはどういうことか。細川邸をなんらかの施設として使用するにあたり、建物の整備その他の面倒、言葉をかえればオープンまでの面倒は「公」が見ますけど、そのあとの維持管理運営はすべて「民」でやりなさい、そのための費用は勝手に捻出しなさいということである。 ばかかこら名張地区既成市街地再生計画策定委員会のぼんくらども。おまえら名張まちなかがどういうところだか知っておるのか。商店経営を成り立たせることなどもはや不可能、ご多分にもれずシャッターストリートと化してしまい、完全にさびれきって真っ昼間でも人っ子ひとり通らないことが珍しくない場所である。そんなところに歴史資料館つくるだけつくってあとは民間でやりなさいなどと、そんないいかげんなブランがよくも策定できたものだ。無責任にもほどがある。しかもこらばかども。名張地区既成市街地再生計画策定委員会のぼんくらども。おまえら歴史資料館つくりなさいとか適当なことさえずってるけど、そんなところに展示する歴史資料がいったいどこにあるというのだこのばか。こんなプランつかいものになると思っておるのかこのぼんくら委員会。 みたいなことを素案を読んでおれは思った。とにかくこんなブランではどうしようもないからとパブリックコメントを提出したのだが、プランに記されている「公設民営方式」に言及すると論点がぼやけてしまうなとも判断されたので、乱歩に直接関連する点だけをとりあげ、ただし公設民営方式に対する批判として、 ──細川邸は名張市立図書館ミステリ分室とする。 という案を提示したわけなの。2月1日、名張まちなか再生委員会の委員長と昼食をともにしたとき、私は委員長さんに、 「おまえな、あんなとこにどんな施設つくったかて自立した運営ができるわけないやないか。施設つくるのやったら市の施設にする以外ありえへん。それが行政の責任ゆうもんやろ。せやからおれは市立図書館のミステリ分室にせえゆうとるねん」 と申しあげましたところ、委員長は、 「あ。そうか。そうゆうことやったんか」 とおっしゃってましたけど、あの見捨てられたような名張のまちに再生のための施設を整備するというのであれば、最後まで名張市が責任をもって面倒を見ますというのでなければうそである。名張地区既成市街地再生計画策定委員会のぼんくらどもはいったいなにを考えておったのか。むろん名張市が極度の財政難に陥っているのは百も承知であるけれど、それでもあえてまちなか再生のためになんらかの施設を整備するというのであれば、つくるだけつくってあとは知らないなどと無責任で卑怯で依存体質まる出しなことを名張市にいわせてはいけない。行政としての覚悟と気概を見せてみろ、みたいなことが盛り込まれたブランでなければならない。 いまあらためて名張まちなか再生プランを読み返してみると、 ──なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。 という文章には権力の本質としての冷酷さがまざまざと露呈されているという気がしてきます。「公」という隠れ蓑の下から権力というものの冷酷さがぞっとするほどなまなましく顔を覗かせている。 とにかく公設民営方式なんてものにこだわっていては話は永遠に前へは進まない。ですから私は2月1日の会合の午前の部で名張まちなか再生委員会の委員長に対し、 「おまえの委員長権限でこの委員会解散させられへんのか」 とお訊きしてみたところ、 「そんなことは規約に決められてへんからなあ」 とのお答えが帰ってきました。しかし委員会を解散するかなにかしてあの名張まちなか再生プランというインチキプランを完全に無効なものとしてしまわなければどうにもならんぞ、とおれは思う。思うから2月1日の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会でもそれを強く主張してきた。みなさんはそろそろ怒ってもいいのではないかと訴えてきた。こんなインチキプランを押しつけられてどうして怒らないのか。そろそろ怒ってもいい時期なのではないか。 もしかしたらこの公設民営方式の問題をパブリックコメントの段階でもっと明確にしておいたほうがよかったのかなという反省もいまの私にはあるのですが、名張市のパブリックコメント制度なんてしょせん形骸なんですからいずれにしても甲斐のないことではあったでしょう。 要するに名張まちなか再生プランなんてのはとっとと捨て去るしかないインチキなのである。公設民営方式で細川邸を整備するというのはどういうことか。名張まちなかに新たな負担を押しつけるということである。お役所は名張まちなかのためにこんな施設を整備しましたと自慢げにいうのであろうが、そんな施設を誰が望んだか。新しいお荷物になるしかない施設を誰がつくってくれと頼んだのか。 まったくひどい話である。名張地区既成市街地再生計画策定委員会は名張のまちを殺すつもりであんなプランを策定したとしか思えぬではないか。だから三重大学あたりの御用学者をトップに据えた委員会などろくなものではないというのだ。地域住民の生活のことなどいっさい顧慮せず、ただ行政の顔が立つようにして地域には負担を押しつける。こら三重大学の御用学者。おまえそんなことしてなにか甘い汁にでもありつけるのか。曲学阿世もたいがいにしておけ。 あすにつづきます。
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そんなこんなで2月1日、名張市役所で開催された第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において見聞したところにもとづいて判断するならば、 ──なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。 という名張まちなか再生プランの文章がネックや手枷足枷や障害になって、名張まちなか再生委員会はいまや身動きのとれない状態になっている。これが私の結論であり、こうなったらもうプランを白紙に戻すしかないであろうという以前からの考えがより確信的なものになった次第でした。 しかしそれにしてもあいかわらずひどいもので、なにがひどいかというとたとえば事務局。2月2日付伝言に掲載した名簿には事務局として三人の市職員の方が名を連ねていらっしゃいますが、2005年6月に名張まちなか再生委員会が発足した当初からの事務局職員はひとりもいらっしゃいません。どなたも最近の異動で名張まちなか再生プラン担当セクションにいらっしゃった方で、ほんとにこんなんありかよおい。名張まちなか再生プランの策定プロセスはおろかここ一年半ほどの委員会の動向すらよくご存じない方が事務局を務めますって、そんなんで話がすんなり進むわけがないではないか。 そうかと思うと話し合いの途中、 「せやから中さんもそんな排他的なこといわんと」 などと口走ってくださった職員の方がいらっしゃいました。カチンと来ました。久々のカチンであった。 「そんなもん排他的なんはいったいどっちやゆう話やないか」 と私はいきり立ち、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から引きますならば──
といった2005年における一連の経緯を早口にまくし立てました。ちなみに2005年8月2日というのは掲示板「人外境だより」に新怪人二十面相とかいうばかからはじめて投稿があった日で、なんだかずいぶんわかりやすい話だなと私は思います。 それにしても、おれのことを排他的だとはよくぞ申した。いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。まあ不憫といえば不憫なわけであるけれど、この職員の方のご発言には思わず耳を疑ってしまうものが含まれており、それは名張まちなか再生プランとは直接関係のないものでしたからその場では不問に付しておきましたけれど、といって聞き捨てにはできないものでありましたのであらためてメールをさしあげてご存念をお聞かせいただくことになるでしょう。なんか不憫だ。しかしいたしかたありません。発言には責任ってものがつきまとうわけなんですから、なあなあの通じる仲間うちでならいいけれど、おれみたいな外部の人間、しかも口舌の徒と口を利くときはもう少し言葉に気をつけたほうがいいと思うぞ。 ここでお知らせしておきますと、もしかしたら近いうち、問題の細川邸で名張まちなか再生委員会の主催による乱歩講座が開講されるかもしれません。というのも2月1日、名張まちなか再生委員会の委員長と昼食をともにしたおり、私は委員長さんにこんなことを申しあげました。 「おまえな、細川邸を会場にして乱歩の講座を開く気ィないか。主催はおまえらの委員会で、講師はおれ」 「どんな狙いや」 「一般市民を対象にして、ていうかほんまの対象はきょう集まってた委員やねん。あのメンバーでこれから桝田医院第二病棟をどうするこうするゆうて検討するんやろけど、それにはどうしても最低限知っとかなあかんことがあるねん。おれはおまえらの委員会に協力する気はないけど、市民対象の講座ゆうことであの委員に最低限の知識を身につけてもらいたい。だいたいあの細川邸もっとつかいまわさなあかんで」 それはまったくそのとおりで、名張まちなかに住む人たちでさえいまや細川邸のことを冷めきった眼で見ているというのが私の印象。その理由のひとつは細川邸の整備にかんする情報がいっさい公表されていないということなのですが、しかし細川邸をなんらかの公的施設として利用するというのであれば、 整備の方向性が定まっていなくたっていいからせめて月に一度くらいは細川邸に市民が集まる機会を設けるべきであろう。細川邸と地域住民とを結びつける手だてを講じてゆくべきであろう。私は委員会に協力する気はないのですが、委員会がそうしてゆくべきだとは考えていますから、委員長に細川邸乱歩講座の話をもちかけた次第です。 念のためにお断りしておきますと、何度もくり返しますけど私には名張まちなか再生委員会に協力するつもりは微塵もありません。彼らの拠って立っている名張まちなか再生プランが完全なインチキだからです。そんなプランの実現にはとても協力できない。本来は協力しなければならない立場の人間なのであるけれど、あんなインチキにはいっさいかかわりたくないのであるということは2月1日の会合でも明言してまいりました。しかし細川邸乱歩講座ということになるのであれば、プランのインチキとは直接的なかかわりのない催しなんですから講師くらいはいくらだって務めてみせましょう。私は排他的な人間ではないのである。 さてそれで、私のそうした提案を受けた委員長は間髪を入れず、 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」 とはおっしゃらず、 「おもろいやないか。やろ」 と明言してくださいました。 「おまえそんなこといつから考えてた」 とのお尋ねをいただきましたので、 「ついさっき、おまえと隠(なばり)街道市のこと話してたとき。コミュニティイベント主催したんやから委員会が講座を主催してもええやろ思てな」 そんなこんなでこのままゆけば近く細川邸での乱歩講座が実現することになるはずなのですが、しかしこの講座、もしかしたらまったく無駄なものになってしまうのかもしれません。 あすにつづきます。
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2月1日、名張市役所で開催された第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会。午後の部は1時からだった予定を1時30分からに変更して3時までということになったのですが、私は欠席いたしました。それでも用事を片づけて市役所に舞い戻り会議室まで足を運んでみましたところ、時間は3時30分ごろになっていたと記憶するのですが、話し合いを終えてぞろぞろと出てくるメンバーに遭遇しました。 「あ。中さんくしゃみしませんでした?」 とか尋ねられ、そこらでお茶でもということになったのですが、公務員というのはまったく融通が利かないもので、勤務中ですからとみんなとっとと職場に帰ってしまいます。それで乱歩関連施設整備事業検討委員会の委員長と委員おふたり(いずれも乱歩蔵びらきの会のメンバー)のお三方といっしょに市役所前の喫茶店に入りました。 午後の部でどういう話し合いが行われたのか、くわしいところは教えていただけなかったのですが、次の委員会はいつ開かれるのかとお訊きしてみましたところ、未定であるとのお答えが返ってきました。ああこれは、と私は思いました。もうおしまいということかもしれないな。名張市が寄贈を受けた桝田医院第二病棟をどう活用するのか、それを考える作業を乱歩関連施設整備事業検討委員会は投げ出してしまったということなのかもしれないな。結構結構。それでいいのだ。桝田医院第二病棟にはこんな碑でも建てておけばいいのだ。 しかしそうなると、とも私は思いました。昼食をともにしたおり名張まちなか再生委員会の委員長にお願いした細川邸乱歩講座は、もしかしたらまったく無駄なものになってしまうのかもしれないな。なぜかというと講座のいちばんの目的は桝田医院第二病棟のことを検討する委員のみなさんに乱歩にかんする最低限の知識を身につけてもらうことなのですから、その検討が行われなくなったのだとすると乱歩講座のいちばんの目的が見失われてしまいます。しかしまあ、一般市民が名張のまちと乱歩のことを気軽に知る機会というのはあってもいいはずですし、どんな施設として整備されるにしても細川邸をいまからつかいまわしてゆくのは悪いことではないでしょうから、まったく無駄ということでもないか。 しかしそれにしても、それにしても名張まちなか再生プランはほんとにもう無茶苦茶だな、と私はコーヒーを飲みながら思い返しました。桝田医院第二病棟はこんなあんばいだし、名張まちなか再生委員会の委員長から昼食時にお聞かせいただいたミステリー文庫の構想もじつにお粗末きわまりないもので、ほんとにもうこんなくだらないプランは白紙に戻すしかないぞ実際。 あすにつづきます。
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桝田医院第二病棟はほんとにもうこれでいいということにしておきましょう。 どいつもこいつもばかだからまともなことをなにひとつ考えられないうえ、情けないことに名張市にはお金がありません。2007年度からの三年間で二十一億円もの財源不足が生じるそうです。二十一億です二十一億。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を七年連続で開催できる金額です。ですから名張市は職員に退職金を支払うために借金をしなければならないという笑い話みたいな状況になっていて、2月4日付中日新聞によりますと──
いわゆる団塊の世代の2007年問題は全国津々浦々で普通に見られることですが、名張市の場合は昭和40年代以降の大規模宅地開発に伴う行政需要の増大という要因がありましたから、退職金問題にもさらに拍車がかかるわけです。しかしそれにしてもけっして有能とはいえない、ていうか私の眼にはばかとしか映らないみなさんの退職金のために借金しなければならないなんてのは、ほんとに笑えない笑い話であると私は思う。 笑い話はまあいいとしても、なにしろお金がないのだという錦の御旗があるのですから桝田院第二病棟をどうするかという問題にかんしては── こんな碑を建てて名張市の現状を正直に全国発信しておくのがいちばんでしょう。足りない知恵で妙なものつくってみたって禍根を残すばかりではないか。はっきりいって百年河清を俟つとしかいいようのない状況なのではあるけれど、それでも名張市にもいつの日か知恵のある人間が現れて結構なアイデアを提供してくれるかもしれないのだし、そのころにはもしかしたら財政状況が好転しているかもしれないわけなのですから、とにかくばかが焦って妙なものつくることだけはやめておけ。 今度は細川邸の話題。2月1日、名張まちなか再生委員会の委員長と昼食をともにしたおり、現時点におけるミステリー文庫構想の概要をお聞かせいただきました。 「細川邸の部屋のひとつにミステリー文庫つくって、そこに図書館からミステリーの寄贈本もってきて、それで外のほうにカフェテラスみたいなんつくって椅子とか並べるぐらいやな」 「それで終わりか」 「終わりや」 「あほか」 と私はあきれ返りながら申しあげました。 「おまえな、ひとつ施設つくるのやったらそこからなんかはじまるとかなんかがひろがるとか、そうゆうふうに進めなあかんねん。もしもそんなミステリー文庫つくってしもたら名張市はほんま笑いもんになってしまうで。そんなもん絵に描いたようなハコモノやないか。いったいなに考えとんねん」 まったくひどい話であって、あほかというしかありません。私はこの日午前の話し合いでおまえらもしもミステリー文庫なんてつくりやがったらそんなものおれのパブリックコメントからのアイデア盗用なのだから最悪の場合は裁判沙汰に発展すると覚悟しておけと啖呵を切っておいたのですが、これではアイデア盗用にならないかもしれません。これではそこらの小学校の学級文庫と選ぶところがありません。私のパブリックコメントには学級文庫をつくろうなどとは書かれておりません。だからとにかくもう目先のことしかわからんわけだ。うわっつらをちょこちょこ飾っておけばそれで機嫌がいいわけで、どいつもこいつも心底ばかなのだ。そんな心の底からのばかどもが税金の具体的なつかいみち勝手に決めてんじゃねーぞこら。 ところで読者諸兄姉、掲示板「人外境だより」をごらんいただいている方はすでにご存じのところでしょうが、2月4日にいささかけったいな投稿がありました。「公設民営の件ですが策定委員ではそんな言葉は聞いたこともありません」という主旨の投稿です。もとより信じられる話ではないのですが、さりとて投稿者がうそをついていらっしゃるとも思われません。勘違いや事実誤認はあるにしてもこの投稿にはひとつの事実、つまり名張まちなか再生プランに盛り込まれた細川邸の「公設民営方式」という文言は行政サイドの不当な介入によって押しつけられたものであるという秘められた事実が暗示されているのではないかと私には思われ、ですから投稿者の方にご存じのところをもう少しくわしくメールででもいいから教えてくださいなとお願いしているのですけれど、いまのところうんともすんとも応答がありません。 まったくまあどいつもこいつもほんとにね、弱音を吐くつもりなんかなけれども、おれはもうなんだかほんとに泣きたいような気分だぞ。
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きのうは朝からちょっとした野暮用でサイトを更新できませんでした。無断でお休みしたら緊迫感がいや増すのではないか、などと考えていたわけではありません。 さてきのうとおととい、名張まちなかがお祭りの人出でにぎわいました。鍜冶町にある蛭子(えびす)神社の八日戎(えびす)です。ポスターがこれ。 いつもは閑散としている名張のまちが人であふれたのは、去年11月の隠(なばり)街道市以来のことでしょう。とはいえ私が子供だったころと比較すれば最近は八日戎も人出が減り、建ち並ぶ露店の数もずいぶん少なくなった印象なのですが、それでもこれはチャンスだと思い、「名張まちなかナビ」を配布するため7日の午後にまちなかへ出てみました。 まず名張高校に立ち寄りましたところお客さんと鉢合わせ。奈良県桜井市にお住まいだという中年男性で、「名張まちなかナビ」を片手に名張のまちを歩いてきたのだとおっしゃいます。桜井あたりの読売新聞に「名張まちなかナビ」の記事が掲載され(伊賀版の記事が回されたわけですが)、それで名張高校に連絡して郵送で現物を入手してくださったとのことでした。自分の家にヤクルトを配達してくれているおばさんが名張の出身であるということをのぞけば名張にはまったく縁がなく、むろん名張駅で降りたのもきょうがはじめてであるとのことで、名張藤堂家邸跡にも立ち寄って名張まちなかの案内地図を貰ってきたのだが、高校生のつくった「名張まちなかナビ」のほうがはるかによくできている、じつは自分は中学校の教師をしていたのだが、病気で身体をこわして退職してしまった、現在は農業をメインに生活しているのだが、生徒を指導して「名張まちなかナビ」みたいなものをつくってみたくなった、などといろいろおはなししてくださいました。 考えてみればこれは結構すごい話で、リーフレット一枚で名張まちなかに人を招き寄せるなんてのは名張市観光協会にもたやすくはできないことであろう。とか思いながら「名張まちなかナビ」の残部を確認し、八日戎で配布する分をバッグに詰め込んで私は学校をあとにしました。ジャスコ新名張店リバーナの駐車場に自動車を停め、ぶらぶら歩いて中町から本町の角まで来ると、もとは家具屋さんだった空き店舗でなにやら展示が行われています。入ってみますと7日と8日の二日だけ開設される作品展。さっそく関係者の方にお願いして「名張まちなかナビ」を五十部か六十部か、それくらいの見当で置いてまいりました。それからお祭りの中心、鍜冶町の蛭子神社へ。 ちょうど祭典の最中とあって境内はごった返しています。ちょっと腹も空いておりましたので鍜冶町から丸之内へ抜け、おぼこ飯店でラーメン一杯、五百円。それでまた蛭子神社に舞い戻ってみますと祭典は終わり、人波も引いていたのですが、これは困ったなと私は思いました。私は社務所かどこか参詣客に縁起物を授与するあたりに「名張まちなかナビ」を置いてもらおうと考えていたのですが、縁起物が山と積まれてスペースに余裕などありません。神社関係者は誰もみな忙しそうにしていて、配布を依頼するのは控えたほうがいいだろうと判断されました。 いや困ったな、とか思ってうろうろしている最中、知人とばったり出会いましたのでしばらく蛭子神社の前で立ち話。それでこの知人が伊賀市内の企業にお勤めであることを思い出したのですが、そういえば「名張まちなかナビ」は伊賀市内にはまったく出まわっておりません。バッグからごっそり取り出して知人に押しつけ、とりあえず銀座通りの Be、それから鍵屋ノ辻の数馬茶屋、あとは適当に、みたいな感じでお願いしておきましたので、伊賀市民の方も運がよければどっかそこらで「名張まちなかナビ」を入手していただけるはずです。伊賀市民のみなさんには、 「やーい。やーい。伊賀市にはこんなのねーだろー。やーい。やーい。伊賀市にはこんなのつくれねーだろー。やーい。やーい」 と名張市民が伊賀市民をあざ笑っていると思いつつ眼を通していただければありがたく思います。 そうこうしているところへ別の知人が通りかかりましたので、 「先生これ見てくれましたか」 と声をかけました。この知人はもとをただせば小学校の先生で、現在は写真愛好サークルの会長さん。 「おお見た見た。新聞で見た」 それで「名張まちなかナビ」をお渡しし、 「表紙の写真なかなかええ感じでしょ」 とか喋っておりますと、 「しかしこれ、どこ探してもあんたの名前が出てこんやないか」 とのご指摘をいただいてしまいました。きゃはは。だっておいら伊賀の忍びなんだもん。 そうこうしているところへ制服姿の女子高生四人組が通りかかります。うちふたりがなぜかにこにこしていて、よく見てみたら私の教え子。近くまで呼び寄せ、うちひとりが1月23日の最後の授業を欠席していたことを思い出しましたので、 「おまえ授業はサボってもこういうときは絶対はずさへんのやな」 と先生お小言。 「あれはたまたま、たまたま」 と女子高生意味不明のいいわけ。たまたま用事があって欠席したとかいいたいのであろうが、まあそんなことはどうだってよろしい。それよりいい機会だから最後の授業をしてやろう、と考えて私は女子高生四人といっしょに歩きはじめました。 この日の蛭子神社では地元保存会による七福神踊りが奉納されたのですが、そのあたりは地元メディアの動画ニュースでどうぞ。 奉納を終えた七福神は鍜冶町の町内を練るならわしとなっているのですが、すれ違ったとき神様のおひとりが両手をひろげて女子高生四人を抱きかかえるようなサービスをしてくださいましたので、女子高生はきゃあきゃあ大騒ぎして喜んでおりました。 あすにつづきます。
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きのうのつづきの7日のおはなし。 私は女子高生四人を引き連れて、お祭りの人出でにぎわう名張のまちを歩いていた。鍜冶町のはずれまで行ってまた引き返し、本町通りをぶらぶらしながら適当な店を探した。「名張まちなかナビ」を置いてもらう店だ。1月23日の最後の授業では、伊賀まちかど博物館や乱歩関連商品を販売している店舗を手分けして廻ったのだが、まちなかにはそれ以外の店舗がそれほど多くあるわけではない。ご多分に洩れぬシャッターストリートだ。それに八日戎名物のハマグリを売っている魚屋さんなんかにはとても頼めない。書き入れどきでずいぶんと忙しそうだし、置いてもらってもすぐびしょびしょに濡れてしまう。 ようやく適当な店の前に来た。大為という陶器屋さんである。生徒四人と店内に入り、奥のほうにいた女性のもとまで歩いて、かくかくしかじかと事情を説明した。置いてもらえることになった。「名張まちなかナビ」を手渡しながら礼を述べると、うしろのほうで女子高生たちも、 「お願いしまーす」 と口々にいっている。よろしい。よくできました。最後の授業も終了だ。先月23日の授業を欠席した生徒も、これで最後の授業が受けられたということになる。店の外に出ると教え子ではない生徒が、 「マスコミ論の授業受けたみたいな気がしたー」 とつぶやく。私の授業の本質を瞬時に感得したらしい。そうかと思うと教え子のひとりは、 「先生もたいへんやなあ」 と独語めいて口にする。そうさ先生はたいへんなのさ。たとえリーフレット一枚でも無駄にしたりしたら三重県民と教え子たちに申し訳ないと思うから、バッグに詰め込んであっちこっち配ってまわっているのだよ。情報を伝えるというのはこういうことなのだ。暇だからぼーっと歩いているというわけではないのだよ。 たしかに暇ではない。本を読む時間が足りなくて困っているくらいだ。げんに私の机のすぐ横には今年に入って購入したもののいまだに繙読できていない乱歩関連書籍が乱雑に積まれていて、こんな本が出ていると人から教えてもらったものも多いのだが、敬称略、順不同で著者名と書名を列挙すると、小鷹信光『私のハードボイルド』、睦月影郎『夢幻魔境の怪人』、三浦俊彦『のぞき学原論』、石上三登志『名探偵たちのユートピア』、それから文庫本が橘マリノ『笑う耕助、ほほえむ小五郎』、新書が山村修『書評家〈狐〉の読書遺産』。そういえば去年購入した鈴木義昭『夢を吐く絵師・竹中英太郎』も未読である。乱歩関連の本ばかりつづくのもなんかばかみたいだ、と思わないでもないから乱歩に縁のない本を優先したりもするからなおいけない。いつになったら読めるのか。 ちなみにいま読みつつあるのは横溝正史の『呪いの塔』で、去年の11月に出た徳間文庫だ。このあいだ何気なく立ち読みしてみたらありゃりゃッ、これって完全に乱歩小説じゃん、とか思ってあわてて買い込んだ。たぶん乱歩はこの作品に一度も言及していないはずで、ということは自身をモデルにしたことが明白なこの作品に、乱歩は不快をおぼえていたのかもしれない。まだ最初の殺人が起きたところまでしか読んでいないのだが、かりに乱歩の不興を招いたのだとしたらそれはどんな描写や設定なのか、みたいなことばかりが気にかかる。 大為をあとにしてさらにぶらぶら歩いていると、自分のもっている「名張まちなかナビ」はどうすればいいのか、とひとりの生徒が訊いてくる。生徒には十部ずつ手渡したのだが、あと四枚残っているので、とのことだった。自分たちも配るべきなのだろうか、とでも思ったのか。 「きれいに保存しといたら、そのうちヤフーオークションかなんかでええ値がつくかもわからんで」 「えーッ。なんで?」 「江戸川乱歩のことが出てくるから、乱歩ファンの人はこうゆうの欲しがるねん。まあマニアとかコレクターとかゆう人。せやから大事に残しといたほうがええと思う」 「へーッ」 しかしヤフーオークションで「名張まちなかナビ」が取り引きされる日がいつか来るのであろうか。そんなこと私にはさっぱりわからない。そうこうしているうちに本町の角まで来た。上本町の通りを歩いてみるという彼女たちと手を振って別れ、私は自動車を停めてあるジャスコ新名張店リバーナへ向かった。 それが2月7日のことであった。翌8日にも私は名張まちなかを訪れた。本町の角の空き店舗で二日間だけ開かれていた作品展が、8日午後4時ごろから撤収に入ると聞いていたからだ。撤収前に覗いてみると、テーブルのうえに置いてもらってあった「名張まちなかナビ」はきれいになくなっていた。おれは空き店舗から蛭子神社に向かった。混雑のピークは過ぎていたが、行きかう人はみな柔和で、どこか幸福そうな表情をしていた。 ここでお知らせです。東京に二か所、「名張まちなかナビ」を置いていただけるところを確保いたしました。 ●立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター(東京都豊島区西池袋3-34-1 電話:03-3985-4641) ●弥生美術館(東京都文京区弥生2-4-3 電話:03-3812-0012) 以上二か所です。現物の郵送は7日に手配いたしましたので、もう到着しているだろうと思われます。
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