2007年6月上旬
1日 すったもんだ議事録2006
2日 しっちゃかめっちゃか議事録2006
RAMPO Up-To-Date 江戸川乱歩『影男』論 小松史生子
4日 えんやとっと総会2007
RAMPO Up-To-Date 総会で乱歩施設巡り紛糾 傳田賢史
5日 三重大学浦山研究室の報告書を開いてみる
RAMPO Up-To-Date 大衆の心に生きた昭和の画家たち 中村嘉人
6日 三重大学浦山研究室の報告書ワークショップ編を読んでみる
7日 報告書ワークショップ編にツッコミを入れる
8日 突出したハコモノにおけるかくも迂遠なプロセス
 ■6月1日(金)
すったもんだ議事録2006 

 はや6月を迎えました。

 さるにても、5月は喪服の季(とき、と読んでね)、とはよくぞ申した。ばたばた斃れたという印象がある。ニュース系サイトの訃報をざっと検索してみると──

 3日、横山ノック。5日、今村仁司。6日、北村和夫、池宮彰一郎、西宮一民。11日、三好京三。15日、はな寛太。17日、塩沢とき、藤原伊織。21日、駒尺喜美。22日、平岩外四、鈴木光枝。23日、熊井啓。24日、大庭みな子。26日、小西甚一。27日、坂井泉水。28日、松岡利勝、高塚省吾。

 ご冥福をお祈りしておきましょう。

 つづきましてはあこがれの住民監査請求をめざしてきょうも行く。名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの議事録のご紹介です。本日は2006年度。例によってすったもんだがつづいております。

 まずは2006年3月でござい。

3月20日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第八回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 平成17年度の全体の活動報告と次年度の進め方について協議する。
2. 協議事項
 ・平成17年度活動の総括について(名張まちなか再生委員会・再生整備プロジェクト活動の総括、まちづくり研究会検討委員会設置の経緯、まちなか研究室連絡協議会の発足)
 ・今後の進め方について
(2)協議決定結果
1. 決定事項
1)平成17年度事業総括について
 ・事務局が、昨年6月の名張まちなか再生委員会設立総会以降の各再生プロジェクト活動の経緯等について説明を行うとともに、細川邸実施設計予算を平成18年度に繰り越した旨の報告を行った。
 ・昨年11月に行った歩行者ネットワーク等社会実験結果について共有した。
 ・事務局が、まちづくり研究会検討委員会設置の経緯について説明を行い共有した。
 ・事務局が、皇學館大学が名張地区に開設を目指している教育拠点施設「まちなか研究室」で、同大学と地域の交流を強化する「まちなか研究室連絡協議会」が3月15日に発足した旨の報告を行い共有した。
2)今後の進め方について
 ・細川邸の整備の基本的な考え方は、まず瀬街道側の家並(街なみ)の修景と耐震補強をしっかり、次にトイレの整備で、その次が中蔵の整備である。母屋の2階は使えるようにするが、庭園は作らない。川蔵は、修復にかなり費用がかかるので、解体する方向で考える。
 ・次回の歴史拠点プロジェクトの開催は、名張まちなか再生委員会の総会までにもう一度開催し、今後まちづくり研究会検討委員会で整理される内容について協議する。
 ・歴史拠点プロジェクトでは、細川邸に関する整備はまちづくり研究会検討委員会と連携して進めるが、桝田については、昨年の本プロジェクト会議以降、話がとぎれた状態になっており、庁内でも名張図書館の乱歩資料の扱い等を含め検討中である。
 ・平成18年度の本プロジェクトの予算枠については、役員会に示す予定であるが、予算自体は名張市各部局の持っている予算を有効に活用するスタンスで考えている。
2. 課題その他
 ・なぜ細川邸の整備を行うかという本来の目的についても整理されているとはいえず、また情報公開も十分でないため、市民には何も伝わっていない。
 ・本日欠席の歴史拠点整備プロジェクトメンバーにも、川蔵を壊すことを了解してもらう必要がある。
 ・細川邸の実施設計にあたっては、基本計画とは別の次元の詳細な図が必要になるので、実施設計業者の選定については、単に価格競争になり設計の質が落ちないよう、設計業者に細川邸のプレゼンテーションをさせる等優秀な設計業者に業務委託する方法も検討する必要がある。
 ・桝田第二病棟地での乱歩記念館の整備計画を迅速に進めていく。

 誤記と思われる文字にはアンダーラインを附しておきました。

 2006年に入っても迷走がつづきます。ていうか、迷走ぶりがいよいよ堂に入ってきました。

 ──細川邸の整備の基本的な考え方は、まず瀬街道側の家並(街なみ)の修景と耐震補強をしっかり、次にトイレの整備で、その次が中蔵の整備である。母屋の2階は使えるようにするが、庭園は作らない。川蔵は、修復にかなり費用がかかるので、解体する方向で考える。

 こんなぐあいにうわっつらのことしか議論されておりません。何よりもまず細川邸をいったいどういう施設として整備するのか、その点をきっちり詰めてゆかねばならぬはずじゃというのに、検討能力皆無の組織というのはまことにまことに恐ろしいもので、便所がどうの蔵がこうのとそんなことばっか話し合っておったようです。そして驚くべきなのは、

 ──なぜ細川邸の整備を行うかという本来の目的についても整理されているとはいえず、また情報公開も十分でないため、市民には何も伝わっていない。

 との発言があったらしいことです。なぜ細川邸を整備しなければならんのか、という根源的疑問が呈されたわけです。この発言者はかなり市民に近い立場に立ったメンバーであると推測されますが、要するにこの歴史拠点整備プロジェクトたらいう組織におきましては、根本根幹のことを確認了解することもなしにたったかたったか協議検討が重ねられていたわけなのね。そりゃ話がまとまらんわけだわ。

 細川邸をめぐる議論が市民のコンセンサスなどまったく無関係な密室のなかで、しかも委員間における共通認識もなしに進められていたということは、むろん私にだってとっくに想像はついておりましたし、だからこそ名張まちなか再生委員会事務局に対して協議内容を公開しろとしつこく迫りもしたわけだったのですが、委員会の内部資料を入手して会合での発言を確認してみると、ほんとにこれではいかんぞな、という気がしてきます。

 つづいて5月。

5月16日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第九回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 まちづくり研究会検討委員会の報告を共有するとともに、NPO なばり実行委員会の設立趣旨を確認する。
2. 協議事項
 ・まちづくり研究会検討委員会の報告
 ・今後の歴史拠点整備 PJ の活動方向について
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・名張まちなか再生委員会で議論され整備された施設に関しては、今後 NPO なばり実行委員会で、その管理運営に関して議論していくこととした。
 ・橋本チーフは個人的な都合により辞任を表明している。このため新たにチーフを選任することとし、サブチーフである北村氏にお願いすることとした。
 ・NPO なばり実行委員会の発起人として歴史拠点整備 PJ のメンバーの名前を加えたい。
 ・桝田医院第2病棟跡地活用計画に関しては平成17年度にある程度の方向を協議した。H18年度は基本設計、実施設計に向けてより詳細に検討していくこととした。
 ・市史編さん室の山口氏にも歴史 PJ に加わってもらいたい。
2. 課題その他
 ・桝田医院第2病棟跡地活用施設の整備にあたっては、実質的にはまだ何も決まっていない。ミステリー文庫の位置づけ、周辺の道路の整備、居住環境を含む周辺住民との調節等今後検討すべき内容は多い。このため、的場氏を中心としたより総合的な検討ができる体制作り((仮称)乱歩検討委員会)が必要である。
 ・できれば NPO なばり実行委員会のメンバーに歴史拠点整備 PJ 委員も参画願いたい。
 ・細川邸は漆喰がはがれかけている。内部の粗壁に雨水が浸透し、問題であるため改修工事までの間は、ブルーシート等による養生などの検討を急いでほしい。
 ・NPO なばり実行委員会に多くの行政職員が入るのは問題である。

 結局はこうなってしまいました。

 ──名張まちなか再生委員会で議論され整備された施設に関しては、今後 NPO なばり実行委員会で、その管理運営に関して議論していくこととした。

 ──桝田医院第2病棟跡地活用施設の整備にあたっては、実質的にはまだ何も決まっていない。ミステリー文庫の位置づけ、周辺の道路の整備、居住環境を含む周辺住民との調節等今後検討すべき内容は多い。このため、的場氏を中心としたより総合的な検討ができる体制作り((仮称)乱歩検討委員会)が必要である。

 丸投げ宣言が出されてしまったわけですね。われわれには何も考えることができませんので、大事なことは「NPO なばり実行委員会」と「(仮称)乱歩検討委員会」にすべて丸投げいたします、という寸法です。それなら歴史拠点整備プロジェクトなんてまったく必要がないではないか。とっとと解散したらどうなのよ。もっとも、「NPO なばり実行委員会」も「(仮称)乱歩検討委員会」もいまだに結成されていないようなのですが。

 といったところで急な用事が飛び込んでまいりました。まいったな。この伝言板での議事録の紹介は上の第九回までとなっておりますが、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」には2006年9月の第十三回会合まで、公文書公開請求で入手した議事録のすべてを掲載いたしました。第十回以降はこの伝言板にあした転載するつもりですが、早く読みたいとおっしゃる方はお手数ですが「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」のページをご閲覧ください。

 えーい。下の「Rampo Fragment」も更新しないできのうのままとしておきます。ご容赦ください皆の衆。

ウェブニュース
金沢の伝統的街並み、銀幕発世界へ 今秋、仏映画が茶屋街ロケ 江戸川乱歩原作
北國新聞ホームページ
5月31日 北國新聞社
石川のニュース
 きょうは新聞記事で行っときます。

 乱歩の「陰獣」が日仏合作で映画化されることになったそうです。北國新聞のニュースをどうぞ。

金沢の伝統的街並み、銀幕発世界へ 今秋、仏映画が茶屋街ロケ 江戸川乱歩原作
 江戸川乱歩の小説「陰獣(いんじゅう)」を原作としたフランス映画「INJU」のロケが、金沢市内の茶屋街で行われることが30日までに決まった。ひがし茶屋街を第一候補に、10月にもフランス人スタッフらが撮影に入る。早ければ来年中に、金沢の伝統的な街並みが各国の銀幕に映し出される見込みで、ロケに協力する金沢フィルムコミッション(FC)は「金沢を世界にアピールする絶好の機会」と歓迎している。

 一九二八(昭和三)年発表の原作小説「陰獣」は、各国で翻訳され、フランス国内でも人気が高い。

 映画「INJU」は、映画監督バーベット・シュローダー氏がメガホンを取る。同氏はカンヌ国際映画祭の最高賞「パルムドール」やアカデミー監督賞にノミネートされたことがあり、国際的な評価を得ている。フランスの映画制作会社と日本の制作プロダクション・クロスメディア社(東京)が手掛ける日仏合作となる。主人公の探偵小説家をフランス人、ヒロインは日本人俳優が演じる。フランス国内だけでなく日本でも邦画大手からの配給が計画されている。

北国新聞ホームページ 2007/05/31/04:00

 ■6月2日(土)
しっちゃかめっちゃか議事録2006 

 さあ、あこがれの住民監査請求めざしてきょうもまいりましょう。

 名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの議事録のうち、きのうは第九回会合までを紹介いたしましたので、本日は第十回から。

6月2日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十回会合が開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
(1)開催の目的と協議事項
1. 目的
 平成17年度の活動概要を総括するとともに、18年度事業計画や平成18年度事業体制について協議する
2. 協議事項
 ・平成18年度事業計画について
 ・平成18年度体制について
(2)協議決定結果
1. 決定事項
 ・事務局から以下の報告があり内容を共有した。
 ○平成17年度の名張まちなか再生活動の概要
 ○平成16年度・平成17年度のまちなか再生事業の予算執行状況
 ・歴史拠点整備 PJ は、平成18年度は NPO なばり実行委員会と乱歩検討会の2つを柱に進める。
 ・細川邸については、6月の総会を経て、7月中旬から9月頃にかけて基本方針の作成及び実施設計を行い、来年1月頃から改修工事にかかる予定。
 ・平成18年度の活動目的は、細川邸は、初瀬街道の風情あるまちなみを再生する先導モデルとして修景整備し、そのノウハウを初瀬街道のまちなみ再生事業に活かしていくとともに、まちなかの集客交流機能を備えた“おもてなしの場”として整備し、住民自らの手により自主運営していくための検討を継続する。
 また、桝田医院第2病棟は、江戸川乱歩生誕地碑のある敷地という好立地条件を活かして、江戸川乱歩に関係する施設に建て替えるべく計画を具体化する。
 そしてこれら2つの施設をネットワークさせるなど、まちなか再生に関し、より効果の高い連携手法を検討していくこととした。
 ・名張まちなか再生委員会規約の変更について、以下の部分の変更を委員に報告し共有した。
 第4条 委員会は、必要に応じて若干名の参与を置くことができる。
 第6条 3 役員会は、必要に応じて専門会議等を置くことができる。
 ・(仮称)NPO なばり実行委員会は、名張まちなか再生委員会規約に基づき、(仮称)設置され、細川邸を中心に、まちなか再生活動の企画・実践を行うことになったことを共有した。
2. 課題その他
 ・6月18日、午10時からの総会への出席を確認した。

 誤記と思われる文字、また意味不明の文言にはアンダーラインを附しておきました。

 例によって例のごとし。何かが決定されることはまったくなく、

 ──歴史拠点整備 PJ は、平成18年度は NPO なばり実行委員会と乱歩検討会の2つを柱に進める。

 みたいなことの確認ばかりです。要するに自分たちの無能力を自覚して丸投げできるところを必死になって探しておる。適当なところか見つからないので新たな組織をつくらなければしかたがないとほとんど泣きが入っておる。しかしここに謳われた委員会も検討会もいまだ結成を見ていないことはきのうも記したとおりです。

 つづいて第十一回。ちなみに書き添えておきますと、6月2日の第十回と7月26日の第十一回のあいだの6月18日には名張まちなか再生委員会の2006年度総会が開かれております。詳細は「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」でどうぞ。

 総会といえばそうじゃそうじゃ。先日名張市役所で聞き及んだところによれば、名張まちなか再生委員会の2007年度総会はたしかきょう6月2日に開かれるのではなかったかな。どんな総会になるのか傍聴にお邪魔しようかとも思うのじゃが、あいにくときょうの私には神戸に赴く用事がある。断腸の思いで傍聴の儀はあきらめるか。

7月26日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十一回会合が名張市役所一階大会議室で開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
▼確認・決定事項
(1)平成18年度「細川邸」活動方針について
 ○■■■■■■■■が、細川邸の実施設計予算を平成18年度に繰り越した旨の報告を行い、今年度は 「NPO なばりマネジメント委員会」を設立し、三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め、今年度内に実施設計を完了し、工事発注することを報告・確定した。
 ○「(仮称)初瀬ものがたり交流館」の正式名称を、NPO なばり実行委員会で検討・確定の予定。
(2)平成18年度「桝田医院第2病棟」について
 ○桝田医院第2病棟については、本年度内に周辺住民や自治会との調整も含め、跡地の利活用方針を定め、解体除却することを確認した。
(3)平成18年度「おもてなし事業」について
 ○ NPO なばり実行委員会が予定している11月4・5日と2月(戎まつり)のおもてなし事業については、本プロジェクトとして協力していくことを確認した。
▼その他の留意点・今後にむけて・課題等
(1)「細川邸」について
 ○「(仮称)初瀬ものがたり交流館」の正式名称を、NPO なばり実行委員会で検討・確認の予定。
(2)平成18年度「桝田医院第2病棟」について
 ○桝田医院第2病棟実施検討にむけては、昨年の本プロジェクト会議以降、具体的な話がとぎれた状態になっており、計画の前提条件が未整理な状態であるため、名張市としての参画方針も含め、事務局で再度基本的な枠組みを整理する。

 ■で示したのは個人情報保護のために塗りつぶされ、判読不能となっている箇所です。

 出ました。出てまいりました。

 ──今年度は 「NPO なばりマネジメント委員会」を設立し、三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め、今年度内に実施設計を完了し、工事発注することを報告・確定した。

 苦しいときの三重大学、なんてことなのかどうかはわかりませんが、とにかくわれらが駅弁三重大学が出てまいりました。しかしいったいどういうこと? 大学大学とありがたがってみたところで、三重大学にだってセクハラもあれば自殺もある。いやそんなことはこのさい関係ないのだけれど、これはいったいどういうことなのか。

 まず差し迫った問題として、2006年度中に細川邸の実施設計を完了しなければならないという大前提があります。2007年度にずれ込んでしまうと、国のまちづくり交付金の関係なのか何なのか、とにかく予算の面で支障が出てくるということです。げんに細川邸の実施設計は今年の2月8日に設計業者との契約が交わされ、3月末には見事完了しております。契約者は尾形建築事務所、契約額は四百六十九万七千円。2006年度に文字どおりの滑り込みセーフという瀬戸際作戦で、まあご苦労さんといえばご苦労さんな話なわけですが。

 しかしおかしいといえばこれほどおかしい話もありますまい。細川邸をどんな施設として整備するのかがまったく決まっていないというのに、あるいは細川邸をどう活用したって名張まちなかの再生には結びつかないという結論が出る可能性だってあるというのに(ぶっちゃけそれが正解でしょうけど)、とっとことっとこ実施設計だけが先走っている。

 さらにおかしいのは、「三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め」るとされていることでしょう。最終設計方針というのは何であるのか。歴史拠点整備プロジェクトのこれまでの会合では、大事なことは何も決定されていないかわりに石はどうする便所はこうするといった枝葉末節の問題はそれなりに話し合われておった印象があります。だったらそうした決定事項にもとづいて実施設計をすればいいだけの話であろうと私には思われる次第なのですが、実際には三重大学教授浦山先生とやらにお出ましいただいて最終設計方針をお決めいただく手はずになっておる。

 ただし NPO なばりマネジメント委員会とやらはついに結成されることがなかったみたいで、そのかわり2006年度には名張まちづくり塾とかいう組織名なんだか事業名なんだかさえ判然としないものに税金が投じられ、契約者は国立大学法人三重大学、契約額は百四十九万九千円。これがおそらく最終設計方針とやらを決めるための悪あがきであると思われます。私はこの名張まちづくり塾の完了報告書(A4サイズ百三十七ページ分)のコピーを公文書公開請求にもとづいて入手しておりますので、まだ一ページも眼を通してはいないのですけれど、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの議事録をすべてやっつけたらさっそくその報告書にとっかかろうと考えております。どうよこの官学の癒着は、とか思ってらっしゃる方はもう少しお待ちください。いやこれを官学の癒着と表現していいものかどうか、その点はいまの段階ではわからないのですけれど、印象としてはそれにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければならないのかなと思わざるをえません。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければならないのかな。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければ。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と。

 それにしてもどうして名張市はここまで。

 それにしてもどうして名張市は。

 それにしてもどうして。

 それにしても。

 他意もなくタイポグラフィックな遊びに興じてみました。

 細川邸を歴史資料館として整備する構想を盛り込んだ名張まちなか再生プランは名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手でまとめられました。しかし歴史資料館構想はインチキと呼ぶしかないもので、そもそも資料館をつくって展示すべき歴史資料などどこにも存在しておらず、この委員会はたとえば名張市立図書館を訪れて郷土資料室や乱歩コーナーで歴史資料に関する調査確認を行うということすらしなかった。ただプラン策定の前提としてあらかじめ掲げられていたのであろう細川邸を公的施設として整備するという命題に対し、歴史資料館という月並みな発想を提示しただけの話なのである。ばかかこら。これじゃまるでリフォーム詐欺じゃねーか。ばーか。したがいましてそんな構想はとても実施に移せたものではなく、歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合で早々に、

 ──細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。

 との決定がなされて歴史資料館構想は水に流されました。ばかかこら。いい加減なプラン策定してんじゃねーぞばーか。それでそのプランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長をお務めいただいたのがほかならぬ三重大学教授浦山先生であったわけなのですから、名張まちなか再生委員会がいきなりだめ出しをしたようなリフォーム詐欺プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長だった方にこの期におよんでどうしておすがりするのかな。ふつうに考えればちょっと解せない。首をひねる。裏にはどんな事情があるのかな。よくわかりませんけどなんか変。なんかあやしい。あやしいといえばこの2006年度の活動方針、つまり NPO なばりマネジメント委員会とやらを設立して三重大学教授浦山先生を中心になんたらかんたらという方針は、どうして名張まちなか再生委員会の2006年度総会に諮られなかったのかな。6月18日の総会ではおくびにも出さず、7月26日の歴史拠点整備プロジェクトの会合でいきなり「報告・確定した」なんてのは手順としてなんだかあやしい。細川邸の整備は名張まちなか再生プランの目玉であり、結果として最終設計方針とやらを決める目的で三重大学に百四十九万九千円の税金が支払われているのですから、そうなのであればきっちり総会に諮るのが筋というものなのね。まあ総会なんてただの形骸っちゃ形骸なんですけど、総会で明らかにすることなくいきなり三重大学と契約っていうのはなんだかなあ。

 それにしても。

 それにしてもどうして。

 それにしてもどうして名張市は。

 それにしてもどうして名張市はここまで。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着。

 それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければならないのかな。

 他意もなくタイポグラフィックな遊びに興じてみました。

 ではまたあした。

関連文献
江戸川乱歩『影男』論 江戸川乱歩の戦後 小松史生子
国文学年次別論文集 近代 IV(平成16年)
3月 朋文出版
編:学術文献刊行会
初出:金城学院大学論集207号 国文学編46(2004年3月)
 『国文学年次別論文集』というのが出版されていて、タイトルどおり大学の紀要や論集などに発表された国文学関係の論文を年度別に収録するシリーズです(もちろんすべての論文を網羅しているわけではありませんが)。つまりはアカデミズムの世界のもので、私はアカデミズムにはまったく縁がなく、じつはずっと無縁でいたいなとも考えているのですが、いっぽうにはきょうびアカデミズムの世界にも乱歩の名前がふつうに登場しているという現実があるわけで、こうなるとあまり無縁でもいられないのではないかとも思われるのですが、さりとて縁がないのだからしかたがない。どこの大学のどんな人が乱歩に関するどんな論文をどこに発表しているのか、そんなことは私には知りようがありません。知りようがあってもそんなところに手を伸ばす余裕というものがないのではないか。ですからまあ餅は餅屋、アカデミズム関係のことは立教大学のご尽力に俟つこととして、私は私で適当にやってゆきたい。

 それで適当にやっていて眼につきましたのが小松史生子さんのこの論考。眼につきました以上はしっかりとフォローしておく次第です。

 それでは論考のはじめのほうで乱歩の創作活動を概観したパートから三段落ほど。

 江戸川乱歩は、その四十年に渡る執筆活動に於いて、作家としての節目を二度迎えている。
 第一回目の節目は、昭和三〜五年にかかる時点で、その契機は、後に乱歩の代表作となる『陰獣』の発表に負っている。周知のように乱歩はこの作品で初期短編の世界を総括してパロディ化を図り、その戦略によって、メディア記号として機能する〈乱歩〉を自発的に規定することに成功した。乱歩はこの成功を以て、当時オリジナリティとの葛藤で陥っていた作家生命(創作活動を維持するモチベーション)の危機を切り抜け、以降、『孤島の鬼』による創作実験を経て、昭和四年『蜘蛛男』を嚆矢とする講談社系通俗長編執筆を軌道に乗せていくのである。この第一回目の節目については、既に幾多の先行研究が行われており、現在ではほぼ定着した見解となった。しかし、続く第二回目のそれについては、未だ十分なテクスト分析による研究は施されていない状況である。
 第二回目の節目は、戦後に訪れる。戦時中、国策を掲げる軍部の圧力により、翻訳物をルーツに持ちエロ・グロ・ナンセンスの風潮と抵触する一面があった探偵小説は発禁の憂き目にあい、乱歩の創作活動は沈黙を余儀なくされた。横溝正史を始めとする他の探偵作家達は、その期間中、捕物帖でお茶を濁すが、乱歩はそのジャンルには手を出さなかった。敗戦後、一転して GHQ 占領下では、戦時下賞揚された時代小説がその封建的世界観故に旗色が悪くなり、逆に、圧迫されてきた探偵小説がアメリカ式民主主義の道徳観とマッチするものとして検閲から自由になる。こうした状況を受けて、乱歩は敗戦後の日本を、「いよいよ探偵小説復興の時が来た」(『探偵小説四十年』)という見通しで明るく迎えたわけである。当時、探偵小説文壇のうちでは、海野十三や水谷準のように悲壮な喪失感を抱いた作家達と、乱歩や横溝正史のようにむしろ作家としてのアイデンティティがたくましく復活した作家達との、二派にその敗戦感情は分裂していた。しかし、戦後を迎えて乱歩の執筆活動は、戦時下の洋書輸入途絶期に欧米で発展していた海外探偵小説の作品の紹介や評論、及び新人作家育成に重点が置かれ、実作は殆ど顧みなくなる。また、土曜会(後の探偵作家クラブ)設立などの文壇内の交際のみならず、各地方にまで渡る頻繁な講演旅行や警察との談話、また文士劇への積極的な参加などにより、それまで紙上の活字(文字画像)としての広告性が認識されていた〈乱歩〉に、徐々に肉体性を付加していった。即ち、この時期、乱歩は戦前に規定しておいた通俗メディア記号としての〈乱歩〉を、探偵小説啓蒙運動のシステム記号へとシフトしたと考えられるのだ。

 以下、タクティシャン乱歩における戦前戦後を通じた戦略の成就と蹉跌に関しましてはぜひ全文を、と申しあげたいところなのですが、この『国文学年次別論文集 近代 IV(平成16年)』、気になるお値段は本体九千三百円もしますから、お近くの図書館でぜひ全文を、と申しあげたいところなのですが、この本を収蔵している図書館はおそらく数が少なく、また収蔵していても雑誌扱い(館外貸出不可)にしている図書館が多いようですので、その図書館から最寄りの図書館まで借り受けてもらうことができません。お読みいただくには最寄りの図書館に依頼して「江戸川乱歩『影男』論」の複写を取り寄せてもらうのがよろしいかと。


 ■6月4日(月)
えんやとっと総会2007 

 おとといの朝「ではまたあした」と申しあげておきながらきのうの朝はすっかり朝寝坊して更新をお休みしてしまいました。まあこんな日もあります。

 それでおととい、私は神戸文学館で開催されている企画展「探偵小説発祥の地 神戸」に足を運び、神戸探偵小説愛好會の野村恒彦さんによる講演「昭和50年代の横溝正史ブームを再検証する」を拝聴してまいりました。拝聴しながら横溝ブームのあれこれを思い出し、ついでに昭和50年代の個人的なあれこれまで思い出して、なんだかとってもレトロスペクティブ。ちなみに企画展の会場には、名張市立図書館のお宝蔵書であるところの乱歩宛献呈署名入り『真珠郎』も展示していただいております。

 会期は7月17日まで。明治37年に建築された関西学院のチャペルを利用して昨年開設されたこの神戸文学館、常設展示では神戸にゆかりある近代文学者三十三人の著作や資料が紹介されておりますので、おついでがありましたらば一度はどうぞ。企画展の詳細は神戸文学館オフィシャルサイトでごらんください。

 講演のあとは三宮にある焼鳥屋さんの二階で大宴会。午後4時半ごろという早めの開宴がとてもうれしい6月の午後。会場ではこの手のイベントならどこへ行っても必ず出会ってしまう方々や、いつだったかの池袋大宴会以来ご無沙汰だった方などにお目にかかり、むろん初対面の方もいらっしゃいました。おとといの朝、名張市立図書館が1997年に刊行した『乱歩文献データブック』の在庫に関する問い合わせのメールが届いておりましたので、残念ながら一冊も、との返信をお出ししておいた次第であったのですが、ビールを飲みながら初対面の方とおはなしをしているうち、問い合わせのメールをくださったのがまさにその方であることが判明したりもいたしました。参加者数は十三人であったか十四人であったか。例によって明るく楽しく面白い大宴会とはなりました。

 そんなこんなでお天気もよろしく、私にとってはじつにいい土曜日となったのですが、留守にしていた名張市では名張まちなか再生委員会の2007年度総会が開かれて結構な騒ぎになったようです。新聞の紙面では日刊各紙のうち朝日、中日、毎日(五十音順)の昨日付地方面でとりあげられておりましたが、見出しをひろうとこんな感じ。

 ──乱歩文学館建設を断念/名張市方針 財政難など理由/計画変更 市の説明なく反発も(朝日新聞)

 ──委員から不満や疑問/乱歩生家復元 実現困難に/名張の再生委総会 役員会で再度審議へ(中日新聞)

 ──名張まちなか再生委総会/乱歩施設巡り紛糾/事業計画案、承認先送り(毎日新聞)

 例によってインチキを重ねたあげくの眼もあてられぬ大騒ぎ。断念だか紛糾だかよく知らんけど、そもそもこんな協議には何の正当性もないのである。まだわからんのかばかども。何度も何度もいうけれど、名張まちなか再生委員会というのは名張まちなか再生プランを具体化するための組織なのである。しかし名張まちなか再生プランには乱歩文学館を建設しようとか乱歩の生家を復元しようとか、そんなことはひとことも記されていないのである。なぜか。プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会がばかだったからである。プランを策定している最中に名張市が桝田医院第二病棟の寄贈を受けたというのに、それをプランに反映させることができないぼんくらだったからである。そこらの駅弁大学の御用学者の先生にトップをお務めいただいたところで結局はこのざまなのである。だから名張まちなか再生委員会が桝田医院第二病棟の活用策を協議検討するのであれば名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集してプランの練り直しをさせるのが先決だと私は事務局に提案したのであるけれど、それはできませんという答えが返ってきた。どうしてだ。そこらの駅弁大学の御用学者の先生に気をつかったのか。それとも名張地区既成市街地再生計画策定委員会のメンバーにおまえらのつくったプランには重大な不備があったと事実を告げるのがいやだったのか。なにしろなあなあの世界で角を立てず波風立てずにへこへこ生きてゆくのが信条なのだからな名張市役所のみなさんは。ならばどうする、こんなインチキをそのまま通してしまう気か、桝田医院第二病棟に関する協議検討をちゃんと正当化してみろ、とまたしても事務局に迫ったところ、返ってきた答えが「名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について」というインチキなのであった(名張市オフィシャルサイトのこのページに PDF 文書が掲載されております)。正気か実際。こんなインチキでは問題は少しもクリアできないのである。にもかかわらず名張まちなか再生委員会のみなさんは桝田医院第二病棟に関する無益な話し合いをつづけてとどのつまりが断念だか紛糾だか知らんけど、ばかがインチキ重ねたあげくにぎゃあぎゃあ大騒ぎしておるというわけなのである。

 それではおとといにつづきまして名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの2006年度議事録を見てまいりましょう。「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から転載。

 まず9月7日の第十二回。

9月7日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十二回会合が名張市役所301会議室で開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
▼出席者
北村、長川、山口、辻本、大西、岡村、山口、山崎、門田、岩本(敬称略)
(事務局)荒木、雪岡、今村 (都市環境研究所)西田(会議メモ作成)
▼協議結果(概要)
(1)「まちなかイベント(11/4・5)」の開催について
 ・■■■■■■■■「まちなかイベント(11/4・5)」について
 ○9月1日の名張まちなか再生委員会・役員会をうけて、名張まちなか再生委員会主催及び名張地区まちづくり推進協議会協賛により、「とれたて!なばり 産業フェスタ あんど 消防フェスタ」及び県事業「ほんまもんイベント」との合同イベントとして、「まちなか再生合同イベント『隠(なばり)街道市』」が11月4・5日に開催される。
 ○当歴史 PJ として、11月4・5日当日に細川邸を活用した社会実験を行うため、本日、具体的な社会実験の内容について検討を行う。
(2)「細川邸を活用した社会実験」実施(11/4・5)にかかる検討・協議について
 ・市の従来の産業フェスタはこれまで市役所敷地内で行われてきたが、今年は名張地区のまちなかにおいて行い、「とれたて名張」は名張川の堤防沿いで、「消防フェスタ」は本町の市職員駐車場で、また県事業の「ほんまもん」はふれあいホールで行われる。
 ・初瀬街道は、行燈等でにぎわいをつくり出す。
 ・今回の産業フェスタはまちなかで行われることから、当歴史 PJ 会議では細川邸を最大限利用することを考える。例えば、歴史 PJ としてどのように、「場所づくり」「人づくり」を展開していくのかを検討する。
 〜細川邸(交流拠点施設)の参加メンバーリストづくり
 □周辺住民への P.R □桝田病院跡地との連携 □各町商店街への呼びかけ
 □障害者の方々の喫茶体験 □市(いち)の実験
 ・案として、細川邸を次のように利用することを検討する。
 〜板間は、三重大製作の細川邸計画模型を展示し、他都市のまちづくり事例についても紹介する。
 8畳2間は、休憩所とする。
 3畳2間は、「名張地区」の情報発信コーナーとする。
 (注. 3畳1間は、細川邸の“いわれ”や歴史等の P.R コーナーとする。)
 中蔵は、映像スペースとする。川蔵は、イベント関係者等の物置とする。
 その他の場所は、物産スペース、或いは各町の出品スペースとする。また、障害者の方の参加スペースも確保する。ベンチの設置やライトアップも検討する。
 ・提示のA案(各町協力体制の一環としてのイベントの実施)を中心に考え、東町まで参加を呼びかける。
 ・現在、細川邸は雑草が生い茂っており、母屋の蔵の中の清掃やトイレ等と併せて細川邸の敷地内の環境整備を行う。
 ・仮称初瀬ものがたり交流館の名称募集をこの機会に行う。
 ・歴史拠点 PJ として、テント代等必要な予算を次回の当会議までに計上する。
 (テントのリース代は、1間×2間で1万円/日、2間×3間で2万円/日。)
 ・当細川邸社会実験の企画原案の検討については、北村チーフと事務局に一任し、9月19日の具体的内容の締め切り日までに意見を調整し、9月28日に当歴史 PJ 会議を開催し、企画案を発表するとともに協議を行い、企画内容を確認する。
 ・企画の具体的な細部の検討は、10月に入ってから行う。(注. 10月27・28日は名張地区の秋祭りにあたるので、予め、イベント準備の日程については、その配慮が必要である。)
(3)その他(平成18年度下半期の歴史拠点整備プロジェクト事業スケジュールについて)
 ・細川邸の整備については、今、マネジメント会議で同邸の実施設計に向けた検討を行っている。年内に川蔵の問題も含めて結論がでる予定であるが、実施設計自体、来年の3月頃までかかるので、着工は来年4月になりそうな状況である。
 ・桝田の整備については、名張市側に基本的な整備条件等考え方の整理が委ねられており、まだ市側からその回答がなされていないため、等歴史 PJ 会議において桝田医院に関する協議を行うためには、もう少し時間が必要である。

 名張まちなか再生委員会は名張市や三重県が主催するコミュニティイベントの下請け組織になりさがってしまったようです。お役所のお手伝いをさせていただいていればそれで本望なのかな。お役所にいいように頤使されていればそれで満足なのかな。それはまあ細川邸をどうするこうするといった頭をつかわなければならない作業を担当するのはとても無理ですからせめてからだをつかいます、一日一万円とか二万円とかのリース料でテント張ってからだ張ってがんばります、みたいな流れになるしかないのであろうけれど、それならばもう解散してしまって新しくお役所イベント下請け委員会を発足させたほうがいいんじゃね?

 しかし実際にはそうも行かないみたいで、9月29日の第十三回はこんなあんばい。

9月29日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十三回会合が名張市役所304会議室で開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
▼確認・決定事項
(1)「隠(なばり)街道市」について
 事務局から「隠(なばり)街道市」について説明が行われ、以下の内容を共有した。
 ○名張市産業部、都市環境部、伊賀県民局の3つの事業主体が取り組む合同イベントである。
 ○名張市産業部は「とれたて名張」「産業フェスタ・消防フェスタ」をふれあい、新町川原、旧百五銀行跡駐車場で行う。都市環境部は空家・空き店舗を活用した事業、散策ルートの実験、公共サインの実験、細川邸活用の実験事業を各場所にて行う。伊賀県民局はふれあいを拠点に11/4のみ実施する。
(2)「細川邸を活用した社会実験」実施について
 ○細川邸を活用した社会実験について■■■■■■細川邸の各部屋や外構部における各コーナーでの実験内容の説明を行い、以下の内容を確認した。
 ・今回の細川邸における社会実験の最大の目的は、細川邸を中心として今後展開するまちなか再生活動に必要な団体や人材をリスト化することである。
 ・細川邸整備イメージの模型展示コーナーでは併せて計画検討ビデオも上映し、見て頂いた来館者には(仮称)初瀬ものがたり交流館の愛称募集に協力してもらう。そして応募案も含め本 PJ で最終決定する。
 ・細川邸の清掃を10/8に本 PJ メンバーで行う。
(3)細川邸整備方針等について
 ○ ■■■■■■細川邸の整備方針について「母屋は最低限必要な修繕・耐震補強を行い、中蔵や川蔵の整備費を確保、外構は予算配分の結果地元の皆様の協力により整備する方法も要検討。」などの説明がなされ以下の内容を確認した。
 ・予算の範囲内で(6,000万円)できる限り良いものをつくる。
 ・細川邸の伝統的建築様式は可能な限り残す。
 ・実施設計は年度内に設計を終え、平成19年度4月に工事着工し11月頃には竣工予定とする。
(4)桝田医院跡地活用について
 ○現在名張市で活用の方針に関して整理している。整理出来次第報告する。
▼その他の留意点・今後にむけて・課題等
(1)細川邸整備イメージについて
 ○桝田医院跡地活用方針と細川邸の整備方針とは関連させるべき。■■■■■■
(2)名張まちなか再生のあり方について
 ○名張川の堤水護岸を上手く活用し、親水性のある復水路の整備を長期的に検討するなども、本歴史 PJ で提案すべき。
 ○再生整備 PJ の枠組みを越えた名張地区全体に係るまちなか再生のあり方に関して協議する全体協議会のような場が必要。本 PJ から役員会に提案する。
 ○旧百五銀行跡地の本町駐車場の大型バス利用に関して、名張市担当所管により回答が異なるため、事務局で調整をしてほしい。

 イベントの下請けに徹していればいいものを、たとえば、

 ──母屋は最低限必要な修繕・耐震補強を行い、中蔵や川蔵の整備費を確保、外構は予算配分の結果地元の皆様の協力により整備する方法も要検討。

 なんてこといってます。これはどういうことでしょう。外構整備の予算が確保できなかったら「地元の皆様の協力」で、つまりは地域住民からお金をまきあげて整備いたしますというようなことなのかな。とうとう乞食かよ。でなければゆすりたかりかよ。そんなものに誰が金を出すか。気のふれたようなことを考えておってはだめである。そうかと思うと、

 ──予算の範囲内で(6,000万円)できる限り良いものをつくる。

 なんてこといってます。ばかかこら。そんなあったりまえのことをいまごろ確認していてどうする。「良いもの」というのはどういうものかを具体的に考えるのがおまえらの役目ではなかったのか。そうかと思うと桝田医院第二病棟の跡地活用について、

 ──現在名張市で活用の方針に関して整理している。整理出来次第報告する。

 なんてこといってます。どこまでなあなあのずぶずぶであったら気が済むのか。名張まちなか再生委員会というのは名張市から名張まちなか再生プランの具体化を委託された委員会であり、それなりの主体性や自立性を保持した組織なのであるということが最後までわかっておらんわけなのね。名張市に「活用の方針」の提示をお願いしてどうするの。そんなのは自分たちの主体性や自立性に立脚し自分たちの責任にもとづいて自分たちのおつむでしっかり考えるべきことであり、行政サイドからなあなあ体質まる出しの容喙なんぞがあったりした日には断固として毅然たる姿勢を示すのが本来であるというのに何よこのざまは。まあ唯々諾々としてあるいは嬉々としてお役所の下請け組織になりさがるような委員会だから何いったって意味はないといえば意味はないのだが、しかしいくらお願いしたところで名張市役所だってばかばかりだぞ。まともにものを考えられる人間などただのひとりもいないのではないか。少なくとも乱歩のことがわかってる人間はただのひとりも存在しておらんぞ。

 ほんとにこんなばかなことばっかやっててよく飽きないものだなこのインチキ委員会は、と驚かれぬる次第ですが、さすがに飽きてしまったのか、歴史拠点整備プロジェクトの2006年度の会合は昨年9月29日が最後となったみたいです。ご苦労であった。

 そしておとといの6月2日、名張まちなか再生委員会というインチキ委員会は解散することもなく新年度総会を開催しました。それで乱歩文学館などというとんでもない構想がもちだされたらしいのですが、何度も何度もいうようにこんなものをもちだすのはルールや手続きをいっさい無視した話であり、それ以前のことをいうならば、まあ自分でいうのもあれなんですけど、名張市内でいちばん乱歩にくわしいのはじつはこの私なのである。その私が終始一貫主張しているのは、名張市には乱歩文学館とか乱歩記念館とか、そんな施設は必要ないということである。そんなものに税金をつかうなばかということである。それをまあ性懲りもなく乱歩文学館乱歩文学館といったい何を騒いでおるのか。

 6月3日付中日新聞の記事から引用。文中の「同構想」というのは乱歩文学館構想のことです。

 同構想は、乱歩が生まれた長屋が付近にあったとされる旧桝田医院第二病棟の跡地に生家を復元し、市が蓄積してきた乱歩関連資料や文献、所蔵品などを展示活用する。
 ところが、市は最近になって建設費不足や維持管理費工面の難しさ、周辺住環境への影響などを理由に生家復元に難色を示している。

 まったくもう無茶苦茶である。こいつらはいったい何をやっておるのか。名張市といい名張まちなか再生委員会といい、このうすらばかどもはいったい何?

 まず名張市。これがばかである。おまえらの委員会制度っていったい何? むろん実際のところは行政サイドに都合のいい人間ばかりを委員にしてうわっつらだけの協議だか検討だかを進めさせ、それで市民参画がどうの住民合意がこうのと既成事実をつくりあげるための組織なのであろうけれど、それはたとえばそこらの駅弁大学の御用学者の先生にトップをお務めいただいた名張地区既成市街地再生計画策定委員会というのがまさしくそのような組織であったわけなのであるけれど、しかし名張まちなか再生委員会の桝田医院第二病棟に関する協議は暗礁に乗りあげたままなのである。長く思考停止状態のつづいていた歴史拠点整備プロジェクトの協議検討は上に見たとおり昨年9月29日の時点で完全にストップしており、今年2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の乱歩関連施設整備事業検討委員会だって収拾がつかぬまま閉会にいたってそれっきりである。つまり名張まちなか再生委員会における乱歩文学館構想なんてまだ海のものとも山のものともつかぬ状態なのであるというのに、早手回しに難色を示すというのはいったいどういうことか。名張市における委員会なんて結局は行政サイドとなあなあのずぶずぶの関係でございます、この名張市という自治体にはルールも手続きもありゃしませんとここまであからさまに手のうちをさらしてしまってどうするの。

 次は名張まちなか再生委員会。おまえらどうして乱歩文学館なんてつくりたいの。つくりたいならつくりたいでいいのだけれど、それなら乱歩文学館をつくっていったい何をするのか、どんな文学館がつくりたいのか、それを具体的に考えるのがおまえらの役目であるはずなのだが、おまえらにはそれができておらぬではないか。見事なくらい何ひとつ考えることができておらぬではないか。たとえば去年一年間、おまえらはいったい何をやっておったのか。どんな文学館をつくるかといったことは微塵も考えようとせず、ただ検討委員会をつくって検討すべきである検討すべきである検討すべきであるとそんなこといってるだけであったではないか。どうしてそんなことになるのか。内発的なものがどこにもないからだ。おまえらにとって乱歩とは何だ。そんなことすら考えようとせずにうわっつらだけ乱歩文学館乱歩文学館と大騒ぎしているおまえらの見苦しさはいったいどうよ。もういい加減にしておけ。寝言をいうのは寝てからにしろというのだ。

ウェブニュース
名張まちなか再生委:総会で乱歩施設巡り紛糾 事業計画案、承認先送り /三重 傳田賢史
MSN-Mainichi INTERACTIVE
6月3日 毎日新聞社
地域ニュース三重
 名張まちなか再生委員会の2007年度総会に関しましては、毎日新聞の記事をネット上で読むことができます。

 以下引用。

 続いて、事業計画案の検討に入った。乱歩関連施設整備事業で、生誕地の「旧桝田医院第2病棟」(同市本町)の解体工事費などに計950万円が計上された計画案に対し、出席者から「昨年度の計画案では乱歩文学館の整備が明記され、総会で承認もされた。変更に関し、なぜ何の情報もないのか」「市長が『乱歩』をどうしたいのかが見えてこない」などと不満の声が相次ぎ、承認が先送りされた。

 総会後、同市の荒木雅夫・まちなか再生担当監は「予算の制約や、建設後の維持管理費などを考えると、市としては難しい」と話した。

 同委は、乱歩事業に関して改めて役員会を開いて方向性を決めた上で、臨時総会を開く方針。

 全文はこのページでどうぞ。しかしそれにしてもあーこれこれ名張まちなか再生委員会のみなさんや。

 「昨年度の計画案では乱歩文学館の整備が明記され、総会で承認もされた。変更に関し、なぜ何の情報もないのか」

 などと何ばかなこといってんの。乱歩文学館の整備構想が去年の総会で承認されたといったって、そんな承認はまったくのインチキ、「名張まちなか再生プランの時点更新(再生プロジェクト更新調書)について」とかいうインチキなシステムによって承認されただけなんですから、一般市民の眼から見ればそんなものには正当性なんてまるでない。たとえその点には眼をつむったとしても、みなさんは総会での承認を受けてそれならば乱歩文学館をつくりましょうという協議検討を進めたのかな。ちっとも進んでいないではないか。去年の議事録を眺めてみても、みなさんあまりにも無能力で判断だの決定だのということは少しもできておらんではないか。乱歩文学館というハコモノのうわっつらを思いつくことはできても、その中身を考えることなんて一歩も前に進んではおらぬではないか。しかもそのうえ、

 「変更に関し、なぜ何の情報もないのか」

 とはどういうことか。ほんとにおまえらの主体性や自立性ってのはどこにあるのよ。おまえら自分たちがどんな立場に立ってるのかまったく理解できておらんわけだな。

 こら名張市。おまえらこんなインチキ委員会をつくっていったいどういうつもりだ。こんなばかなことばっかやってるから住民監査請求騒ぎに発展してしまうわけなのである。ほんとにもういい加減にしてくれんかね。


 ■6月5日(火)
三重大学浦山研究室の報告書を開いてみる 

 さて、名張市に対して公文書公開請求を行い、コピーを入手した公文書二点のうち、

 ──名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの平成17・18両年度議事録のうち、細川邸の整備にかかわりのあるすべての文書

 に関しましては公開された議事録のすべてを「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に記載することを得ました。名張市の情報公開を市民の立場でお手伝いするのはコミュニティイベントのお手伝いをすることよりもはるかに重要な務めのはずですから、微力ながらその一翼を担うことができましたのを何よりの喜びとし誇りともする次第です。しかしまあひどかった。とんでもない内容であった。大事なことは何ひとつ決定されず、検討すべきである検討すべきである検討すべきであるという確認だけが谺のようにくりかえされるばかりであった。あれではいかんぞ。

 つづきまして、

 ──名張まちなか再生委員会の平成18年度予算執行実績のうち「(測試)名張まちづくり塾」に関する文書のうち完了報告書に該当するもの

 こちらの番となります。これが A4サイズ百三十七ページ分もあってちょっとたいへん。

 とりあえず表紙をごらんいただきましょうか。

 奥付にはこうあります。

歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて
名張市・三重大学浦山研究室 受託研究「歴史的建造物改修に係る基本設計業務ならびに当該建造物を活用した管理運営モデルの開発、運営効果の測定に関する研究及び実践」報告書
2007年3月31日発行
編集・製作 三重大学大学院工学研究科建築学専攻 都市計画・浦山研究室
 (住所と電話番号は略)
製本 合資会社黒川印刷
 (住所と電話番号は略)

 ついでですから巻頭に収録された「はじめに」もごらんいただきましょう。やや読みにくいかもしれませんがスキャン画像でどうぞ。

 ちょっと引いときます。

 本報告書は、ワークショップ(NPO なばりマネジメント委員会など)の開催支援および歴史的建造物(旧細川邸)改修にかかる基本設計業務とともに、当該建造物の管理主体となるまちづくり組織の運営モデルの開発、運営効果の測定など専門的・技術的な支援を目的に、2006年9月26日に受託研究の契約を結んだ「歴史的建造物改修に係る基本設計業務ならびに当該建造物を活用した管理運営モデルの開発、運営効果の測定に関する研究及び実践」の研究成果である。

 なんだかわかりにくい話ですけど、名張市と三重大学浦山研究室が契約を結んだというわけです。どうして名張市と三重大学浦山研究室なのか、それはわかりません。事情を知らぬ市民としては、それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければならないのかな、といぶかるばかりなのですが、とにかく去年の9月26日に受託研究の契約が締結されたわけです。

 「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」にもとづいて事実関係を確認しておきましょう。

 2006年6月18日、名張まちなか再生委員会の2006年度総会が開かれました(総会資料の PDF ファイルはこのページ)。議事は次のとおり。

 1. 平成17年度事業経過報告について 2. 規約改正(案)について 3. 役員改選について 4. (仮称)NPO なばり実行委員会の設置について 5. 平成18年度事業計画(案)について 6. その他

 「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から転載。

6月18日、名張まちなか再生委員会の2006年度総会が名張市役所で開かれました。右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」では「平成17年度事業経過報告」のうち歴史拠点プロジェクトの「活動の総括」が、
(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画検討
・桝田医院第2病棟跡地活用方針((仮称)乱歩文学館の考え方)の検討
・公設民営にかかる事業計画の協議・公設民営体制等の研究(継続)→まちづくり研究会検討委員会に委任
・細川邸の解体除却
・歴史拠点整備プロジェクトの開催(9回)
【継続協議事項】
・(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画・実施設計
 とされており、同プロジェクトの「H16年度〜H17年度実績」は、
約1千9百万円
 となっています。

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「役員改選について」から新年度役員の名簿を転載。
参与
山村博亮
柳生大輔
梶田淑子
永岡禎
多田昭太郎
委員長
田畑純也
副委員長
亀井喜久雄
浦山益郎
木津義明
再生整備プロジェクトチーフ
北村嘉孝
小野彰則
中森久夫
田畑純也
市橋多聞

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「平成18年度各再生整備プロジェクト名簿」から歴史拠点整備プロジェクトの名簿を転載。
北村嘉孝
名張地区まちづくり推進協議会
長川精孝
からくりのまち名張実行委員会
辻本武久
名張地区まちづくり推進協議会
山口勝義
名張地区まちづくり推進協議会
岡村忠世
名張地区まちづくり推進協議会
福田哲明
名張商工会議所
大西武夫
名張市観光協会
的場敏訓
乱歩蔵びらきの会
山口浩司
乱歩蔵びらきの会
東川元信
名張市
山崎惠子
名張市

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「(仮称)NPOなばり実行委員会設立趣旨書」から引用。
 名張地区では、地区の再生・活性化を目的として、平成17 年6月26日に、名張まちなか再生プラン(以下「プラン」とする。)を実現化するための住民主導組織である、名張まちなか再生委員会を設立し、プランの事業スケジュールに基づき、名張地区再生のために有効な事業を、5つの再生再整備プロジェクトを設け、事業展開しているところです。
 この中で、「歴史拠点整備プロジェクト」の柱として検討中の「細川邸」を活用した公設民営を前提とする「(仮称)初瀬ものがたり交流館」整備にあたって、その基本計画を案として提言される際に、細川邸を維持管理運営する組織が、最終的な基本計画の決定を行う必要性を提示され、名張まちなか再生委員会役員会の確認を経て、この組織の核となる、「まちづくり研究会・検討委員会」が、平成18 年1月16 日に組織されました。
 これに基づき、これまでに、細川邸の整備方針(基本計画)や、細川邸の維持管理組織、その他の名張地区における、再生整備プロジェクトや名張地区まちづくり推進協議会等との連携方針、将来のまちなか全体のマネージメントのあり方などに関して、協議・検討を重ね検討を継続しているところです。
 そしてこの度、細川邸の再生を起点として、名張地区のまちなか全体の活性化もふまえた事業を早期に実施するために、「まちづくり研究会・検討委員会」及び「歴史拠点整備プロジェクト」会員を発起人とし、実践的組織である、(仮称)NPOなばり実行委員会を設立することとします。

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」から「(仮称)NPOなばり実行委員会設立趣旨書」の設立発起人名簿を転載。
北村嘉孝
田畑純也
中森久夫
辻本武久
山口勝義
長川精孝
浦山益郎
木津義明
東川元信
中出文夫
山口伴尚
朝野陽助
深井克治

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「平成18年度事業計画(案)について」から歴史拠点プロジェクトの関連事項を引用。
活動の目的
 細川邸は、初瀬街道の風情あるまちなみを再生する先導モデルとして修景整備し、そのノウハウを初瀬街道のまちなみ再生事業に活かしていくとともに、まちなかの集客交流機能を備えたおもてなしの場として整備し、住民自らの手により自主運営していきます。
 また、桝田医院第2病棟は、江戸川乱歩生誕地碑のある敷地という好立地条件を活かして、江戸川乱歩に関係する施設を整備します。
 そしてこれら2つの施設をネットワークさせるなど、まちなか再生に関し、より効果の高い連携手法を検討していきます。
平成18年度事業計画
(仮称)初瀬ものがたり交流館整備事業
・細川邸改修等工事の実施。
・(仮称)初瀬ものがたり交流館の維持管理運営内容の検討。
乱歩関連施設整備事業
・乱歩関連施設の整備にむけた専門的検討組織の設置及び計画及び維持管理・運営方針の検討。
・桝田医院第2病棟の解体除却。
概算予算枠
(仮)初瀬ものがたり交流館整備事業 約60,000千円
(仮)乱歩文学館整備 約17,000千円

 新年度の事業計画として「細川邸改修等工事の実施」や「(仮称)初瀬ものがたり交流館の維持管理運営内容の検討」があげられていますが、三重大学浦山研究室との契約についてはいっさいふれられておりません。

 7月26日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十一回会合が開かれました。

7月26日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第十一回会合が名張市役所一階大会議室で開かれました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した議事録から転載。
▼確認・決定事項
(1)平成18年度「細川邸」活動方針について
 ○■■■■■■■■が、細川邸の実施設計予算を平成18年度に繰り越した旨の報告を行い、今年度は 「NPO なばりマネジメント委員会」を設立し、三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め、今年度内に実施設計を完了し、工事発注することを報告・確定した。
 ○「(仮称)初瀬ものがたり交流館」の正式名称を、NPO なばり実行委員会で検討・確定の予定。
(2)平成18年度「桝田医院第2病棟」について
 ○桝田医院第2病棟については、本年度内に周辺住民や自治会との調整も含め、跡地の利活用方針を定め、解体除却することを確認した。
(3)平成18年度「おもてなし事業」について
 ○ NPO なばり実行委員会が予定している11月4・5日と2月(戎まつり)のおもてなし事業については、本プロジェクトとして協力していくことを確認した。
▼その他の留意点・今後にむけて・課題等
(1)「細川邸」について
 ○「(仮称)初瀬ものがたり交流館」の正式名称を、NPO なばり実行委員会で検討・確認の予定。
(2)平成18年度「桝田医院第2病棟」について
 ○桝田医院第2病棟実施検討にむけては、昨年の本プロジェクト会議以降、具体的な話がとぎれた状態になっており、計画の前提条件が未整理な状態であるため、名張市としての参画方針も含め、事務局で再度基本的な枠組みを整理する。

 まったく唐突に、というしかないのですが、NPO なばりマネジメント委員会たらいう組織が設立されることになり、「三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め、今年度内に実施設計を完了し、工事発注すること」が決められております。この NPO なばりマネジメント委員会というのはいったい何なのかな。前月の総会ではそんな委員会を発足させることが話し合われた形跡もなく、それにそもそも歴史拠点整備プロジェクトに NPO を勝手に発足させる権限があるのかどうかもおおいに疑問でしょう。むろんこの NPO なばりマネジメント委員会は名張まちなか再生委員会が発足させたと見ることも可能でしょうが(かたちのうえではたぶんそうなっていることでしょう)、それならばちゃんと総会に諮れよということになるのであって、いずれにしてもなんか陰でこそこそしているという印象がある。

 少なくとも名張まちなか再生委員会の規約を見るかぎりでは、各プロジェクトにそんな権限が与えられているわけではないようです。しかしまあ、各プロジェクトは勝手に NPO をつくったりなんかしてはいけませんという規定もないわけですから、幼稚園には煙草を喫ってはいけないという規則がなかったからと幼児時代から喫煙していた百鬼園先生の顰みに倣ったものと理解しておくべきでしょうか。いや、いやいや、顰みに倣っていただくのは結構だとしても、勝手に発足させた NPO が三重大学浦山研究室と手を組んだ結果として名張市民の血税百四十九万九千円が国立大学法人三重大学のふところに入ってしまっているのですから、あまり結構なことでもないのかな。

 ともあれここで確認しておくべきなのは、総会に諮られもしなかった NPO なばりマネジメント委員会の設立がこの日の会合で「報告」され、つまりは既定の事実として伝えられたということでしょう。この NPO の発足は何月何日か、メンバーは何人か、代表は誰か、いやそもそも目的は何なのか、みたいなことはいっさい不明という寸法です。2006年度総会の資料には、

 ──細川邸の再生を起点として、名張地区のまちなか全体の活性化もふまえた事業を早期に実施するために、「まちづくり研究会・検討委員会」及び「歴史拠点整備プロジェクト」会員を発起人とし、実践的組織である、(仮称)NPO なばり実行委員会を設立することとします。

 と NPO なばり実行委員会とやらの設立が明言されているのですが、そのうえまたどうして NPO なばりマネジメント委員会とやらが組織されなければならぬのか。どうして名張市というところでは次から次へとわけのわかんない委員会が誕生しつづけるのか。

 そして9月26日、名張市と三重大学浦山研究室との契約が結ばれ、今年の3月31日に報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」が提出されたということになります。印象としては市民の眼の届かないところでこそこそこそこそとことが進められたみたいな感じなのですが、これは単なる印象ですから関係各位はどうぞお気を悪くなさらずに。

 あこがれの住民監査請求めざしてあすもかまします。

関連書籍
大衆の心に生きた昭和の画家たち 中村嘉人
3月1日 PHP 研究所 PHP 新書447
著:中村嘉人
関連箇所
はじめに
序章 さし絵の黄金時代──大衆の心に生きた画家たち
第一章 ぼくらは少年探偵団──郷愁の「少年倶楽部」
第十二章 「新青年」と江戸川乱歩──日本の推理小説のメッカ
第十三章 ミステリーのさし絵画家たち──竹中英太郎、岩田準一、吉田貫三郎
 名張まちなか再生委員会のみなさんのおかげをもちまして「江戸川乱歩年譜集成」の更新にまでどうにも手がまわらないっぽい昨今ですが、本日はメールで教えていただいた新書のお知らせ。

 タイトルどおり大衆文学系の挿絵の変遷が著者の体験にもとづいて語られております。挿絵史として目新しいことが書かれているわけではないのですが、自身がそれを生きた昭和という時代への郷愁が色濃く、乱歩の名前も少年時代を彩る懐かしい思い出としてまず登場してきます。

 それでは「はじめに」から少々。

 これらのさし絵を真似て描いたり、書き写したりすることが大流行りした。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ第一作「怪人二十面相」の連載が開始されたのは、私が小学校へ入学する昭和十一(一九三六)年の一月号からである。変装の名人、二十面相が美術品を狙い、名探偵明智小五郎と助手の小林少年がそれを阻止すべく大活躍する。さし絵は小林秀恒。怪人二十面相のイメージは、小林のさし絵によるところが大きい。この小説は子どもたちの熱狂的な歓迎をうけ、以後、戦時下に中断されるまで「少年探偵団」「妖怪博士」「大金塊」と書き続けられた。「少年探偵団」のさし絵は梁川剛一が担当したが、評判がよく、この後もしばしばコンビを組んだ。

 ■6月6日(水)
三重大学浦山研究室の報告書ワークショップ編を読んでみる 

 あこがれの住民監査請求を坂の上の雲のようにもあおぎ見ながら、本日も三重大学浦山研究室から名張市に提出された報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の話題をつづけます。

 まず報告書の概要を眺めておきましょう。目次をどうぞ。

〈ワークショップ編〉NPO なばり実行委員会・マネジメント委員会の活動記録
1. はじめに
2. 名張地区の概要
3. 旧細川邸の概要
4. 名張まちなか再生プランにおける旧細川邸改修計画
5. 旧細川邸改修案づくりの検討プロセス
6. まとめ
p.1−p.14
〈提案編〉旧細川邸改修実施設計のための条件整理
1. はじめに
2. 旧細川邸改修のねらい
3. 棟別の改修・新築の方針
4. 外構工事の方針
5. 実施設計のための基本計画
6. 概算費用
p.15−p.58
〈市民評価編〉旧細川邸改修案に対する市民評価
1. はじめに
2. 隠街道市の概要
3. 旧細川邸の改修と運営に対する住民意識
4. まとめ
p.59−p.70
〈事例編〉公設民営による歴史的建造物を活かした地域交流施設の管理運営
1. はじめに
2. 公設民営施設整備の全国的な状況〜メールアンケート調査結果より
3. 施設の概要〜郵送アンケート調査結果より
4. 施設の管理運営モデルの類型化および各モデルの特徴の整理
5. 施設を運営管理する上での留意点
p.71−p.122
〈資料編〉
1. メールアンケート調査票
2. 郵送アンケート調査票
3. 郵送アンケート調査結果表
p.123−p.135

 なかなか立派なものです。「ワークショップ編」では細川邸の現況を調査確認し、「提案編」では改修のねらいと方針を明確にして七千七百六十三万円という概算費用をはじき出し、「市民評価編」では地域住民の声に耳を傾け、「事例編」では他都市の事例を参照して公設民営方式に道を開き、いやもういたれりつくせりとはこのことかといった内容となっております。

 ついでですから、ご尽力いただきましたスタッフの一覧も引用しておきましょう。

調査研究組織
名張市都市環境部
  荒木雅夫  まちなか再生担当
  雪岡太   市街地整備推進室
三重大学大学院工学研究科建築学専攻 都市計画・浦山研究室
  総括  浦山益郎   三重大学大学院工学研究科建築学専攻・教授
  幹事  松浦健治郎  三重大学大学院工学研究科建築学専攻・助教
      巌佐朋広   三重大学大学院工学研究科・博士前期課程1年
      喜田由布子  同上
      丸登健史   同上
報告書執筆分担
全体構成・全体編集 :松浦
〈ワークショップ編〉:浦山・巌佐
〈提案編〉     :浦山・松浦・巌佐・喜田・丸登
〈市民評価編〉   :浦山・喜田
〈事例編〉     :松浦・浦山・喜田・巌佐・丸登

 国立大学運営費交付金の削減という天下の悪政に戦々恐々としているとも伝えられますものの、さすがは三重大学。どこがさすがなんだかよくわからないような気もいたしますが、それでも国立大学といわれてみるとセクハラも自殺もあれどどことなく頼もしい感じがしてきますから妙なものです。

 もうひとつ、「ワークショップ編」にある「マネジメント委員会の構成」も引用しておきましょうか。ちなみに私はきのうの伝言で、NPO なばりマネジメント委員会に関して、

 ──この NPO の発足は何月何日か、メンバーは何人か、代表は誰か、いやそもそも目的は何なのか、みたいなことはいっさい不明という寸法です。

 と記しましたが、以下に掲げるスタッフ一覧で委員会メンバーだけは判明いたします。ただしほかにもメンバーが存在するのかどうかは不明。いつ発足したのか目的は何なのか、そのあたりのことも全然わかりません。

マネジメント委員会の構成
NPO なばり実行委員会・マネジメント委員会
  代表  北村嘉孝
      田畑純也
      中森久夫
      山口伴尚
      奥村和子
      宮城久美子
名張市都市環境部
  まちなか再生担当  荒木雅夫
  市街地整備推進室  雪岡太
〈事務局〉三重大学大学院工学研究科建築学専攻 都市計画・浦山研究室
  教授    浦山益郎
  助教    松浦健治郎
  大学院生  巌佐朋広
  同     喜田由布子
  同     丸登健史

 それではこれら民官学のいずれ劣らぬ精鋭のみなさんが市民の眼の届かないところでどんな悪だくみを、ではなかった英知を結集した協議検討の末にどのようなすばらしい提案をしてくださったのか、じっくり拝見してみたいと思います。

 三重大学浦山研究室にいったい何をしていただいたのか。それはきのう引用した報告書の「はじめに」に記されておりました。そこからさらに抜粋しておきましょう。

 ──ワークショップ(NPO なばりマネジメント委員会など)の開催支援

 ──歴史的建造物(旧細川邸)改修にかかる基本設計業務

 ──当該建造物の管理主体となるまちづくり組織の運営モデルの開発、運営効果の測定

 重ねていうけどいたれりつくせり、ていうかおんぶにだっこの状態で、名張まちなか再生委員会は何から何まで三重大学浦山研究室におすがり申しあげているといった印象です。事情を知らぬ市民としては、それにしてもどうして名張市はここまで三重大学と癒着しなければならないのかなと思わないでもない次第なのですが、もう少し具体的なところをやはり「はじめに」から引いておきましょう。

 本受託研究の主要対象である歴史的建造物である旧細川邸の改修について、まちなか再生委員会および NPO なばり実行委員会の了解を得て、マネジメント委員会が中心となって改修計画案づくりを行った。研究実施の過程において、名張市が想定している事業予算内に改修を納めるためには、既存部分の老朽度等の調査を改めて実施する必要が生じ、既存部分の構造の歪みや老朽度の調査、それらを踏まえた耐震補強策の検討にかなりの時間と費用を割くこととなった。しかし、マネジメント委員会と5回のワークショップを開催し、その間に、歴史的建造物の調査研究の実績がある(有)伊藤平左エ門建築事務所の協力を得て、既存部分の調査および耐震補強の提案を受け、改修計画案をまとめることができた。その間の経緯を〈ワークショップ編〉、検討成果を〈提案編〉としてまとめてある。

 まだこんなこともやってなかったのか、と私は思います。既存部分の老朽度の調査と耐震補強策の検討のことです。名張まちなか再生委員会発足当初の予定では2005年6月から10月のあいだに実施設計が行われることになっておりましたから、こんな基本的な調査検討はとっくの昔に済んでいるだろうと思っていたのですが、そんなこともしないでいったい何をやっておったのか。しかもそうした調査検討にもとづいた整備構想を「名張市が想定している事業予算内に改修を納める」ことが必要であったとの由、三重大学浦山研究室のご苦労はいかばかりであったことか。

 しかしこれはたいへん重要なことです。そもそも名張まちなか再生プランの根っこの図式は「細川邸+まちづくり交付金」というようなことであって、はじめに細川邸ありき、ついでまちづくり交付金ありき、みたいなところから話がスタートしたのであろうと私には推測される次第なのですが、何につかうのかもいまだに決まっていない細川邸の改修について予算面もきちんと視野に入れた構想をまとめあげることができなければ、はっきりいって名張市の立場というものがなくなってしまいます。三重大学浦山研究室のお骨折りに謝意を捧げる関係者は、名張市内の官民双方に何人かずつはいらっしゃるのではないでしょうか。

 「はじめに」からもうちょっと引いてみます。

 改修後の当該施設の管理主体となる運営組織について、NPO なばりマネジメント委員会あるいは名張地区のまちづくりにおける中心人物と議論を重ねてきた。未だ運営組織の構成や事業内容等について成案を見ていないが、検討過程の中で、年に数回、旧細川邸を主要会場とするイベントを開催し、名張地区の活性化に貢献するとともに、イベント以外の日常時においても運営組織が自主事業等によって集客を図る方針が中心的に議論されてきた。どのような自主事業を展開すべきかについて議論を深める段階にあるといえる。このような運営モデルの妥当性を検証するための社会実験として、2006年11月に「隠街道市」が旧細川邸を含む名張地区を舞台に実施された。また、2007年1月に蛭子神社の祭礼時にタイアップ事業を実施する予定であったが、諸般の事情で実施できなかった。そこで運営効果を測定する試みとして、「隠街道市」において旧細川邸の改修案と運営イメージを提示し、来場者に期待する運営内容を問う調査を行った。その内容を〈市民評価編〉としてまとめた。

 うーむ。

 ──NPO なばりマネジメント委員会あるいは名張地区のまちづくりにおける中心人物と議論を重ねてきた。

 とありますけど、マネジメント委員会のメンバーは上掲のスタッフ一覧でわかりますものの、「名張地区のまちづくりにおける中心人物」とはいったいどなたのことなのか。私の頭のなかにはテレビ時代劇に登場する越後屋だかなんだか悪徳商人の、でなければ往年の日活無国籍アクションに出てきた謎の三国人のイメージが像を結ぶのですが、これらのみなさんはいったいどんな悪だくみ、ではなかったすばらしい提案をしてくださったのでしょうか。わくわくしながら報告書を見てまいりたいと思います。

 まず「ワークショップ編」の冒頭におかれた「はじめに」からどうぞ。

 2003年度に策定された名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」において、旧細川邸を改修し、歴史・交流拠点として整備することが提案されている。

 はい終了。

 おしまいである。

 終わりじゃ終わりじゃ。

 あろうことか開巻劈頭のいまだ三ページ、その時点でこの報告書の欺瞞が判明してしまいました。偽装があらわになってしまいました。なーにインチキかましてやがんだこの駅弁。2003年度なんかではなくて2004年度、2005年の3月に策定された名張まちなか再生プランの全文は名張市オフィシャルサイトのこのページで閲覧することが可能ですけど、そこにはどんなことが記されていたのかな。

 初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。細川邸は円滑な賃貸契約が見込めるほか、平成16年11月の芭蕉生誕360年祭において旧家の風情を活かした魅力的な歴史資料館になりうること、適切な企画によって集客力が期待できることなどが確認できたので、歴史資料館にふさわしい建築物と考えます。

 こんなことが書かれていたわけなのね。名張まちなか再生プランについて述べるのであればプランをきっちり読んでからにしてくれ、といいたいところなんですけどそれもおかしな話でしょう。プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長をお務めいただいたのはほかならぬ三重大学浦山研究室の浦山先生なんですから、いまさらプランの記述をご確認いただかねばならぬ必要はありますまい。

 しかもこの歴史資料館構想には、2005年7月29日に開かれた名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合において、

 ──細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする。

 と変更が加えられているわけなのね。いずれにしたって名張まちなか再生プランに「旧細川邸を改修し、歴史・交流拠点として整備することが提案されている」と主張するのは相当きついことである。

 しかしこれではっきりしたわけです。こんな報告書にはかけらほどの信もおくことあたわぬ。その事実が明らかになったわけです。この報告書もまたインチキにインチキを重ねただけのものなのであって、報告の大前提にこうした欺瞞が、偽装が、虚偽がでーんと存在しているわけなんですからこのあといくら読み継いだって意味はない。しかしせっかく千三百七十円の費用を奮発して報告書のコピー百三十七ページ分を入手したのですから、もう少し名張市の情報公開を市民の立場でお手伝いしておいたほうがいいのかな。

 そこでとりあえず「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」のページに、報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」に掲載されているワークショップの報告を引用しておきました。ワークショップは去年の8月2日から11月29日まで五回にわたって開かれております。いいですかみなさん。三重大学浦山研究室との契約が締結されたのは去年の9月26日だというのに、ワークショップは8月2日にスタートしてるわけなんです。なんかとんでもない出来試合だという気もしますけど、内情はさっぱりわかりません。ともあれ興味がおありの方は「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」をお読みください。

 それはそれとして、本日の産経新聞にはこんな記事が掲載されております。

改修整備後の細川邸 名称「やなせ宿」に 年度内オープンを
 明治時代の日本家屋のおもかげを残す「細川邸」(名張市新町)の再利用を検討しているNPO「なばり」(北村嘉孝・理事長)は、改修整備後の施設名称を「やなせ宿」にすることを決めた。母屋を切り妻屋根と出格子の趣あるイメージに演出し、年度内のオープンを目指している。

 細川邸は明治中ごろに建設された家屋で、平成17年春に所有者が敷地(約1000平方メートル)を市に無償提供し、建物は寄贈。建物の寄贈を受けて旧市街地の住民らでつくる同NPOが、再活用の方法などを検討してきた。 

 細川邸の近くを流れる名張川は古くから、アユを取る仕掛けである簗(やな)が多く設けられ、周辺は平安時代に「簗瀬」の地名で呼ばれていたとされる。

 また、江戸時代には伊勢神宮詣での旅人を泊める宿場としても栄えたため、細川邸の新名称を歴史的な背景を考慮して「やなせ宿」に決めた。

 現状の細川邸は、母屋と土蔵2棟が残っており、市市街地整備推進室は改修整備工事を行う業者を8月中に一般競争入札で選定。早ければ9月に着工し、耐震補強をして年度末までのオープンを見込んでいる。

産経新聞 Sankei Web 2007/06/06/02:58

 細川邸の名称については昨年9月29日の歴史拠点整備プロジェクト第十三回会合で、11月の隠街道市に関連して、

 ──細川邸整備イメージの模型展示コーナーでは併せて計画検討ビデオも上映し、見て頂いた来館者には(仮称)初瀬ものがたり交流館の愛称募集に協力してもらう。そして応募案も含め本 PJ で最終決定する。

 と決められていたのですが、この募集はどうなったのかな。いまだどのような施設として運営されるのかも決定していないのだから愛称募集もくそもないもんだ、ということになったのでしょうか。しかしいまだどのような施設として運営されるのかも決定していないのに「やなせ宿」という名称だけは決定されてしまったというのですから、名張まちなか再生委員会のみなさんはいったいなーにやってんだか。

 えーっと、名張まちなか再生委員会のみなさんのおかげをもちまして時間がなくなってしまいましたので、「Rampo Fragment」の更新は勝手ながらお休みし、きのうのままとしておきます。どうも申しわけありません。

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3月1日 PHP 研究所 PHP 新書447
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 名張まちなか再生委員会のみなさんのおかげをもちまして「江戸川乱歩年譜集成」の更新にまでどうにも手がまわらないっぽい昨今ですが、本日はメールで教えていただいた新書のお知らせ。

 タイトルどおり大衆文学系の挿絵の変遷が著者の体験にもとづいて語られております。挿絵史として目新しいことが書かれているわけではないのですが、自身がそれを生きた昭和という時代への郷愁が色濃く、乱歩の名前も少年時代を彩る懐かしい思い出としてまず登場してきます。

 それでは「はじめに」から少々。

 これらのさし絵を真似て描いたり、書き写したりすることが大流行りした。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ第一作「怪人二十面相」の連載が開始されたのは、私が小学校へ入学する昭和十一(一九三六)年の一月号からである。変装の名人、二十面相が美術品を狙い、名探偵明智小五郎と助手の小林少年がそれを阻止すべく大活躍する。さし絵は小林秀恒。怪人二十面相のイメージは、小林のさし絵によるところが大きい。この小説は子どもたちの熱狂的な歓迎をうけ、以後、戦時下に中断されるまで「少年探偵団」「妖怪博士」「大金塊」と書き続けられた。「少年探偵団」のさし絵は梁川剛一が担当したが、評判がよく、この後もしばしばコンビを組んだ。

 ■6月7日(木)
報告書ワークショップ編にツッコミを入れる 

 僭越ながらまた微力ながら名張市の情報公開をもう少しお手伝いすることにいたしまして、三重大学浦山研究室の報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」にもとづいた報告をつづけます。本日は昨年五回にわたって開かれたワークショップについて。

 となるとやはり、きのう冒頭を引いただけで終わってしまった「ワークショップ編」の「はじめに」を見ておくことが必要でしょう。

 2003年度に策定された名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」において、旧細川邸を改修し、歴史・交流拠点として整備することが提案されている。2005年6月のまちなか再生委員会総会において NPO なばり実行委員会の設立が認められ、同役員会において NPO なばり実行委員会に対して旧細川邸の運営および改修案を検討することが付託された。そして、NPO なばり実行委員会の世話人会において、NPO なばり実行委員会の代表者や名張市職員、市民から構成されるマネジメント委員会において具体的な改修計画案を検討することが了承された。
 三重大学浦山研究室は、受託研究「歴史的建造物改修に係る基本設計業務ならびに当該建造物を活用した管理運営モデルの開発、運営効果の測定に関する研究及び実践」の一環として、マネジメント委員会の事務局として改修計画案を支援した。
 〈ワークショップ編〉では、マネジメント委員会における旧細川邸の運営方法と改修案の検討プロセスおよび検討した利用方法について取りまとめる。

 虚偽記載不実記載のてんこもりである。名張まちなか再生プランは2003年度に策定されたわけではなく、そのプランに細川邸を「歴史・交流拠点として整備する」なんてことが盛り込まれていたわけでもなかったことはきのうも指摘しておきましたけれど、2005年6月の総会で NPO なばり実行委員会の設立が認められたなどという事実もなく、だいたいが NPO なばり実行委員会なんていまだ正式に発足してはおらんのではないか。

 と思って「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」で名張まちなか再生委員会2006年度総会の内容を確認してみました。こんなあんばいです。

6月18日、名張まちなか再生委員会の2006年度総会が名張市役所で開かれました。右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」では「平成17年度事業経過報告」のうち歴史拠点プロジェクトの「活動の総括」が、
(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画検討
・桝田医院第2病棟跡地活用方針((仮称)乱歩文学館の考え方)の検討
・公設民営にかかる事業計画の協議・公設民営体制等の研究(継続)→まちづくり研究会検討委員会に委任
・細川邸の解体除却
・歴史拠点整備プロジェクトの開催(9回)
【継続協議事項】
・(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画・実施設計
 とされており、同プロジェクトの「H16年度〜H17年度実績」は、
約1千9百万円
 となっています。

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「役員改選について」から新年度役員の名簿を転載。
参与
山村博亮
柳生大輔
梶田淑子
永岡禎
多田昭太郎
委員長
田畑純也
副委員長
亀井喜久雄
浦山益郎
木津義明
再生整備プロジェクトチーフ
北村嘉孝
小野彰則
中森久夫
田畑純也
市橋多聞

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「平成18年度各再生整備プロジェクト名簿」から歴史拠点整備プロジェクトの名簿を転載。
北村嘉孝
名張地区まちづくり推進協議会
長川精孝
からくりのまち名張実行委員会
辻本武久
名張地区まちづくり推進協議会
山口勝義
名張地区まちづくり推進協議会
岡村忠世
名張地区まちづくり推進協議会
福田哲明
名張商工会議所
大西武夫
名張市観光協会
的場敏訓
乱歩蔵びらきの会
山口浩司
乱歩蔵びらきの会
東川元信
名張市
山崎惠子
名張市

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「(仮称)NPOなばり実行委員会設立趣旨書」から引用。
 名張地区では、地区の再生・活性化を目的として、平成17 年6月26日に、名張まちなか再生プラン(以下「プラン」とする。)を実現化するための住民主導組織である、名張まちなか再生委員会を設立し、プランの事業スケジュールに基づき、名張地区再生のために有効な事業を、5つの再生再整備プロジェクトを設け、事業展開しているところです。
 この中で、「歴史拠点整備プロジェクト」の柱として検討中の「細川邸」を活用した公設民営を前提とする「(仮称)初瀬ものがたり交流館」整備にあたって、その基本計画を案として提言される際に、細川邸を維持管理運営する組織が、最終的な基本計画の決定を行う必要性を提示され、名張まちなか再生委員会役員会の確認を経て、この組織の核となる、「まちづくり研究会・検討委員会」が、平成18 年1月16 日に組織されました。
 これに基づき、これまでに、細川邸の整備方針(基本計画)や、細川邸の維持管理組織、その他の名張地区における、再生整備プロジェクトや名張地区まちづくり推進協議会等との連携方針、将来のまちなか全体のマネージメントのあり方などに関して、協議・検討を重ね検討を継続しているところです。
 そしてこの度、細川邸の再生を起点として、名張地区のまちなか全体の活性化もふまえた事業を早期に実施するために、「まちづくり研究会・検討委員会」及び「歴史拠点整備プロジェクト」会員を発起人とし、実践的組織である、(仮称)NPOなばり実行委員会を設立することとします。

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」から「(仮称)NPOなばり実行委員会設立趣旨書」の設立発起人名簿を転載。
北村嘉孝
田畑純也
中森久夫
辻本武久
山口勝義
長川精孝
浦山益郎
木津義明
東川元信
中出文夫
山口伴尚
朝野陽助
深井克治

 同じく右のリンク先「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」の「平成18年度事業計画(案)について」から歴史拠点プロジェクトの関連事項を引用。
活動の目的
 細川邸は、初瀬街道の風情あるまちなみを再生する先導モデルとして修景整備し、そのノウハウを初瀬街道のまちなみ再生事業に活かしていくとともに、まちなかの集客交流機能を備えたおもてなしの場として整備し、住民自らの手により自主運営していきます。
 また、桝田医院第2病棟は、江戸川乱歩生誕地碑のある敷地という好立地条件を活かして、江戸川乱歩に関係する施設を整備します。
 そしてこれら2つの施設をネットワークさせるなど、まちなか再生に関し、より効果の高い連携手法を検討していきます。
平成18年度事業計画
(仮称)初瀬ものがたり交流館整備事業
・細川邸改修等工事の実施。
・(仮称)初瀬ものがたり交流館の維持管理運営内容の検討。
乱歩関連施設整備事業
・乱歩関連施設の整備にむけた専門的検討組織の設置及び計画及び維持管理・運営方針の検討。
・桝田医院第2病棟の解体除却。
概算予算枠
(仮)初瀬ものがたり交流館整備事業 約60,000千円
(仮)乱歩文学館整備 約17,000千円

 これだけではよくわかりませんので名張市オフィシャルサイトに掲載された総会資料(このページです。PDF ファイルとなっております。ちなみに6月2日に開催された2007年度総会の資料はいまだ掲載されておりません。永遠に掲載されないのかもしれません。ま、隠蔽自治体の名をほしいままにしていればいいであろう)も閲覧してみましたところ、驚くべきことに昨年度総会の時点で NPO なばり実行委員会とやらが発足していたらしいことにようやく気がつきました。これは私がうかつであった。なにしろこの NPO、市民の眼がまったく届かないところでこそこそこそこそ活動していたようですから、私にはそれが実在しているものだとは夢にも思えない次第であったわけなのですが、実在の NPO ならば話は早い。近いうち名張市役所に行ってこの NPO に関する公文書の公開を請求してこようかなっと。

 それで実在していたこの NPO なばり実行委員会とやらが市民の眼の届かないところで何をこそこそ活動していたのか、その一端を物語るのが三重大学浦山研究室の報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」なのであるという寸法です。

 報告書「ワークショップ編」の「名張まちなか再生プランにおける旧細川邸改修計画」から引用。

 2006年6月の名張まちなか再生委員会の総会において、将来の歴史・文化拠点として旧細川邸を運営することを目指した「NPO なばり実行委員会」の組織化が承認された。その後、NPO なばり実行委員会の世話人会において、具体的な運営および旧細川邸の改修計画案を検討・作成するために「マネジメント委員会」をつくることが承認された。
 マネジメント委員会の構成は、図1-5の通りである。また、三重大学浦山研究室が事務局となり、マネジメント委員会および名張市都市環境部によって旧細川邸の運営方式の検討と改修案づくりが行われた。

 図1-5というのは、きのうも掲載しましたけど下に掲げる一覧表のことです。きのうの時点では表のタイトルが「研究体制」となっておりましたが、これは私のケアレスミス。ひとことおわびを申しあげ、「マネジメント委員会の構成」と訂正を加えたうえで再掲しておくことにいたします。

マネジメント委員会の構成
NPO なばり実行委員会・マネジメント委員会
  代表  北村嘉孝
      田畑純也
      中森久夫
      山口伴尚
      奥村和子
      宮城久美子
名張市都市環境部
  まちなか再生担当  荒木雅夫
  市街地整備推進室  雪岡太
〈事務局〉三重大学大学院工学研究科建築学専攻 都市計画・浦山研究室
  教授    浦山益郎
  助教    松浦健治郎
  大学院生  巌佐朋広
  同     喜田由布子
  同     丸登健史

 なんだかもういいように話が進められているわけです。名張まちなか再生委員会が情報開示とか市民のコンセンサスとか、そんなものとはいっさい無縁な密室のなかで協議検討を進めてきたことはこれまでにもさんざっぱら指摘してきたとおりなのですが、その密室のなかにまたしても NPO なばり実行委員会という密室がつくられ、そのなかにもうひとつマネジメント委員会という密室がつくられて、細川邸の整備に関してはその三重の密室のなかでごく少数の人間だけがすべてを決定するという仕組みがいつのまにかできあがってしまっているわけね。こんなことでほんとに大丈夫なのか名張市は。

 ここで細川邸の整備における丸投げの変遷をふり返ってみるならば──

 1)名張市 → 名張地区既成市街地再生計画策定委員会

 2)名張地区既成市街地再生計画策定委員会 → 名張まちなか再生委員会

 3)名張まちなか再生委員会 → NPO なばり実行委員会

 4)NPO なばり実行委員会 → マネジメント委員会

 5)マネジメント委員会 → 三重大学浦山研究室

 実質的にはこんなところでしょう。細川邸整備の方向性も最初は歴史資料館だったのが初瀬街道からくり館になり初瀬ものがたり交流館になり、ついにはそうした方向性を明確にする努力すら放棄されたあげくここへ来ていきなり、細川邸をどんな施設として運営しますという説明はいっさいないままにいきなり、昨日付産経新聞の「改修整備後の細川邸 名称「やなせ宿」に 年度内オープンを」によれば整備後の施設名は「やなせ宿」にいたしますなんてことがしれっと発表されているわけである。ここまでやられてしまうと市民の眼なんてほんとに届かない。届きようがない。なんかもう名張市政というものに対して絶望的なものを感じてしまう次第なのですが、ほんとに大丈夫なのか名張市は。

 それではとりあえずワークショップとやらのご報告。「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から転載いたします。きのうもふれておきましたけど、三重大学浦山研究室との受託契約が結ばれたのは昨年9月26日、だというのに最初のワークショップはそれ以前の8月2日に開かれております。ほんっと、どうなってるのかしら。

8月2日、NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会が第一回ワークショップを開きました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「ワークショップ編」から引用。
(1)第1回ワークショップ(2006年8月2日)
1)目的
 旧細川邸の活用に関する将来シナリオを共有した上で、改修のための条件として利用方法、収容人員、使用する場所を検討する。
2)検討の手順
 まず、図1-6に示す市民活動重視および収益性重視の2つの視点から、旧細川邸活用のための将来シナリオの検討を行った。次に、名張地区で行われる花火や祭礼といった大規模なイベント時の利用方法およびイベント時以外の際に行う飲食や体験教室などの定期的な利用方法を検討した。さらに、旧細川邸の平面図を用いて、それらを行う場所の検討を行った。

3)成果
 旧細川邸の運営方針として、市民が参加できる活動の受け皿であると同時に、運営組織が収益事業を展開して、「旧細川邸がまちなか再生の核として、NPO なばり実行委員会によって持続的に経営される」ことの重要性が確認された。そのために、地域行事として行われる大規模なイベントのタイアップ事業や運営組織が行う自主事業を拾い出し、表1-1のようにまとめることができた。
 さらに、それらの事業を行うべき場所として、母屋・蔵・外部空間の利用方法が議論された。収益事業として飲食提供を行うためには、飲食棟を新築することが必要とされた。飲食棟は NPO なばり実行委員会が直営する方法と第3者に貸して家賃収入を得る方法があり、後者の場合、経営リスクが小さいことなどが議論されたが、結論には至らなかった。また、母屋では収容しきれない催事に、柔軟に対応できるように外部空間を活用することが確認された。

(2)歴史的建造物の改修について
 旧細川邸の改修のために、名張市は6,000万円程度を見込んでいた。既述したように旧細川邸は歴史・文化拠点として再生させ、さらに旧初瀬街道沿いの街並み修景のモデルとなることが期待されている。このような役割を達成するために必要な改修および概算費用を把握するために、歴史的建造物の改修の経験が豊富な(有)伊藤平左エ門建築事務所に土台廻り、屋根、外壁などの改修に必要な箇所の視認および費用の予想をしてもらったところ、歴史的建造物として母屋を改修するためには、4,000〜5,000万円を要する可能性があることがわかった。
 母屋の改修に予算の大部分が費やされると、飲食棟の新築は困難となる。改修案を検討するためには、まず既存部分にどのような改修を施し、どの程度の費用がかかるのかを把握する必要があった。名張市は旧細川邸の改修に必要な箇所、方法、費用に関する資料を持っていなかったので、緊急にマネジメント委員会および名張市と協議して、既存部分の調査を行い、なるべく早急に改修方法と費用を把握する必要があること、将来、飲食棟を建築するスペースを残しておくが、今回の改修と同時に新築することを留保して改修計画案の検討を続けることの了解をえた。その後、三重大学浦山研究室は(有)伊藤平左エ門建築事務所の協力を得て、かなりの時間と費用を割いて既存部分の調査を行うこととなった。

 これもきのう記したことなのですが、名張まちなか再生委員会は細川邸改修の概算費用を算出することさえしていませんでした。それで遅ればせながら計算してみたところ、細川邸整備事業の総額が六千万円であるのに対し、歴史的建造物として母屋を改修するだけで四千万円だか五千万円だかを要することが判明したといいます。私ならこの時点でこの話にけりをつけます。白紙に戻してしまいます。どういう施設として運営するのかも決まっていない建物の改修にそこまでのお金をかけてしまうのは、いくらなんでも本末転倒の度が過ぎるというものだ。本末転倒ということでいうならば、名張まちなか再生プランなんて一から十まで本末転倒しているわけなのであるけれど。

 それにしてもこの報告書、冒頭に引きました「ワークショップ編」の「はじめに」には「旧細川邸を改修し、歴史・交流拠点として整備する」とありましたが、いま引用した「(2)歴史的建造物の改修について」では「既述したように旧細川邸は歴史・文化拠点として再生させ」となっております。「歴史・交流拠点」なのか「歴史・文化拠点」なのかはっきりしてもらいたいものですが、こうした記述の曖昧さ、いやもう不実と呼んでいいでしょう、これもまたまぎれもなく不実記載のひとつなのであって、こうした不実の背景には何があるのであろうかと考えてみますと、このマネジメント委員会とやらが歴史だろうが交流だろうが文化だろうが、そんなものはどうだっていいと認識しているらしいなという察しがついてまいります。どうでもいいことだから不実になってしまうのである。

 ならば、この委員会にとってはいったい何が重要であるのか。

 イベントである。

 飲食である。

 この報告書に記された第一回ワークショップの報告そのものが、マネジメント委員会とやらに秘められているそうしたたくらみを何よりも雄弁におのずから物語っているのである。それはまあ、名張まちなか再生委員会はコミュニティイベント下請け委員会になりさがってしまったのだからそれが当然の流れなのかもしれんけど、それにしたってあまりにもなあ。名張まちなかの再生というテーマをコミュニティイベントのレベルでしか考えられないのだからなあ。そんなことはとっくの昔に察しがついていたのだけれど、それにしたってあまりにもなあ。

 勝手ながら本日も都合により「Rampo Fragment」の更新はお休みいたします。細川邸の整備のことで毎朝時間を取られるのは当サイトにとってまさしく本末転倒したことなのですが、まあいたしかたありません。よろしくどうぞ。


 ■6月8日(金)
突出したハコモノにおけるかくも迂遠なプロセス 

 まずお知らせです。勝手ながらあしたとあさって、当サイトは更新をお休みいたします。お休みして何をするのかというと、まあ住民監査請求の準備みたいなことだとお思いください。掲示板「人外境だより」は毎朝チェックいたしますので、このさいだから三重大学浦山研究室の報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」について知りたいことがある、とかおっしゃる方はお気軽にご投稿をどうぞ。私にわかることであればお答えいたします。

 さてそれで結局のところ細川邸はどうなるのか。6月6日付産経新聞の記事を再度引きますと──

改修整備後の細川邸 名称「やなせ宿」に 年度内オープンを
 現状の細川邸は、母屋と土蔵2棟が残っており、市市街地整備推進室は改修整備工事を行う業者を8月中に一般競争入札で選定。早ければ9月に着工し、耐震補強をして年度末までのオープンを見込んでいる。
産経新聞 Sankei Web 2007/06/06/02:58

 9月着工、年度内オープン、みたいなことになっているようです。この流れはとどめようがありません。それで細川邸整備のためにお金がいくらかかるのかといいますと、報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」によれば七千七百六十三万円。ただしこれはあくまでも三重大学浦山研究室による試算の結果であるということをお含みおきください。詳細は報告書のスキャン画像でどうぞ。画像をクリックすると別ウインドウで大きな画像が開かれます。

 報告書によれば名張市は細川邸の整備に六千万がとこを見込んでいたそうなのですが、この試算では概算費用は七千七百万ちょい。足が出てしまうことになります。その程度の足ならどうってことはないでしょうけど、それ以上になんだか恐ろしいほどなのは現在ただいまの時点にいたってもこの細川邸、整備後は「やなせ宿」とかいうけったいな名称になるそうですけど、それがどんな施設として運営されるのかが決定されていないということです。

 世にハコモノと揶揄される施設は星の数もほどありましょうけど、ここまで突出して中身のないハコモノは事例を探すのに苦労するのではないかしら。とても信じられないような話ではあるけれど、これはまぎれもない現実なのである。いまや9月着工という日程も見えてきているにもかかわらず、どんな施設として運営されるのかがいまだ市民に知らされていない。ていうか決まっていない。ある意味たいしたものだと思われますので、名張市はいっそハコモノのメッカとして名乗りをあげてみてはどうでしょうか。

 冗談をいってるわけではありません。施設としての用途はなーんにも決めないまま、市民のみなさまにフレキシブルに利用していただきます、これがほんとの住民自治、とかなんとか利いたふうな能書きたれながら細川邸をオープンしてしまえばいいのではないかと私は思います。そうすればハコモノ行政の極北に位置する施設として話題を集め、全国から見学者視察者が殺到してくるのではあるまいか。機を見るに敏な旅行代理店なら夕張と名張を結んだおまぬけ自治体ツアーなんてのを企画するかもしれません。ともあれこれは意外にいい案だと思われますので、関係各位にはぜひご一考をお願いしたい。

 しかし真に恐ろしいのはオープンしたあとのあれこれでしょう。通常のハコモノなら維持管理運営の費用は税金でまかなわれることになるのですが、細川邸の場合は公設民営方式とやらですべてが NPO に委ねられてしまうそうですから、その NPO はまず第一に収益のことを考えなければなりません。きのう転載したマネジメント委員会第一回ワークショップの報告にも、

 ──運営組織が収益事業を展開して、「旧細川邸がまちなか再生の核として、NPO なばり実行委員会によって持続的に経営される」ことの重要性が確認された。

 と記されておりましたけど、あの死に絶えたような名張まちなかで「持続的に経営」なんてことが可能なのかどうか。報告書には、

 ──収益事業として飲食提供を行うためには、飲食棟を新築することが必要とされた。飲食棟は NPO なばり実行委員会が直営する方法と第3者に貸して家賃収入を得る方法があり、後者の場合、経営リスクが小さいことなどが議論されたが、結論には至らなかった。

 ともあって、これはもう歴史だの文化だの交流だのはまったく無関係、単なるビジネスの話し合いだと見るべきでしょう。しかし商業者からはほぼ完全に見捨てられてしまったといっていい名張まちなかでどんなビジネスモデルが実現できるというのか。ひとごとながらおおきに心配になってくる次第です。しかし先述のごとくこの流れはとどめようがありません。行き着くところまで行き着かなければどうにもならんことでしょう。

 それでは三重大学浦山研究室の報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」にもとづいたワークショップの報告をつづけましょう。「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」から転載。

8月28日、NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会が第二回ワークショップを開きました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「ワークショップ編」から引用。
(3)第2回ワークショップ(2006年8月28日)
1)目的
 旧細川邸および街並みの模型を用いてデザインゲームを行い、全体配置、旧初瀬街道および名張川の両側からの景観に配慮した建物配置を決定する。
2)検討の手順
 前記(2)の経緯を踏まえて、事務局から飲食棟を除く、母屋・中蔵・川蔵の改修とトイレ棟の新築を内容とするA〜Cの3案(図1-7)が代替案として提示された。次に、それぞれの案について模型と CCD カメラを用いて、旧初瀬街道側および名張川側からの景観に配慮した建物配置とファサードについて検討した。その後、平面図を用いて母屋の使い方を検討した。

3)成果
 全体配置、母屋の使い方、旧初瀬街道・名張川側からの景観を再生・維持するという視点から、3案の中からA案に絞ることができた。マネジメント委員会がA案を取り上げた背景には、費用の制約の中で旧初瀬街道の景観を優先して整備する、すなわち空き地となっている場所にトイレ棟およびポケットパークを優先的に整備する意志が確認されたことがある(写真1-5)。名張川側については、旧細川邸としての景観のまとまりを確保するために、川蔵の重要性を確認し、さらに駐車場前に屋根付きの門扉を設けることとなった(写真1-6)。

 また、母屋の使い方として、カマドのある土間と奥の間を一体的に使用したい、カマドは屋外に移設して再利用したい、2階もギャラリーなどに使用したいという意見があった。2階の使用については、法的規制の視点から再検討が必要となった。また、中庭の使い方は、当初から固定的に決めないで、利用しながらすこしずつ整備したい、中蔵はこの施設の飲食提供機能(喫茶)のために整備したいとの意見が強かった。

 第二回ワークショップは昨年8月28日に開かれ、事務局から改修案が三案提出されました(上の転載部分にある図面の画像をクリックすると大きな画像が開きます)。この事務局というのは三重大学浦山研究室のことで、しつこくいっときますけど受託契約が結ばれましたのは9月26日。ただし名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトで「三重大学教授浦山先生」の名前が出たのは7月26日のことでした。議事録には、

 ──■■■■■■■■が、細川邸の実施設計予算を平成18年度に繰り越した旨の報告を行い、今年度は 「NPO なばりマネジメント委員会」を設立し、三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め、今年度内に実施設計を完了し、工事発注することを報告・確定した。

 とありますから、7月26日以前の段階で三重大学浦山研究室におすがり申しあげる話は決まっていたものと見られます。ならばいつ決まっていたのか。それはこの議事録で個人情報保護のために名前を塗りつぶされている「■■■■■■■■」なる方にお訊きしてみなければわかりませんが、単なる推測でものをいうと名張まちなか再生プランの策定当初から、つまり三重大学教授浦山先生に名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長にご就任いただいた時点において、むろん確たる契約はなかったでしょうけれども暗黙の了解として「三重大学教授浦山先生を中心に、細川邸の最終設計方針を決め」ることが決定されていたのではないかと思われます。

 つづきまして第三回ワークショップ。

9月11日、NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会が第三回ワークショップを開きました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「ワークショップ編」から引用。
(4)第3回ワークショップ(2006年9月11日)
1)目的
 第2回ワークショップで絞り込まれたA案について、利用方法を再確認し、改修案をさらに改善する。
2)検討の手順
 事務局から前回の検討結果を踏まえて制作された模型と図面を提示した。さらに、CCD カメラを用いて制作した模型のビデオ映像を用いて、旧初瀬街道からの見え方、名張川側の見え方を検討した(図1-8)。

3)成果
 前回のワークショップで絞りこまれたA案を、大幅な修正をすることなく改修計画の案とすること(図1-9)、この改修案では費用面が未検討なので、予算を考慮しない理想案(費用的に許せばすべて整備したい)であることが確認された。
 運営面では、飲食機能が不可欠であり、飲食機能と同時にいつも施設が利用できることが大切であることが議論され、飲食と体験と情報発信の3つを軸に事業展開することが確認された。また、2006年11月に開催される「隠街道市」において、旧細川邸を会場として、将来出店してもらう物産(手作り作家)などを確認するための社会実験として取り組むことが報告された。

 ここでもまた、

 ──運営面では、飲食機能が不可欠であり、飲食機能と同時にいつも施設が利用できることが大切であることが議論され、飲食と体験と情報発信の3つを軸に事業展開することが確認された。

 とビジネスのおはなしが中心です。しかしこの期におよんで「飲食と体験と情報発信」なんてこといってるんですからほんとに大丈夫か。いくらまなじりを決してみたところで関係者は結局ご町内感覚に終始するしかないでしょう。そのことが容易に予想されますだけにほんとに大丈夫かという気になってきます。趣味や道楽の域を出ない「手作り作家」に出店してもらうとかなんとかかんとか、そんなご町内感覚にこりかたまっているようではどのみちろくな目は出るまい。何が情報発信か。

 ほんとにまったく何が情報発信か。隠街道市とかやなせ宿とか、そんなこといってるあいだは情報発信なんてできっこないではないか。いいかこら。かりにも情報発信というのであればそれは名張のことをよく知らない、あるいはまったく知らない人間も対象なのである。ていうか、観光客誘致のための情報発信となればそっちのほうが対象としてはメインなのである。だったら隠とかやなせとか、名張のイメージをぶれさせたり曖昧にしたりする用字用語は禁物だということがわからんのか。隠と書いてなばりと読みますとか、名張は昔やなせと呼ばれましたとか、そういう情報が通用するのはご町内だけなのである。名張のことをよく知らない人間に隠でございますやなせでございますと PR してみたところで何の効果があるというのか。名張でございますとストレートに訴えることがまずは求められるはずである。そんなことすら理解できずご町内感覚にこりかたまったまま隠だのやなせだのと喜んでる人間に情報発信なんて芸当ができるとはとても思えぬわけであるけれど、まあいいか。どうだっていいや。好きにしろ。

 つづきまして第四回。

10月26日、NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会が第四回ワークショップを開きました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「ワークショップ編」から引用。
(5)第4回ワークショップ(2006年10月26日)
1)目的
 (有)伊藤平左エ門建築事務所・名古屋事務所の協力を得て行った調査結果を踏まえた改修案および概算費用にもとづいて、改修箇所の優先順位を検討する。
2)検討の手順
 まず、前回のワークショップの検討結果にもとづいて修正した箇所の確認をした。(有)伊藤平左エ門建築事務所・名古屋事務所から提案された改修方法、棟毎の概算費用を報告し、整備の優先順位を検討した。
3)成果
 町屋の開放性を維持しつつ、耐震補強するために採用された外壁に沿って鉄骨柱を建てる方式を採用すること、そのために母屋に付属するトイレを除却すること、構造的な面から奥の間と土間の間の壁は存置することが了解された。
 次に、概算見積もりにもとづき、案1(トイレ棟の建設を優先する)、案2(仮設トイレを設置し、中蔵・川蔵改修と渡り廊下の新設を優先する)、案3(トイレ棟の建築費を減額し、さらに浄化槽の設置を取りやめ、中蔵の改修を選択する)の3案について検討した。その結果、母屋で飲食サービスをする限り、雑排水処理のために浄化槽設置は必須となるので、トイレ棟は建てざるをえないことが確認された。

 最後が第五回。

11月29日、NPO なばり実行委員会のマネジメント委員会が第五回ワークショップを開きました。名張市に対する公文書公開請求によって入手した報告書「歴史・交流拠点としての旧細川邸改修に向けて」の「ワークショップ編」から引用。
(6)第5回ワークショップ(2006年11月29日)
1)目的
 改修のための基本計画案を決定する。
2)成果
 第4回ワークショップまでの検討結果を踏まえ、事務局が取りまとめた「旧細川邸改修実施設計のための条件整理」(本報告書の〈提案編〉)を報告し、改修のための基本計画案とすることが確認された。概算費用は外構を含め約7,500万円となるが、この改修計画案を名張市に提案することとなった。
 また、12月中に名張まちなか再生委員会および NPO なばり実行委員会に報告すると同時に、この案に沿って実施設計を発注するための行政手続きに入ることが確認された。

 どうもご苦労さまでございましたと申しあげたいところではあれど、なんでいまごろになってこんなワークショップやんなきゃならないわけ? こんなのとっくの昔に済ませてなくちゃおかしい作業じゃん。ていうか、気が遠くなるほどにも迂遠なこのプロセスはいったい何? 根っこのことをいえば国のまちづくり交付金で細川邸を公的施設として整備しますというただそれだけのことが出発点であったはずのに、まちなか再生がどうのこうのと大風呂敷をひろげまくり、タイムスパンの大きく異なる課題をひとつのプランにつめこんでしまい、ろくにものの道理もわかっていないような官民双方のうすらばかを何十人と寄せ集め、ここへきてようやく実施設計だ概算費用だやなせ宿だとさえずることができるようになったというこの人をばかにしたような迂遠さは何? しかも細川邸がどんな施設として運営されるのか、関係者にさえ見えていないというこのおまぬけぶりはいったい何?

 さ、住民監査請求の準備でもしようかなっと。