2008年3月
25日 復帰一日目、犬にまつわるお知らせ
26日 復帰二日目、犬の名前について
27日 復帰三日目、図書館とおさらばするの弁
28日 復帰四日目、雑誌書籍催事新聞のあれこれ
29日 復帰五日目、図書館とおさらばするの弁ふたたび
30日 復帰六日目、名張人外境名誉一代永世番犬
31日 復帰七日目、図書館とおさらばするの弁ファイナル
 ■3月25日(火)
復帰一日目、犬にまつわるお知らせ 

 いやどうも、どうもすっかりご無沙汰してしまいました。お元気でいらっしゃいましたか。先月20日の伝言を最後として、一か月以上も更新をお休みしてしまいました。パソコンの不調で更新できなかったときを除けば、かくも長きブランクはかつてなかったと記憶いたします。もしかしたらご心配をおかけしていたかもしれません。ひとえにお詫び申しあげます。

 積もる話は数々あれど、復帰一日目のお知らせは犬のことをおいてほかにありません。あるものですか。昨年5月21日、名張人外境番犬ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンが十三歳と十か月で永眠いたしましたおりには、掲示板への投稿やメールによって温かいご厚志をたまわりましたこと、いまもって感謝に堪えぬ次第ですが、あんときゃほんとにまいりました。

 コンラート・ローレンツは『人イヌにあう』(小原秀雄訳、至誠堂)にこんなことを書いています。

 神が世界を創造したとき、将来、人とイヌの間に友情が結ばれることを予見していなかったにちがいない。さもなければ、神は、イヌに主人よりも五倍も短い生命を割りあてたことについて、はっきりとした、だがわれわれには不可解な理由をもっていたのだろう。人間の生活には、愛している者と別れなければならぬという深い悲しみ、その者が自分よりも数十年先に生まれたという事実によって、必然的に運命づけられている終りが近づくのをみるという悲しみがある──すべての者がそれぞれ自分の悲しみをになっているのだ。ところで、人間よりもさきに老衰し、死を迎える動物、まったく同じ日に生まれてもこちらが子どものときに世を去ってしまう生き物に心を寄せるのが正しいことかどうか、自問してみるのも悪くはないかもしれぬ。たった数年前には──たった数カ月前としか思われぬ──よちよち歩きの可愛らしい子イヌだったものが、まぎれもない老年のしるしをみせ、その死が二、三年後にはかならずややってくるということを知るのは、地上の生命のはかなさを悲しく思いださせる。深く愛していたイヌが年老いていくことが、つねに私を打ちのめし、ときには私は、きたるべき悲しみを思うときにしばしばすべての人間を苦しめる憂うつにとりつかれたことを白状しなければならない。

 引用しているだけで沈み込んでしまいそうになりますが、老いてゆく犬を見るのはつらいものです。可愛がってきた犬の老病苦死をまのあたりにするのはじつにつらいことです。飼い主の遠くない晩年を犬が先取りしているように見えてきたりした日には、これはもう切実につらい明け暮れとなってしまいます。だから犬が死んだあと、また犬を飼おうという気にはとてもなれません。

 去年5月に犬が死んで、そのすぐあとだったと思うのですが、地域の名門三重県立名張高等学校の事務室で野暮用を済ませていたときのこと、先生方の立ち話が耳に入ってきました。子犬のように耳をそばだててみたところ、学校のなかに子犬が迷い込んできたのだがさてどうしたものだろう、みたいな話柄であると知れました。こーりゃいかん、そんな子犬と眼が合ってしまったら、たぶん貰って帰らずにはいられなくなるだろうと思ってわけもなく狼狽し、そそくさと用事を済ませて鞄を小脇に追われるごとく事務室を飛び出してしまったこともあったのですが、とにかく犬を飼う気にはなれませんでした。いまから犬を飼ったりしたらどっちが先にくたばるかわからんぞ、というのもその理由のひとつだったのですが。

 復帰一日目の伝言は、リハビリといいますか慣らし運転といいますか、とりあえず以上でとどめます。ではまたあした。

 といったところで思いつきました。掲示板「人外境だより」の件、ご存じのとおり欧文のスパム投稿で埋めつくされているのですが、対策を講じるのもなんだか面倒なので、とりあえずブログのエントリを代用することにいたしました。コメントをご投稿いただければ、掲示板としてご利用いただけます。アドレスは下記のとおり。

 http://nabarimachinaka.blog.shinobi.jp/Entry/358/

 それではまたあした。


 ■3月26日(水)
復帰二日目、犬の名前について 

 犬が死んだとなりますと、それを聞きつけて、犬いらんかえー、と大原女みたいなことをいってきてくれる親切な人があるものですが、とてもとりあう気にはなれません。とりあう気にはなれないのですが、犬の死から時間がたつと、話を聞くだけなら聞いてみるのもいいかな、と心が少しずつ開かれてくるのがわかります。それで話を聞いてしまうと、これはもう飼わなくてどうするということになってしまいます。

 そんなこんなで、ウェルシュコーギーの女の子がいるという話がもたらされてきたわけです。去年の12月30日に生まれた女の子なのであると、きょうだいはみんな貰われていったのだが、一匹だけ行き遅れているのがいるのだと、とりあえず見るだけ見てやってくれませんかと、ただそれだけの話であったのですが、そんな話を伝え聞いたそのとたん、さてどんな名前にしようかなと、私は気の早い思案を始めていました。考え始めると面白いもので、夜、眠れなくなってしまいます。頭のなかでまだ見ぬコーギーが疲れることなく駈け廻っているからです。

 ウェルシュ・コーギーというから、つまりはウェールズか、と私は思いました。脳裏にはたちまちウェールズの荒涼たる原野が浮かんできます。もちろんウェールズの原野なんて見たことはないのですが、ウェールズといえばなんとなくそんな感じがして、そうか、荒野か、嵐が丘か、と連想が赴きます。ブロンテの「嵐が丘」はウェールズではなくてヨークシャーの話なのですが、そんなことはどうだってかまいません。嵐が丘だというのなら、名前はやはりヒースクリフか。しかしコーギーは女の子なんだから、男の名前ではまずかろう。それにだいたいヒースクリフって、性格最悪のいやなやつなんだし。

 次に思い浮かんだのはアイリーン・アドラという名前でした。これはたしかに女の名前です。さっそく新潮文庫版の「ボヘミアの醜聞」を読み返してみますと、延原謙による訳文では「アイリーネ・アドラー」と表記されています。私が初めて読んだ『シャーロック・ホームズの冒険』は、やや曖昧な記憶にもとづいて記すと中田耕治さんの訳だったはずで、そこにおそらく「アイリーン・アドラ」と記されていたのが記憶に残っていたのだと思われます。いずれにせよ、アイリーンというのはどこか哀切な響きを帯びたいい名前で、とくに長く伸ばして呼ぶときに「リー」という長音が美しく顫えつづけるような気がします。ところが「ボヘミアの醜聞」を読み進むと、ホームズにとってただひとりの「忘れがたき女性」であったアイリーン・アドラは「米国ニュージャージーの生れ」と書かれているではありませんか。

 いかんいかん、アメリカはいかん、などと白紙に戻って思案しているうち、コーギーの女の子がうちにやってきてしまいました。3月8日の土曜日、明るく暖かい陽射しが世界に充ちていた午後のことでした。ああ、もう春だな、と私は思いました。今年は鬱々とした冬がいつまでも終わらないような感じで、前日の金曜も寒々とした一日だったと記憶しているのですが、それがどうであろう、犬といっしょに春がやったきたではないか、と思った瞬間、犬の名前は小春と決まりました。小春というのは実際には穏やかで比較的温暖な初冬の日々を指す言葉で、小春日和が訪れるのは11月ごろのことなのですが、そんなことはかまいません。全然OKです。春とともにやってきた小さな犬なんですから、小春と命名してどこに不都合があるというのか。

 それでどんな犬なのかといいますと、ブログに掲載してまあ可愛いと大好評だった写真をごらんいただくことにして──

 コーギーは茶色っぽい犬だという印象があったのですが、この女の子は背中なんかが真っ黒で、腹と四本の足、それからしっぽの先だけ塗り忘れたみたいに白いのがなんとも可愛い。しっぽといえばこの種のコーギーの場合、生まれてすぐにしっぽを切ってしまう断尾という処置を行うのが通常らしいのですが、小春はそれをまぬがれていて、表情ゆたかなしっぽがまたいみじく愛らしい。こんな子犬と毎日楽しく遊んでいると、そこらの無教養きわまりない俗物を相手にしているのが死ぬほどあほらしくなってきて、たまんねーなーまったくよー。


 ■3月27日(木)
復帰三日目、図書館とおさらばするの弁 

 3月もきょうを入れてあと五日となりました。4月1日には犬との散歩を開始することにしているのですが、その前日、3月31日を最後に、これはプログでは以前からお知らせしていたことなのですが、名張市立図書館との縁を切ることにいたしました。なぜか、とお尋ねの諸兄姉には、名張市に愛想が尽きたから、とお答えするしかない次第なのですが、こんな返答では身も蓋もないかもしれません。もうちょいくわしいことを記しておくことにいたします。

 少し以前からの事実を確認しておきますと、まず昨年5月、犬が死にました。泣けた泣けた、こらえきれずに泣けました。

 昨年6月、名張市の定例会で江戸川乱歩文学館なるものの断念が発表されました。議事録は名張まちなかブログ3月16日付エントリ「市議会の乱歩 2007」に引用。

 昨年7月、名張市の監査委員に対して住民監査請求を行いました。請求書の文面は「名張市長に対する措置請求書」(PDF)、添付した参考資料は「僕の住民監査請求 第一部 迷走篇」「僕の住民監査請求 第二部 惑乱篇」「僕の住民監査請求 第三部 猜疑篇」「僕の住民監査請求 第四部 零落篇」(いずれもPDF)でお読みいただけます。

 昨年8月、名張市教育委員会に対して「名張市教育委員会の職掌内において、江戸川乱歩への言及があるすべての公文書」の公開請求を行い、「公文書不存在決定通知書」(GIF)を受領しました。

 昨年9月、名張市監査委員から「名張市長に対する措置請求の監査結果について」の通知がありました。全文は名張まちなかブログ9月21日付エントリ「住民監査請求棄却」に掲載。

 いやー、なんとめくるめくような日々であったことか。ていうか、われながら何ばかなことやってたんだろうと感心したりもしてしまいますが、すべては避けて通ることのできぬ愚挙であったとお思いください。すべてについていちいち説明するのは大変ですから、本質的な問題だけを簡単に記したいと思います。

 本質的な問題は、名張市はいったい乱歩をどうするのという一点に尽きます。しかし実際には、どうするもこうするもありません。名張市はそんなことを何も考えておりません。四十年ほど前からたまに思い出したみたいにして、乱歩文学館だか乱歩記念館だかをつくろうかな、といったうわごとを口走るしか能がありません。いちばん最近のうわごとは乱歩生誕地碑が建つ桝田医院第二病棟の寄贈を受けたことに端を発したものでしたが、上に記したとおりあっさりぽしゃってしまいました。

 私が名張市立図書館に乱歩資料担当嘱託として迎えられたのは1995年10月のことでしたが、乱歩なんとか館なんかつくってんじゃねーぞこの低能自治体、ということは当初から公言しておりました。そんな気のふれたようなこといってないで、これまで地道に収集してきた資料を活用すればいいではないか、というのが私の一貫した主張であって、資料活用の一環として『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』と江戸川乱歩リファレンスブック三部作をつくり、ひきつづいて2004年には『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を刊行することもできましたので、そろそろ乱歩シーンから引退する潮時かな、と考えないでもなかったのですが、2004年には桝田医院第二病棟の寄贈を受けたこともあり、それからもうひとつ、やっぱ『江戸川乱歩年譜集成』をまとめておいたほうがいいだろうなという気にもなりましたので、市立図書館との関係を継続することにいたしました。

 それからがまあひどかった。2005年にまとめられた名張まちなか再生プランとかいうのがじつにひどいもので、名張のまちにある細川邸という旧家を歴史資料館として整備するという構想には乱歩の名も記されておりましたから知らぬ顔もしておられず、関係者にあれこれ助言忠言をくり返してもこれがいっこうに聞き入れられない。ばかというのはほんとにどうしようもないものだなと閉口しているあいだに2006年が過ぎ去ってしまい、2007年つまり去年2月のことですが、名張市役所で名張まちなか再生委員会の乱歩関連施設整備事業検討委員会なるものが開かれました。招かれましたから顔を出したのですが、話なんかまとまるはずはありません。そんなことはいいとして、ご出席だった名張市教育委員会の教育次長から聞き捨てにならない発言がありましたので、私は驚いてしまいました。

 以下、教育次長に送信したメールの内容を転載。

 お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。

 しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。

 私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。

 お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。

 年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。

2007/02/28


 昨日は不躾にメールをお送りして失礼いたしました。勝手ながらご返事をお待ちしております。

 きのうの質問の補足として、私の考えを申し述べます。結論から記します。名張市立図書館は乱歩コーナーを閉鎖し、乱歩という作家から手を引くべきであると考えます。

 むろんきのうも記しましたとおり、私は名張市立図書館が収集資料にもとづき、乱歩に関して全国を対象に質の高いサービスを提供してゆくことを希望しております。五年、十年という長いスパンで将来を見通し、日本でただひとつ乱歩の関連資料を専門的に収集してきた図書館として、それにふさわしい運営をつづけてゆくことが望ましいと考えております。

 しかしながら、名張市の財政状況を別にして考えても、名張市立図書館にも名張市教育委員会にも、どうやらそんなつもりはないらしいというのが私の判断です。これは単なる実感で、具体的な根拠を明確に示すことはできかねるのですが、この判断はそれほど的はずれなものではないと確信いたします。しいていえば、お役所特有の責任回避体質がおのずからしからしむるところ、といったことになるでしょうか。

 もしも私の示した方向性が否定されてしまうのであれば、名張市立図書館はどうなるのか。私が嘱託を拝命する以前の、収集資料の活用を考える能力もなく、乱歩に関する専門知識をもったスタッフなどひとりも存在せず、したがって乱歩に関して何をすればいいのかすら判断できない図書館に逆戻りするだけです。そんなことになるくらいなら、いっそきれいに手を引いたほうが図書館自身が楽になることでしょう。

 私は2003年の10月22日、当時の教育長にお目にかかる機会を得ましたので、それは市長、教育委員長、図書館長もご同席の場でしたが、市立図書館が乱歩コーナーを閉鎖して乱歩とは無縁な図書館になるべきだと進言いたしましたところ、教育長からは「またあらためてみんなで検討してみましょう」とのお答えをいただきました。それ以降、検討の場などただの一度も設けられなかったことはいうまでもありませんが、一度でいいから本気になって乱歩のことを考えていただきたいというのが名張市教育委員会に対する私の願いです。

 そんな願いはとても聞き届けられぬものとは思いますが、せめて昨日のメールでお訊きしたこと──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 この程度の質問ならばお答えをいただけるであろうと期待しております。勝手ながらご返事をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

2007/03/01


 連日のメールで失礼いたします。勝手ながらご返事をお待ちしております。

 年度末のうえ3月定例会が開会中とご多忙でいらっしゃることは承知しておりますが、私の質問はごく単純なもので、ほとんど即座にお答えいただける内容となっております。よろしくお願いいたします。

 私は一昨日のメールで──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 とお訊きした次第ですが、少なくとも私の理解しているかぎりでは、名張市教育委員会には乱歩に関する構想や方向性のようなものなどかけらほども存在していないはずです。

 私は1995年の秋、名張市立図書館の嘱託を拝命したおり、当時の教育長に文書を提出し、図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えなのかをお訊きしました。お答えはいただけませんでした。名張市教育委員会は乱歩のことなど何も考えていないのだ、考えるための知識もなければ能力もないのだ、と私は結論いたしました。この認識にはいまも変化がありません。

 したがいまして、わざわざ貴職に質問のメールをお送りしてお手数をおかけする必要などないといえばないのですが、一昨日のメールにも記しましたとおり、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会の席上、私がこれまでに示してきた方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであると貴職がご発言なさいましたので、もしかしたら乱歩に関して何かを考えていただけるのかもしれないなと思い、質問のメールをお送りした次第です。

 先述いたしましたとおり、ごく簡単にお答えいただける質問です。ご多用中恐縮ではありますが、ご返事をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

2007/03/02 


 ご多用のところ、何度もメールをさしあげて恐縮しております。恐縮してはいるのですが、2月28日付メールでお訊きしたこと──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 この点に関するお答えをお待ちしております。答えるつもりはない、とおっしゃるのでしたら、お手数ですがその旨をお知らせいただきたく思います。

 こちらから勝手にメールを送りつけておいてこんなことを申しあげる失礼は重々承知しているのですが、よろしくお願いいたします。

2007/03/08


 ご多用のところ申しわけありません。2月28日付メールでお送りした質問へのご回答の件ですが、まだ頂戴できておりません。3月8日付のメールでは、お答えをいただけないのであればその旨をお伝えいただきたいと、むろんこちらから勝手にメールを送りつけておいてそんなことを申しあげる失礼は重々承知いたしつつ、無理なお願いを申しあげた次第です。

 ご回答をいただけないのは当方の説明不足のせいかとも思われますので、私の考えるところをもう少しお知らせすることにいたします。公務ご繁多とは拝察いたしますが、お読みいただければ幸甚です。

 私が名張市立図書館の嘱託を拝命したのは1995年10月のことでした。こちらから望んだことではありません。図書館側の要請を受けた結果でした。ややくわしく述べますと、私はある年、当時の図書館長から乱歩作品の読書会の講師を務めてくれないかと依頼を受けました。お断りしました。名張市立図書館が乱歩作品の読書会を開かねばならぬ理由などどこにもありません。

 いくら乱歩が名張に生まれたからといって、名張市民が乱歩作品に親しまねばならないという法はありません。あくまでも個人の趣味嗜好の問題です。名張市立図書館が市民に対してなすべきサービスは、乱歩作品を架蔵していつでも読めるようにしておくことでしょう。市立図書館が乱歩作品の読書会を開くというのであればそれを止めるつもりはないけれど、私が講師を務めねばならぬ理由はどこにもない。それが私の考えでした。

 それから一年ほど経過したころでしょうか。図書館長から再度同様の依頼がありました。しかたないかと私は考えました。乱歩の生誕百年を控えた時期でしたから、図書館としては乱歩の読書会でも開いていわゆる恰好をつけたいのだろうということは理解されました。ですから生誕百年にあたる1994年とその前年の1993年、両年度にわたって私は読書会の講師を担当しました。

 ところが1995年度もひきつづいて読書会が開かれるということが、私の知らないところで決定されていました。二年だけという約束です。三年目も継続して講師を務めるつもりは私にはまったくありませんでした。しかし1995年度の予算を獲得してあるから読書会を開かないわけにはゆかない、というのが図書館側のいいぶんでした。知ったことではありません。図書館職員が私の家まで足を運んで説得にかかってくれたのですが、私はいよいよ腹立たしい気分になり、おまえたちはどうしていつもそうなのか、と質問しました。市民相手の読書会などといううわっつらのことでお茶を濁してばかりいないで、乱歩に関して本来なすべき仕事をすればいいではないか。

 何をすればいいのかわからない、というのが図書館側のいいぶんでした。思わず天を仰いでしまうようないいぶんではありますが、お役所というのはそんなところだろうとも思いました。いずれにせよ私には関係のない話です。知ったことではないと告げると、乱歩に関して手がけるべきことをやってくれないかとの申し出がありました。私は結局それを受けることにして、何か立場を与えてくれと依頼しました。その答えが市立図書館の嘱託という立場でした。

 乱歩に関して何をすればいいのかわからない、というのはじつに笑止千万な話で、名張市立図書館は開館準備の段階から乱歩の著作や関連書籍を集めていたのですから、そうした収集資料にもとづいてサービスを提供することを考えればいいだけの話です。乱歩の関連資料を専門的に収集している図書館は全国で名張市立図書館だけであり、乱歩ファンは全国に存在しているわけですから、サービスの対象を名張市民に限定する必要はありません。

 1995年10月に嘱託を拝命した私は、『乱歩文献データブック』の編纂に着手しました。手許に読売新聞のコピーがあります。1996年5月の伊賀版の記事ですが、日付は不明です。この年の3月議会で正式に『乱歩文献データブック』の予算が認められ、上京して平井隆太郎先生と中島河太郎先生にご挨拶も申しあげましたので、名張市立図書館が『乱歩文献データブック』の編纂に着手したということを記者クラブのみなさんにお願いして記事にしていただきました。お役所が市民の税金でどんなことをしようとしているのか、新聞記事のかたちで市民に報告したいと考えたからです。その記事に、私のこんなコメントが掲載されています。

 「文献をリストアップするだけではなく、豊富なデータで乱歩の作家像を明らかにしたい。集まった資料は、将来的にはインターネットでだれもが気軽に検索できるようになれば」

 これが普通のやり方でしょう。偉そうなことを申しあげるようですが、ものごとというのはこうやって進めるものでしょう。公共図書館という施設の普遍的な本質と、乱歩生誕地の図書館であるという独自性とにもとづき、そのうえで五年、十年、二十年という将来を見通して、現在ただいまどんなことをすればいいのかを考える。1996年5月の時点で私はまだインターネットに手を染めていませんでしたが、インターネットが図書館のサービスに大きな役割を果たすようになるだろうことは予測されましたから、上に引いたようなことを述べた次第です。ご参考までに、この記事のスキャン画像を添付ファイルでお送りいたします。

 お知らせすべきことはまだいろいろとありますが、とにかく私はもう十年以上、私なりの考えに立って、名張市立図書館が乱歩に関して質の高いサービスを提供するための、おおげさにいえば道を開いてきたつもりです。道はたしかに開かれたという自負もあります。しかしながら、名張市立図書館にはそうしたサービスを継続するつもりはないらしいというのが、少し以前から私が肌身に実感していることでもあります。

 ですから私は、3月1日付メールにも記しましたとおり、2003年10月の時点で市立図書館が乱歩コーナーを閉鎖して乱歩とは無縁な図書館になるべきだという進言を行い、当時の教育長から「またあらためてみんなで検討してみましょう」とのお答えをいただいた次第です。しかし検討などはただの一度も行われず、念のため貴職に、

 ──名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 とメールでお尋ねしてもいっこうにお答えをいただけません。熟慮しようともしなければ決断しようともせず、思考停止状態を持続してすべてを先送りにしてしまうのがお役所の体質であるとしても、乱歩に関してはそろそろ結論を出さなければいけない時期であると私は考えます。

 私は名張市教育委員会に、乱歩についてどう考えているのかをお訊きしているのではありません。何か考えをもっているのか、それともまったくもっていないのか。それをお訊きしているだけです。むろん考えなど何もないというのは、いちいちお訊きするまでもないことです。ですからメールでお送りした私の質問は無意味なものでしかありません。そこで先の質問は撤回し、別のことをお訊きすることにいたします。

 名張市立図書館の乱歩コーナーを閉鎖し、名張市立図書館を乱歩と無縁な図書館にするためには、どういった手続きを踏めばよいのでしょうか。誰が協議し、どこが決定すれば、名張市立図書館は乱歩から手を引くことができるのでしょうか。

 以上です。ご多用中恐縮ですが、よろしくご教示をたまわりますようお願いいたします。

2007/03/26

 最後のメールに添付した画像がこれ。

 いやもうひどいものです。こちらのしつこさは筆舌に尽くしがたいものですが、相手のかたくなさも相当なものです。かたくなに何も返答しないまま、けさの新聞報道によりますとこの教育次長は春の異動で総務部長に就任されるそうなのですが、責任回避と思考停止を重ねていればそれで何もなかったかのように過ぎてゆく。お役所というのはなんと恐ろしいところなのかということはさておいて、教育次長が答えようとしないのであればしかたありません。上に記しましたとおり公文書公開請求を行ったところ、「公文書不存在決定通知書」なるものが届けられました。「江戸川乱歩に関係する資料の将来的活用や政策的方向性について、長期的展望を示した公文書」はどうよと求めたのに対し、「教育委員会において、上記公文書は作成されていない」との回答があったわけです。

 むろんそんなのは最初からわかっていたことであって、だから私は図書館の嘱託として資料活用の道をわかりやすく示したつもりなのですが、教育次長はそんなことは知らんという。おまえが示したことを100%受け容れるつもりはないという。それならそれでいいけれど、だとしたら教育委員会はいったいどう考えているのかと尋ねたところ、教育次長はいっさい答えず、教育委員会の公文書を調べてみても「不存在」という答えしか返ってこないありさまで、むろんそんなのは最初からわかっていたことであって、だから私は資料活用の道をわかりやすく示したつもりなのですが、と堂々めぐりに陥ってしまうしかありません。

 ですからわかりやすくごく簡単に、しかしなんだかいじけたようなことを記してしまいますと、ああ、おれは必要とされてないんだな、と私は思ったわけです。おれがやったことはお役所的には意味のないことだったんだな、と思ったわけです。だったらおさらばするしかないわけだ、図書館とはきれいさっぱり縁を切り、あとはひとりの市民としてこの名張市とかいう低能自治体をぼこぼこにしてやるだけさ、とまで思っているのかどうかは自分でもよくわかりませんが、とにかく名張市立図書館とおさらばするの弁、本日はこれまでとしてあすにつづきます。


 ■3月28日(金)
復帰四日目、雑誌書籍催事新聞のあれこれ 

 名張市立図書館とおさらばするの弁は勝手ながら中断いたしまして、といったってたいした理由もないのですが、手許にたまっている乱歩関連情報のめぼしいところを取り急ぎ総ざらいしておきたいと思います。

 まず雑誌。

 掲示板「人外境だより」(おニューのほうです)で古畑拓三郎さんからもお知らせいただきましたが、「サライ」4月3日号は「追跡。日本の名作ミステリー」を特集しております。もちろん乱歩も登場。オフィシャルサイトはこちら

 つづきまして、2ちゃんねるミステリー板「【緑衣の鬼】 江戸川乱歩 第十一夜」にも律儀な報告が投稿されておりますが、「ビジネスジャンプ」増刊の「ビージャンこん」40号は東元さんの連作「赤い部屋」の一篇「人でなしの恋」を掲載。オフィシャルサイトはこちら

 つづいて書籍。

 論創社から2月に出た本ですが、論創海外ミステリ73は A・M・ウィリアムスンの『灰色の女』、論創ミステリ叢書33は『森下雨村探偵小説選』。前者は乱歩の「幽霊塔」の元ネタだった黒岩涙香の「幽霊塔」の原作。後者は長篇二作を収録し、あわせて収められた評論や随筆も貴重です。さてオフィシャルサイトはと見てみたら新刊の内容紹介はすべてアマゾンへのリンクで済まされておりますので、それに準ずることにして前者はこちら、後者はこちら

 お次もアマゾンへのリンクでご紹介することにして、アメリカで刊行されたアンソロジー『Modanizumu: Modernist Fiction from Japan, 1913-1938』がこちら。乱歩作品は「二銭銅貨」「押絵と旅する男」「芋虫」の三作を収録。ほかの収録作家は村山槐多、稲垣足穂、尾崎翠、川端康成、伊藤整などといったあたりのことはまたあらためて。

 つづいて催事。

 これも「人外境だより」で古畑拓三郎さんから教えていただいたものですが、あさって3月30日に東京古書会館地下ホールで平井憲太郎さんと渡辺憲司さんのトークイベント「乱歩は和本のコレクター !?」が催されます。「神保町さくらみちフェスティバル〜春の古本まつり〜」併催イベントのひとつ。オフィシャルサイトはこちら

 最後は新聞。いずれも本日「RAMPO Up-To-Date」に録したものです。

 まずは毎日新聞の「お気楽 SAMPO:名張の旧市街地、散策しませんか 参加者募集──7、8日 /三重」。わが名張市で江戸川乱歩生誕記念碑などをめぐるイベントが行われるという記事で(もう終わりましたけど)、ほんとにお気楽でどうもすいません。

 次も毎日新聞で「寄贈:名張 RC、6中学に2093冊を 名張・北中生徒ら感謝の言葉 /三重」。名張ロータリークラブが設立45周年を記念して六つの中学校に図書を寄贈したのですが、寄贈図書のなかには乱歩の全集が含まれていたというニュースです。ロータリークラブといえばライオンズクラブと並ぶ天下御免のスノッブ集団。スノッブにしては気のきいたことをやっていただいたものだと思います。

 次もまた毎日新聞で「ワセダミステリクラブ:発足50周年迎え記念パーティー 280人が出席」。乱歩を顧問に迎えた発足から幾星霜、ワセダミステリクラブが五十周年を迎えたという記事です。

 次はフリーペーパーなのですが、フリーペーパーも新聞として扱うことにして「ROOS」3月号の特集「文豪の里を行く〜江戸川乱歩ゆかりの地を訪ねて〜」。内容紹介は名張まちなかプログの3月20日付エントリ「文豪の里を行く」でどうぞ。

 新聞の最後は山梨日日新聞の「「横溝正史館」開館1周年で式典」。山梨市にある横溝正史館のニュースですが、山梨市教育委員会は「今後は観光ルートとして定着するよう旅行業者に PR したり、企画展なども計画して来館者を増やしていきたい」としているそうです。えーっとまあ、がんばってください。

 本日はこんなところで。


 ■3月29日(土)
復帰五日目、図書館とおさらばするの弁ふたたび 

 それでは僭越ながら名張市立図書館とおさらばするの弁、おとといのつづきに入ります。

 おさらばするとなれば当サイト的にもっとも気になるのは、いうまでもなく当サイトはどうなるのかという一事です。当サイトのメインコンテンツである「江戸川乱歩著書目録」「江戸川乱歩執筆年譜」「乱歩文献データブック」は名張市立図書館が発行した三冊の江戸川乱歩リファレンスブックにもとづいたもので、著作権はもちろん同館に帰属しています。奥付にちゃんとそのように記載してあります。当サイトはその三冊のリファレンスブックの内容をまったく無断で勝手に好きなように掲載しているわけですから、サイト開設者は確信犯として著作権を侵害しているということになります。

 ここで振り返っておくならば、当サイトの開設は1999年のことでした。1997年に『乱歩文献データブック』を、1998年に『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行し、インターネットもかなり普及してきたことだから両書の内容を名張市立図書館のサイトに掲載するべきだろうと結論し、そのための予算を要求したところ名張市教育委員会はあっさり却下してくださいました。それならとりあえず自分でやってみるかとウェブサイト構築ソフトを購入し、半年ほどぼちぼち準備して名張人外境をお披露目するに至った次第です。

 そのころ将来のことをどう考えていたのか、自分でもよく憶えていないのですが、おそらくはショートリリーフのつもりであったと思われます。いくら名張市教育委員会が世の趨勢というやつに疎くても、江戸川乱歩リファレンスブックのデータを市立図書館のサイトに掲載する必要性に気がつく日は遠からず訪れることだろうから、それまでの短いつなぎ登板のつもりでおりましたのともうひとつ、『江戸川乱歩著書目録』の編纂はネット上でデータを公開しながら進めたいなと先進的なことを考えてもおりましたので、とりあえず個人でサイトを開設することにして、しかしそのデータはいずれ市立図書館のサイトに移管することになるはずだと考えていたと記憶しております。

 ところが2003年に『江戸川乱歩著書目録』を出したあと、そろそろいかがなものでしょうと再度予算を要求してみたところ、今度もまたノーという返事ではありませんか。さすがにそれはあるまいと思い、理由はどうよと尋ねてみたら、財政難のひとことでした。財政難なる言葉は天下御免の免罪符だという寸法だったわけですが、それですっかり腰が抜け、もうこんなの相手にしてらんない、モチベーションも一気にさがって、そろそろ乱歩シーンから身を引くかとも考えはいたしましたものの、ひきつづいて2004年には『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』を、といったあたりから3月27日付伝言「復帰三日目、図書館とおさらばするの弁」にリンクしてゆくわけなのですが、そのあたりの事情は事情としてとにかく当サイトはどうすればいいのか。名張市立図書館とかかわりがあったあいだはまだいいけれど、無縁になった人間が個人サイトで江戸川乱歩リファレンスブックの著作権を侵害しつづけていていいものかどうか。

 いいわけがありません。もしも名張市立図書館から訴えられることにでもなったらどうなるのでしょう。たぶんめいっぱい返り討ちにしてさしあげることになると予想される次第なのですが、実際には訴えられる心配など万にひとつもありますまい。しかしこちらがいやである。いつまでも著作権を侵害しているのは不本意である。なにゆえあって著作権侵害の汚名を着つづけなければならぬのか。すっきりするためにはコンテンツをきれいに削除してしまえばいいのですが、さすがにそれはできません。

 名張市のお役所関係者のみなさんには江戸川乱歩リファレンスブックのデータをネット上で公開することの必要性を全然理解していただけず、つまりは私個人もまったく必要とされていないわけなのですが、それは関係者のみなさんがあまりにもあれだからなのであって、乱歩を愛する人にとってそこそこ有益なデータであることには、サイト開設者本人がいうのもあれですけど疑いの余地などありゃしません。乱歩を愛する人ばかりでもありません。昨年秋に図書館の資料を活用するべく NPO でもつくるかなと声をばあげてみたところ、名張市はどうしてそれをしてこなかったのか、目録のデータをネット上で公開するというたいして予算もかからないことをなぜやろうとしないのか、と驚く市民が続々と、といったあんばいであったことを附記しておきたいと思います。

 とはいえ、こんな個人サイトでぽつんと公開するよりは、所蔵資料と連動させたデータとして名張市立図書館のサイトで公開したほうが絶対いいに決まっているのですけれど、それはもう是が非でもそうするべきであるのですけれど、先述のごとく関係者のみなさんがあまりにもあれであるゆえをもって、ついでにいえば私が非力無力であったゆえをももって、残念ながら果たすことができませんでした。だからまあ、ないよりははるかにいいだろうといった感じのデータとして、当面は当サイトで著作権侵害を継続することにいたしました。

 こんな話題は綴っているだけで悄然としてしまいますので、きょうのところはこのへんまでとして、犬とおはなしでもしてこようかな。犬とおはなしといったって、こっちが勝手に「小春ちゃん、萌えー」とかいってるだけなわけですから、まあばかっちゃばかです。とてもばか。


 ■3月30日(日)
復帰六日目、名張人外境名誉一代永世番犬 

 大手を振って著作権侵害を継続しながらきょうも行くわけですが、八年以上もウェブサイトを開設しているといろいろお直ししたいところが出てきます。しかしこれが結構難題で、たとえば「RAMPO Up-To-Date」におけるデータの記載方法ひとつとりましても、これはこういうふうにしたほうがいいなと変更を思いついたとしたら、過去に遡って最初から記載方法を変更する必要が出てきます。やんなっちゃう。あるいは変更以前に、もっとあちらこちら手を入れたり充実させたりしたいのであるがそのための時間がとれない、なんてことも日常的な問題として存在していて、あまりにも日常的であるせいでそのうちたいして気にならなくなる。つまり結果としてはほったらかしになってしまうわけです。やんなっちゃう。人これを驚異のサイトと呼ぶところの名張人外境にも、開設者自身には不備が眼につき不満が蓄積しているという寸法です。

 一例、ブラウザのサイズをどうするか。当サイトはブラウザの幅を800ピクセルと想定しているのですが、最近は1024ピクセルでデザインしてあるサイトも少なくありません。従って私もブラウザの幅を1024ピクセルくらいにしてよそのサイトを閲覧しているわけですが、ひるがえって当サイトのこのページを眺めた場合、左にある人外告知板や最新情報はいいのですけれどこの伝言板のサイズがたらーっと横に伸び、一行がやたら長くなってなんとも読みづらくなってきます。もちろん読みづらさ以外にも、私のデザイン感覚がそれにだめ出しをしてしまうという事情もあります。右のほうに新しくスペースを設け、そこらのブログによくあるみたいに中央が伝言板、その両袖になにかしら別のスペースという配置にすれば伝言のテキストがのべたーっと横に長々しくなることは防げるわけですが、しかしこれを幅800ピクセルのブラウザで閲覧するってえと読みづらいことこのうえありません。というか、デザインそのものが壊れてしまいます。これはいったいどうしたものか。

 とかなんとかぶつぶついいながら、人外告知板の記載スタイルをちょっとばかりいじってみました。これはこれでいいと思われるのですが、いちばん下の番犬情報、こちらはいったいどうしたものか。といいますのも、新しく犬が来れば自動的にそれが番犬になるはずだと思っておりましたところ、実際にコーギーの女の子を飼ってみるとこんな年端も行かぬお嬢に番犬を命じるなんてあまりにも酷ではないか、人間の横暴ではないか、男女共同参画なんか大反対だ、とかいろいろ思い惑うことが出てきて、それでもういいかと、名張人外境の番犬は去年5月に逝去したニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンただ一匹だということにしてしまうかと、あれはもう名張人外境名誉一代永世番犬なのだと決めてしまうかと、どうかひきつづいて天国から見守っていてくれんかと、そういう気持ちになってしまった次第です。ですから番犬情報というコンテンツ、これもいったいどうしたものか。いったいどうしたものかなあ。

 どうでもいいような思案に暮れているうち、弥生3月もあすでおしまいということになってしまいました。当地はまだなんか肌寒い感じですけど。


 ■3月31日(月)
復帰七日目、図書館とおさらばするの弁ファイナル 

 まずは2ちゃんねるミステリー板「【緑衣の鬼】 江戸川乱歩 第十一夜」で教えてもらってきたホットニュース。小原愼司さんの「二十面相の娘」がテレビアニメになるそうです。詳細は番組のオフィシャルサイトでごらんください。

 きのう話題にしたブラウザのサイズに関連して記すならば、このサイトでは「ENTER」「NEWS」などのメニューをクリックするとパソコン画面全体に別ウインドウが開く設定になっていて、アメリカあたりのアダルト系サイトでたまに遭遇する設定なのですが、これがすごく感じ悪い。人のパソコン勝手に支配してめいっぱいのさばってんじゃねーぞたこ、という憤りをおぼえてしまいます。

 そんなことはどうでもいいとして、このサイトによれば『二十面相の娘』は全八巻で完結したらしいのですが、「RAMPO Up-To-Date」をチェックしてみると2005年8月に出た第五巻までしかフォローできておりません。三年前の夏といえば、いろいろあってモチベーションが低下していたころであったか。また注文しておかなければなと思うと同時に、いったいいつまでこんなことをやっておらなければならんのか、こんな雑事に忙殺されていては肝心の『江戸川乱歩年譜集成』のお仕事がちっとも前に進まぬではないか、とうっすら焦りを感じたりもしてしまう次第ですが、このあたりのことを考えると堂々めぐりに迷い込んでしまってどうしようもありません。堂々めぐりの実態は名張まちなかブログの3月24日付エントリ「五里霧中のままあすも行く」でお読みいただくとして、とにかく名張市立図書館とはきょうでおさらばとなります。

 じつはおさらばのご報告かたがた過去にたまわったご高誼に対するお礼をはがきに印刷し、乱歩のことでお世話になってきた全国各地のみなさんにご挨拶を申しあげようかと考えていたのですが、それもなんだか大仰な感じですし、これからもひきつづいてお世話にならねばならぬわけですから、あえて区切りをつけるような真似はやめておくかと考え直した次第です。

 そんなこんなで図書館とおさらばするの弁、本日でおしまいといたしますが、何はともあれ今後ともよろしくお願いいたします。