大正12年 1923 29歳
1922 江戸川乱歩執筆年譜 乱歩文献データブック 1924
▼1月 ▼2月 3月 ▼4月 5月 6月 7月 ▼8月 9月 10月 ▼11月 ▼12月
住居 大阪府守口町大阪府門真村
職業 大橋弁護士事務所勤務大阪毎日新聞広告部勤務
1月
2月
3月
「二銭銅貨」掲載の「新青年」4月号発行。
「二銭銅貨」の原稿料は五十円。一枚一円強にあたった。

4月
5月
妻・隆子が腹膜炎で大阪赤十字病院に入院。

6月
「一枚の切符」掲載の「新青年」7月号発行。

「恐ろしき錯誤」を書きあげ、「新青年」の森下雨村に送る。

21日 隆子が赤十字病院を退院。これを機に父の家から独立し、妻子と女中の四人で大阪府北河内郡門真村に一軒を借りて住む。

月末 大橋弁護士事務所を退職。

7月
1日 父の知人・大口政夫の紹介で大阪毎日新聞広告部に入社。
広告部の月給は八十円だったが、ほかに広告の手数料が入るため、月収は四、五百円になった。

8月
9月
1日 関東大震災。

10月
「恐ろしき錯誤」掲載の「新青年」11月号(帝都復興号)発行。

11月
12月
掲載2001年1月1日 最終更新2006年 1月 5日 (木)