第七回
その人は学芸員

 新宿鮫がやって来た

 十月十七日、名張市内の会場で大沢在昌氏の講演会が行われた。名張市が日本推理作家協会の協力を得て七年前から開いている催しで、講師は協会所属のミステリー作家の方にお願いしている。
 講師には名張市立図書館の乱歩コーナーをご覧いただくのが恒例で、大沢さんも足を運んでくださった。大沢さんには『乱歩文献データブック』をお送りしていなかったので、私は内心忸怩たるものを覚えながらそれをお詫びし、
 「『江戸川乱歩執筆年譜』というのがもうすぐ出ますので、できあがったらすぐお送りします。いやどうもその」
 などと言い訳たらたらでコーナーをご案内したのだが、大沢さんは日本推理作家協会受賞作品を並べた書架の前で、
 「あれ?」
 と小さく声をあげた。理由はすぐに知れた。大沢さんの受賞作『新宿鮫』が並んでいなかったのである。古いのはともかく近年の受賞作はすべて揃っていると思い込んでいた私は、『新宿鮫』があるかどうかの確認を怠っていたのだ。えらいことである。私が平身低頭すると大沢さんは「いや、いいですよいいですよ」と寛大なところを見せてくださった。
 乱歩コーナーを出たあとは館内の一室で休憩となった。大沢さんは菓子舗さわ田謹製のランポパイなど頬張りながら、図書館からお願いした色紙に気軽にペンを走らせてくれた。サインの横には、
 「自由は孤独で購え」
 とさすがに『新宿鮫』の作家らしいフレーズが添えられる。
 「北方謙三は女の子へのサインには必ず『薔薇の代わりに』って書くんです」
 「ははあ」
 「おれは漢字で『薔薇』という字が書けるんだぞと」
 「それやったらいっそ『憂鬱な薔薇』ゆうて書いたら凄いでしょうね」
 「うん、そりゃ完璧だね」
 などと私は反省の色もなく馬鹿な合いの手を入れつづけたのであるが、
 「たまに図書館に行くと、大沢先生のこれこれのご本はリクエスト殺到で現在二十人待ちなんですなんて教えてくれるんですけど、こっちは二十人も待つなら本を買ってくれよっていいたい」
 といわれたときには、いかな私も「そしたら今度からサインの横には『本は身銭で購え』ゆうてお書きになるとか」とは口走れなかった。馬鹿なことをいってないで早く『新宿鮫』を購え、と叱られそうな気がしたからである。
 さて、「乱歩文献打明け話」と題して馬鹿なことを書き綴っているあいだに、右にも記したごとく『乱歩文献データブック』につづく第二弾『江戸川乱歩執筆年譜』が出てしまった。そこで今回はこの本のことについて書こうと

(11ページからワープ)

お願い 以下は「番外」のつづきです。
未読の方は先に 番外 をお読みください。

「ワープ終了ッ」
「なんやねん大きな声を出してからに」
「漫才のつづきやるために連載のページにワープしてきたんですけど」
「無茶苦茶なことしたらあかんで君」
「こうなるとほとんど誌面ジャックですな」
「また漫才つづけるわけかいな」
「つづけます。けどもうちょっと効率的に行かなあきませんね」
「君がしょうもないことばっかり喋るからやないか」
「清張記念館のほかにお芝居の話もせなあかんしね」
「好きなこと喋ったらええがなもう」
「ほな悪いけど一段だけ貰うで。一段だけ地の文にして劇評を書くさかい」
 北九州市制三十五周年記念事業にして第十回筑前黒崎宿場まつり協賛事業でありかつ第六回北九州演劇祭プレイベントでもある舞台劇「怪人20面相」は十月二日から四日まで三日間で四公演という日程で上演された。会場は黒崎なる街に建つ某企業所有の年代物の体育館。主催の舞台劇「怪人20面相」制作委員会は自転車やバイクを商うのが本業という委員長の堀敬治さんを中心にした若い世代であった。文化と子供をキーワードにした街づくりを目指して乱歩作品の舞台化を実現したという。脚本と演出は地元演劇界で活躍する泊篤志さんというこれまた若い人である。作品は乱歩の少年物「怪人二十面相」のストーリーに副って舞台化されていたが明智探偵と小林少年がともに女好きなオヤジとガキに設定されていて笑わせた。女の子のスカートのなかを覗きたがる小林少年なぞなかなか秀逸。父性原理などすっかり地を払いお父さんは援助交際に汗を流し息子の中学生はせっせとホテトル嬢を利用しまくっている現代に相応しい脚色かと見受けられた。
「あかんなあ。わずか一段ではちゃんとした劇評が書かれへんがな。読点一箇もつかわんと切り詰めて書いたのに」
「何をごちゃごちゃゆうとるねん」
「小林少年を中心に考えたら明智小五郎は父性原理とか現実原則とかゆうもんで、それから怪人二十面相は母性原理ないしは快楽原則であってやで」
「ややこしいことゆうたかて判らへんちゅうねん」
「そこらのことから説明せなあかんのに全然余裕がないやないか」
「知らんがな」
「まあしゃあない。黒崎でお世話になった森岡邦泰さんに誌上からお礼を申しあげて先に進みますけど」
「ところで北九州は何か乱歩に関係があるんですか」
「まったく無関係なんです。けどその無関係な街の人が街づくりのために乱歩をとりあげてくれた心意気が嬉しい」
「そらそうですね」
「ですから僕も乱歩生誕地からの感謝の意味をこめてですね」
「どないしましてん」
「上野の橋本酒店で怪人二十面相ゆうお酒を買うておみやげにしました」
「やっぱり身銭ですか」
「せめて酒代ぐらい面倒見たってえなゆうて図書館に泣きつきましたけど」
「結構せこいことしとるんやないか」
「けど名張の酒屋さんはなんで乱歩にちなんだお酒をつくらんのですかね」
「そうゆうたらありませんね」
「北村酒造は何やっとんねん」
「怒らんでもええやないか」
「橋本酒店では明智小五郎とか黄金仮面とかいろいろ出してますけど」
「北村さんとこでもつくってみたら面白いか判りませんね」
「乱歩作品にちなんで大吟醸盲獣とか地ビール屋根裏の散歩者とか」
「大吟醸盲獣てどんな酒やねん」
「三合飲んだら眼がつぶれます」
「それやったらメチルやないか」
「大吟醸盲獣と鎌倉ハムのギフトセットつくったら乱歩ファンには大受けですけどね」
「しょうもないことばっかりゆうてたらあきませんよ」
「ほんでまあお芝居観た次の日に清張記念館にお邪魔したんですけど」
「どのへんですか」
「鹿児島本線の西小倉駅で降りたらええんです。駅から歩いて五分ほど」
「大金つぎこんだだけにさぞや立派なとこでしょうね」
「立派なもんです。企画係長の藤澤隆文さんに相手をしていただきまして」
「いろいろお話をお聞きしたと」
「記念館は東京の清張の家にあった蔵書とか資料を一括寄贈されてるわけですけど、これは生前から話ができてたわけではないらしいですね」
「清張さんが亡くなってからですか」
「平成四年八月になくなった直後、北九州の市長さんが上京してご遺族に交渉されたゆうことでした」
「とんとん拍子に進んだわけですか」
「そうです。ただし記念館建設にはふたつだけ条件があると」
「どんな条件ですか」
「ひとつは記念館を北九州市が直接運営すること」
「もうひとつは」
「松本清張から全面的に信頼されていた女性編集者が文藝春秋にいてはったんですけど、その人に記念館の館長をやってもらうこと」
「文藝春秋は清張さんと縁が深かったんですか」
「そら全集を出してるくらいですからね。文春の社屋には松本清張室ゆうのがあって、清張が朱を入れたゲラ刷りまでそのまま保存されてたらしいですね」
「ゲラ刷りも展示されてるんですか」
「そう。文藝春秋が記念館を全面的にバックアップしてる感じです」
「やっぱり小説家の記念館には出版社の協力が不可欠でしょうね」
「それから記念館のなかをあっちこっち見学さしてもろたんですけど」
「どないでした」
「案内してくれた学芸員の林暁子さんゆうのがとにかくきれいな女の子で」
「誰もそんなこと聞いてへんがな」
「僕もう思わず館内よりもあなたを見学させてくださいゆうて」
「こら。出張の見学先で女の子にちょっかい出すあほがどこにおるねん」
「ちょっかい出してないがな。思わずそうゆうてしまいそうになるほどの美人やったゆうだけの話で」
「なんやそうかいな」
「そらそうやで。実際にそんなこと口に出してみいな、いきなり掌底の連打から踵落としが飛んできますよ」
「きれいな女の子がそんな乱暴なことはしませんでしょ」
「いやあ、九州のおなごは気性の激しかですけんね」
「せやからそのけったいな九州弁はやめとけゆうてるやろ」
「そぎゃんですか」
「しつこいな君も」
「それでまあいろいろ展示されてましたけど、いちばん面白かったのはやっぱり書庫とか書斎を再現したとこですね」
「書庫の再現ゆうたらやっぱり本の並び方までそのままですか」
「そらそうです。これは大事なことでしてね。松本清張がどんな本もっててそれをどんな具合に配置してあったかが判るゆうことは、要するに清張の頭の中身を書物の形で展開した見取図を手にしたのと同じことなんです。清張が蔵書をどない体系化していたかが判るゆうのは研究者やファンにとっては夢みたいな話ですからね。じつは乱歩の場合もまったく同じで、乱歩の蔵書は東京は池袋にある乱歩邸の土蔵にそのまま残されてましてね、だいたい一人の人間が死んでから三十年以上もたってるのにその蔵書が生前のまま存在してるゆうこと自体が稀有なことなわけですよ。せやから僕も一乱歩ファンとしてなんとか乱歩の蔵書がいまのままで永久に保存されるための手だてをどこかが考えなあかんのやないかとは思てるんです。それはもちろん名張市が考えてもええんですけど、そうゆうことを喋りだしたらまたなんや絶望的な気分になってしまいますからもうこのへんでやめることにしときますわ」
「えらい長いこと喋りましたな」
「行数を節約するために君の合いの手は割愛させていただきました」
「どうせやったら全部割愛してもろてもええんですけど」
「いや漫才ですからそうゆうわけにはいきませんがな」
「それで書斎はどないでした」
「書庫も書斎もなかには入られへんようになってて、入館者はガラス越しに見学する仕組みです」
「ああそうですか」
「書斎なんかちょうど隣の家の物干し台に立って窓から覗き込む感じですわ」
「面白そうですな」
「書斎を覗いててふと気になったことがひとつありまして」
「何がありましてん」
「清張の机がそのまま展示されてて、机のうえにはやっぱり本を積んだり並べたりしてあるんですけど」
「そらそうでしょう」
「窓から見ていちばん手前にあるのがどうもポーの本らしいんです」
「エドガー・ポーですか」
「そう。むかし東京創元社から出た三巻本の全集で、一巻だけ机に立てて残りは本棚にありました」
「何も不思議なことはないのとちがいますか。ポーゆうたらミステリーの元祖とか本家とか呼ばれてる人ですから」
「けど机のうえに置いてあるゆうことは文字どおり座右の書ですよ。松本清張の座右の書がポーやったゆうのはちょっと意外な気がしますね」
「清張さんはポーが好きやったゆうことでしょう」
「若いときには愛読したみたいです。ポーのマリー・ロージェの手法を踏襲したミステリー書いたりもしてますしね」
「ほなよろしやないか」
「でもポーのデュパンとか乱歩の明智小五郎とか横溝正史の金田一耕助とか、そうゆう超人的な名探偵が活躍する世界を否定するとこから清張のミステリー小説はスタートしてるんですよ」
「そうゆうもんですか」
「にもかかわらず清張の机にはポーの本が置かれていた」
「解せませんか」
「強いて考えれば、机に置かれた一冊のポーの本にわれわれは清張の初心を見るべきやゆうことかもしれませんけど」
「初心忘るべからずの初心ですか」
「はい。しかしどうもよう判りませんね。結局あのポーの本が松本清張記念館最大のミステリーでしたね」
「でもまあ面白そうな記念館ですな」
「そうです。清張ファンは一度は足を運ぶべきですし、読んだことないゆう人が行ったらたぶん清張作品を読みたなるんやないかと思いますね」
「興味がわいてくるわけですね」
「ちなみに申しあげておきますと、開館時間は午前九時三十分から午後六時までで、入館は午後五時三十分まで。休館日は十二月二十九日から三十一日まで」
「年末以外は年中無休ですか」
「そうゆうことですね。それで観覧料は一般が五百円、中学生と高校生は三百円、小学生二百円」
「またえらい PR しますやないか」
「お世話になったお礼のしるしに」
「なかなか義理堅いですね」
「けどまったくお世話になりっぱなしやったわけでもないんですよ」
「なんぞお世話したんですか」
「館内に清張グッズを売ってるコーナーがありまして」
「おみやげみたいなもんですか」
「テレホンカードとか山藤章二の似顔絵入りの扇子とか」
「いろいろありますねんな」
「けどひとつだけ足りないものがあったんです」
「そうですか」
「これを商品化して販売したら絶対に人気を呼ぶであろうというニューグッズですね」
「君はそのアイデアを清張記念館にアドバイスしたわけですか」
「しましたがな美人の林さんに」
「どんなアイデア」
「地元の酒造メーカーと提携しましてですね、大吟醸点と線とか地ビール昭和史発掘とか」
「もうええわ」

 松本清張読書案内

 といった次第で、連載の「乱歩文献打明け話」が単発の「松本清張記念館見学記」に乗っ取られる仕儀となった。血の巡りの悪い読者は何事が起きたかとお思いであろう。
 じつは私は本誌がそろそろ廃刊に追い込まれそうだという情報を得ていて、この連載も一ページちょっと書いただけで原稿をうっちゃってあった。つづけて出ると聞かされて大慌てで漫才を書き始めたのだが、漫才は馬鹿みたいに行数を必要とするから所定のページ数にはとても収まらない。致し方なく連載の誌面に割り込んだというわけだ。洒落の通じない読者にはご寛恕を乞うほかない。
 それにしても廃刊の噂が囁かれる雑誌に稿を寄せるのはあまり気持ちのいいものではない。だからたとえば名張市役所の公務員諸君も回し読みでなく身銭を切って本誌をご購読いただければ、寄稿者の一人として幸甚これに過ぎるものはございませんと申しあげておこう。なんとかご支援を願いたい。
 といった次第で、ついでだから清張のことをもう少し書いておこう。
 初めて読んだ清張作品は時代小説「無宿人別帳」の一篇「いびき」だった。漢字で鼾と表記したのかもしれない。手許に本がないから表記を確認することができず、タイトルそのものを勘違いしている可能性だってないわけではない。
 ともかく病的に大きないびきをかく男が主人公で、これが悪事を働いてお縄になる。牢屋にぶち込まれる。いびきがうるさいからと同房の囚人たちに殺されてしまう。というただこれだけのストーリーである。殺害方法はたしか無理やり大便を食わせるというものだった。
 中学生だった私は本当に恐ろしい小説を読んだと思った。生きてゆくのが厭になりさえした。同じ時期に似たような読後感を抱かされたのがほかならぬ乱歩の「芋虫」で、いやはや「いびき」や「芋虫」は子供が読むべき小説ではないなと子供心に嘆息した。
「しかし君、うんこ食べたら人間死んでしまうて知ってましたか」
「あびっくりした。なんやねん。まだ漫才やるつもりなんかいな」
「つもりはなかったんですけどおいしそうなネタが出てきましたんで」
「うんこですか」
「うん」
「うんやないがな」
「僕は下ネタは嫌いなんですけど初めて接した清張作品に敬意を表しまして」
「どんな敬意やねん」
「でもほんまに食べたら死ぬそうですね、全身が吹き出ものだらけになって」
「恐ろしいもんですね」
「これがほんまのくそ食らえゆうやつですけど」
 どうもいけない。大慌てで何ページも漫才を書き殴ったせいか、書く文章がいつのまにか漫才形式になってしまう。この調子だと次号の連載は完全に漫才で終始するかもしれぬという気がする。
 本誌編集スタッフのみなさん、さらには賢明なる読者諸兄姉、私はいったいどうすればいいのであろうか。

(名張市立図書館嘱託)

掲載2000年5月19日
初出「四季どんぶらこ」第9号(1998年12月1日発行)