横溝正史

昭和2・1927年

散歩の事から
 そうだ去年の七月のことである。その年の始めに、大阪を引払って東京へ移った江戸川乱歩が、大阪へラヂオの放送にやって来たのであるが、その時彼は映画製作ということになみなみならず、熱を持っていた。その時の彼の話によると、今すぐにも出来そうだし、おまけに、これは無論冗談だが、
 「一万円儲かるんだよ、一万円──」
 と彼はいうのである。
 私は少からず乗気になってしまった。といって当時私は、一つの商売、それも筆なんかに一向関係のない商売で、おまけに、私がいなくては、どうにも仕様のない商ないを持っていた身だったので、おいそれと、直ぐに東京へ飛出して行く訳にも行かなかった。でも丁度その時分、ちょっとした金の入るあてもあったし、一度遊びに行ってもいいと思っていたので、四五日彼が神戸に滞在していて、帰京する時、一ヶ月ほどの間にはきっと行きますといって、一緒に行こうというのを断ったのである。
 ところが、それから二週間の間に、彼を取巻いている種んな友人から、どんなにその仕事が進捗しているか、も早着手するのも二三日のうちだというような手紙を、三度も四度も貰ったのであるが、その揚句には到頭電報でともかく来いと呼びたてられたのである。
 私はすっかり真剣になってしまった。どんなに事情が切迫しているのだろう──そう思うといても立ってもいられない気持ちで到頭その翌日の晩汽車で東京へ来たのである。
 ところが来てみると、それ等の事は全然出鱈目ではなかったけれど、といって、そううまく運んでいるわけでもなかった、おまけに、私が来てからというものは、きっと私の、表面の冷淡さ、内心ではなかなかどうして、大いに乗気だったのであるが、そうみえる事がきっと恥かしかったのに違いない。私は努めて冷淡さを粧っていたのであるが、そういう気持ちが、誰の上にも少しずつ影響したのに違いない、相当の点までうまく運んでいた事まで、遂におじゃんになってしまったのである。
 私はすっかり落胆した。第一引込みのつかぬ始末になってしまったのである。でも金が少々あったのを幸いに、それがなくなるまで、といってそれは辛うじて一ヶ月を支えるぐらいのものであったが、私は腰を据えることにしたのである。
 ところが世の中は変てこなものだ、そうして私が三週間ほど遊んでいる間に出て来る時には夢にも考えていなかった「新青年」記者という事になって、そのまま私は今日まで、その間に五日ほどずつ二度神戸へ帰っただけで、東京に居据ってしまったのである。
初出:週刊朝日 昭和2・1927年4月10日号(11巻17号)
底本:横溝正史『横溝正史探偵小説選1』論創社 論創ミステリ叢書35 平成20・2008年8月30日
掲載:2009/02/08

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