横溝正史

昭和23・1948年

田舎者東京を歩かず
 四年間私が疎開していた岡田村には、一昨年の暮、厚生館といふのが出来て、岡山市の浮浪者が数百名、トラックに積んではこびこまれた。その人たちも、ちかごろは漸く落ちついて、表情もふつうの人間と大差なくなつたが、はじめのころ、そのあまりにも野獣化してゐるのに驚いた。お茶の水で見た東京人の何十%かは、それにちかい表情をしてゐるのである。野獣にもいろいろある。ことあらば咬みつかうといふ野獣、迫害されつゞけたがために終始おどおどしてゐる野獣──そのとき見た東京人はその両方を兼ね備へてゐるやうに見へた。
 いづれにしても、これやァ助からん、とんだところへかえつて来たものだ、いまに自分もあんな顔つきになるのだらうかと思ふと、浅間しさがいよいよ心魂に徹した
 だから、その夕方、成城の新しい家へ着いたとき、江戸川乱歩氏がちやんと先に来て待つてゐて下すつたときには、地獄で仏にあつたやうなかんじだつた。少くとも異邦人の心細さからまぬがれることができたからである。そのとき私は江戸川さんにいつた、ここ当分、自分は絶対に都心へ出ない、あんな浅間しい風景や表情を見るのはいやだからと。江戸川さんもそれを諒とされたやうである。
初出:探偵作家クラブ会報 15号(昭和23・1948年8月20日)
底本:日本推理作家協会編『探偵作家クラブ会報(第1号〜第50号)』(復刻版)柏書房 平成2・1990年6月25日
掲載:2008/04/12

Rampo Fragment
名張人外境