横溝正史

昭和41・1966年

ノンキな話
 ところが、その翌年乱歩はいよいよ作家稼業に本腰を入れるべく、さっさと東京へ移住してしまった。大正十五年、のちの昭和元年のことである。私は神戸にのこって、依然として薬局を経営する薬剤師さんであり、おそらく乱歩が東京からチョッカイを出さなければ、私はそのまま流行らない薬局の主人として生涯を終ったであろう。そして、ときどきヘタの横好き的に創作をやってみたり、怪しげな翻訳で小遣稼ぎをやったりして、結構満足して一生送ったにちがいないのである。
 ところが乱歩はまことに執念深い男であった。いや、執念深い男だったからこそあそこまでになれたのであろうが、私をそのままそっとしてはおかなかった。上京するとまもなく映画を作るとやらでさかんに私にチョッカイを出しはじめた。もっとも映画を作るうんぬんはまんざらデタラメではなかったらしいのだが、あんなにさきの読める乱歩が、最後までそれに希望をつないでいたとは思えない。途中で見限りをつけていたにちがいないのだが、それにもかかわらず私のところへ電報を寄越して曰く。
 「トモカクスグコイ」
 いたって泰平無事にできている私は、電報なんてのは親の死んだときくらいにしか打つものではないと思いこんでいた。
 その電報が舞いこんできたものだから、スワ、一大事、さては映画作りがものになったか、それでは乃公出でずんばとばかりに、オットリ刀で上京してきたら、映画の話はとっくの昔にご破算となっていたのにはガッカリしたが、
 「なにね、久しぶりに君の顔を見たかったのさ」
 と、いう乱歩一流のコロシ文句に怒りもならず、ええい、ままよ、せっかく上京してきたのだから、半月くらいは遊んでかえろうと思っていたら、乱歩先生大いに責任を感じたのか、「新青年」の編集長森下雨村先生に談じ込んで、私を博文館へ押し込んでしまった。……
初出:推理ストーリー 昭和41・1966年6月号(6巻6号)
底本:横溝正史『探偵小説昔話』講談社 新版横溝正史全集18 昭和50・1975年7月30日
掲載:2009/02/08

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