| 昭和5・1930年 |
36歳
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| 1月 |
| 1月1日 水曜日 | |||
| 「文芸倶楽部」新年号(第三十六巻第一号)の発行日。「猟奇の果」第一回が掲載された。連載は十二月まで。 | |||
| 1月 | |||
| ある夜、前年に帰朝した上山草人が自動車で訪ねてきた。人嫌いのせいで人には会わないことにしていたのだが、会ってみる気になった。草人は探偵映画の台本を所望したが、才能がないからと断り、自作を読んでみてくれるよう依頼した。草人は、日を改め、映画会社もまじえて相談会を開くことを約して帰っていった。春になって、鎌倉か箱根で相談会が開かれた。乱歩のほか久米正雄、近藤経一、北村小松、松竹の六車修ら十一人が顔を合わせたが、うやむやのうちに散会し、話はそれ以上発展しなかった。[■探偵小説四十年「上山草人」] このころ、大蘇芳年の錦絵を収集。[■探偵小説四十年「昭和五年度の主な出来事」] |
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| 2月 |
| 2月1日 土曜日 | |||
| 「朝日」二月号(第二巻第二号)の発行日。「孤島の鬼」第十四回が掲載され、完結。 | |||
| 3月 |
| 3月1日 土曜日 | |||
| 「新青年」三月号(第十一巻第四号)の発行日。座談会「われらの三人、探偵映画座談会」が掲載された。上山草人、藤原義江と出席。[■新青年「戸崎町風土記」Fragment] | |||
| 3月10日 月曜日 | |||
| 渡辺温が原稿依頼に訪れた谷崎潤一郎宅からの帰途、乗っていた自動車が夙川の踏切で貨物列車と衝突し、死去した。[■探偵小説四十年「渡辺温」/■谷崎潤一郎「春寒」] | |||
| 4月 |
| 4月1日 火曜日 | |||
| 「新青年」四月号(第十一巻第五号)の発行日。谷崎潤一郎の「春寒(探偵小説のこと、渡辺温君のこと)」を掲載。 | |||
| 5月 |
| 5月15日 木曜日 | |||
| 春陽堂の探偵小説全集第十八巻『首の綱』発行日。ガボリオ「首の綱」などの翻訳を担当した。 翻訳は代訳で、誰が代訳したのかも知らなかった。[■探偵小説四十年「探偵小説出版最盛の年」] |
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| 5月18日 月曜日 | |||
| 改造社から出版された『孤島の鬼』の発行日。 | |||
| 6月 |
| 6月1日 日曜日 | |||
| 「講談倶楽部」六月号(第二十巻第六号)の発行日。「蜘蛛男」第十一回が掲載され、完結。 | |||
| 7月 |
| 7月1日 火曜日 | |||
| 「講談倶楽部」七月号(第二十巻第七号)の発行日。「魔術師」第一回が掲載された。連載は翌年六月まで。 | |||
| 7月7日 月曜日 | |||
| コナン・ドイルが死去。「東京日日新聞」「時事新報」「国民新聞」「報知新聞」から談話を求められ、八日付紙面に掲載された。[■探偵小説四十年「コナン・ドイルの死」] | |||
| 7月15日 火曜日 | |||
| 平凡社の世界探偵小説全集第一巻『恐怖の谷・妖犬』発行日。翻訳を担当した。 第二巻同様、大阪から探偵小説好きの旧友を呼び寄せて代訳させた。[■探偵小説四十年「探偵小説出版最盛の年」] 午後七時二十五分からのラジオ「趣味講座」でコナン・ドイルについて話した。[■探偵小説四十年「コナン・ドイルの死」/■貼雑年譜「ドイル放送」] |
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| 9月 |
| 9月1日 月曜日 | |||
| 「キング」九月号(第六巻第九号)の発行日。「黄金仮面」第一回が掲載された。連載は翌年十月まで。 「新青年」九月号(第十一巻第十二号)の発行日。連作「江川蘭子」第一回が掲載された。[■新青年「戸崎町風土記」Fragment] |
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| 9月27日 土曜日 | |||
| 「報知新聞」夕刊に「吸血鬼」第一回が掲載された。連載は翌年三月まで。 この年、講談社が報知新聞を買収し、社長の野間清治が経営に乗り出したが、夏ごろ、野間が「報知新聞」夕刊への連載を希望していると講談社から依頼があった。断ったが、再三再四、鄭重な依頼があったため引き受けた。[■探偵小説四十年「「吸血鬼」] |
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| 10月 |
| 10月20日 月曜日 | |||
| 大日本雄弁会講談社から出版された『蜘蛛男』の発行日。 単行本としてもっとも部数の多い著書となった。[■探偵小説四十年「昭和五年度の主な出来事」] |
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| 11月 |
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| 11月15日 土曜日 | |||
| 天人社の世界犯罪叢書第二巻『変態殺人篇』発行日。 ある日、大阪時事新報記者時代の先輩が訪ねてきて、新しい出版社を創業するからと全集への参加を依頼された。断りきれず、代作でもいいという了解をとりつけて承諾した。ドイルの代訳を頼んだ井上勝喜に代作させた。[■探偵小説四十年「代作二冊」] |
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| 11月26日 水曜日 | |||
| 報知新聞に「名士の家庭訪問記」の「江戸川乱歩篇」が掲載された。ある日訪ねてきた大阪毎日新聞広告部勤務時代の友人が無断で探訪記をまとめ、スマイルという目薬の広告として記事にした。これに懲り、広告に名前を出すことはいっさい断るようになった。[■貼雑年譜「探偵小説流行ノ不快ナル余波」][■報知新聞「名士の家庭訪問記 文壇人訪問記 死に絵と「死の島」 怪奇な装飾品に囲まれて (江戸川乱歩篇)」Fragment] | |||
| 12月 |
| 12月1日 月曜日 | |||
| 「文芸倶楽部」十二月号(第三十六巻十三号)の発行日。七月号から「白蝙蝠」と改題して連載していた「猟奇の果」第十二回が掲載され、完結。 | |||
| 12月10日 水曜日 | |||
| 「旧探偵小説時代は過去った」を脱稿。[■初出末尾] | |||
| 12月15日 月曜日 | |||
| エスペラント研究社から出版された「一枚の切符」のエスペラント語訳『Unu Bileto』発行日。 | |||
| 12月23日 火曜日 | |||
| 平凡社の世界猟奇全集第三巻『女怪』発行日。翻訳を担当した。 全集の企画に関わっていた本位田準一から依頼を受け、訳者として名前を貸した。代訳者も知らず、訳文も読まなかった。[■探偵小説四十年「代作二冊」] |
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