昭和10・1935年

7月
夏ごろ
須藤憲三によれば、講談社の野間清治社長を囲む有力寄稿家の懇親会、交談会が東京会館で開かれ、その席で初めて会った乱歩に「少年倶楽部」への執筆を依頼した。乱歩は驚きながらも、興味を抱いた様子だった。「少年倶楽部」新年号のプランは、六月に原案がまとめられ、七月の中会議、八月下旬から九月初旬にかけての大会議を経て決定されることになっていたが、須藤は中会議で了解をとりつけたあと、交談会に臨んでいた。数日後、自宅を訪問すると、乱歩はすでに書く気になっていて、編集部との話し合いも支障なく進んだ。[須藤憲三「乱歩先生の「少年もの」」Fragment

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