RAMPO Entry 2009
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2009年1月30日(金)

雑誌
天城一追悼号
1月25日 甲影会
A5判 40ページ
天城一氏にとっての「理論と実践」 今井美香
評論 p19−22

 天城一さんを追悼する同人誌に掲載された一篇から、天城さんが乱歩から与えられてしまった呪縛と悲劇に関する考察を引用。
 
天城一氏にとっての「理論と実践」

今井美香  

 正直に申しまして、天城氏の実作のほとんどは、同人誌レベルの密室犯罪小説にしかすぎません。それを価値あらしめているのは、『密室犯罪学教程』の理論編や『密室作法』など、実作以外でのミステリへの貢献度にあると言っても過言ではないでしょう。評論家の実力と小説家の実力が拮抗している笠井潔氏のように、「理論と実践」が合致した、密室犯罪小説の傑作を創作し得ていないのです。
 では、なぜ天城氏はご自身のすばらしい理論を実践するような、密室犯罪小説の傑作を物することができなかったのでしょうか? それは、師と仰ぐ乱歩氏に対する執着がもたらした呪縛が、原因であるように思えてなりません。
 【師を乗り越えるには、師を厳しく批判せねばならぬと、私はレヴィットから教えられました。(中略)レヴィットによれば、師に対する批判は自己批判の始まりでした。自己の中に潜む師による制約から自由になるために乗り越えなければならぬ最初のバリアーといっても過言ではないでしょう】
 【私はいささか皮肉に、先生がお褒めになられた『ワイルダー家の失踪』に対する批判のため、『明日のための犯罪』を「宝石」に送り、ブリーンのトリックをお褒めになった探偵作家の中のトリッカーとしての御素質を諷しました。拙作は意外にも高く評価され、(中略)代表作の一つと見なされたには驚きました。私は20年間筆を折りました】
 乱歩氏や氏が行なった作品の評価に対する批判としての実作が、誰からも正当に評価、認識されなかったせいで、二十年間も断筆したように受け取れる文章です。しかし、天城氏の乱歩批判のために書いた「明日のための犯罪」が実のところ、乱歩批判として成立していなかったことが、自分の思惑と異なった世間の反応を生んだ最大の原因ではないでしょうか?

 〔七段落省略〕

 【先生の御本題は(中略)科学性と芸術性の止揚ではなく、夜の闇に潜む美しさを描く耽美主義ではなかったでしょうか】
 天城氏が商業誌に自分をデビューさせてくれた乱歩氏に恩義を感じて、師と仰ぐ気持ちは理解できます。しかし、いつまでも氏への批判にかまけていずに、目指していた境地が異なる乱歩氏から訣別して、自分独自の道を歩むべきだったのではありませんか?
 【かなりの自信を持って乱歩さんに送ったところ、メイン・トリックがバークレイの作品と同じだとリジェクトされました。何分にも乱歩さんがトリツク至上主義の時代、仕方がありませんが、私としては(中略)納得できませんでした】(「失われた秘宝」の作品ノートより)
 天城氏は乱歩氏がトリック至上主義の人だったから、少しでも似た前例があると、自作を突き返されたかのように書いておられます。だが、密室トリックにしか存在価値、存在理由がない天城氏の作品ゆえに、前例の「ある」「なし」が乱歩氏の評価の基準になってしまったのではありませんか?
 「天城一氏の悲劇」は、自己の中に潜む「乱歩」という制約から自由になれるチャンスをみすみす逃してしまい、二十年間も自分の才能を束縛して、成長する可能性を封じてしまったことにあるように感じられます。

 
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