RAMPO Entry 2009
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2009年2月23日(月)

書籍
名作は隠れている ミネルヴァ評論叢書〈文学の在り処〉別巻3 千石英世、千葉一幹
1月30日初版第一刷 ミネルヴァ書房
B6判 カバー 223ページ 本体2500円
編著:千石英世、千葉一幹
8 江戸川乱歩「蜘蛛男」 藤井淑禎
評論 p79−88
1 「蜘蛛男」の「虚名」2 大東京の十字路3 自動車の時代4 カーチェイスの創始

 「ここに見つけた! 意外な傑作」と帯にあります。千石英世さんの「あとがき」によれば「有名作家の隠れた名作、これまで無視されてきた名作、そもそもそんな作品があっただなんて誰も知らないといった作品。いやよく知られているのだが、別の面白さが人目に隠されてきた作品、などなど」を二十人の書き手が自由に綴った一冊で、夏目漱石「坑夫」とジュリアン・グラック「シルトの岸辺」に挟まって乱歩の「蜘蛛男」がとりあげられています。執筆は立教大学文学部教授の藤井淑禎(ふじい・ひでただ)さん。

 乱歩の自作評をそのまま鵜呑みにし、通俗なるものを蔑視する近代的芸術観にも支配されて、論ずるに値しない作品であると決めつけられてきた「蜘蛛男」に何が隠れていたのかが、都市と時代という視点から明らかにされます。都市の発達と時代の進展に鋭敏で、表現者としてきわめて戦略的だった乱歩の姿が浮き彫りにされる次第なのですが、同時代における乱歩の新しさが語られたあたりを「4 カーチェイスの創始」から引用。

 
8 江戸川乱歩「蜘蛛男」

藤井淑禎  

 「闇を闇をと選んで、車は京浜国道の坦々たる大道に出た。人通りは殆どなかった。まれに自動車がすれ違うばかりである。品川まで約三十分でカッ飛ばした。」
 「坦々たる」というのはその頃京浜国道を描写する際の常套語だった。「矢の様に」というのも、考えてみればこうしたスピード感の表現は本邦初の試みだったのだから、いまわれわれが簡単に考えるようなものではありえない。考えに考え抜いて、そのスピード感にふさわしい表現が「創出」された結果が「矢の様に」であったはずだ。
 人通りはほとんどなく、まれに車とすれ違うだけ、といった描写も、深夜(零時前後)の京浜国道の雰囲気をよくあらわしていたにちがいない。蒲田から品川までは七キロメートルほど。それを「約三十分でカッ飛ばした」という。時速にするとそれほどでもないように思われるが、なにしろ当時は一般的な制限速度は時速一六マイル(二六キロメートル)であった時代。文字通り「カッ飛ばした」と受け取るべきなのだろう。ちなみに、後の方で浪越警部や明智らが蜘蛛男邸に急行する場面では、「二十哩? 規定速力じゃ仕様がない。警察の御用だ。構わない三十哩四十哩、フールスピードだ」とのやりとりもある。
 さて連れ去られた洋子は例の麹町のアジトに居ることがわかり、知らせを受けた浪越警部らは、これまた京浜国道経由で旧市内を目指すのだが、そこでも再びスピード感の表現として、「矢の様に」が重用される。くわえて「冷い風が快く警部達の耳に鳴った」、「走れ走れ」といったような言い回しの工夫。自動車の出現、その性能の向上、スピード感という新たな体験の出現、さらには、そのスピード感をどう表現するか、といった模索と試行。今から見れば何の変哲もないようなそれらの表現の背後に、そうした新しい時代の出現とそれにともなう産みの苦しみ、さらにはそれをなし遂げた達成感が見て取れるのである。当然のことだが、これらの例は、昭和通り大正通りの場合も京浜国道の場合も、単に新しい風俗が取り込まれたというにとどまらない。そうではなくて、新しい風俗を取り込むことで、都市なり時代なりに新たな光が当てられ、それらの新たな顔が姿をあらわしているのであり、そうした都市像、時代像の表現としてこそ、それらは受け止められなくてはならない。

 
 ミネルヴァ書房:名作は隠れている