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2009年2月12日(木)

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2月12日 朝日新聞社
【とことんインタビュー】鈴鹿ランポーレ監督 木村文治さん(64)
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 乱歩にはほとんど関係のない記事ですが。
 
【とことんインタビュー】

鈴鹿ランポーレ監督 木村文治さん(64)

2009年02月12日

「2015年までにJリーグ入りを目指す」と意気込む木村文治さん=鈴鹿市御薗町

◇◆2015年までのJ2昇格を目指す◆◇

 ──前身の三重ランポーレ時代に監督に就任以来2年ほどたちますが、元々はJリーグでの経験が長いですね。

 ヤンマーディーゼルサッカー部(現セレッソ大阪)の選手でした。現役引退後、京都紫光クラブ(現京都サンガ)の監督となり、98年に横浜マリノスと合併するまで横浜フリューゲルス(現横浜F・マリノス)のヘッドコーチ、監督、強化部長などを務めました。99年からは京都パープルサンガ(現京都サンガ)の統括部長となり、00年から総監督も兼務しました。

 ──日本代表の選手も多く育ててきたようですね。

 最近では、楢崎正剛選手(名古屋グランパス)、遠藤保仁選手(ガンバ大阪)、松井大輔選手(サンテティエンヌ)らですね。朴智星(パクチソン)選手(マンチェスター・ユナイテッド)も私が育てました。ソウルの大学の試合でプレーする朴選手を見て、何かピンと来るものがあったんです。それで京都パープルサンガと契約を結び、日本に呼びました。

 ──Jリーグを離れ、なぜ三重のサッカーチームの監督になったのですか。

 04年に還暦を迎え、京都サンガの総監督を辞め、「これからは勝った負けたではなく、腰をすえて世のため人のために生きたい」と考えるようになりました。伊賀市で会社を経営する名張市出身の西條一博さん(現FC鈴鹿ランポーレ理事)と出会い、「名張のため、三重のために社会貢献がしたい」という彼の熱意に賛同し、三重ランポーレFCの監督になりました。

 ──今年1月、チームの本拠地を名張市から鈴鹿市に移したのはなぜですか。

 07年に東海リーグ2部に昇格し、Jリーグを目指そうという熱が高まりました。でも、名張市は財政的に厳しく、芝生のグラウンドができそうにない。そこで、環境の整った鈴鹿市に本拠地を移しました。

 ──チームの当面の課題は何でしょうか。

 スポンサーの確保ですね。今のところISET(津市)やポッカコーポレーション(名古屋市)など5社がメーンスポンサーになってくれました。チームがより強くなるためには、もっと多くのスポンサーに支援していただきたいと思っています。

 ──目標を聞かせてください。

 三重県のサッカーの活性化です。そして子供たちに夢を与えたい。チームが強くなれば、県民にも元気を与えることができると思います。三重には四日市中央工業高校などの名門校もありますが、強い社会人チームがなければ選手は流出してしまいます。Jリーグを目指すチームがあって、そのチームがサッカー教室で子供たちに教える。高校ももっと強くなるはずです。

 ──いつJリーグ入りを果たしたいですか。

 5月から始まる東海リーグ2部で優勝して1部に昇格する。一気に来年、1部で1、2位になり、JFL(日本フットボールリーグ)のチャレンジ権を得てJFLに入る。次はJ2。遅くとも2015年までのJ2昇格を目指します。(聞き手・中島嘉克)

◎FC鈴鹿ランポーレ 06年、NPO法人「芝生のグラウンドを愛する会」(木村文治理事長)が三重ランポーレFCを発足。翌年、木村氏が2代目の監督に就任した。チーム名は、名張生誕の江戸川乱歩にちなんでいる。07年に東海リーグ2部に昇格し、今年1月からチームの本拠地を鈴鹿市に移転。チームを「FC鈴鹿ランポーレ」に、運営母体を「三重からJリーグのチームを創る会」にそれぞれ名称変更した。現在約30人の選手が在籍している。

 
 乱歩生誕地の名張市を本拠として誕生し、乱歩にちなんで「三重ランポーレFC」と命名されたサッカークラブが、「名張市は財政的に厳しく」との理由で今年1月、三重県鈴鹿市に拠点を移して「FC鈴鹿ランポーレ」になったという寸法です。しかしそれにしても、こんな草深い土地の汚れ蹴鞠団体にも見放されるのですからもう、名張市オワタ\(^o^)/、というしかないように思われます。
 
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