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2009年3月19日(木)

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3月17日 産経デジタル
セブン銀行社長 安斎隆氏(1)
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セブン銀行社長 安斎隆氏(1)

2009/3/17

東北大学に入学間もないころ、下宿を訪ねてきた友人らと(座っているのが安斎氏)=1959年、仙台市

 ■進路を決めたライバルの存在

 1941年、福島県上川崎村(現二本松市)で生まれた。東野辺薫の芥川賞受賞作「和紙」(43年)の舞台となった地域で、この作品には私の祖父をモデルにした人物も登場する。実家は農家だが、父方と母方の祖父がともに村長を務めるなど生活には余裕があり、終戦後も食事に困るようなことはなかった。振り返ると、金銭面だけではなく心にも余裕があったと思う。両親は厳しかったが、祖父母には大変かわいがられた。

 祖母は教育熱心な人で、家の土蔵にはたくさんの本があった。東京などから疎開してきた人たちと、本とサツマイモやトウモロコシなどを交換したりもしていた。私は薄暗い土蔵の中で、江戸川乱歩などの本や雑誌をよく読んだ。私が中学3年生の時、祖母が亡くなり、通夜の席でお棺を前にして読んだ倉田百三の「出家とその弟子」は忘れられない一冊となった。

 読書は好きだったが、勉強ができる方ではなかった。わんぱくそのもので、兄と一緒によくスキー板を作っては滑って遊んだ。ただ、祖父が学校と懇意にしていたためか、通信簿の中身だけは良かった。先生にいたずらをして怒られたこともあったし、まさに壼井栄の「二十四の瞳」のような小学校時代だった。

 地元の福島県立安達高校に進学して、2年生になると一気に勉強が面白くなった。きっかけの一つはライバルの存在。同級生で、後に日産自動車に入社してサニーの開発にも携わった安藤勇夫君だ。とにかく頭が良くて「こんな優秀なやつがいるのか」と驚いたほどだ。彼に負けたくないという気持ちもあり、勉強に精を出すようになった。

 安藤君は真の友でもある。私が東北大学法学部に進んだのも、彼が東北大理工学部を受けると聞いたのがきっかけだった。安藤君とは、現在も定期的に会食を楽しんでいる。

 大学では、高校の時以上に勉強をした。とにかく真っ白な状態だったので、スポンジで水を吸収するように何でも頭の中に入ってきた。その中で、法律の条文よりも人間の行動という根本的なことに興味を持つようになり、法哲学や法社会学を勉強するようになった。マックス・ウェーバーの著書やマルクスの「資本論」の一部など海外の書籍を原書で読みあさった。

 また、荘子邦雄先生(現東北大名誉教授)にかわいがっていただいた。ご自宅にもよくお邪魔し、仲間と一緒に車座になって、酒を酌み交わしながら議論に熱中したりもした。後にも先にも、あれほど勉強した時期はない。見てくれには無頓着で、真冬にもかかわらず荘子先生の家に、素足のげた履きで伺ったので、先生の娘さんに笑われたことも良い思い出だ。

                   ◇

【プロフィル】安斎隆

 あんざい・たかし 1963年、日本銀行入行。理事などを経て、98年に日本長期信用銀行(現新生銀行)頭取。2001年4月からアイワイバンク銀行(現セブン銀行)社長。68歳。

 
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