RAMPO Entry 2009
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2009年6月21日(日)

書籍
金子みすゞ こだまする家族愛 詩と詩論研究会
4月1日初版 勉誠出版
B6判 カバー 217ページ 本体2400円
著:詩と詩論研究会
江戸川乱歩 〈家族〉と〈芸術〉のはざまで 小松史生子
評論 p11−23

 勉誠出版から金子みすゞをテーマにしたシリーズが出ていて、いずれも詩と詩論研究会の編著。2000年刊行の『金子みすゞ 詩と真実』を皮切りに、『金子みすゞ 永遠の母性』『金子みすゞ この愛に生きる』『金子みすゞ 花と海と空の詩』『金子みすゞと夭折の詩人たち』『金子みすゞ 美しさと哀しみの詩』『金子みすゞ 母の心 子の心』と巻を重ねています。

 最新刊の本書では乱歩をはじめ吉行淳之介、山本周五郎、西條八十、サトウハチローらがとりあげられ、それぞれの作品における、また実生活における「家族」がみすゞのそれと比較されるのですが、小松史生子さんのこの論考では乱歩と父親との関係性が焦点となっています。平井繁男と乱歩とは「明治の父と大正の息子」とでも呼ぶべき類型のひとつではないかと考える次第なのですが、この父子が金子みすゞとどんなふうに共振するのか。

 
江戸川乱歩 〈家族〉と〈芸術〉のはざまで

小松史生子  

 乱歩は自分が芸術的感性の素養を持ち、文学への情熱を養われたのは、主に母方の血のなせるわざと判断しているが、存外に父であるこの平井繁男からも、実に矛盾した複雑な反面照射ではあるが確かに影響を受けていると考えられる。なんと言っても、家内の雰囲気を統括するのに、一家の長が多かれ少なかれ関わっていないはずはないからである。現に、幼い乱歩が中央の総合雑誌「太陽」を初めて手に取ったのは、父の書斎に無造作に積み上げられた書籍の山からであったりもするのだ。名古屋という地方都市に住むが故に、中央文化との接触の早い遅いは、その後の感性を左右することにもなる。父の繁男が、どれほど息子によって「芸の理解がない、芸術に対する見識がない」と評されようと、中央文化とのパイプ役をその進取を尊ぶ気性によって息子にもたらしたことは確かであろう。同じようなことがみすゞにも起こっている。みすゞは大津高等女学校を卒業後、奈良女子高等師範学校へ進んで女教師になる勧めを断り、大正十二年に上山文英堂、およびその支店である下関市内の商品館内の本屋に勤め始める。兄嫁とそりが合わなくて仙崎を飛び出し下関に出たみすゞは、さりとて養父松蔵のあまりに商売商売した気質にもなじめずにいたところへ、大好きな本に囲まれて過ごせる本屋の店番の仕事は、それこそ天国そのものであっただろう。みすゞはここで、西條八十が編集を請け負う童謡掲載雑誌と出会い、精力的に投稿するようになる。童謡詩人金子みすゞの誕生である。が、この稀代の童謡詩人を生んだ環境は、それこそ商売人気質でみすゞがうち解けられなかった養父松蔵の経営する本屋に他ならなかったところが、乱歩における繁男の影響力と相通じるものが感じられよう。

 
 末國善己さんの「山本周五郎 〈弱者〉への共感」ではまさに2009年のいま現在、いつのまにこんな国になってしまったのかと茫然としているわれわれ日本人に周五郎とみすゞのメッセージがいかに有効であるかが説かれていて、こちらもご一読をお勧めする次第です。
 
 勉誠出版:金子みすゞ こだまする家族愛