RAMPO Entry 2009
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2009年6月22日(月)

書籍
彼我等位 日本・モダニズム/ロシア・アヴァンギャルド 大石雅彦
4月10日第一版第一刷 水声社
B6判 カバー 324ページ 本体3500円
著:大石雅彦
テクスト・裏・遊歩……江戸川乱歩
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評論 p51−68
初出:ユリイカ《特集:江戸川乱歩──レンズ仕掛けの猟奇耽異》 1987年5月号 青土社
初出タイトル:テクスト裏の散歩──〈視る〉と〈触れる〉の対位法

 『ロシア・アヴァンギャルド遊泳』や『『新青年』の共和国』の大石雅彦さんがロシアと日本の同時代芸術を俯瞰した評論集です。帯には「マレーヴィチ、ヴェルトフ、ソクーロフ、平戸廉吉、神原泰、稲垣足穂、江戸川乱歩、牧野信一……。ジャンルやメディアを超えて時代の先鋭なる領域を獲得した、20世紀の表現者たち。〈前衛〉を駆け抜けた彼らの前史/後史を精緻に読み解き、日本−ロシアを往還する表象文化論集」とあって、誰? と思わざるを得ない名前が散見されるのがつらいところなのですが、乱歩作品へのアプローチは A・リーグルというドイツの美術史家によって「触視的(haptisch)」との呼び名を与えられた「視覚的であると同時に触覚的でもある」複合状態、といったいかにも乱歩めいた感覚を手がかりに始められます。となれば当然、締めは「芋虫」。最後の二段落を引用いたします。
 
テクスト・裏・遊歩……江戸川乱歩

大石雅彦  

 「肉欲の餓鬼」と化した時子にとって、やがて、触覚以外に残されたたったひとつのもの、夫の「物言う」眼が邪魔になる。彼女は夫を「生きた屍」「胴体だけの触覚」にしてしまいたくなり、とうとうその眼をつぶす暴挙に出る。これで失うものはなにもなくなったわけだ。しかし最終の土壇場において、触覚は視覚に裏切られた格好になる。時子の思惑通りにことは運ばなかった。触覚のみの身体になった夫は庭の古井戸まで這っていき、身を投げてしまう。視覚を奪うことが、逆に純粋な動物化への道を妨げることになったのだ。たしかに触覚は五感の基盤となる感覚かもしれないが、それは他の感覚とともにあってこそ初めて基盤性を発揮できるのである。他の感覚からひきはがされたら、触覚はそれだけでは成り立たない。
 小説を読み終えたとたん、冒頭の一節にある文章がふつふつと甦ってくる。それは、他の感覚と一体になった触覚がもっとも力強い姿をしめす場面である。そこには、食感と夫の芋虫からうける触感、触視が二つながら込められている。「いましがたも、母屋の主人の予備少将から言われた、いつものきまりきった褒め言葉を、まことに変てこな気持で、彼女のいちばん嫌いな茄子の鴫焼を、ぐにゃりと噛んだあとの味で、思い出していた」。

 
 彼我の違いを軽々と超越し、これからも「芋虫」という一篇は小説のひとつの極北を指し示しつつ人の心を深々と抉りつづけるであろうと思われます。
 
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