RAMPO Entry 2009
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2009年9月4日(金)

書籍
戦前戦後異端文学論 ──奇想と反骨── 谷口基
5月20日初版 新典社 新典社研究叢書198
A5判 カバー 478ページ 本体12000円
著:谷口基
第四章 江戸川乱歩、戦争協力の果てに
第III部 異端者ゆえの協力/逸脱/抵抗 >
評論 p155−198
第一節 迷走する乱歩/自壊する探偵文壇第二節 「協力」の全貌と秘匿された「乱歩」

 
 タイトルのとおり、戦前から戦後にかけての異端文学を奇想と反骨というモチーフを手がかりに俯瞰した大冊です。ところで、異端文学とは何か。本書によれば「〈異端文学〉という呼称は、一九六九(昭和四十四)年にはじまる、戦前派〈探偵小説〉を中核とする怪奇幻想小説の出版ラッシュのさなかに浮上してきたものである」とのことで、1969年といいますと乱歩の死去から四年後にして三島由紀夫が自死する前年、そのころの私は尾崎一雄が大好きな十六歳の高校生だったわけなのですが、そんな高校生がこんな五十六歳になってしまったのもおりから遭遇した異端文学ブームのせいであったのかと、本書を通読してひとかたならぬ感慨を抱きました。

 ちなみに著者は1964年生まれで、異端文学元年ともいうべき年にはまだ五歳。著者にとって異端文学とは、あるいは異端文学を研究するとはどんなぐあいのものであるのか、巻頭の「はじめに」から引用いたします。

 
はじめに……〈異端文学〉を通じてエンターテインメントの本質を問い返す

谷口基  

 本書でとりあげた〈異端文学〉の書き手たちは、探偵小説、実話、シナリオ、ノンフィクション、ホラーなど、いずれもエンターテインメントの側面に功績ある人々であるが、同時に、例外なく、〈書く〉ことを通じて、それぞれの生きた時代を相対化し、自己の限界をも突き抜けようと努力してきた文学者たちであり、その活躍の時期も戦前から戦後の現代にまで及んでいる。このように、時代を越えて、〈奇想〉と〈反骨〉を旗印とする表現者を同一の場において論じようとした本書の意図も、〈異端文学ブーム〉がなければ生まれてこなかったものだと言えるだろう。〈異端文学ブーム〉は、戦前派探偵小説に対する、時を隔てた正当な評価を与えたばかりでなく、エンターテインメント文学の本質を後世に伝えるための重要な契機をつくったからだ。〈復権〉した作家たちのテクストを手に〈奇想〉の森に分け入った世代から、新たな書き手たちがあらわれ、また、〈異端文学〉に通じる毒と反骨精神を内在させた文学作品を見抜く新しい評価眼をそなえた批評家たちがあらわれた。こうして〈異端〉の種は地に蒔かれ、新たな収穫を重ねてきたのだ。その延長上に、今日の〈Jホラーブーム〉なども位置していることは見逃されてはならないのである。
 だが、二十世紀末から二十一世紀にかけて、エンターテインメントの意義は、単純化された思考と価値観の称揚へと誤読されることになった。この動きは、教養やコントロールされた知性に裏付けられた思想・言論に対する、感情的な復讐ともいうべき行為であった。今日に至るまで、短絡的で威勢のいい言葉と、批判精神やメタファーを全く内在させない暴力的な世界観は、その〈わかりやすさ〉ゆえに支持され続け、この国のモラル空洞化に拍車をかけていることは、ここで繰り返すまでもないだろう。ネット空間でマイノリティーを貶め、過去の戦争を賛美し、〈お笑い〉と〈泣ける話〉にのみ耽溺する〈大衆〉イメージに寄り添って提供される小説、ドラマ、映画には、もはや毒も薬も認めることはできない。
 「9・11」以後の文化荒廃の時代にあって、格差社会の定着に伴う就職難や貧困など、われわれを囲繞する情況はさらに厳しさを増している。しかし、そうした窮状の中で、一筋の光明は失われてはいないのだ。たとえば、小林多喜二の『蟹工船』が、あまたの若者たちに愛読されているという事実。文学研究に携わる人間として、これを一過性の流行と看過することはできない。最下層の労働環境から湧き上がった抵抗と共闘の物語の〈復権〉は、そのまま、非日常の文学を通路として、現実世界において見据えるべき〈敵〉の存在を発見した人々の増加を示しているに相違ないからである。

 
 苛烈というしかありません。痛棒を喫したような気分にさえなりました。この痛棒は半分がた、若いころの自分から喰らわされたものであったような気もします。何というのか、「異端文学」を読み始めたころの自分からずいぶん遠ざかってなんともいい加減で苛烈さのかけらもない人間になってしまったな、という反省が生じたとでもいいましょうか、読書の初心に帰ることができたとでもいいましょうか、いずれにせよみずからを顧みて切々と胸に迫るものがある一冊でした。

 こうなると、本書の全容をご覧いただいたほうがいいでしょう。


書籍
戦前戦後異端文学論 ──奇想と反骨── 谷口基
5月20日初版 新典社 新典社研究叢書198
A5判 478ページ カバー 本体12000円
著:谷口基
はじめに……〈異端文学〉を通じてエンターテインメントの本質を問い返す
第I部 〈奇想〉の復権
第一章 序論 幻想領土を求めて──一九七〇年代〈異端文学ブーム〉を検証する──
 第一節 「探偵小説」という逸脱
 第二節 日本におけるゴシック・リバイバル
第II部 『新青年』の神話をこえて
第二章 制約をこえた奇想──渡辺温の〈映画〉──
 第一節 渡辺温とは何者か
 第二節 渡辺温のシナリオ/映画
第三章 横溝正史の知られざる挑戦──戦時下における「一般文壇」との交錯──
 第一節 横溝正史と夏目漱石
 第二節 横溝正史の『真珠夫人』
第III部 異端者ゆえの協力/逸脱/抵抗
第四章 江戸川乱歩、戦争協力の果てに
 第一節 迷走する乱歩/自壊する探偵文壇
 第二節 「協力」の全貌と秘匿された「乱歩」
第五章 橘外男論──〈実話〉に生き、〈実話〉に死す──
 第一節 橘外男、その〈実話〉的手法──怪奇小説「蒲団」を分析する──
 第二節 橘外男の敗戦感覚
 第三節 獣偏の作家、その後の変転──怪猫から、再び怨霊へ──
第六章 小栗虫太郎試論──マレー体験に探るその反骨──
 第一節 「魔境」作家、はじめての海外体験
 第二節 「海峡天地会」論──戦前版テクストに何を見るべきか──
第IV部 敗戦後小説としての「探偵小説」
第七章 角田喜久雄「沼垂の女」論──「戦争未亡人」の復讐──
第八章 山田風太郎論──戦中・戦後の「境界」を生きた作家──
 第一節 山田風太郎と読書文化──「戦後派」探偵作家の〈教養〉の行方──
 第二節 『太陽黒点』論──最後の〈敗戦小説〉──
第V部 「異端文学」から「ホラー」へ──〈抵抗〉の継続は可能か──
第九章 日本におけるホラー文学の発生と展開
 第一節 〈トウキョウ〉から〈オキナワ〉まで──ホラーが暴く日本の欺瞞──
 第二節 奇想と反骨の行方──ホラーよ、〈異端文学〉たれ──
付記
あとがき
 谷口基

 さて、乱歩です。戦前から戦後へつづく乱歩の文業、あるいは乱歩の実人生が仔細に点検されたあと、乱歩にとって戦争とはいったいどんなものであったのか、その答えが昭和30年の短篇「防空壕」のなかに見出されます。結びの三段落を引用。
 
第四章 江戸川乱歩、戦争協力の果てに

谷口基  

 第二節 「協力」の全貌と秘匿された「乱歩」

  三 「悪夢」への帰還、甦った「乱歩」

 乱歩が真に描きたかった〈戦争〉がここにはある。
 清一が「反社会的」な感性として述べた、戦争の驚異に注がれたまなざしや、戦火のさなかで覚える性的興奮は、モラル、常識、ヒューマニズムなどから解脱した非日常の境地を意味する上で、戦闘時の兵士が抱くヒロイズムと大差はない。両者を別け隔てる条件は、祖国のため、愛するもののため、という大義の付与が可能か否か、という一点のみであろう。この一点の有無が戦争と犯罪とをきわどく画するという事実を、戦争のもたらす淫靡な愉悦を「犯罪本能」という語に置き換えて説く清一の言葉はニヒリスティックに肯定する。この意識の前では、カーチス・ルメイが指揮した無差別虐殺・東京大空襲を含め、全ての戦争ヒロイズムは断罪される運命にあるのだ。
 そして、空襲の実体験によってもたらされながらも秘匿され続けた乱歩の戦争観は、ひとたび「防空壕」という作品世界に披瀝されることで、本人の意向とは全く無関係に、彼の戦時下のキャリアを嗤い飛ばすだけの力を孕んでいる。醜い老婆の素顔を前に色褪せる「五彩のオーロラの夢」とは、「昔日の悪夢」を棄て去り、自らを鞭打って邁進した「協力」の果てに乱歩が見ようとした〈うつし世の夢〉、乱歩自身すら信じていなかったはかない幻そのものとして、われわれは読むことが可能なのだから。

 
 半端ではない目配りと圧倒的な力業で書きあげられた異端文学同時代史として広くお薦めする次第です。
 
 新典社:戦前戦後異端文学論