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2009年5月31日(日)

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5月29日 読売新聞社
第3回 ミステリー作家 有栖川有栖さん
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第3回 ミステリー作家 有栖川有栖さん

 立命館の講義「日本文化の奔流」(読売新聞大阪本社後援)の第3回の外部講師として登場したのは、ミステリー作家の有栖川有栖さん。「日本的なる推理小説」をテーマに、欧米で生まれたミステリーが、日本に根付いた歴史をひもといた。

 ありすがわ・ありす
 1959年生まれ。89年「月光ゲーム」でデビューし、「新本格ミステリー」ブームの一翼を担う。犯罪学者の火村英生とミステリー作家の有栖川有栖のコンビが活躍するシリーズで人気を集め、2003年「マレー鉄道の謎」で日本推理作家協会賞、08年「女王国の城」で本格ミステリ大賞を受賞。00年〜05年、本格ミステリ作家クラブ会長を務めた。

 今年はミステリーにとって記念すべき年。世界で最初のミステリーを書いたエドガー・アラン・ポーの生誕200年目であり、シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルの生誕150年目にも当たる。日本の巨匠、松本清張の生誕100年でもあります。ついでに私も、今年50歳の誕生日を迎えました(笑い)。

 日本ではミステリーが今やエンターテインメント小説の核を担っています。2004年には桐野夏生さんの「OUT」がアメリカ探偵作家クラブ賞候補に挙げられたし、アジア各国で日本のミステリーがよく読まれている。作家の島田荘司さんは今年、中国語で書かれたミステリーを公募する「島田荘司推理小説賞」を台湾で創設されました。

 ミステリーとは何か。江戸川乱歩は「主として犯罪に関する難解なる秘密が、論理的に、徐々に解かれていく経路の面白さを主眼とした文学である」と定義しています。ミステリーに必要なのは、謎や秘密と、推理や捜査、そして解決あるいは答えですね。

 謎解きの話は聖書にもあるし、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」もそうですから、起源は分かりません。ただ、ミステリーの直接の祖先は、18世紀に流行したゴシック小説といえます。

 その最初の作品がホレス・ウォルポールの「オトラント城奇譚(きたん)」。のろわれた王の城で、夜な夜な起こる怪奇な出来事を描く幻想的な物語です。ゴシックの分野は女流作家が大勢出て、一時期人気を博しました。

 19世紀になると都市が生まれ、都市型犯罪も行われます。ゴシックは廃れ、犯罪実録が読まれるようになった。そこへ1841年、ポーが「モルグ街の殺人」を書いた。これはパリのアパートで起きた残虐な母娘殺害事件の謎を、分析的知性を持つ名探偵が解き明かす話です。不思議で奇怪な物語なのに、推理をすればつじつまのあった話になっていくという小説でした。

 その後、1887年にコナン・ドイルがシャーロック・ホームズを生んで大当たりし、第1次大戦後はイギリスでアガサ・クリスティ、アメリカでエラリー・クイーンやヴァン・ダイン、ディクスン・カーが出て、ミステリーの黄金時代を迎えます。

 さて、日本では明治時代に「万朝報」という新聞を発行していた黒岩涙香が、海外ミステリーを翻訳して紹介しました。そんな翻訳ものを読んで夢中になったのが、江戸川乱歩。彼は特にポーの「黄金虫」に知的刺激を受け、自分でも書いてみようと「二銭銅貨」を発表した。これはすごい評判を呼びましたが、謎解きものというよりは、怪奇幻想色の強い小説でした。

 本来ミステリーは難解な謎を解くものですが、日本の場合、ものごとを合理的に割り切る面白さがなかなか理解されなかった。明晰(めいせき)な推理より、幻想とか耽美(たんび)へと流れていたんですね。

 ところが、太平洋戦争が始まり、敵性文学であるミステリーは禁止されます。敗戦後、ようやく自由に書けるようになったら、横溝正史がいきなり傑作を書くんです。それが名探偵、金田一耕助が主人公の「本陣殺人事件」。英米のミステリーに匹敵する謎解きものの本格推理です。

 ここで日本のミステリーは、幻想から謎解きへと大きく変わりました。なぜか。作家の笠井潔さんは、「戦争の影響だ」と言います。そもそも英米では、第1次大戦後がミステリーの黄金時代でした。第1次大戦で史上初の大量死を体験したヨーロッパ人が、1人の人間の死の状況を詳しく描くことで、個人の尊厳を回復しようとした。それが黄金時代を生んだというのが笠井説です。日本人が大量死を体験するのは太平洋戦争。だから戦後、本格ミステリーが生まれたと笠井さんは言います。

 私自身は、戦争中にミステリーが禁止されたのが原因ではないかと思っています。書くなといわれると書きたくなるのが作家の生理。戦中でも、戦前に発行された本を読むことはできました。現に横溝正史も戦争中、ディクスン・カーの原書を人から借りて、夢中になって読んでいたそうです。

 横溝正史の小説は、日本のミステリーのモデルになりました。彼の小説には過剰に日本的なモチーフがちりばめられているのが特徴です。「本陣――」では殺人現場の小道具が、日本刀、石灯籠(どうろう)、琴の音など。「獄門島」では最初の被害者は振り袖姿で逆さ吊りにされ、2番目の死体は釣り鐘の中に押し込められ、最後の死体には萩の花が降りかけられている。これは全部俳句の見立て殺人なのです。

 見立てとはあるものを別なもののイメージと重ね合わせること。石と砂で宇宙を表現する竜安寺の石庭などがそうですが、極めて日本的な文化伝統ですね。

 また、ここには本歌取りの手法も感じられます。本歌取りとは有名な本歌に触発されて別の歌を生み出すことで、和歌の世界では古くから行われてきました。ミステリーは新しいトリックやアイデアが次々できるわけではありませんから、基本的に本歌取りの連続なんです。

 先の「獄門島」に出てきた2番目の殺人は、<むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす>という芭蕉の句の見立てだったのですが、この句は西行の和歌<きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく>の本歌取りでした。本歌取りで生まれた句をさらにミステリーへと引用するなんて、日本文化のリレーの中に、ミステリーも加わったかのようではありませんか。

 つまらない現実から離れたくて、怪奇幻想へと向かう気持ちは、私もよく分かります。でも、夢だけでは頼りない。合理的にものを考える喜びも、一方ではあるはずです。夢見ることと合理的であること。両立しがたい二つを両立させられるのが、ミステリーだと私は思っています。

(2009年05月29日 読売新聞)

 
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