RAMPO Entry 2009
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2009年9月20日(日)

雑誌
週刊朝日 7月31日号
7月31日 朝日新聞出版 第114巻第34号(通巻4957号)
B5判 174ページ 本体333円
忘れられない一冊 内澤旬子
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エッセイ p114

 イラストルポライターの内澤旬子さんが北鎌倉駅前にあるスナック喫茶Wでアルバイトしたときの乱歩体験を綴ります。
 
忘れられない一冊

内澤旬子  

 その日は開店から一時間しても誰も来なかった。マスターに断り、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、兄の本棚から適当に抜いてきた文庫本を開いた。江戸川乱歩の『一寸法師』。手足の極端に短い入道みたいな小男が女の腕を抱えた、恐ろしい切り絵が表紙だった。
 中身はさらに怖かった。乱歩は小学生のときにポプラ社のシリーズで読んだ気になっていたが、あれは子ども向けの作品群だったのか。
 普通なら小説に没頭すればするほど周りは消えるのに、この日は違った。
 柱時計がコチコチと時間を刻み、石油ストーブの上の薬缶がシュウシュウと湯気を吹き出す音。腰かけている椅子と腿が触れ合う、湿った薄いクッションとその下の木の感覚。わずかに濡れた石油の匂い。読み進めるほどに五感が鋭敏になってゆく。

 
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