RAMPO Entry 2009
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2009年9月21日(月)

雑誌
ハヤカワミステリマガジン 8月号
8月1日 早川書房 第54巻第8号(通巻642号)
A5判 256ページ 本体800円
幻想と怪奇 ポー生誕200周年
特集 p13−79
ポーに魅せられたミステリ作家たち 森英俊
資料と研究 >
エッセイ p68−71

ポーに魅せられたミステリ作家たち

森英俊  

 乱歩とポーとの関わりはただ筆名だけにとどまらず、昭和初期に改造社より刊行された〈世界大衆文学全集〉の第三十巻『ポー、ホフマン集』(一九二九)には、訳者として乱歩の名が記載されている。ただし実際の翻訳にあたったのは渡辺啓助・渡辺温の兄弟で、横溝正史を通じて温のもとに依頼があり、大学在学中の啓助が弟の翻訳を手助けすることになったとか。
 乱歩は終戦直後には《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》のひそみにならって内外の名作を再録する探偵雑誌の構想を練り、ずばりその誌名を《黄金虫》と命名する予定だったという。ところが、くだんの雑誌は版元と契約面での折り合いがつかず、一号も出さないうちに幻に終わってしまう。
 ポーの没後百年にあたる一九四九年には各地でさまざまなイベントが催されたらしいが、その際に精力的な活動を見せたのも乱歩であった。読売ホールや立教大学、早稲田大学での講演でミステリの始祖について語り、新聞各紙にもポーがらみの原稿を執筆、さらには《宝石》誌に力のこもった評論「探偵作家としてのエドガー・ポオ」を発表、これは翌々年、評論集『幻影城』に再録された。そのなかで乱歩は、ポーの推理三昧ぶりをきわめて高く評価すると同時に、「たった五篇の探偵小説によって、かくも重要なトリック原型を三つ(註:密室殺人、探偵犯人トリック、盲点原理)までも創案し、その後百余年に亙って、多くの作家にこれを模倣せしめたことは、ポオの独創力がいかに偉大であったかを物語るものである」と、最大級の賛辞を贈っている。

 
 hayakawa online:ミステリ・マガジン2009年8月号