RAMPO Entry 2009
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2009年11月6日(金)

書籍
怪談異譚──怨念の近代 谷口基
8月15日第一版第一刷 水声社
B6判 カバー 256ページ 本体2800円
著:谷口基
肆 開化と戦争
評論 p153−193
関連箇所
六、隠蔽された戦争

 
肆 開化と戦争

谷口基  

 六、隠蔽された戦争

 「言論取締り二法」の窮極の目的は、天皇制と政体を批判的にあつかう出版物の摘発と根絶にあった。帝国陸軍が〈天皇の軍隊〉であり、戦争遂行が国是である以上、文学作品の中にすら、戦争と戦死をめぐる怨念はやすやすとは表現できなかった。一九三八年二月十八日、武漢攻略における皇軍の残虐行為を赤裸々に描いた石川達三の「生きてゐる兵隊」が発禁処分を受け、翌三月三十一日には、江戸川乱歩の短編集『鏡地獄』(春陽堂文庫)から「芋虫」の全編削除が命じられた。これは当時の検閲の二大処分類別であった「安寧秩序紊乱」と「風俗壊乱」の両方を刻印されての発禁であった。『出版警察報』第百十七号(内務省警保局、一九三七年一月─五月検閲)には処分理由が、「四肢ヲ失ヒ言語不能トナリシ廃兵ト其妻トノ悲惨、変態的性生活ヲ描写セルモノニシテ時局ニ鑑ミ不穏ノ点アルニ因リ」と記されていることから、当局の忌避にふれたのは、四肢と聴覚と言葉と失った兵士が食欲と性欲のみに衝き動かされて生きているという、同作のブロットそのものであったことがわかる。
 この処分を乱歩は従容と受け入れ、筆を絶つ。大正末期から昭和期にかけて第二の探偵小説黄金期をつくりあげた立役者の退場は、探偵文壇を自粛ムード一色にぬりかえ、〈変格探偵小説〉の名で探偵小説の主力に列なっていた怪談や幻想小説も、これによって絶息状態に陥ったのである。
 乱歩の言葉によれば、「芋虫」という小説は「極端な苦痛と快楽と惨劇と」を描くことを目的にしていた。「反戦的なものを取入れたのは、偶然、それが最もこの悲惨に好都合な材料であったからにすぎない」ともいう。ここで乱歩もまた、「悲惨」という言葉を用いた暗合は興味深い。
 「廃兵」になった主人公は、最初のうちこそ、勲章と自分の武功を報道した新聞記事に愛着するが、それらにはすぐに見向きもしなくなり、ひたすら食欲を満たし、妻との愛欲に溺れることに生きる意味を見いだそうとする。この生活の描写を「悲惨」と記した検閲官には、その「悲惨」をもたらしたものが戦争にほかならないと、ごく自然に理解されていたことは疑えない。内務省の検閲官は一個人にすぎないが、上意下達の〈非常時〉において、彼の背後には帝国日本があり、彼の意志は帝国日本の意志であったことを考えれば、「悲惨」を生み出すものが戦争であるという認識は、国家の認識であったということになる。「芋虫」は、国家と国民の大半が目をそらそうとしていた事実、戦争が「悲惨」を生み出すものであるという事実を、その意識の底から容赦なくあばきたてる力を持っていたがゆえに、封印されたのだ。

 
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