RAMPO Entry 2009
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2009年11月7日(土)

書籍
アジアの怪奇譚 アジア遊学125
8月30日初版 勉誠出版
A5版 カバー 186ページ 本体2000円
企画:志村有
江戸川乱歩の異界──アイデンティティの鏡像 小松史生子
評論 p160−163

江戸川乱歩の異界──アイデンティティの鏡像

小松史生子  

 江戸川乱歩のこのような物語世界は、アジアの幻想怪奇小説の系譜上ではどのような位置にあると言えるだろうか。アジア圏における、たとえば、乱歩自身も熱心な愛読者であった中国の志怪小説などに見られる神仙が住む桃源郷のたたずまい、或いはインドの広大な土地を背景に繰り広げられる抽象的で哲学的な時空間──種々の言語が飛び交い他文化構造が複雑に入り乱れ合うアジアの大陸が紡ぎ出す幻想世界のただ中に乱歩作品を置いてみてそこに見えてくるもの、それは〈閉塞感〉がもたらす愉楽といったものではなかろうか。
 乱歩の作品に胎内願望と称すべき欲望があるということは、つとに様々な先行研究が述べているところである。暗黒の洞窟で迷子になる主人公、薄暗い屋根裏を這い蹲って彷徨う若者、地底の人工王国、ガラスの水槽に押し込められた人魚、八幡の藪知らずといわれるお化け屋敷の見世物空間、出口のない迷路、同じく出入り口の塞がれた密室、そして極めつけは、乱歩の作品世界には突き抜けた青空といったものはほとんど登場しないという点だ。物語はたいてい、どんよりと曇った、重い雲がたれ込めた空の下で語り出される。その時、本来ならこちらからあちらへ、此岸から彼岸へ、世界の果てまでも続いているだろう一筋の公道ですらが、その視界の果てを塗り込める白灰色の雲のカーテンによって閉ざされ、何処へも行き着けない、不条理な閉塞空間に変じる。

 
 勉誠出版:アジアの怪奇譚