RAMPO Entry 2009
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2009年11月2日(月)

雑誌
神奈川近代文学館 第106号
10月15日 神奈川文学振興会
B5判 10ページ
開館二十五周年記念「大乱歩展」を開催
p1
江戸川乱歩さんと神奈川県 佐野洋
エッセイ p2−3
江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポー 鹿島茂
エッセイ p3−4
「二銭銅貨」関連資料 鎌田邦義
〈展覧会場から〉 p5
図録紹介
p5

 
江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポー

鹿島茂  

 苦し紛れに、あるいは場をもたせるために乱歩が長編の中に投入したのは、「どぎついもの」だけではなかった。もう一つ、乱歩が一番隠しておきたかったもの、すなわち「自我」を、それも、当時としてはかなり特殊な「自我」を投入せざるをえなくなった。そのため、乱歩は前回までの自作を読むのに激しい苦痛を感じるようになる。そこには彼自身の一番嫌う自我が露出されていたからだ。
 ところが、まことに逆説的ながら、乱歩文学が今日も読み継がれているのは、乱歩が苦し紛れに投入したこの特殊な自我のゆえなのだ。若い読者は、太宰治とはまた違った意味で、そこにアルテル・エゴを見出しているのである。
 乱歩の隠しておきたかった「自我」、それこそが今日「オタク」という名で呼ばれているものにほかならない。

 
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