RAMPO Entry 2009
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2009年11月18日(水)

雑誌
週刊松本清張 2号
11月10日 デアゴスティーニ・ジャパン
A4変型判 32ページ 本体552円
第6章 人間・松本清張/作家前史
p28−30
関連箇所
図書館で花袋や龍之介を読みあさった15歳から18歳 郷原宏
 
文学サークルで活動(p30)

図書館で花袋や龍之介を読みあさった15歳から18歳

郷原宏  

 文学サークルで活動

 大正14年(1925)、父の飲食店が好調で二階にも客を入れるようになったため、清張は祖母カネとともに近所の雑貨屋の二階に間借りした。そしてこのころから雑誌「新青年」で探偵小説を読みはじめる。
 《その頃、雑誌『新青年』は海外に拓殖する青年層を目標にしたような雑誌だったが、臨時増刊号にはいつも外国の探偵小説を特集した。これが面白くて私はむさぼり読んだ。はじめて探偵小説の面白さを教えられたのは、これらの翻訳小説からだった》(『日本の推理小説』)
 清張が翻訳探偵小説の面白さに開眼したころ、国産探偵小説も夜明けを迎えようとしていた。
 《実際に、日本にも本格的な探偵小説作家が出たと驚嘆したのは、江戸川乱歩の出現だった。『二銭銅貨』『D坂の殺人事件』『心理試験』『二癈人』『赤い部屋』などが続々発表されて、私は夢中になった。大変な天才が現われたと思った。ちょうど、一方にはプロレタリア文学の全盛期で、私は小林多喜二、林房雄、村山知義などの作品と一緒に乱歩を愛読した》(『日本の推理小説』)
 清張はのちに乱歩流の探偵小説を《お化け屋敷の掛小屋》と批判し、犯罪の動機と社会的背景を重視する社会派推理小説を創始したが、そのはじまりは乱歩とプロレタリア文学を同時に読んだこのころの読書体験にあったのかもしれない。

 
 DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン:週刊松本清張