RAMPO Entry 2009
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2009年11月19日(木)

雑誌
週刊松本清張 3号
11月16日 デアゴスティーニ・ジャパン
A4変型判 32ページ 本体552円
第1章 清張徹底検証 ゼロの焦点
p1−19
関連箇所
ビジュアル・ダイジェスト 連載誌「宝石」の目次が語る時代(p5)
創作秘話 「虚線」から「ゼロの焦点」へタイトルは二度変更された
「太陽」から「宝石」へ江戸川乱歩が引き継いだ「作者も辛いが編集者もつらい」リアルな描写を可能にしたイマジネーション(p10−11)

「虚線」から「ゼロの焦点」へタイトルは二度変更された

 「太陽」から「宝石へ」江戸川乱歩が引き継いだ

 『ゼロの焦点』は、雑誌「太陽」(筑摩書房)に「虚線」というタイトルで連載が開始された。昭和33年(1958)の新年号のことである。ところが「太陽」は2月号で休刊となり、清張の連載は2回で打ち切りとなった。これに目をつけたのが、江戸川乱歩である。乱歩は岩谷書店が発行していた推理小説誌「宝石」を、版元の倒産に伴いスポンサーとして引き受けていた。ミステリー小説が、現在のように一般雑誌に掲載されることの少ない時代だった。乱歩としては「宝石」がなくなると、本格的なミステリーの専門誌がなくなると危惧したのだろう。
 宝石社という会社を創立し、虎ノ門に近い西久保巴町にあった焼けこげの残るビルの3階に編集部を置き、編集発行人に稲並昌幸(城昌幸、推理作家・詩人)をすえて「宝石」の刊行を開始した。しかし、「宝石」の赤字はつづいた。乱歩としては何とかして人気作家を引っ張り出して、雑誌を成功させたいという気持ちが強かった。そこに「太陽」の休刊である。「渡りに舟」と思ったにちがいない。
 「虚線」は「零の焦点」とタイトルを変更し、昭和33年3月号から再度、第1回から掲載されることになった。乱歩はよほど嬉しかったのか、編集後記に、次のように書いている。「松本清張さんの長篇連載がいよいよ始まる。今まで松本さんの作品がのらなかったのは、編集部が怠けていたからではない。毎月毎月うるさく督促をつづけたのだが、松本さんは本誌にはいいかげんなものは書きたくないという気持ちから、なかなか想が纏まらなかった。そこへ《太陽》の休刊で、まだはじまったばかりの長篇が中絶するということを聞いたので、これを本誌に引きつぐようお願いして、成功したのである」

 
 DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン:週刊松本清張