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村山修一

大正3年− (1914− )

 日本陰陽道史話
  第二章 祥瑞と災異
   天武天皇と陰陽寮官制

 大化改新によってスタートしましたわが律令国家は、中大兄皇子すなわち天智天皇とその弟大海人おおあま皇子の政治的主導権争いから壬申の乱を惹き起し、やがて大海人皇子が天智天皇の皇子大友皇子の近江朝廷を倒して位に即き、天武天皇になられてから確立時代に入りました。とくに天武天皇は陰陽道に造詣深く、陰陽寮という官制をつくり、占星台を設けて天文観測を始められましたが、自身でも式占ちよくせんと呼ぶ占術に通じておられました。壬申の乱が起って伊賀国を通過される際、黒雲が十余丈にわたって天になびき、これを見た天皇は式占を用いてこれは天下が二つに分れる兆候である。しかし結局、自分は勝利をうると占われました。たぶん天皇は味方の士気を鼓舞するために占いを利用されたのでしょう。

 参照 古典篇】日本書紀「巻第二十八 天渟中原瀛真人天皇 上


掲載 2001年2月18日  最終更新 2002年 9月 20日 (金)