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能勢朝次

明治27年4月1日−昭和30年2月25日(1894−1955)

 能楽源流考
  第三篇 室町時代の猿楽
   第一章 大和猿楽考
    五 観世猿楽考
     (イ)観阿弥清次時代
      一 観世座の発祥

 観世座の発祥。 観世座は観阿弥結崎清次によつて、伊賀国名賀郡小波多ヲバタに於て創立せられた猿楽座である。世子六十以後申楽談儀に、能面に就て語られた条があるが、その際、観世座の翁面に就て、

此座のおきなはみろく弥勒打也。いがをばた伊賀小波多にて、ざをたてそめられし時、いが伊賀にてたづねいだしたてまつりしめん也。

と述べてゐる条によつて、伊賀にて創立せられた座であることは明瞭である。
 流祖観阿弥に関しては、前に宝生座の源流を述べた条に明かである如く、山田猿楽の山田小美濃大夫の養子が儲けた三人の子の中の末弟であり、長兄は宝生座に入つて宝生大夫となり、次兄は生一と称する猿楽者であつて、山田猿楽の後身ともいふべき出合猿楽をついだ人物と思はれる。山田小美濃大夫の早世の後、その養子が山田より出合の地に移つて、出合の座を建てて居たものであらうといふ事は、前に述べたのでここには省略したい。

 参照 古典篇】世子六十以後申楽談儀

野村敏雄

大正15年11月28日− (1926− )

 五右衛門早春賦

 女にも食傷したし、八郎にすれば伊賀国の百地三太夫とやらを訪れるのは、ほんの気分転換のつもりである。
 名張の山中にさしかかると、ついぞ見慣れない大男が、道端にしゃがみこんで、何かうなっているのにぶつかった。坂道を上ってきた八郎は、その大男の頭の毛が真っ赤なのにまずおどろいた。
 さらに奇怪なのは、赤い髪の毛をモジャモジャ生やしているくせに、墨染めの衣をまとっている。僧形なのだ。
 そして、さらに面妖
めんようなのは、大男の目と鼻である。顔は八郎の方から見ると真横だが、その鼻が、わしかとびのくちばしみたいに高く湾曲して、その頭が上くちびるの方まで垂れ下がっている。しかも、目の色が黒くなく、青いのだ。
 「こいつは化け物かもしれん」
 八郎はそう思った。


掲載 1999年10月21日  最終更新 2002年 9月 20日 (金)