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観阿弥と世阿弥 2 座と村 1 座組織の変化のもつ意味 土着の芸から都市の芸へ 観阿弥が伊賀の小波多で座をたてたということが、どういう実質的な内容をもっていたかはわかっていない。しかし、その後大和の結崎に移っていること、観阿弥以前が山田猿楽であったことから考えると、土地に定着して農耕をもっぱらとするものでなかったことは推察してもいいであろう。しかし村の祭りと関連して猿楽を上演することが仕事であったとすれば、村落の生活とつながりをもたないわけにはいかなかったはずである。その意味で、観阿弥の時代はまだ村落の生活と密着していたのに反して、世阿弥の時代には都市的になり、貴族との関連で能役者としての地位を明確にしてきたのだ。 |
- 初出 『観阿弥と世阿弥』昭和44年(1969)6月、岩波書店
- 底本 『観阿弥と世阿弥』同時代ライブラリー206、平成6年(1994)11月、岩波書店/p.50
- 採録 1999年10月21日
●参照 古典篇【せ】世子六十以後申楽談儀
大正元年−平成9年11月7日(1912−1997)
名張は秋の漂う町
名張なばりは一種不思議な町である。いつ行っても、どこかに秋が漂っているような感じがする。 |