金草岳 藤倉谷本流 風吹谷
権現山北尾根へ ひょうたんからコマ!の谷と薮と謎の神像
 もう、金草岳北西面の谷はすっかり調べ終わった、と思っていた。K仙人から、風吹谷がまだや、と連絡が入る。ううむ、金草本峰の方へ上がる谷じゃないから下りがたいへんで、もろい地質なのでたいした滝はないだろな...とは思うが、行かなければ何とも言えない。期待せず、事後処理の気持ち半分で行く。おもしろそうでもないのに、何をどうカン違いしたのか名張のヨッシさんも行くという。たぶん滝なんかあらへんで。怒ったらあかんで。「植物」に興味を持つ神戸のアマゴ姐御もふくめ、金草の薮沢になんと、4人のジジババ(^^; ...が勢ぞろいした。
そんな気張らんでも、滝なんかありませんよ
うおお、この谷は滝があるんだ!
遡行
 いつもどおり、芋ヶ平から鋪装工事で荒れに荒れた高倉林道を経て、金草谷出合ちかくの林道脇に置車。薮で覆われた入り口は案の定、何事もない谷を予想させた。しかし1分も行けば、その予想は、みごとに裏切られることとなる。大きな滝こそないが、階段状に小滝が連続している。金草や八助のように、角張った石で埋まった谷ではない。これで帰りの薮こぎも報われるってもんだ。
 歩きやすいので、どんどん谷ははかどる。いくつかある枝沢出合では、権現山へ向かう谷をとる。越美国境の1056標高点へ向かう沢が分岐したその先で、5mほどの滝があった。右岸の草付きはやっかいそうなので、ここはロープを出して左岸を越えるしか手段がない。下に何本かのシュリンゲが落ちていたのは、ここで使ったんだな。いつものごとくK仙人のリードで途中二ケ所のプロテクションをとって越える。この先は小さなゴルジュ状となり、いくつかのチョックストーン状の小滝が連なる。濡れながら登らないといけない。ゴルジュ出口の左岸ヌルヌルの3m滝は、傾斜の急な右岸をロープを出してへつり抜ける。やや開けた所で大休止。
快調じゃないの、小滝がどんどん
ますます快適ね
捲けない5m滝は左岸を
撤退
 さて、図上判断すると、標高で800mくらいの地点なのでまだ思いのほか、水量は多いが、ネコが心配で明るい間に帰りたい姐御もいるので、そろそろ撤退の方法を考えないといけない。谷をそのまま下るのは濡れるし、面倒なので全員使わないことで一致。とりあえず、右手(左岸)の丸い尾根に乗り、テキトーなとこで滝場下の出合に下るか、ということで薮こぎ開始。水呑みに来るケモノ道があって、おおいに助かる。しかし、尾根は丸く、テキトーな下降点などさっぱりない。どんどん薮を漕ぎ登って行くと、周りの風景がだんだん広がって来て、ついに権現山から来る北尾根に出てしまった。おお、良い眺めじゃ!風吹谷の向こうに、金草本峰が大きく立ち上がり、南には隆起準平原状のゆるやかな権現山の国境稜線。薮また薮の海だ。
 権現山も手の届くような場所だが、この時間から奥へは行けない。ゆるやかで平らな北尾根はここから下は尾根が痩せている。眺めのよさそうな所まで、とりあえず北尾根を下る。少し尾根を歩くと、なんだか古い切り開きがあるような感じだ。尾根の上にケモノ道たァ聞いたことがないで、なんて言いながら小さな露岩のある眺望絶佳の地点でひと休みする。
上り詰めた北尾根JPから金草岳
ううむ、どっちへ行こうか?
発見
 当初の下降戦略は失敗したことは明白なので、早速鳩首会議再開。風吹谷へ下るよりも、権現谷側の枝沢を下る方が短いということで、向こう見ずにも未知の谷へと突入することに衆議一決。と、その時、足下の露岩の一部がえらく四角いことに気付く。おおい、こいつはホコラやで、中に石のお地蔵さんみたいなモンが祀ってある、と誰か言う。見ると確かにこれは人工の祠である。高さ50cm足らず。石造の屋根、左右側面はブロック積み、中に祀られているのは地蔵ではなく、茎がついた蓮の蕾のようなものを持った高貴なお方の像のようだ。すは、木地屋の尊崇する惟喬親王さまなのか。帰って調べないといけない。というわけで、切り開き状のルートがついていることも合点が行く。この、頂稜に近い尾根もかっては山人の生業の領域だったのかもしれない。ケモノがつくったものなんかではないのだ。
なにやらありがたき謎の神像
北尾根眺望絶佳祠ピークから金草岳巨なり
下降
 眺望絶佳露岩から少し戻り、北尾根の斜面を権現谷支流へ向かって、一直線に下る。薮が掴めるので、どんどん下り、つぎにガレたルンゼになる。下りやすいが、この先に大きな落ち込みを予感させる傾斜だ。予想通り支流へ出るところは草付きの落ち込みになっていた。15mの懸垂。降り立った支流も滝があることを予感させたが、こいつは幸運にも外れて、どんどん下ると、大きな堰堤の上に出る。すぐ下には高倉林道が見える。思わぬ大きな収穫があった今日の山旅が終わる。      (04.9.12歩く)

<高倉峠と日ノ窪峠について>

 今回、我々が見た祠と石像は、まさしく権現山の北尾根(藤倉谷と権現谷の出合へ向かう尾根)の途中の小さなピークに安置されていた。祠があるからには、ヒトが何らかの目的でこの尾根を使っていたことになる。高倉峠は、瀬戸の奥、高倉集落から達することができる位置にあり、藤倉谷の流域ではない。北尾根の道(切り開き)の痕跡が権現谷出合の方に続くのが確認できれば、昔、芋ヶ平の木地師が祀った神像である可能性が高いと思われる。美濃の峠というWEBサイトで、美濃の各地域の聞き取り調査の結果が報告されているが、その中に「日ノ窪峠」という項目があり、高倉峠の金草岳寄りに峠があったことが証言されている。日ノ窪峠には祠があって、そこで雨乞いの儀式が行われていたという。日ノ窪峠の詳しい位置は不明であるが、権現山付近にあった可能性もありそうな気がする。雨乞いをしたのは、高倉の人なのか、芋ヶ平の人だったのだろうか。そして、この道をつかってどのような山の暮しがあったのだろうか?