笠が岳東面 穴毛谷概念
 笠東面といえば、大阪山想会や地元飛騨山岳会の報告が多くある。いまさらの感はあるが、槍穂高とはひと味違った野生を感じ、よく通った。以下は写真の残っていない山行のメモ。第一岩稜とピナクル南東壁を登るチャンスに恵まれなかったことは残念だが、第一尾根のような野性味のあるルートが、私は好きだ。

2) '69/10 穴毛二の沢奥壁左岩峰(京都芸大ACのFと)
 部の集中山行で笠南面、下佐谷調査後、二の沢奥壁を登る。アプローチの二の沢中の右俣を含め変化に富んだルートだったが、パートナーのFは始めてのビッグルートで緊張していた。ゲレンデから突然笠の岩場の本番というのでは、無理もないことなのだが、当時は鼻息もそれだけ荒かったのだ。アプローチのルンゼでロープを出すような按配で、結局1日では抜けられず、終了点の2P下のテラスでポリ袋一枚でビバーク。幸い寒くはなかったが、新穂高の明りが、疲れでユラユラ揺れて見えた。翌日は四の沢Aルンゼを下降した。四の沢本流も雪渓はズタズタに切れていて、薄いスノーブリッジの下をヒヤヒヤしながら潜らされた。登りも下りもおもしろい山行だった。キャンプ地は今は跡形もなくなっている穴毛小屋が倒壊する前で、夜露だけはしのげたものだ。

3) '70/3  春山笠ヒロサコ尾根、第二尾根(基部で撤退)(京都芸大ACのNと)
 春合宿は二名の参加で自由山行となった。第二尾根を目標にしたが、偵察でまず一の沢下部からヒロサコ尾根を登り、クリヤの頭からクリヤ谷を槍見まで下った。その後天候が悪化し、第二尾根は取付きのルンゼ中間部までしか登れずじまい。ルンゼの雪の状態をどうみるかで、二人の意見が分かれ、これが撤退に繋がった。悪天中は旧村営笠山荘へ泊まった。今のようなホテルではなく、山の湯治場の雰囲気が残っていて、いかにものどかで登山者も少なく、山は静かなものだった。二人は宿泊料を安くしてもらったお礼に、屋根の雪おろし(温泉の湯をホースでかける)を手伝ったものだ。今の新穂高にこの雰囲気は全く失われてしまった。

5) '79/2 錫杖岳本峰北東稜(M会と)(別ページ)>降雪のため前衛フェース3ルンゼから転進

6) '80/1 穴毛谷第一尾根(豪雪で撤退、M会と)(別ページ)

7) '80/5 穴毛谷第二尾根〜二ノ沢スキー滑降(M会と)(別ページ)

8) '81/1 穴毛谷第一尾根(KGACOB会Yと) >取付きのルンゼで撤退

9) '81/5 穴毛谷四の沢左俣Cルンゼ〜五の沢下降(KGACOB会Nと)
 Cルンゼは一部氷が露出していたが殆ど雪の単調な登りであった。疲れて眠かった。暗くなってからの五の沢下降の方がおもしろかった。ほかに稜線から杓子平--穴毛谷のスキー滑降も楽しんだ。

10) '84/4 穴毛谷四の沢ピナクル尾根〜六の沢下降(KGACOB会N+M会と)
 いいルートだった。ピナクルピークへの登りは岩と雪がミックスしておもしろかった。ピークからは懸垂下降があったが、雪にザイルが食い込んで、結局登り返して回収した。その後は笠本峰まで単調な登りで、おまけに太陽を真上から浴び、気を失いそうなほどであった。二人とも立ってうつらうつらするほど疲れてしまった。なぜか、どこを下ったのか記憶が確かでない。

11) '89/1 穴毛谷第一尾根(S会と)(別ページ)>冬期の第一尾根を完登

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