いつも私事ばかり書いて申し訳ありません。
実は現在治療している血管内治療が、大阪医誠会病院の方から突然治療が出来なくなったと言われました。
つい先日まで、辛い治療を受けたかいがあって、まだ治療の回数は後何回といえないが取り合えず退院して、後は外来で治療していきましょうと言われ私も、家内もこれで希望がもてる、久美子もきっと前向きにがんと戦える事が出来ると思った矢先に、病院側から一方的に治療が出来なくなったと言われ私は目の前が真っ暗になりました。
一途の望みもたたれました。オーバーと言われるかもしれませんが、実際いま彼女の様態はおお角膜、肝臓、
秘蔵、小腸、腹膜転移などに転移しており、がんのスピードもものすごく速い速度で広がっています。
今彼女は痛みと、熱に毎日悩まされおります。
私も、家内も緩和治療(ホスピス)にいくことをおたがい納得の上で決心しました。今私は残された時間を少しでも痛みを和らげ、熱を押さえてやりたいのです。
残された時間を大切に2人で過ごして行きたいと思っております。
金つなぎの皆様にお会い出来る日を楽しみにしておりましたが、残念ですが出来そうにありません。
でも残された少しの時間を精一杯頑張って生きたいと思っております。「きっと良くなる、必ず良くなる」
を心の支えとして。
広野代表はじめ金つなぎの皆さん、いつも暖かい励ましのメッセージ本当に有り難うございました。心から感謝致しております。
皆様も無理をせずお身体に御自愛下さいませ。
久美子の主人より
RE:少しでも 【吉原敦子】 2001/09/24 08:12:53
久美子さん、ホスピスに移られても、心は「金つなぎ」
に置いていて下さいね。
しんどい日、つらい日は、ハナ
ちゃん達の事を思い出して、大きく息をしてください。
ご主人と、一諸に、澄み切った秋の空を、みてね
RE:嘆きの久美子さんのご主人さま 【広野光子】 2001/09/24 14:49:08
日々、看病をご苦労さまです。
病院からすでに、「がん浸潤のスピードが意外に早く、副作用等を考慮して、血管内治療をやめざるを得ない」むね、ご家族と十分に話し合った、と経過報告をもらっていました。(納得いくまで説明を受け、相談してくださいね!)
ホスピスに移られるようですが、「当院で責任を持って治療していきます」とのことですので、何でも(悲観的に捉えずに)どんどん相談!して、納得!して、治療に立ち向かってください。
「季刊・金つなぎ」第3号の巻頭コラムに藤田・七栗サナトリウムの渡辺正院長が「ホスピスの窓から」と題して、「ホスピスは死にに行くところではない」と書いてくださっています。(ほんとうに、そのとおりなのです)
久美子さん、ご主人さま、皆さま。
闘病・介護のキーワードは、「人の一生は、重き荷を負(お)いて、遠き道のりを行くが如し」(徳川家康)です。
あせらず、嘆かず、諦めず!
あきこママが、良いアドバイスを下さっています。
今、あなたに出来ること、それを一生懸命にいたしましょう。
たとえば、故妙子さんの夫君・慎太郎さんは、日々草の絞り汁が、がんの痛苦を除くと聞いて、毎日、大学病院に届けて、妙子さんを見送り、自分なりの大きな満足をもらったと報告してこられました。
また、故勲さんの奥様・雪枝さんも、真夏の毎日、体に良い水や食べ物を持って、病院に通い「精一杯看病したから悔いがないわ」と。
あなたも私も、がんを受け入れたときから「如何に病むか。病みつつ、より良き自己実現を果たすか」という、大きなテーマと向かい合って生きています。
今日眠って、明日目が覚めないこと、それが「死」なのです。人は、日々生きつつ死に向かっているのですよ。
恐れることは、ありません。
あなたならではの人生設計を、いまこそ、なさるべきです。
ご主人さま。久美子さんとのこれからの日々が、充実したものになりますように。
どうぞこれからも、どんなことでも、書き込みしてくださいね。
それから、もし、久美子さんが望み、DrのOKが出るようなら、車椅子でも参加できますので、10月29日の四国霊場第6番温泉山安楽寺ツアーに、ご一緒いたしましょう!
私は6年前、余命半年(も持たないかもしれないと自覚しつつ)バスの後部座席に寝たまま四国遍路をし、大きな満足をいただき、快癒の一助ともなりました。
金つなぎの旅、めっちゃ楽しい!癒し旅です。
皆で、久美子さんの介護を手伝いますので、あなたもちょっと、肩の荷をおろしませんか。