光子の日々是好日 金つなぎ

1月29日(月) 厳寒の小川にどぼん、ざぶんっ  曇り、一時風雪しきり。

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後日、親友が撮影してくれたイルミネーション
癒しと活力の源、見とれて川に落ちる人も…

午後、ホ-ムペ-ジ更新のため、名張商工会議所4Fのデジタル工房へ。
若いスタッフに助けられ、今回も病友がたの写真をたくさん取り込んでもらう。
カラフルなこのホ-ムペ-ジ。ご自分の母上の写真や記事をプリントアウトして、闘病中の病院に届けてあげた娘さんもおられる、と聞いてうれしくなった。

1月の更新料、2万4800円を支払う。新年早々第1回制作費12万8000円を4万円も値切って、工房の宮本仁美さんを絶句させてしまったっけ。〈いたく反省!!〉

この日、パソコンの前に座った更新風景など、読売新聞・野中智章記者の取材を受ける。
25歳。阪神淡路大震災のとき神戸に住んで大学生だった野中さんは、ボランティア活動に走り回った経験をもつという。そのせいか、取材対象に向ける目が限りなく優しい。

野中さんを見送り、ひたすらパソコンと向き合って更新作業に励む。とつぜん窓の外が黒灰色にかすみ、猛烈な吹雪舞う。底冷えのする1日だ。

p.m7:30、商工会議所を後にする。
前庭に3本、イルミネ-ションを施した大木が見える。
「あぁ、きれい」。吸い寄せられるように、光りに向かって歩いた。
イルミネ-ション、ガラス、花火、野火、宝石などが放つ愛(あや)しの光りは、希望、憧れ、そして活力。ときに癒し、また慰めにもつながり、その光明は、明日への飽くなき闘争心・挑戦の志を激しく揺さぶり続ける。
実はわたくし、子どもの頃からキラキラ光るものが大好きである。

「あぁ、きれい」と見上げつつ、会議所の敷地から1歩踏み出し、2歩目を運んだとたん、どぼん、ざぶんっ!

あっと言う間もなく、身は小川の中に。歩道とばかり思っていたのに、とんだところに”落とし穴”が待っていた。
幅約1メ-トル、水深約50センチの小川が、数日来の雨で水嵩を増し、なおかつ川底に着地したとたん、反射的に膝をかがめてバランスを取ったものだからたまらない。お尻までぐっしょり濡れそぼってしまった。
光りを見つめていた目には、冬の夜の闇は漆黒に近い。
わたくし、手探りで道路に取り付き左足を思いっきり上げて這い上がる。右手にバッグ、左手にはパソコンのキーボードを入れた紙袋、どちらも濡らしてはならじと、高く掲げて這い上がる。
闇に慣れた目に、交差点の信号と信号待ちをしている4,5台の車が飛び込んできた。
「しまった!」。恥ずかしさに身も世もあらぬ体たらく。

「アホとちゃうか。この寒いのに、おばはん、川にはまりよったで」
「物好きやなあ。びしょ濡れやんか」
誰かがどこかで見ていて、そんな会話を交わしていそうな気がする自意識過剰状態のなかで、実に、”恥の自覚は厳寒の知覚を凌駕する”と、思い知った次第である。

暗闇に紛れて靴の水を捨て、コートやスカートも絞り上げ、近くのスーパーに飛び込んで1時間ほど意味もなく歩き回って衣服の水気を切る。頃合いを見計らって、タクシーを頼む。知り合いの運転手さんが来てくれて「もう少し明るかったら、入水自殺と間違うて人が仰山集まったんと違いますか」「ホンマや。独居の老女、世を果無(はかな)んで自殺、なんてね」

それはともかく、このアクシデントで分かったことがある。
どうやら私という人間は、とっさの出来事に対して反射的・動物的に反応するタイプであるらしい。
2つのがんを病んで、抗がん闘病に勝ち抜いてこれたのも知識や理屈ではなかった。
本能的・動物的に、”生きる光り”の点っているほうに向かって、己(おの)がか細い両手を延ばして、結果をつかみ取ってきただけのことである。

帰宅して、玄関で服を脱ぎ捨てお風呂に入る。
体が暖まったところでパソコンを開け、「kobeルミナリエ」、「野村医院・ルミナリエページ」で光りの画面を堪能する。

a.m0:30就寝。今日も、非日常体験が楽しかった。

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