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名張のだんじり考 ー本町だんじりを中心にー

2001.10.12

本町地車写真

 T.はじめに
   .宇流冨志彌神社の祭り (秋祭り 10月28日)について
     頭屋制による祭り(町部・平尾・朝日町・南町)
     宵宮の行事
     「祭礼儀式帳」安永8年改(1779)
   .秋祭りにおける各町内における行事(出し物)について
     だんじり・太鼓台(東限)・七福神・獅子行列・みこし(大人・子ども)
 U.名張のだんじり
   .「だんじり」について
     発 祥    大阪平野区(?)
     地車と楼車の違い
       地車の定義 (宮本英希氏の定義による)
         @白木造で彫刻がある A段違いの屋根 B2軸以上の車輪・曳行が可能
     現役で活躍する最古の地車  文化4年(1807) 太子町大道町(資料@)
   .昭和初期の名張のだんじり   資料A
     新町だんじり  上野市向島町より譲り受ける(新町区倉庫に現存・水引幕現存)
     上本町だんじり 神社の倉庫に解体現存か・見送幕現存・お囃子に鼓あり
     中町だんじり  総彫刻・戦後2万円で売却(伝)・お囃子に三味線あり
     本町だんじり  現存・現役
 V.本町のだんじり
  (1) 本町に伝わる伝承について
     .だんじりを3歳くらいから記憶している。
      6歳ぐらいの時にあたらしいだんじりに交代した。(現88歳)
     .大和高田からだんじりを購入した。(三本松まで牛車で迎えに行く)
     .お囃子は上野から習ってきた。
  (2) 見送幕(本町区集会所に展示)について  資料B
      明治庚寅 (明治23年) 米中堀西
        堀西米中 松坂の人 明治24年大津にて病死(42歳)
          最も山水花鳥に妙なり
          交游を好み中国紀伊等を漫遊
                「続三重先賢伝] 昭和8年刊より
          上野市鍛冶町(月鉾) 水引幕「飲中八仙」堀西米中作
  (3) 形態について(村岡眞一氏の調査より)
      別 紙 資 料
  (4) お囃子について
      鉦 (下げ鉦・ニ連鉦) 3組
      二連鉦 (上野東町だんじりや亀岡だんじりのみ使用され、珍しいものである)
      太鼓 (短胴枠付き締太鼓) 2組
      笛 (龍笛・篠笛)
      「祇園囃子」 
         京都とその周辺 (亀岡、長浜等) と伊賀上野・大山田のみ
         本町の「祇園囃子」は笛の指使いが上野向島町と共通しているが、一部の
          フレーズが欠落している
      「花 車」
         長唄の曲
         頭 (かしら) は上野「祇園囃子」で用いられている頭と共通している。
         昭和初期には (釣り狐)も

参 考 文 献
・上野天神祭総合調査報告書(上野市教育委員会 平成13年3月)
・名張の民俗(名張民俗研究会編 昭和43年)
・本町地車調査報告(兵庫県地車研究会 村岡眞一)
本町の地車 (だんじり) 兵庫地車研究会 村岡眞一氏の調査より
地車写真 形 態  (通称) 石川型
 大阪の南河内方面
 (富田林・太子町・千早赤坂村等)にみられる形態。
 大屋根・小屋根の段差が大きく、柱が8本の丸柱で
 あること等が大きな特徴である。
製作年代  江戸時代の文化・文政頃(1804〜1829)
 石川型地車の中でも屋根の傾斜が穏やかであったり
 けやき材が用いられている点で、太子町に残る
 文化4年(1807)やそれ以前に製作された地車とよく
 似ている。これらは現存する地車のうちで最古の
 地車に属するものである。
 本町地車は年代的に大変古い地車で、
 しかもけやき材の質が良い貴重な地車と言える。
製作大工  大阪富田林旧新堂村あたりの大工か?
  大工仕事の確かさが伺われる。
彫 師   美濃村権左衛門
  彫り口が枚方市「茄子作」 寝屋川市「寝屋」
  大東市「北の口」等を手がけた美濃村権左
  衛門と大変似ている。美濃村権左衛門はかなり
  の腕の立つ名工で、当時書かれた書物
 「難波丸細目」に名工として紹介されている。
  なお現在地車の彫師で名工として文献で名前が
  確認できる一番古い名前である。
   本町地車はすばらしい腕を持った
   彫師によって彫物がなされている。
彫  物  図  案
朱雀・青龍・菊の花・「珠取姫」・波頭(?)写真 大屋根の懸魚   朱雀
大屋根の正面   「司馬温公の瓶割」・青龍
側 面   「二十四孝」
 (江戸中期に刊行された「御伽草紙」のひとつで
 中国の話を元にした孝行話を二十四集めたもの)
       青龍・飛龍
小屋根の懸魚   菊の花
小屋根の後面   
「珠取姫」・波頭(?)
以上、本町の地車に棟札や墨書等が発見できなかったので、
これまで調査した他町の地車から推測した結果です。
図案の解説
司馬温公の瓶割り(しばおんこうのびんわり写真 「司馬温公の瓶割り(しばおんこうのびんわり)」
『中国の故事』より  大屋根正面
 温公7歳の時に水瓶に落ちて溺れた友達を、温公が
 機転を利かせて瓶を割って友達を救ったという故事
珠取姫(たまとりひめ)写真 「珠取姫(たまとりひめ)」『謡曲「海人』」より
小屋根後面
 讃岐志度の浦で藤原不比等が唐よりの珠を竜神に
 奪われた。その後不比等はこの地の海女と契りを
 結び房前(ふささき)が誕生した。海女は珠を取り
 返したら房前を世継ぎにとの約束をとりつけ珠を
 取り戻したという説話
老莱子(ろうらいし)写真 「老莱子(ろうらいし)」『二十四孝』
大屋根正面
 老莱子が70歳になって、身を飾り、幼い子どものよ
 うに舞い戯れた。これは親が自分を見て年をとった
 と思わさない為、また、親自身も年をとったと思わ
 さない為このように振舞ったということである。
唐夫人(とうふじん)写真 「唐夫人(とうふじん)」『二十四孝』
大屋根向かって右側面前方
唐夫人は、姑の長孫夫人が年を取って、歯が悪くな
り食事ができないので、自分の乳をふくめたりしてよく仕えた。その孝義によって代々繁盛する事になった。
大舜(たいしゅん)写真 「大舜(たいしゅん)」『二十四孝』
大屋根向かって右側面後方
 大舜の母はへんくつであったが、ひたすら孝行をした
 ある時、田畑を耕作していると、彼の孝行を感じ取っ
 た象が現れて田を耕し、鳥が草を取っ当時の王がそ
 孝行を聞き、娘を后として与え、てくれた。
 の後に天下を譲った
郭巨(かっきょ)写真 「郭巨(かっきょ)」『二十四孝』
大屋根向かって左側前方
 郭巨には3歳の子がいて、老母が食事を孫に与えて
 いたが、貧しくて母の食事も乏しかった。そこで、
 子ともを埋めることにして、涙を押えて穴を掘ると、
 黄金の釜が出てきた。それで子どもを殺すこともな
 く、母親に孝行をする事ができた。
楊香(ようきょう)写真 「楊香(ようきょう)」『二十四孝』
大屋根向かって左側後方
 ある時、父親と山中へ出かけた時、白い額の虎に
 出会ってしまった。楊香は天に「我が命を虎に与えて
 父をお助けください」と祈ると、虎が尾をすぼめて逃
 げてしまった。
姜詩(きょうし)写真 「姜詩(きょうし)」『二十四孝』
小屋根向かって右側
 母が河の水と魚が欲しいと思ったので、姜詩の妻は
 遠く離れたところまで行って、取りに行かせて、
 母に与え夫婦共々孝行していると、ある時、家のそ
 ばに水が涌き出て、毎朝水中に鯉が現れた。
董永(とうえい)写真 「董永(とうえい)」『二十四孝』 
小屋根向かって左側
 董永は貧しくて父の葬式のお金もかなわすず、身を
 売って葬式をおこなった。銭主の所に行く途中、
 美女と会い、妻とした。その妻が絹を織って銭主に
 借金を返す事ができた。その後その妻は天上の織姫
 であったことを告げ、天に上がっていった。

以上 兵庫地車研究会 村岡眞一氏の調査より
本町の地車(だんじり)の調査に於きまして、兵庫地車研究会 村岡眞一氏をはじめ、御尽力いただきました関係者の皆様に心から感謝し、 この場をお借りし御礼申し上げます。
― 本町商店街振興組合・本町区・本町地車保存会 一同 ―


本町の地車(だんじり)の動画・お囃子を鑑賞できます。
 
 

▼QuickTime

ビデオ01《宇流冨志彌神社秋祭(10月28日)巡行》
ビデオ02《宵 宮 御 渡 り (本町通り 地車前)》


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ビデオ01《宇流冨志彌神社秋祭(10月28日)巡行》
ビデオ02《宵 宮 御 渡 り (本町通り 地車前)》


mp3(1,224KB)「祇 園 囃 子」

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