AQ秘話98年3月分
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1998.3.26 サメの撮影、なぜ一人でいくのか (地球流民)

今回は、アフリカへは一人で行きます。
といっても、ケープタウンで海洋写真家の中村庸夫氏と合流するのだけど・・・
でもなぜ、そんな危なそうなところへ一人で行くのか疑問を持たれる方も多いでしょう。

単純な話し、クルーを連れて行くには、撮影の成功率と、その利用価値が低すぎるからです。 そんな時には、私一人で行くことにしているのです。
だって、3人行くと、確実に3倍の経費が必要で、しかもそれだけ経費使ったら、どんな条件の下でも、撮影に成功してこなくちゃならないのが社会通念というものでしょう。
これは企画室の責任者として、けっこうきついもんがあります。

まあ、私が責任者自ら出かける分には、もし撮影に失敗しても、結構許してもらいやすいし、執筆や講演などでの利用価値はありますから、その点では気楽です。
でも、そうは言っても、私もたいていの場合、一応の成果は上げてきていますよん。

 (地球流民)


1998.3.25 生きて帰ってきてね (ジュディーさん)

こんにちは、中村元さん。
25日から南アフリカへ撮影旅行だそうですね。
う−−ん、南アフリカってどんな頃なんでしょう?
  (中略) 
あっ、サメの檻がんばって下さい。
彼らも話せばわかってくれるかもしれません。
もしものときは、私が責任持って助けに行きます。
いちよう、泳げますから。 

      (ジュディーさん) 



Re>生きて帰ってきたいけど・・・ (地球流民)

生きて帰ってきたいけど、ちょっと不安です。
私は、かなり臆病なほうなのです。
サメ撮影の檻のチェーンが切れたらどうしよう?の話しは書いたけど、よく考えたら、オットセイやペンギンの撮影中にサメが来たらどうしよう?

それに、さっきインターネットで南アフリカの情報を探していたら、この国って、相当物騒な国らしいですね。
ヨハネスブルグやケープタウンを、個人旅行の日本人が歩いていたら、たいてい襲われるそうな。 特にカメラが狙われるケースが多いみたい・・・。
ケープタウン在住の日本人の方のメッセージでは、空手かなんかで、ぎゃふんと言わせてやりましょうなんて書いてあったけど、一人では運べないほどもカメラ持っている、ひ弱な私はどうしたらいいのでしょうね。

そんなまちに6日間。
なんか今、じわじわと怯えているところです。
ヒトにナイフで殺されるのと、サメに喰われて死ぬのだったら、まだサメの方がいいような気がしないでもありませんね・・・
でも、もちろん、仕事やり遂げて、ちゃんと帰ってきますって!

(地球流民) 


1998.3.19 南アフリカへサメの撮影に・・・ (地球流民)

実は、今月の25日から4月の11日まで、南アフリカへ撮影旅行に出かけます。
何を撮影するかと言えば、まず私の好きなアフリカオットセイ、ケープペンギン、そしてその後、QUに乗ってセントヘレナ島まで行くことになっているのです。

でも、一つだけとても気が重いことがあります。
それは、かの有名なホホジロザメの水中撮影が予定に入っているということです。
船からぶら下げられた鉄格子の檻の中に入って撮影するのだけど、そのあたりの4〜5メーターもあるサメは、いつかこいつらを喰ってやろうと、強烈にアタックしてくるのだそうです。

私、パニックになったらどうしよう・・・。
もし、鉄檻をぶら下げている鎖が切れて、海底に沈んだら、誰も救いには来てくれないだろうし、エアが無くなって死ぬのを待つのがいいか、一か八かでサメと闘うのがいいか、それとも誰かが犠牲になっている隙をついて逃げ出すのが良いのか・・・。
そんなこと考えたら、夜も寝られない、臆病なわたしなのでありました。

 (地球流民)


1998.3.18 西オーストラリアから質問 です (C&Hさん)

地球流民のホームページを拝見しました。一つ疑問に思ったのですが、「午後のペンギン」って、何のことでしょうか?こんな質問をしてごめんなさい。
ちょっと疑問に思ってしまったので...。

私は今、西オーストラリアでダイビングをしています。ワーキングホリデービザを利用して、昨年6月にきました。ケアンズでダイブマスターを取り、ここパースでガイドの仕事をしています。西側は、初めて見る生物ばかりで、毎回驚かされます。

最近お客さんから質問があったのですが、ウミウシの交尾はどのように行われるのでしょうか。アメフラシの交尾については図鑑に載っていて分ったのですが...。

あと、タツノオトシゴとタツノイトコ、タツノハトコはどのように違うのでしょうか?
シーホースとシードラゴンはどこが違うのでしょうか。
もし分りましたら、教えて下さい。
西オーストラリアより

                                     (C&Hさん) 



Re>西オーストラリアから質問 (地球流民)

いいですね。オーストラリアでダイビング三昧ですか。(いや、お仕事ですね)
「午後のペンギン」って、何のことでしょうか?
まあ、それほど意味のある言葉じゃないのだけど、ペンギンも「午後の紅茶」も、めちゃくちゃ暇そうなんで、「それほど暇じゃない」という形容詞としてつけました。

さてさて、ウミウシの交尾は、ウニやサンゴみたく、卵子と精子を海に一斉放出することで行います(ウニとウミウシは同じキョクヒ動物ですね)。
でも、こんな交尾、あまり楽しくないですねえ。

>あと、タツノオトシゴとタツノイトコ、タツノハトコはどのように違うのでしょうか?
>シーホースとシードラゴンはどこが違うのでしょうか。

私、タツノハトコって知らなかった・・・。もともと魚のこと知らないから・・・。
タツノオトシゴもタツノイトコも、同じヨウジウオ科なのだけど、タツノオトシゴはタツノオトシゴ亜科だそうです。タツノイトコはトゲヨウジ属だとか書いてありました。
その違いは、ようわからんですが、タツノイトコはタツノオトシゴのまっすぐに伸ばして、横になって泳いでいるというような格好をしていますよね。

シーホースは基本的にタツノオトシゴの格好をしたタツノオトシゴの仲間。
シードラゴンは、ドラゴン型のタツノオトシゴの仲間。

結局、立っているのがタツノオトシゴ(立つの落とし子じゃないけど・・・)
立っていないのが、タツノイトコとかシードラゴンっていうくらいの違いだとしか、魚の知識のない私には答えられません。
どなたか、よく知ってる人は、メール下さい。(オレ、ホントに水族館員なの?)

(地球流民) 


1998.3.9 濡れちゃったけど (ジュディーさん)

鳥羽水族館、行って参りました。
あいかわらず鳥羽水は、見る者を一瞬にして異世界にたたき込んじゃう魔力に溢れた空間でした。

 「なんで、なんで駅から濡れないで鳥羽水まで行けないの?」と、まるでどこかのビ−ルの宣伝のようにつぶやきながら、すでに3度もそんなめにあっている日頃の行いが悪いらしい私達が入館したのは10時半頃。
とにかく、スナメリ、マナティ−、ジュゴン、イロワケイルカと見て回り、ちょっと早い目のお昼ご飯を食べに『花さんご』へ向かいました。
注文したメニュ−が運ばれてくるまでの間、「人間の皮膚の方がイルカや鯨に近くて海に適応しやすそうなのに、毛だらけのラッコがどうして海に適応してるの?」と、まだちょっぴり湿っているスカ−トを恨めしそうにさわりながら話しをしていました。

一日を水族館でついやすると、生き物達が食事を貰っている光景をよく目にします。
コツメカワウソが2匹目の魚を貰うために一匹目の魚を必死で飲み込む姿はキョ−レツに可愛いです。
人間が食べてる仕草って、時にセクシ−に見えたりするけど、彼らのそれは闘っているようにも見えます。
そんなドキドキする光景を垣間見ながら、納得するまで大好きな水族館を堪能しました。

 それにしても、何度も鳥羽水に行くのに、どうして又行きたくなるのでしょう。
ただ知識や情報だけを期待してるのなら飽きちゃうんだろうけど、心や五感うったえてくるものには際限がないんでしょうね。
そのうえ、きっと館内のソコここに、中村さんの大きすぎて見えないトラップが仕掛けられてるからからにちがいありません。

                                     (ジュディ−) 



いつもわざわざ和歌山からお越しいただいてありがとうございます。
でも、「濡れちゃったけど」のメールが来たときは、一瞬ドキッとしましたです。

(地球流民) 


1998.3.8 読書しない子供はキレやすい (地球流民)

先日、仕事で学研へ行って、みなさんおなじみの学習と科学の編集者たちと、今年度の超水族館関連特集について打ち合わせをしてきました。 みんな教育系出版関係者だから、雑談が子供たちの本離れについてになり、たまたま「キレる」考に入っていきました。

私なんかは、親が熱血真面目教師だったので、小学校の頃は7時以降のTVマンガなど見せてくれず、これだけはなんぼでも買ってくれる、童話集やら図鑑集、それに科学学習と科学を読むしか時間のつぶしようがありませんでした。

でも、これってすごく楽しかったですね。
たぶん今のほとんどの子供たちには理解できないと思うのだけど・・・・。
何が楽しいかというと、読書の楽しみは、自分の想像力次第でイマジネーションがめちゃくちやリアルに広がるし、主人公がいい奴であろうが、悪い奴であろうが、思考回路まで完璧に自分自身に乗り移ってしまうじゃないですか。
ところが、TVってのは視覚で見えちゃうから、心の中のイマジネーションが、TVの画面以上に広がらないし、どの登場人物に対しても他人事になってしまう。

昔だれかに、「本を一冊読む度に、人生を一つ経験する」なんてことを言われて、確かにそんな感触あるなと思ったのだけど、TVやゲームでは無理なような気がするのです。
それで、これからの日本には、創造力のある日本人はもう生まれてこないぞ!と嘆いていました。

そこで、それってもしかして、簡単に「キレる」ことにも大いにつながっているんじゃないかということに話しは進んでいきました。

何か嫌なことや困難なことが起こったとき、それに対処できる創造性がない。 それ以前に、さまざまなシチュエーションや、変わっていく自分のことを想像することができない。 その上、TVっ子、ゲームっ子は、心の感情の変化(怒り→抑制→冷静な判断→再び怒り→抑制→冷静……)なしに、感情を変えることを当たり前と思っているのかもしれません。

 筒井康隆の主人公は、1冊かけて真の狂気に至ります。
 安部公房の主人公は、1冊かけて自分を見失うに至って、自分を発見します。
 大藪晴彦の主人公は、1冊かけて虚しさを知り、
 村上春樹の主人公は、何冊もかけて、まだ虚しい。
 
 1編全てをつかって、たった一つの感情の現れを描く小説だってあり、それを読む度に、自分のイマジネーションを最大限に使う。
 そんな作業を経ている人間と、経ていない人間、自ずから「キレる」次元は違ってくるような気がします。
(久々のUP)

 (地球流民)


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