旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第4回)
   96年7月号)


イロワケイルカと男の友情
中村 元

 私が船に弱いことはすでにお話ししたが、その弱さといったら、そいつはもう自慢できるほどだ。船を待つ浮き桟橋で顔面蒼白になっているのなんて毎度のこと、一度ならず泳ぎながら酔って吐いてしまった事もある。
 そんな私が荒天の中、難所で悪名高いマゼラン海峡の船に乗る気になる時。それはかなりの決意が必要だ。

プンタアレナスのレストランで食事をしながら、私はチリの動物学者アントニオと向かい合っていた。外は夏というのにみぞれ混じりの強風が吹いている。港に停泊している船は皆、波浪警報で出航を見合わせているらしく、回りのテーブルは酔った船員たちで一杯だ。そこで彼は私にこう言ったのだ。
『明日天気が回復したら、調査と捕獲に使う船が、この港から基地へ出発する。それに乗っていかないか?イロワケイルカの撮影にはもってこいだ。』

 このアントニオ、提案はいつも素晴らしいのだけど、そのプランには必ず危険がつきまとう。しかもさっきは近くの海岸で、嵐で座礁したという何隻もの1万トン級の船の残骸を、見せてくれたばかりじゃないか!
う〜ん…と考え込む私に、彼はすかざず言う。
『途中にな、ペンギンの大コロニーやゾウアザラシのいる島がある。その上最近クジラやシャチの群がこのあたりに来ているんだ。きっといい写真が撮れるぜ…。』
 OK!私はほとんど無意識のうちに応えていた。これでも写真家の友人から時々誉めてもらっている、けっこうプロ意識のあるフォトグラファーでもあるのだ。それに実のところ、今の波浪警報が明日にはおさまるとはとうてい思えなかったのだ。

 ところが次の日の早朝、警報は見事に解け、私は当然のごとく船上人となっていた。そしてじきに深い後悔の念のもと、マゼラン海峡とアントニオに悪態をつくことになった。

 こんな経験は初めてだった。港を出たとたん、10メートルもある鉄製の船が、木の葉のように波と風にもてあそばれる。速い潮流と強風のせいで、船足の遅いこの船では港に引き返すこともできないという。
 そうこうするうちに嵐はますます激しくなる。ローリングとピッチングを繰り返す船内で、何かにつかまらずに立っていることは不可能になってきた。そしてついに船は波に乗りきれず、全身で波に突っ込み始めた。窓の視界が一瞬海の緑と泡でさえぎられる。これじゃまるで潜水艦じゃないか! 次の瞬間には波頭に跳ね上げられて空しか見えない。飛行船にもなれるらしい…。

 二人の若い船員は胸に十字を切って、座り込んでいる。カメラケースがキャビンに溜まった海水に浮かんで漂いはじめた。吐き気にたまらず飛び込んだトイレからは、間欠泉のように海水の柱が天井を打つ。アントニオは…ええい忌々しい、奴のことなどもう忘れた!そして船長だけが黙々と舵と格闘を続ける。
 この世の終わりを経験しているようなひどい船酔いで、私は思わずブラックアウトした。人間とはよくできている。耐えきれない苦痛を味わうと、意識の回路が切れてしまうものらしい。

 悪夢にうなされながら気が付くと外は暗闇。
でもあの世ではないらしい。小さな無人島の湾内に船は停泊していた。パイプをくゆらす船長の笑顔が神様のように輝いて見える。十字を切って震えていた船員たちがフライパンで腕をふるっている。アントニオが、同じようにこの湾内に閉じこめられているフィッシャーマンの船から、大きなウニとアワビをしこたま買ってきた。ちょっとした船上パーティーだ。とりあえず、生きていることに乾杯しなければ…。

それから1週間後、同じメンバーで再びマゼラン海峡に挑戦した私たちは、ついにイロワケイルカの群に会うことができた。久しぶりにシャッターの小気味いい音を聴く。
 イロワケイルカに会うために生死を共にしたチリの男達は、撮影を終えてカメラを置いた私を囲み、小躍りをして喜んでくれた。今でもイロワケイルカを見ていると、彼らの顔が浮かんでくる。

■イロワケイルカと会えるところ:マゼラン海峡を中心とした海域に生息する世界最小のイルカ。白黒の美しい模様からパンダイルカとも呼ばれる。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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