旅の手帖 連載「海からのメッセージ」(第7回)
   96年10月号)  


勇者たちの海
中村 元

 それは一瞬の出来事だった。チリのアタカマ砂漠のはずれ、太平洋に向かった断崖の下で、オタリアたちの水中シーンを撮影しようと、海に入った撮影スタッフに水中VTRカメラを渡そうとしたとき、ゴゴーという音ともに目を見張るような巨大な波が立ち上がり、岸壁を襲ったのだ。
 砕ける波で前が見えなくなった次の瞬間、足下の岸壁にへばりついていたはずのスタッフが忽然と消えていた。波にさらわれたようだ。岩の上に残された私たちは、目を皿のようにしてうねりの高い海上を探した。ウエットスーツを着ているから安全度は高いはずだ。しかし、彼は浮かんでこない。まさかこんなところで遭難…?私の頭の中は真っ白になりかけてきた。

 10秒、20秒、30秒と時間は過ぎていく、私たちは声も出ない。そのときの我々には1分にも5分にも思えた時間が経った時、奇跡のように突然、50メートルほど沖で彼の頭がポカッと浮いた。着けていた水中マスクは波にはぎ取られていたが、彼は首を回して陸を探すようなそぶりを見せた。「生きている!」私は思わず叫んだ。
 泳ぎが得意で屈強な彼であれば、なんとかこの距離を泳ぎきれるだろう。しかしほっとしたのもつかの間、彼は手で足の方を指さして何かを叫んでいた。どうも腰を打って動けないらしい。

 別のスタッフが足ヒレを着けて飛び込もうとしたがさっきの巨大な波の影響で荒くなっている波に、飛び込むチャンスがなかなかやってこない。心なしか沖のスタッフは少しずつ遠のいていく。彼を失うことの恐ろしさに自ら飛び込みたいくらいなのだが、この波の中ウエットスーツも足ヒレもなしでは、二次遭難をしに行くようなものだ。足ヒレを着けたスタッフにも波が収まる瞬間まで待つように指示した。

 その時、またしてもあのゴゴーという不気味な音がして、沖に浮かぶスタッフの背後に、巨大な波頭が牙を剥きだした。目の前で彼が波に飲まれる。そして彼は再び忽然と消えたのだ。
再び息を呑む時間。今度はどこに?そしてどんな状態で現れるのだろう?自分の喉がごくっと動くのを感じた。
すると「おーい!」という彼の声が、信じられないほど近くで聞こえる。なんとすぐ脇の深い入り江に彼が浮かんでいたのだ。本物の奇跡が起こったのに違いない。巨大な波にさらわれた彼が、次の巨大な波で帰ってきたのだ。

 しかし別の難関が待っていた。入り江は垂直に3メートルほども切り立っていたのだ。
 ロープをジープまで取りにやらせたが、ジープは崖の上に止めてある。その間にまたいつ何時次のビッグウエーブが現れるかわからない。しかも彼の腰はまだ痺れているようだ。
 うろたえる私の目に、再び奇跡のように水中VTRカメラが目に入った。そうだ、ケーーブル!私はカメラの太いケーブルを外して彼に投げた。彼が自分の腰にそいつを巻き付けたのを確かめて、やっと心に落ち着きを取り戻すことができた。

 少し余裕のできた目で回りを見回すと、オタリアが2頭近寄って来ている。いったい何が浮かんでいるんだという顔で、彼の足ヒレ眺めながらくるくると回転していた。
 動けない彼をみんなで引き上げている間中、オタリアたちはそれを面白そうに見物していた。そして彼が無事に助けられたのを見届けてから、すいっと姿を消したと思ったら、次に来た波しぶきに乗って、ジャンプすると対岸によじのぼったのだ。それはまるで、お前たちはつくづく不器用だなあ、と私たちをからかっているような見事なジャンプだった。

 「まいったな…」私とスタッフは、顔を見合わせて笑った。
 水族館や動物園では、黒いゴミ袋のように、だらしなくプールサイドに寝そべっているオタリアだが、実際は陸の岩と海の波が牙を向き出し合う岩礁で、自在に泳ぎ回り、走り回って暮らしている。岩の岸壁に暮らし危険な波に乗る勇者の姿こそが彼らなのだ。

 いかな泳ぎの名手であろうが、ヤワなヒトには真似の出来ないことだ。ここはヒトなど寄せ付けない真の勇者たちの海なのである。

 ■オタリアと会える場所:オタリアは全国各地の水族館で会うことが出来る。鳥羽水族館の「海獣の王国ゾーン」ではアントファガスタを模した岸壁に人工の波を起こしているので、オタリアたちの勇者ぶりをかいま見ることができるだろう。 

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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