旅の手帖 連載「海からのメッセージ」(第8回)
   96年11月号)  


アマゾンのアミーゴたち
中村 元

 始めてブラジルを訪れたのは10年ほど前のこと、意識してはいなかったのだがたまたまカーニバルの時期だった。2月の寒い日本から33時間、例によって大量のスコッチと数時間おきに出てくる機内食に肝臓を痛めつけて、真夏の陽射しに目眩を覚えながらサンパウロに立ったその瞬間から、サンバのリズムが聴こえていたような気がする。

 きっとカーニバルのせいだったのだろう、黒・白・褐色・黄色と人種の煮っ転がしのようにあふれる人々の顔が、みんなとてもフレンドリーに笑っていた。明らかに異邦人の私と目が合っても「ハーイ!」と手をあげ話しかけてくれた。
 カーニバルとは元来宗教上の禁欲期間を迎えるためのハメはずしお祭り騒ぎだったのだそうだが、ブラジルに住んでいる人たちはもともと禁欲が苦手だったらしく、ハメはずしだけがお祭りとして残ったのだとか。

 それにしてもその開放的なことといったら、それはもう情熱の国なんて言葉じゃ言い表せない。普通のOLが見事なボディーにチューインガムを伸ばしたようなコスチュームで踊る。ちょうどその年は、素っ裸にヘアを剃ってボディペインティングだけというのが流行だとかで、私がブラジルを一発で気に入ってしまったのも分かっていただけるだろう。
もっともカーニバルが目的でブラジルに来たのではない私には、ゆっくりとそれを楽しんでいる暇はなかった。当時サンパウロのショッピングモールの地下にあった水族館の館長 Dr.ヌーノに会って、美しいピンクの肌を持ったアマゾンカワイルカ、通称ピンクイルカについて調査すべくやって来たのだ。

 ヌーノ館長は砂糖を10杯も入れたコーヒーが大好きな、びっくりするほどの太鼓腹をかかえた気さくな博士で、私はすっかり気に入ってしまった。なによりも彼のアマゾンを愛する気持ちはとても強かった。アマゾンの生物を多くの人たちに知ってほしいがために、私費で水族館をつくったという彼には、カーニバルに熱中するブラジル人の情熱と同じ血が流れているのが分かった。
 私たちは小一時間で意気投合しアミーゴ(友達)になった。ブラジルでアミーゴになると一気に関係が近くなる。野生のピンクイルカの美しさを讃える彼に、「じゃあ見せてよ」と言うと、彼はいとも簡単にOKと答え、その3日後には、すでに私たちはアマゾン河の中流域の港町マナウスに居たのだった。

 マナウスは中流域といっても、大西洋から千キロ以上、ほとんど日本の本州の長さほどの距離をさかのぼったところにあるのだが、そこでも河は海としか思えない。港には巨大な外洋貨物船が何隻も着いているのだ。
 黒々と光る水面をたたえた川岸に立つと、はるか遠くに陸が見えた。「さすがアマゾン、中流域でも対岸があんなにかすんで見えるんだね…」と言う私にヌーノ館長が答える「アミーゴ、あれは島影だよ。」そんな途方もなくスケールの大きい笑い話の似合う光景がアマゾンだ。

 このマナウスのまちは、アマゾンの本流とリオ・ネグロ(黒い河)が合流する場所でもある。ヌーノ館長の案内で合流するところを見にいった。アマゾン本流のミルクコーヒーのような水と、リオ・ネグロの真っ黒な水との比重が違うため、双方の流れが重なり合って、混ざり合おうとせず、どこまでも2色の帯のように流れているというのだ。
 細かいジグザグを描きながら2つの色の水面が押し合いをしている光景は、巨大な龍が背中をこすり合わせているように見え、その音が聞こえてくるような錯覚に陥る。もちろん、その先がどこまで続いているのか、ちっぽけなヒトである私に見えるはずもない。

 そのとき、ちょうどその境界を越えるようにして小さな物体が跳んだ。船員が「トゥクシー!」と叫ぶ。なんとアマゾン川にだけ住んでいる世界最小のイルカ「コビトイルカ」だった。ブラジルを初めて訪れた日にカーニバルに出会い。アマゾンを初めて見て度肝を抜かれているその日に、珍しいコビトイルカと会うこともできたのである。
「アミーゴあれを見ろ!あいつはお前を歓迎しているぞ!」ヌーノ館長が笑う。
 私には、ブラジルもブラジル人もアマゾンも、すべてが開放的なアミーゴになって、自分を歓迎してくれているように思えていた。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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