旅の手帖 連載「海からのメッセージ」(第9回)
   96年12月号)  


ホントにピンクなピンクイルカ
中村 元

 タイトルは「海からのメッセージ」なのに今回もアマゾン河からだ。でも許していただくとしよう、この河は東京湾の幅よりずっと広いのだから…。
 中流域の都市マナウスで船をチャーターする。ネグロ河をさかのぼる1泊2日のクルージングだ。エリソン号というその船はとてもじゃないが豪華とは言えないけれど、いちおう一人一部屋シャワー付き、木の船体のところどころに隙間があってスースーと風通しがいいのは、きっと冷房の代わりなのだろう。

 電話はない、FAXもない、客もなければ会議もない。まずいことにはお金もなくなってきたのだが、とりあえずネグロ河の真っ黒な水が地平線からこぼれるくらいと、赤道直下の太陽の光が体を火照らせるほどにはある。これで満足出来るようになった私には、すでにサンバの血が流れ始めているのだろう。

 でも河の真ん中を走っていたって、陸は遠くかすんで何も見えやしない。たまにスコールが来て色を消していくだけだ。ジャングルを楽しみたければ、河に浮かぶ巨大な島の中の水路へと船を進ませるに限る。
 河の中の川ともいえる島の水路は、まさにジャングルクルーズ。両側から水路を包むように熱帯林の緑の壁、頭の上を極彩色のオウムたちがギャーギャー、ゲラゲラとあたりかまわずカーニバルしている。木の皮が剥がれてみっともなくぶら下がっているように見えるのはナマケモノ、彼らの関心は時間をつぶすことだけにあるらしい。

 突然キンコンと鐘の音がする、ランチタイムだ。早朝からマーケットで買ってきた出前一丁しょうゆ味とともにブラジル料理各種、そしてさりげなくフライにされて出されたのは、世界最大の淡水魚ピラルクだった。伸びきったインスタントラーメンにそいつを放り込み、出前一丁ピラルク風味の出来上がり。また旨いんだこいつが!
 満腹になったドクターたちは、デッキでハンプティーダンプティーのような体を焼き始めるが、私は世界に名だたる働き者のニッポンビジネスマン魂を発揮して、帽子とサングラスで太陽から身を守り、脇にカメラを置いて、黒い川面を眺めることにする。

 赤ら顔のちょっとアル中気味の船長が、自分だけ飲んだくれているのに気がひけたのか私にビールを渡してくれる。船長とグラスを交わしながら、世界共通の男性会話で明るくお下品を気取っていたその時、突然100メートルばかり向こうの川面がスッと盛り上がる気配を感じた。
 私は007にあと一歩くらいのスマートさで、素早くカメラを手にして振り向いた。そして目の片隅に、ピンク色の何かが水に消えようという5分の1秒の瞬間を見たのだ!一瞬の鮮やかなピンク色が目に焼き付く。

 「えーっ!ピンクイルカって、本当にピンクだったんだ…。」私はしばしあぜんとする。
 まさかまともにピンク色の動物が実在するだなんて、きっと脳天気なブラジル人館長の大げさな話だと思っていたのだが、自分の疑い深さをちょっと反省。やっぱりこの秘境アマゾンにはなんでもありなのだ。

 こうして何度も目の片隅の一瞬の出会いを楽しむうちに、いつの間にか船はピンクイルカの群の中にいた。およそ20秒に1回くらいの間隔で、船から50〜100メートルくらいのところに現れる。船に興味を持っているらしく、船の近くや下も泳いでいるようなのだが、呼吸だけは離れたところでしないと落ち着かないとみえる。

 幸いにも呼吸音がわりあい大きいので、ヒューという息を吐き出す音をたよりに、重い望遠レンズを振り回す。右と思えば左、こっちと思えばあっち、カメラのモータードライブはシャシャシャッ…と景気のいい音をたててはいるが、ピントもアングルも勘まかせ。気分はすっかりモグラたたきだ。
 しかしそれもほんの30分でゲームオーバー、気まぐれに現れた彼らはきまぐれに去っていった。あとには、いくつものピンクのかたまりを吸い込んだ黒く輝く水面が、何もなかったかのように滔々と流れるだけだった。

■ピンクイルカと会える場所:日本ではかつて鴨川シーワールドに1頭だけいたのを覚えている。しかし今はどこの水族館にも居ない、だからアマゾンに出かけて、豪華な観光船か地元の定期船を選んで乗り気長に待つか、チャーター船を雇うことになる。 

 旅の手帖タイトル集へ戻る


essay
rumin'essay表紙へ

rumin@e-net.or.jp
home
地球流民の海岸表紙へ

(C) 1996 Hajime Nakamura.

禁転載