RUMIN’s ESSAY
文・写真共に禁転載


     旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第22回)
      98年1月号(12/15発売)











 

 この写真、前号のと一緒ですね。
 ビデオから起こして入れ替えますので、少々お待ちを。

史上最大の命
                    中村 元 
 (前号から続く…)初めてクジラに会ったのは、水族館で働き初めて半年くらいの時だった。水族館の前に広がる鳥羽湾にコククジラが迷い込んできたのだ。

 コククジラは体長10メートルくらいの中型のクジラだったが、それまで、ピンク色のベーコンにされてしまったクジラしか見たことがなかった私にとって、それはまぎれもない生きているクジラとの初めての遭遇だった。
 船上の私に見えるのは、ブホーッという呼吸音と同時に開く噴気孔と、潜るときに高く上げる尻尾だけだったが、巨大な生命が目の前で泳いでいることに、涙が出るほど感動したものだ。

 しかしそれから十数年、それ以降クジラを見かけたのは、飛行機の窓からが一度、船上で一度、どちらも種類まで特定できないほど遠目の出会いだった。
 仕事でフィールドに何度も出かけている私がそうなのだ。もしホエールウオッチングなんてお手軽な遊びがなければ、野生のクジラに会うのはかくも難しい。

 それがこうして今、海に飛び込めば水中で会える状態にいるのだから、私の興奮がいかなるほどか分かっていただけるだろう。
 そしてもうひとつ、私たちはすごい発見をしていた。それは噴気が2本上がっていることである。大きな噴気に少しだけ遅れて小さめの噴気が立ち上がる。発見したクジラは親子連れなのだ。

 いったん水中深く潜っていった親子のクジラが再び水面に上がってくるまでの間、私は急いでウエットスーツを着込み、水中ビデオカメラの準備をした。
 「いたぞ!」の声の瞬間には、もうスタンバイスイッチを入れた。とにかくいつでもテープを回せる状態にしておいたほうがいい。

 そして2本の噴気が、例のコバルトブルーの影と共に船の方向に向かってきた時、頃合いよしと、海に飛び込んだ。
 思ったより透明度がいい。こちらと思う方向に目を凝らせば、ほどなく黒い塊が浮かび上がってきた。最高だ!クジラはまっすぐこちらに向かっている!
 すぐにビデオカメラを向けて、ファインダーを覗いたとたん、私は一瞬目の前が暗くなった。起動していたはずのファインダーが、文字通り真っ暗だったのだ。

 しまった!スタンバイ状態があまりにも長かったので、自動的に主電源がオフになっていたらしい。近頃の電子機械の連中ときたら、頭がいいようで間が悪い。しなくてもいいことまでしてくれる。
 便利機能をつけてくれた、見知らぬ技術者に毒づきながら、私は右手で電源スイッチを探っていた。

 しかし目の前の黒い影から目を離すことはできなかった。影はみるみる形を整えて、くっきりと大きくなって近づいてくるのだ。ほどなくしてヒゲクジラ特有の口元をした、大小の巨体が二つ、目の前に迫っていた。「うわっ!ぶつかる」しかし彼女たちは、わずかに方向を変えていた。私にはほんの少しの水圧も感じさせない、優雅な動きだった。

 その時やっと、ファインダーが明るくなって、カメラが立ち上がってくれたのが見えた。私は彼女たちをカメラで追う。まるでヘビのように長い。彼女たちはナガスクジラ、ナガスクジラと言えば20メートル以上になる、それはもう立派なクジラさんなのだ。
 その上なんというスピードなのか。目の前を通り過ぎた彼女たちを追って、潜るが、まるで追いつきはしなかった。
 2頭が再び黒い小さな影になった頃、酸欠状態になっている自分に気づき、慌てて浮上した。ところがなかなか水面に出られない。彼女たちの後ろ姿を追って、ずいぶん深くまで潜っていたらしい。

 用の無くなった水中ビデオカメラは重いし、肺は空気を欲しがって悲鳴を上げている。足ヒレを動かすごとに動悸が早くなる。やばいぞやばいぞ……でもそう思いながら、私はひどく幸せで興奮していた。
 海洋写真家中村庸夫氏の話によれば、ナガスクジラの水中写真は世界で初めての快挙だということだ。
 じゃあ…水中ビデオもやっぱり世界で初めてのことってことなの?
 私が生まれて初めて、クジラと泳いだ時に映した水中映像は、人類初の映像だったのである。


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(C) 1996 Hajime Nakamura.
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