RUMIN’s ESSAY
文・写真共に禁転載


     旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第26回)
      98年5月号(4/15発売)









ガラパゴスの空港。
サボテンだけが私を迎えてくれた。

ガラパゴスの時間 
中村 元 
 少年の頃、どこまでも広がる海を目の前にして、水平線の向こうに陸があるなんて想像できなかった。図鑑を見れば地球が丸くて、大陸や島がいくつもあることは一目瞭然だったけど、それは知識上でのこと。どんなに想像力をこらしても、見えないものは見えないのだものしょうがない。

 だから、本も図鑑もない動物にとって、海の向こうに別の陸があるなんて、きっと理解のはるか彼方にあるだろうと思うのだ。
 ところが、そんな動物たちが、我々の理解を超えて、海を渡り新天地に根付いていたりするのだから面白い。彼らはそんなところまで遠征するつもりもなかっただろうに、運命のいたずらと強運が、彼らを生きながらえて、別の陸にたどり着かせたのである。

 今から6年前、私はマイアミからエクアドルのキトに向かい、そこからさらに太平洋に向かう機上にいた。いつものそんな長旅なら、すでに肝臓は機内のスコッチで膨れ上がっているところだが、そのときばかりはちょっとばかり緊張感を味わっていた。
 海の向こうに陸があるなんて想像できなかった私が向かっているのは、地図の上でも見つけるのが難しいガラパゴス諸島だったのだ。

 昨晩着いたキトの街は、お世辞にも安心感のある街とは言えなかった。空港から出るときに、待ってくれていた世話人が、私に言った最初の言葉は「荷物から目を離すな!」だったくらいだ。
 そこからさらに、あるのかないのか分からないような太平洋の孤島(といっても諸島だけど)に、一人で向かっているのだから、緊張するなというのが無理だと思う。

 抜けるような青空の下、ガラパゴスの空港に着いて外に出ると、私を迎えに来てくれているはずの先発メンバーがいない。
 どこに街があるのか見当もつかず、それどころかタクシーさえもいない空港の前で、途方に暮れていると、砂埃を上げて車が走ってきて、私の前に止まった。

 迎えに来てくれたのは、これから世話になる船の研究員だった。ガラパゴス諸島はメインの島以外にはまちもホテルもなく、それぞれがひどく離れているので、船に寝泊まりして島を巡るのだ。
 私たちがチャーターした船は、アメリカのクジラ研究グループが持っている、3本マストの立派なヨット「オデッセイ」。彼はそのグループの研究員というわけだ。

 うちのスタッフはどうしたの?と尋ねると、ガラパゴスのハイライトの一つ、アシカたちが寝そべる白い砂浜に行ったという。
 そんなバカな!アシカの好きな私はそれを一番楽しみにしていて、今日船に乗り込んでから行くことになっていたばずなのに…。しかし天候の都合で、朝のうちに出たらしい。
 無性に腹が立ったが、こういう時間のない場所にいると、いかな日本人も約束にルーズになるものだ。諦めるしかなかった。

 そう、ここガラパゴスは時間から取り残された島なのだ。南アメリカ大陸から西へおよそ千q。赤道直下の太平洋上というだけでも忘れられてしまいそうなのに、海底火山の隆起によって現れた島々。太古の誕生の時から、大陸の誰もに気付かれなかったのである。

 そんなわけで、ここに住む動物と言えば、海を渡ることのできる鳥やアシカなどの他は、イグアナやゾウガメといった、のんびりした動物たちが主役をはっているという特異な動物相だ。エサがなくても海を漂流できる仲間だけが、この島々までたどり着いたのである。
 特に島によって少しずつ個体変異のある、ガラパゴスゾウガメは有名で、名前の由来となったガラパゴとは、スペイン語でカメを指す。かつて、あふれるほどいたゾウガメたちは、その巨体から発する、ゆったりと流れる時間とともに平和に暮らしていたのだ。

 しかし大航海時代の船乗りたちに、この島々が発見されてからは、ゾウガメは生きた保存食として次々に船に乗せられ、瞬く間にいなくなってしまった。そして彼らが発していた静かな時間も、ヒトの慌ただしさの蔓延と共に、急速に緩慢さを失っていったのだ。

 だが、今もやはりこの島に、独特の時間が流れていることは間違いはない。スタッフが私のことを忘れてしまうくらいなのだもの。私たちは太陽の照りつける波止場で、船が帰ってくるのを待っていた。

 旅の手帖タイトル集へ戻る


essay
rumin'essay表紙へ


rumin@e-net.or.jp

home
地球流民の海岸表紙へ


(C) 1996 Hajime Nakamura.

禁転載