RUMIN’s ESSAY
文・写真共に禁転載


     旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第27回)
      98年6月号(5/15発売)









アシカの少年が、目の前を通り過ぎる。こんな美しくゆったりとした光景の前で二人きりで居ると、不思議と時間が共有できるものだ

ガラパゴスの時間-2 
中村 元 
 空港からの道は見事に何もなかった、短い草と灌木に、たんこぶを重ねたようなあいきょうのあるサボテンが点々と立っている。
 開け放した車の窓からは、赤道直下とは思えないほど心地よい風が吹き込み、先ほどまでの不安はすっかりどこかへ、かき消えてしまっていた。

 ヒトの建造物がまったくない空間に、心地よい風。たったそれだけで、キトの空港から続いていた緊張感と、太平洋の孤島に対する不安が消えてしまうのだから、ヒトとは普段から、よほど酷い環境の中に生きている動物なのにちがいない。

 しばらく走って到着したのは、岸壁だけの小さな港だった。人気のない港の向こうには、まるで偏向をかけた写真のように、深いブルーをたたえた海が広がっていた。
 思わず岸壁まで行き深呼吸をする。携帯電話もFAXもあと1週間はつながりはしないのだ。こんな環境のなかで仕事ができる奴なんて、世界でもそう多くはいないぞ…。

 その時、目の前を、何かがギャロップで跳ねていった。えっ?
 そいつはアシカだった、たぶん2歳くらいの若い個体だ。この年頃のアシカは、好奇心が強い。彼は、数メーター先の岸壁に建てられた掘立て小屋の日陰にひょこっと座ると、小首をかしげてこちらを見た。そしてすぐに関心のなさそうな顔をすると、目を細めて眠ってしまった。

 どうやら彼はこの岸壁にすみついているらしい。しかし周りを見渡しても、彼の仲間はいない。もしかするとアシカの群の喧噪が、あまり好きではないタチなのかもしれない。時々、私のようにここにやってくる観光客がいれば寂しくはないし、だれもアシカ語を話せないのだから、静かでいい。私は彼がちょっと羨ましかった。
 私はそのアシカと一緒に座って、ガラパゴスのゆっくりとした時間を、海を見ながら楽しむことにした。

 気が付くといつの間にか、3本マストの真っ白なヨットが港に入ってきていた。今日から暮らすオデッセイ号だ。アシカにバイと言って立ち上がると、彼はコバルト色した海に跳びこんで見せてくれた。

 先にガラパゴス入りしていた私のスタッフたちは、もうすっかり真っ黒になっていた。みんなが口々に、私の来るのを心待ちにしていたと歓待するので、なんだと思ったら、大量に積み込んできた米の炊き方が分からないのだと言う。
 まったく……。私はコックとしてやって来たのではない。一応、ディレクターなのだ。しかし、スタッフたちはこっちに来てから、乾いたパンとスクランブルエッグだけで、毎日を暮らしてきたと言うのだ。まあしょうがないだろう。

 さっそく鍋で米を研ぎ、コンロにかけた。アルミ鍋で米を炊くなんて、実は私も小学校の時以来やったことなんかないのだが、「始めチョロチョロ、中パッパ……」なんて言いながらやっていたら、見事にふっくらとしたご飯が炊けてしまった。正直言って驚いた。きっと鍋のフタを縛って固定したのがよかったのだとご満悦。
 とにかく日本食に飢えたスタッフたちにとっては、夢にまで見たご飯だったのに違いない。イカの塩辛たった1本で、鍋一杯にあったご飯は、ものの5分で平らげられてしまった。

 それにつけても、ガラパゴスにやってきて初めての食事が、ヨットの上で自分で炊いたご飯と塩辛だったのである。私はなんかえらい不幸を背負ったような気分になっていた。美しい岸壁でのアシカとの出会いで得た、せっかくのガラパゴスの時間はこうして、一瞬のうちに破られてしまったのだ。
 でもまあいい、とにもかくにも船は爽やかな風に帆をふくらませて、ガラパゴスの島々の間を走っているのだ。ゆっくりとこの時間を体にしみこませていけばいいだろう。

 そう納得した刹那、スタッフの一人が「明日は、魚を釣って刺身にしましょう」と真顔で言った。「ああ、ワサビも持ってきたしな…」私もすかさず答えていた。
 平和なガラパゴスに、要らないものを持ち込んだのは、まぎれもなくヒトである。私は十分に自覚したのだった。

私たちの、調査船、オデッセイ号。白い船体が美しい、ちょっと優雅な帆船だ。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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