RUMIN’s ESSAY
文・写真共に禁転載


     旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第28回)
      98年7月号(6/15発売)








イグアナ
身じろぎもせず岩に同化したウミイグアナ。背中にカニがはい回っている。共生をしているとの説もあるらしいが、そのわりにはカニは少なかった。

ガラパゴスの朝 
中村 元 
 揺れにうながされて早々に眠った次の日の朝、朝靄の中に一つ目の島が浮かんでいた。波は静かで体を包む朝靄は赤道直下とは思えないほど冷たかった。ラバーボートに乗って島に向かう。

 ラバーボートの行く先を指示するのは、エクアドル政府のガイドである。ガラパゴス諸島を訪れるには、認められた船に乗り、公認のガイドの案内が付いてなくてはならない。 この島々の自然環境を壊さないためでもあり、またそれはエクアドルの大きな財源ともなっているからだ。

 接岸したのは、溶岩が固まってできた真っ黒で荒々しい海岸だった。先に降りたガイドが私に言う。「足下に注意しろ!」
 わはは、こう見えても私だって水族館のネイチャーフォトグラファーだ。この程度の海岸ですっころぶようなことはないぞ。「心配ない」と無造作に上陸した私に、再び「足下に注意しろ!」と声が飛ぶ。どれっと注意深く足下を見ると、岩がゆっくり動いているではないか。

 いや、動いているのは岩ではなかった。岩と同じ色をしたウミイグアナたちだったのだ。まわりを見渡せば、なんだ!一面ウミイグアナの群ではないか!じっと動かないから岩の表面にしか見えなかった。
 ガイドは私の足下を案じていたのではなく、ウミイグアナたちを踏まないように注意しろと言っていたのだ。 

 爬虫類であるウミイグアナは、気温の低い間は素早く動くことが困難である、しかもこの島にはウミイグアナを捕らえて食べるような危険な動物はいないのだ。だからこうしてじっと動かない。
 私たちやアシカが来て踏まれそうになったときだけ、その近くの者だけがぞろぞろと動くのである。動くのは、今まさに踏まれるという当事者だけだから、私がひょいひょいと素早く歩けば、必ずや誰かを踏んづけてしまうだろう。

 ともあれ、いきなりのウミイグアナの歓迎だ。私は感激してすぐにカメラを取り出し、カシャカシャとシャッターを押し始めた。
 ガイドがまた呼ぶ。「そんなところで撮っていてもしょうがない。こっちへ来い」と、いちいちうるさいガイドだが、ともかくこれから毎日世話になるガイドだから、私は愛想笑いを返しながら、彼の指示に従った。

 すると彼が笑いながら指さす向こうの海岸には、すごい数のウミイグアナの姿があった。あまりにも多すぎてどのくらいという見当もつかない。 まあありていに言えば、見渡す限りウミイグアナが敷き詰められていたのだ。
 ウミイグアナたちは、それぞれが思い思いの方向を向き、身じろぎもしない。真っ赤な磯ガニが、それを岩と思ってかあるいはウミイグアナと知ってか、背中の上をはい回っている。それでもウミイグアナたちは意に介さないかのように動こうとしない。

 私は腰を低くして、彼らの尻尾を踏まないようにゆっくりと進んだ。その動きは気になるらしい。足下の連中が反応してずりずりと逃げる。逃げる奴はその向こうのウミイグアナの上に登るので、登られた奴も少しだけ移動をする。するとその次の奴が押しやられて、その次の奴はもっと少しだけ移動をする。そんな風に、足下から1〜3メートルだけのなかなか倒れないドミノ倒しのようなことが、私が動く度に起こるのだった。

 やっとのことで、一匹の大物の真ん前まで来た。なかなか良い面構えをしているではないか、ごつごつとした感じがいい。まるで恐竜のように重圧感がある。そう思いながらカメラを構えたとたん、プシーという音と共に何かが飛んできた。鼻から水を吹き付けてきたのだ。
 やっ!こいつ鼻汁をとばしやがった。きったねー!
 そうだ予習してきたことを思い出したぞ。ウミイグアナは危険が迫ったときの最後の手として、鼻から海水を吹き付けて脅すのだった。でもその水には毒が含まれているわけでも、嫌な臭いがするわけでもなく、たいした勢いもありはしない。そう、なんか汚いような気がするだけで、痛くも痒くもない、ようするにただの鼻から出した塩水なのだ。

 この連中と来たら、そんないかげんなことで、身を守っているのである。ガラパゴスがいかに平和な島なのか、島に初上陸してほんの数分の間に、私は十分理解をしたのだった。
船とイグアナ
私たちの、調査船オデッセイ号を迎えてくれた、岩となったウミイグアナの群。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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