旅の手帖 連載「海からのメッセージ」 (第29回)
      98年8月号(7/15発売)


ウミイグアナの海(ガラパゴス)
中村 元

 調査船ポセイドンは帆船だった。帆船なるものに私は初めて乗る。船に弱い私にとって帆船がどれほど揺れるかが不安だったが、ポセイドンはその不安にたがうことなくよく揺れた。しかし私はその揺れを恨めしくは思わないことにした。
 ここ、ガラパゴスに住んでいる動物たちの祖先も、海流を浮き沈みする流木か何かに乗って運ばれてきたのだ。私たちが彼らの島々を訪問するのに、波のままに揺れる船で巡るのは当然のように思えたのだ。そして、彼らの祖先の過酷な旅は、彼らの今の暮らしにも、引き継がれていた。

 朝靄の中から陽が昇って、ポセイドンの白い船体がまぶしく光る頃、今までほとんど動くことのなかったウミイグアナたちが、ぞろぞろと動き出す。ぞろぞろと言っても、隣の奴の頭を踏んづけたり、鉢合わせしたり、統制のとれていないてんでバラバラの動きだったが、太陽で体温が上昇し、エネルギーが満ちてきた彼らの喜びがマスゲームになったみたいに、群が波うっていた。
 変温動物であるウミイグアナたちは、温度が低いうちは体温も低く、体を動かすにも動かせないのだ。だから火山岩の一部になって彫像のようにじっとたたずんでいる。そして陽が昇ると、体を太陽に最もよく当たる方向へと向け、十分に熱を吸収して体温が上昇したところで動き始めるのである。

 動き出したウミイグアナのうち、数頭が海に向かう。エサを求めて海に潜ろうとしているのだ。曇りかげんの空で、太陽はまだ地表を十分に暖めきってなかったから、よほど腹を減らしていた連中なのだろう。
 私たちはそんな一頭の後を追った。彼は波打ち際で、一瞬ためらうような様子を見せながらも、迷わず海に泳ぎ出た。服を脱ぎ足ヒレと水中マスクをつけて後を追う私も、彼と同じように波打ち際で一瞬ためらう。水はひどく冷たかったのだ。
 こんなに冷たくて、彼はうまく泳げるのだろうか?体が凍えて動けなくなったらどうするのだろう?などと心配したが、私は彼の心配よりも自分の心配をするべきだった。

 海に入った彼は、今までの動きが嘘のように速かった、尾をヘビのようにしなやかに波うたせながら沖に向かう。
 彼らのエサ場は、思ったよりも沖にあった。湾内の穏やかな波をいくつも越えて、外洋からの波が盛り上がり、華々しく砕け散るあたりに到着したところで、彼はおもむろに水中に没した。
 私も慌てて潜る。しかし、目の隅に彼が潜っていく姿を捕らえた思ったとたん、私の体は潮の流れに吸い付けられるように、どこかへ持って行かれてしまっていた。ふと気が付くと、海底の岩で浅くなったところで、ごろごろと転げ回っていた。
 体中擦り傷で痛いが、我慢してもう一度彼が潜ったとおぼしきあたりを目指す。しかし、近くまで行ったとたんに、また大波がやって来て、私の体は浅瀬へと転がっていく。

 私は思い直して、ボートにエアタンクをとりに向かった。素潜りで水面をバタバタしていたのではとてもじゃないが、あの波をしのげきれない。
 エアタンクを背負い、ついでに多めの錘を持った私は、今度は海底の岩をつかみながら、波だつ場所に向かった。
 波で海底から何度も引きはがされながらも、やっとのことで、さっきの場所にたどり着くと、そのころにはすでに別のウミイグアナたちが、そのあたりに集結していた。どうやら彼らの好む海藻は、こんな波の強い場所に生えているものらしい。

 彼らは水面からするすると潜ると、手頃な岩にがっしりとしがみついて、岩の表面についた海藻を囓る。波が来てもよろめいたりはしない。たかだか70センチほどのウミイグアナがまるで、岩をまるごと囓って食べているゴジラのように見えてくる。
 それを撮影しようとする私といえば、同じように岩をつかむ指に必死に力を入れているのだが、腰から先は吹き流しのようにあっちへフラフラこっちへフラフラ、はなはだ心許ない。カメラを構えるたびに、体はあらぬ方向へと吹き飛ばされていくのだ。

 数枚の写真を私に撮らせたウミイグアナは、私を一瞥もせずに悠々と陸へ帰っていった。彼の背中は「お前にはこの島のくらしは無理だな」と言っているようだった。

■写真キャプション(写真は後で入れます)
 海藻を囓るウミイグアナ。海に潜るトカゲも他にはいないが、海藻だけを食べて生きているとなると、爬虫類の中でもこのウミイグアナだけだ。

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(C) 1996 Hajime Nakamura.

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